136.魔物討伐部隊と微風布
午後の魔物討伐部隊棟は、かつてないほどに明るく沸き立っていた。
「涼しい! これなら夏の遠征でも、蒸れない!」
「これなら夏でも弓がずれぬ!」
「微風布、お前は重鎧の救世主だ……」
「尻の汗疹がこれでなくなる……」
あちこちで隊員達の歓喜の声が響いている。廊下は正直、うるさいほどだ。
別室で着替えた隊員達が、広い会議室に来て二列に並ぶ。
その先のテーブルは二つ。スケッチブックを開いたフォルトとルチアと副隊長、そして、メモを持つダリヤ、イヴァーノとヴォルフである。
「これは兜が暑くならなくていいが、風の向きが気になるな。目にくる」
「アストルガ先輩、もしかして、布が裏表逆ではないですか?」
「おお、そうか。おかしいと思った。帽子タイプで、すぐ表裏がわかると助かる」
「では、わかりやすく印をつけますね」
隊員は一人ずつ、どちらかのテーブルで微風布を身につけた感想や希望を伝える。わからない部分はこちらから質問もする。
「背中の取り外しできるタイプで、風がもっと強いのがほしいです」とは、重鎧の盾持ちの隊員。
「内側手袋だとずれるので、一枚に縫い付けられないでしょうか?」
とても真剣に尋ねてきたのは、弓使いの隊員だ。
「マフラーは戦闘時はピンで留めるか、鎧の内側に入れるかだな。ひっかかって首が絞まると悪い。あと、もう少し風が弱いのがほしい。取り外しもできた方がいい。俺の年代では冷えすぎる」
そう、手振りをまじえつつ語る、壮年の隊員。
「これ、すごくいいんですが、背中がくすぐったいです……」
少し涙目の若い隊員もいた。
感覚はそれぞれに違う。
風の強弱をつけたいくつかの形を考案し、できるだけ希望に添う形で、隊員毎に選んでもらう方がいいだろう。
隣のテーブルでは、フォルトとルチアが隊員とやりとりをしながら、スケッチブックにデザイン画を描いていた。さらに種類が増えそうな予感がひしひしする。
先日から、服飾魔導工房へ通い続けて九日。
朝から晩までルチアやフォルトと話しつつ、服飾ギルドお抱えの魔導具師と、服飾師や染色職人、縫い子といった職人達と試行錯誤をくり返した。
二日目からは服飾魔導工房の魔導具師と魔導師達にも教えたが、グリーンスライムを格子状に均一に付与するのは、なかなか難しいそうだ。彼らが満足に仕上げられるまで、数日かかった。
その間にも、染色と染料定着法を試したいというフォルトと職人達の希望があり、ダリヤは教えつつ、ひたすらに微風布を製作した。
初日に三時間ほどで魔力切れを起こしたところ、フォルトが魔力ポーションの入った大箱を持ってきた。
魔力ポーションは、一本金貨二枚と大変高額である。
最初は固辞したが、金銭は不要、服飾ギルドの備品だから遠慮なくと言われた上、大きなグラスに、だばだばと注がれて目の前に置かれた。
一度開封したポーションは保存が利かない。
結果、ダリヤは魔力ポーションを紅茶代わりに飲みながら作業することとなった。
おかげでたった九日で、魔力は十ちょっとに上がった。
ただ、ポーション関係は、やはり味のいいものではないようだ。
傷を治すポーションは青臭さがあったが、魔力ポーションに関しては後味に妙な渋みがあった。
渋柿を薄くしたようなその味は、何本飲んでも慣れなかった。
「グラート隊長は、バンダナとマフラー以外は、お試しにならないのですか?」
「今、着ている。シャツとトランクスと膝サポーターだ」
「フル装備じゃないですか……」
「動かずにこうしていると、少し冷えすぎるくらいだな」
ダリヤ達のテーブルの後ろ、椅子に座って話をしているのは、魔物討伐部隊長であるグラートと、やや年代が上の騎士である。
グラートに王城の窓口を頼む話は、ダリヤどころか、イヴァーノも出番がなかった。
