139.誰が為の遠征用コンロ
商業ギルド内、ロセッティ商会の借りている部屋で、ダリヤとイヴァーノがテーブルをはさんで座っていた。
書類や手紙を書く者達は、長めのお茶をしてくるようにと、イヴァーノが銀貨を渡して外に出した。この為、部屋にいるのは二人だけだ。
王城から戻った翌日から、二人は遠征用コンロのプレゼンと価格について、くり返し話し合っていた。
「説明内容の方は、これで充分だと思います。あとは、やっぱり値段ですね」
明日は王城という今日、説明内容についてはなんとか合意し、プレゼンの準備もほぼできた。
しかし、価格については平行線のままだ。
「まあ、財務部で魔物討伐部隊の予算確認が厳しいのは、慣例みたいなものらしいんですけど。五代前の魔物討伐部隊長が、遠征費を水増しして横領したそうなんで」
「五代前って、かなり昔ですよね?」
「ええ、俺もダリヤさんも生まれてない頃です。フォルト様から聞いて初めて知りました。それで、侯爵家八家だったのが七家になったそうですよ。その問題の隊長が侯爵家だったので」
財務部が隊の予算に厳しい理由が、少しわかった。
だが、現隊長のグラートは、部下の為に自腹で遠征用コンロを購入すると言っているくらいだ。そんなことをするとは絶対に思えない。
「で、くり返しになりますが、魔物討伐部隊への納品といえども、商会利益を削って値段を下げるのは反対です」
イヴァーノの意見は、王城を出てからずっと変わらない。
「小型魔導コンロに寄せた値段では、甘すぎるんでしょうか?」
「ええ、遠慮なく言えば『激甘』です」
イヴァーノは紺の上着を脱いで椅子にかけると、机の上で両の手の平を組んだ。
一度大きく息を吸うと、一気に話し出す。
「ダリヤさん、俺の父は『人徳のある商会長』と呼ばれてたんですよ。それが、『やり手の商会長』の祖父が亡くなってから、困っていた商会仲間を助け、借金の保証人になって、最後には、全部喰われました。信用、取引先、財産、家、家族の命、本人の命、すべてが引き換えです」
「イヴァーノ……」
「汚く聞こえるかもしれません。でも、商人の土台は金儲けです。情も愛も誇りもすばらしい、でもそれだけじゃ食えません。この手に金を呼び込んでこその商人、そして商会です。俺は若造の頃に思い知りましたから、商会長としてのダリヤさんに、理想論で同じ轍を踏んでほしくない」
真摯な声を向けるイヴァーノに、ダリヤも懸命に返す。
「魔物討伐部隊へ、今後の長期納品の土台と考えれば、今回下げても納入する利点はないですか?」
「遠征用コンロはなかなか故障しないようですし、破損もしづらい設計ですよね? 追加注文もどこまであるかわかりません。王城全体への納品数も、まだ不確定です。それを考えると、先下げはしたくないです」
「靴下と中敷きの方だけでも、魔物討伐部隊からの利益はそれなりに出ているんじゃないでしょうか?」
「出ていますが、それぞれ別の商品です。儲からない商品を好んで扱う商人はいません」
別の商品と言われれば、確かにそうである。
その品目だけ特別扱いをするというのは、商会として、やはりおかしいだろう。
ダリヤは理由付けを必死に考える。
「今後の魔物討伐部隊との関係強化では、どうでしょうか?」
「隊へのコネは、すでにヴォルフ様にもグラート隊長にも充分あるんです。個人で買ってもらってゆっくり普及を待てばいい。品物はいいんです、時間をかければ自然に動きますよ」
「でも、それまでこのままですか? 魔物を命がけで倒しに行って、その後においしくもない、栄養もとれない食事で……もしかしたら、それが最後の食事になるかもしれないほど、危ないのに」
「それって『同情』と『心配』ですよね? その思いだけで、隊に遠征用コンロを納入したいって言うのは、商会長としても、魔導具師としても違うんじゃないですか?」
イヴァーノの紺藍の目が、静かに自分に向いた。
「失礼ですが――ダリヤさん、ヴォルフ様と魔物討伐部隊を、重ねすぎてませんか?」
