134.商会員の提案
商業ギルドの二階、ロセッティ商会が借りている部屋で、ダリヤはイヴァーノと向き合っていた。
「ダリヤさん、またすごい物を作りましたねえ……」
イヴァーノが書類の束を見つつ、静かな笑顔を浮かべている。
書類は、涼しい布に関する仕様書と、それで作りたい物リスト、その製作方法案だ。
とりあえず、昨夜ヴォルフ達と話して出た案は、すべてまとめてきた。
ちなみに、イヴァーノの首には薄緑色のマフラーが巻かれている。
「数が多いので一度には無理ですけど、全部製作可能だと思うんです」
「これ、すべて服飾絡みですね。ガブリエラさんにも話は通しますが、服飾ギルドのフォルト様に相談してもいいですか?」
「はい、お願いします」
風を通して涼しくする布、その使い方は服のアンダーウエアがメインになりそうだ。ここは服飾ギルドに協力をお願いする方がいいだろう。
「これ、ヴォルフ様以外で、どなたか知ってます?」
「魔物討伐部隊の方で、ヴォルフのお友達が一緒に考えてくれました。ヴォルフは話さないように頼んでいました」
「じゃ、そっちは心配ないですね」
イヴァーノは書類を机でとんとんと揃え、ひとまとめにする。
真顔になると、紺藍の目をまっすぐダリヤに向けた。
「さて、商会長。これ、かなり危ないです」
「ですよね……グリーンスライムが足りなくなりますよね」
防水布のときは、ブルースライムの不足で冒険者ギルドに多大に迷惑をかけたと聞いた。
今度はそういった迷惑はかけたくない。材料と工程の確保をしっかりするべきだろう。
「それもありますが、騎士団装備がメインです。利権と貴族が絡みます。その後は貴族から庶民まで広がるとして、このままだと、取り込みや横槍が絶対きます」
「止めるべきでしょうか? せめて、魔物討伐部隊分だけでも、なんとかしたいんですが……」
「いえ、止めなくていいですよ。俺は言ったじゃないですか、ダリヤさんの作りたい物を作ってくださいって。量産も販路も安全も、なんとかするのは俺の仕事です」
マフラーを指先でなで、イヴァーノは口元をゆるめる。
「で、一番届けたいのは、魔物討伐部隊ですよね?」
「はい、少しでも楽になればと思っています」
騎士服の暑さも気がかりだが、遠征での過ごしにくさが少しでも減ればいい。そういったことを説明していると、目の前の男は目を閉じ、何度もうなずきながら聞いていた。
「会長の希望はよくわかりました。それに対して、俺の提案は二つです。服飾ギルドのフォルト様を巻き込んで共同開発にし、名誉を共有して、金銭と安全を確保しましょう。次に、魔物討伐部隊のグラート隊長に提案して、魔物討伐部隊に優先権を渡す代わり、ロセッティ商会の王城窓口を隊長に固定してもらいましょう」
イヴァーノはさらりと言っているが、相手は侯爵と子爵である。
一商会がこちらからお願いしていいことなのだろうか。
「あの、フォルト様とグラート隊長のご迷惑にならないでしょうか?」
「逆に全力で了承してもらえると思いますよ。フォルト様は服飾ギルド長としての実績がほしいでしょうし、グラート隊長は当然、魔物討伐部隊を優先させたいでしょう?」
「そうかもしれませんが……」
「ロセッティ商会に何かしたら、商業ギルド長と服飾ギルド長と魔物討伐部隊長が絡む、それをわかっててやるのは、そうそういないと思うので」
あるとしたら公爵家か王家くらいですよね、そう冗談が続いたが、ありえない話だ。
ダリヤがひきつって笑えずにいると、イヴァーノがさらに続けた。
「できるなら、ヴォルフ様のお兄様にも、一度ご挨拶を通しておきたいですね」
「ヴォルフのお兄様、ですか?」
「ええ、来年に爵位上げの予定だそうですので、次期侯爵ですね。ジェッダ様、ああ、だめですね、まだ慣れない……レオーネ様から伺いました」
商業ギルド長であるジェッダからは、家名ではなく、名前呼びするようにと言われた。だが、イヴァーノもダリヤもまだ、レオーネと呼ぶのに慣れていない。
ただ、商業ギルド長である彼が言ったのならば、確定したのだろう。