まずはご挨拶をと手紙をしたためたところ、フォルトがその日に王城へ行くからと持って行き、帰りにはグラート隊長の了承の手紙を預かってきた。
一体何と言ったのかと尋ねたところ、マフラーをグラートの首に巻いただけだと微笑まれた。
その後、遠征用コンロの正規契約のときに、隊の希望者に微風布を試してもらうこととなった。
しかし、隊員全員が希望者になるとは予想していなかった。
そこからは服飾ギルドの魔導具師と魔導師、そして職人が『たいへん、がんばりました』と聞いている。
聞いているというのは、ダリヤは夕暮れになるとイヴァーノに連れ帰られ、残業が一切できなかったためだ。
緑の塔での作業も止められた。
ダリヤが残業をするならば自分にも権利があるという彼に、自粛せざるを得なかった。
そして今日、微風布のマフラーやシャツなどを、それなりの数、準備し、隊員に交代で試してもらっている。
「急ぎで納入してもらうにも、次の遠征には間に合わんな……」
「一度手にしただけに、辛いものがありますね」
グラートと騎士の低い会話に、周囲の隊員が耳をそばだてている。
「この試作をそのまま先納というのは、だめだろうか?」
「それ、分配で血を見るヤツな……」
「契約が決まりましたら、マフラーだけは人数分、即納入致しますよ」
目の前の隊員達の会話に、イヴァーノが明るい声で割り込んだ。
「グラート隊長……」
「隊長……!」
隊員達の視線が一斉にグラートに向く。もはや希望ではなく哀願の目に、男は苦笑しつつ応えた。
「いいだろう、契約しよう。今期の遠征改善の予算は確保してある。遠征用コンロの次にこちらに回す」
グラートの声に、隊員達がどっと沸く。ダリヤは驚きつつも、つられて笑んでしまった。
「ロセッティ商会長、ひとつ確認させてくれ」
不意にグラートに声をかけられ、慌てて立ち上がる。イヴァーノも続いて立ち上がった。
「王城の窓口が私で、本当にいいのか? これならば、騎士団御用達を希望した方が予算も上がるし、箔もつく。ここまでいろいろと作ってもらったのだ。希望するなら、私が推薦人となるが」
「ありがたいお話ですが、当商会では力足らずで、分配も厳しいかと思います。王族の方や貴族の方に関しても、失礼のないようにフォルトゥナート様に請け負って頂きましたので」
あらかじめイヴァーノと打ち合わせた内容を答えていると、隣のテーブルからフォルトが歩み寄ってきた。
「グラート隊長、魔物討伐部隊分を確保するのであれば、窓口になっておかないと、貴婦人の皆様に根こそぎ持っていかれますよ」
「貴婦人方に?」
グラートと近すぎるのではと思うほど距離をつめ、その耳元でささやく。
「コルセットにビスチェの裏。ドレスは足さばきが変わり、化粧崩れまでなくなるそうです。妻にあそこまで熱烈にねだられたのは初めてですよ」
「……ご婦人方の対応は、任せてもいいかね?」
「はい、紹介状を頂ければ優先致しますので、ぜひご活用ください」
微笑んで答えたフォルトは、あっさりとテーブルへ戻っていく。
目を丸くしているダリヤの横、イヴァーノが深いため息をついていた。
「少々話がそれたが、ありがたく窓口とならせて頂こう」
「ありがとうございます。ご要望にお応えできるよう、全力を尽くします」
こちらに向き直ったグラートに、ダリヤはイヴァーノと共に頭を下げた。
「他から何かあれば遠慮なく連絡を。ああ、二人ともグラートと呼ぶのを許そう。こちらも『ロセッティ』と呼んでもかまわないか?」
「はい、ありがとうございます」
「そちらは『メルカダンテ』と言ったな?」
「どうぞ、『イヴァーノ』とお呼びください。大変失礼ですが、グラート様は商会長を名前でお呼びになりませんか?」
グラートは眉をわずかに寄せ、少しばかり声を止めた。
「……少々呼びづらい。妻の名が『ダリラ』なのでな」
後ろに座るヴォルフが肩をわずかに揺らしたが、言葉はなかった。