「あ……」
小さな叫びに似た声が、喉奥からこぼれた。
イヴァーノの言う通りだ。
最初はヴォルフが使いたいと言っていた、ただそれだけで、隊へ売り込むことなど考えていなかった。
それが今は、隊に遠征用コンロを使ってほしい、少しでも安全で快適な遠征になればいいと願うようになっていた。
その理由の土台は、ヴォルフだった。
初めて会った日の、傷のある、血だらけの姿。自分はずっと、それを忘れられなかった。
「隊員の方々は、遠征用コンロで便利になるでしょうし、ダリヤさんの気持ちはうれしいと思いますよ。でも、隊との取引は、彼らへの援助じゃなく、商会としての対等な仕事です。こちらが一方的に利益を削れば、いずれ引け目を感じさせるでしょう。彼らは、騎士ですし、男ですから」
「……すみません、考えが足りませんでした」
イヴァーノに頭を下げ、ダリヤは唇を噛む。
友人への想いと仕事を混同し、視野が狭く、希望だけが先走っていた。
「あの、落ち込まないでくださいね。俺、度々きついことを言ってますが……」
「いえ、ありがとうございます。言ってもらえないと、気づけませんでした」
「例えばですけど、遠征用コンロをお試し品として貸して、稼働後に正規の金額を頂くとか、いろいろあるとは思うんですよ。ただ、あの財務部長が簡単に通すとは思えませんけど」
芥子色の髪をがしがしとかきつつ、イヴァーノは自分を心配している。その姿に、なんとも申し訳なくなった。
もう落ち込んでいる時間などないのだ。
明日は王城で財務部へのプレゼンである。
「ダリヤさんがどうしても下げたいなら、有効な対価をもうちょっと考えてみます? 商会としてでも、魔導具師としてのものでもかまいませんので」
「あの、いいんですか、イヴァーノ?」
「考えるだけならただじゃないですか。価格を下げたいなら、まず俺を納得させてください、会長。でなきゃあの『狸爺』もうなずくわけがない。絶対に難癖をつけてきますよ」
ジルドを『狸爺』と言いきって、イヴァーノはいつもの笑顔で笑う。
つくづく、目の前の男が、商会員でいてくれてよかったと思えた。
『必ず方法はある、そう思って、くり返し違う方向から考えろ。時間をかけてもいい』
魔導具制作で、父に言われたことがよみがえる。
魔物討伐部隊に対して価格を下げ、ロセッティ商会にも益がある、商売人のイヴァーノが納得する方法。
自分の想い、ある意味わがままを、商会の利益を削ってでも通したいのだ。頭が痛くなるほど考え抜いて当たり前だろう。
「少し、考えさせてください」
「ええ、時間の許すかぎりお待ちします」
机の上にメモを五枚並べ、ダリヤは思いつくままに考えたことを書いていく。
鉛筆をカリカリと動かし、何度も芯を包んだ紙をむく。
一心不乱に書き続けていると、自分が左手の親指の爪を噛んでいることに気がついた。とうに忘れた子供の頃の癖が、いつの間にか出ていた。
この癖をやめる為に、父に唐辛子を溶かした液を爪にぬられたものだ。
それを入れた赤い瓶には、『ダリヤ用』と書いた大きなラベルが貼られていた。
幻の辛さをぴりりと唇に感じた気がして、ダリヤは薄く笑う。
そしてふと、思いついたことがあった。
「……イヴァーノ、相談してもいいですか?」
「かまいませんよ。ガブリエラさんに相談します? それともヴォルフ様は……隊員さんという面で聞きづらいですかね。あとは、フォルト様あたりですか。いろいろと動いてくれると思いますけど」
「いえ、私が考えたことを、イヴァーノ、あなたに」
「失礼しました。どうぞ、会長」
イヴァーノは乱れてもいない襟を直し、ダリヤは姿勢を正し、正面から向き合う。
イヴァーノを説得できないまま、値段を下げて進めることはできない。
そして、魔物討伐部隊にひとつの商品として納め、気兼ねなく使ってもらうこともできないだろう。
「では、説明します」
新しい紙に図と文字を綴りながら、ダリヤは話し出す。
商会長と商会員の話し合いは、その後、長く続いた。