来年には、ヴォルフは伯爵家から侯爵家の一人になる。
ダリヤは、さらに距離が空くように思えて、少しだけさみしさを覚えた。それでも態度には出さぬよう、言葉を選ぶ。
「喜ばしいことですね」
「ええ。そういえば、今って公爵四家、侯爵七家でしたっけ? うちの国、他国より上の二爵は少ないそうですけど、平和が長いせいでしょうね」
「ありがたいことだと思います。戦争があったら、こんなに国は栄えてませんし、魔導具を自由に作るなんていうこともできませんから」
この国『オルディネ』では、戦争の功績を讃えての叙爵は、ダリヤの知る限りない。戦争そのものが建国後にないためだ。
代わりに、ライフラインや教育、農業、貿易への貢献、発明品や魔導具の開発などで爵位を上げたり、新たに叙爵することは多い。
逆に、横領や賄賂、犯罪絡みになると、あっさりと爵位を剥奪される。
「会長、もし俺の提案が不快なら、練り直しますよ。魔導具師としては、フォルト様と共同じゃなく、自分の名前だけを刻みたいとかありません?」
「いえ、共同でかまいません。私は名義より、不具合や苦情があったとき、自分に情報がきちんと戻ってくるようにしたいんです」
「ああ、なるほど……そういえば、靴の中敷きでも苦情がありましたっけ。くり返し使いたい、価格を下げてほしい、サイズを増やしてほしい、この辺りはダリヤさんも読みましたよね?」
「ええ。他になにか問題が出ました?」
「最近来ているので二十件近く、『この中敷きをもっと早く作ってほしかった』ってありました。気持ちはわかりますが、無理言うなって話です」
うれしい言葉に、つい顔がゆるむ。
靴の中敷きは、魔物討伐部隊だけではなく、王城、各ギルドにも流通が広がっている。
誰かの役に立っているのを聞くのは、作り手としてとてもうれしいものだ。
「じゃ、涼しい布もさっさとすすめましょう。幸い、今年は夏もあと少しなんで、魔物討伐部隊に優先で試作して、あとは来年稼働での計画にすればいいんじゃないですかね。ちょうどいい時期だったと思いますよ」
イヴァーノは人をのせるのがうまい。わかっていてものってしまえるのは、自分が商売人ではなく、魔導具師だからなのだろう。
「会長からは、他に何かあります?」
「そういえば、王城でちょっと……」
メイドの件について話をすると、イヴァーノはたちまち渋い顔になった。
「すみません、俺、やっぱりついてくべきでしたね。従者がいるだけでも違うと思うので……護衛もできる従者がいれば一番なんですが」
「王城でもいりますか?」
「ええ、その方が安心です。がたいのいい男なら見た目だけでいい抑止力になりますから。もちろん腕もあった方がいいですけど。ただ、エチケットルーム内にはついてけないんで、女性の従者で護衛もできる人でもいれば完璧なんですが……」
女性で護衛もできる腕のある従者――それはなかなか難しそうだ。
ダリヤは真面目に考える。
王城の部屋と廊下には大体騎士がいる。それならば、エチケットルームに行くのを限界まで避ければいいのではないだろうか。
「次から王城に行く前は水分を控えて、行ったら、お茶をなるべく頂かないようにします。そうすれば、今回のようなことはないかと思うので」
「やめてくださいよ、ダリヤさん。夏にそれやったら倒れますよ」
「大丈夫です。魔導具の試作で時間がかかる時とか忙しいときなんかは、塔でも水分を控えてやってますし」
「……会長」
一段低くなったイヴァーノの呼びかけに、ダリヤは首を傾げる。
紺藍の目は、いつもより青が強くなり、猫のように細められている。
ちょっとガブリエラと似ているかも、そう思ったとき、彼は低い声で続けた。
「俺には残業するな、体に気をつけろと、いつも言ってましたよね?」
「ええと、はい……」
「会長って、俺の上ですよね。人の上に立つ者は模範を示すべきだと思うんですよ」
この後、ダリヤは淡々と水分補給の大切さ等を注意されることになった。
なお、護衛がみつかるまでは、王城へ行くときはイヴァーノが同行することも確定した。