123.鶏の唐揚げと年上の男友達
二階に上がると、ダリヤが黒いTシャツを手にしていた。以前、ヴォルフが借りたことのある服だ。
「ヴォルフ、できればこれ着てください。そのままだと強盗に襲われたみたいです」
「ありがとう。さっきはすまない」
「悪かった、ダリヤちゃん。ちょっとふざけすぎた」
「もう、ヴォルフもマルチェラさんも、服が破けるまでやらなくてもいいじゃないですか……」
怒りから心配に切り替わった声に、申し訳なさがつのる。
なんと言って謝罪するかを考えていると、マルチェラがうなずいた。
「そうだな、どうせなら、上は全部脱いでやるべきだった」
「……マルチェラさん」
「ねえ、いっそ二人とも脱いで、満足するまで組み手する? それなら、お酒と椅子持って、ダリヤと一緒に庭で観戦するわ」
「しないわよ! 先にこれ並べてて、お料理仕上げてくる!」
イルマに取り皿とカトラリーの束を押し渡し、ダリヤは台所に行ってしまう。早足の背中に、声をかけそびれた。
「ダリヤが怒ってる……」
「ちょっとからかいすぎたな。ダリヤちゃん、イルマの家の猫みたいになってる」
「猫?」
「ああ、イルマの実家の猫。昔、俺見て、キシャーって言ってた頃の顔が、さっきのダリヤちゃんそっくり」
ひどい言われようだが、少しだけ納得もする。普段と違っていて、ちょっと近づけない。
下手をすると、追加でみっちり怒られるか、冷えた笑顔で距離をおかれそうだ。どちらも全力で避けたい。
「うちの猫、昔はマルチェラを避けてたのよね。その頃のマルチェラ、王都と外の行き来で、薬草箱を運んでたから」
「猫避けの匂いがついてた、仕方ないだろ。ま、今はまっ先に俺のとこにくるけどな」
「マルチェラ、ご機嫌取りがうまくなったわよね」
ヴォルフはマルチェラに期待を向けた。
もしかしたら、ダリヤの機嫌を直す参考になるかもしれない。
「ご機嫌取りって、どんな方法?」
「好物を食わせ、よさげなところをとことんなで回す。おすすめは、耳のつけ根と首回りと背中」
「そう……」
まるで参考にできない方法に、鈍く頭痛がした。
ダリヤが最初の皿を運んでくると、全員で手伝い、台所とテーブルを行き来する。
ヴォルフはエールやワインを準備し、バケツに氷を入れて運んだ。
「ヴォルフ、マルチェラさん、乾杯前にポーションを飲んでください。腕のアザ、ひどいです」
全員がテーブルにそろうと、ダリヤがテーブルの上、ポーションの瓶をおいた。
「平気だって、このくらい。怪我のうちには入らねえよ」
「たいしたことは……いや、マルチェラさん、おとなしく半分ずつ飲もう」
「いや、高いだろ、それ」
「もっと高くつく前に飲んだ方がいいと思う。今回は顔合わせ記念で俺が出すから、そのうちに酒でもおごって」
「……わかった」
自分たちを凝視する緑の目が、ちょっとばかり怖い。
ここで断ったら、酒と料理を前に、こんこんと諭されそうな気がする。
斜め向かいのダリヤの視線に、マルチェラも納得したようだ。
「わかった。今回は甘えさせてもらう。今度おごる」
「じゃ、これは半分もらうよ」
ヴォルフがグラスに手をかけると、イルマが手近な小皿を持った。
「ちょっと待って、ヴォルフさん、少しだけここにポーションをちょうだい」
「イルマさん、どこか怪我した?」
「あたしじゃないわ。ダリヤ、さっき階段でコケてたわよね。手の平みせて」
「……平気」
ダリヤはきまり悪そうに目をそらしたが、イルマはかまうことなく、その手をとった。
「はい、手開いて。たいしたことはないわね」
指先にポーションをつけ、ダリヤの手の平をおさえる。
少しばかりしみたらしい。一瞬、緑の目を細めた彼女は、アルコールでもないのに、手の平に息を吹きかけている。
「次、膝。絶対すりむいてるでしょ? スカートの裾あげて……あ、男性陣はそっち向いてポーション飲んで」
「あいよ」
「はい」
素直に背を向け、マルチェラと共にポーションを飲んだ。
後ろでは、ポーションが膝にしみたらしいダリヤの、微妙な悲鳴が上がっていた。なんともかわいそうだ。
「すごいな、ポーションって! 足が一気に痛くなくなった」
ポーションを一気飲みした男が、感嘆の声を上げた。
自分の腕を見れば、アザがゆっくりと消えていく。意識しなかったが、足の鈍痛もきっぱり消えた。
「マルチェラさん、ポーションが効いたってことは、やっぱり怪我してたんじゃない」
「階段落ちのダリヤちゃんも復活しただろ?」
「ねえ、私は冗談で言ってるんじゃないわよ?」
「ダリヤー、ダリヤー、そのへんにしてー。マルチェラはどうしようもないし、エールがぬるくなるから」
「俺の奥さんは、俺に首ったけじゃなかったのか?」
「ダリヤの食事の前に優先されるほどのことが、今あって?」
「ああ、それはないね」
ヴォルフもきっぱりと同意した。
わざとうなだれるマルチェラを無視し、イルマが自分に笑いかける。
ダリヤと同じく、ただ自分という個を見るまなざしに、ヴォルフはひどく安堵した。
その後、ようやく四人での乾杯にすすんだ。
「エールはヴォルフ、フルーツはマルチェラさん、サンドイッチはイルマからです。冷やし野菜は、マヨネーズとドレッシングがあるので、いい方で。こっちの皿は軽く塩漬けしてますから」
たっぷりの氷を敷いた皿の上、冷えたキュウリやミニトマト、ゆでたブロッコリーや人参などが一口大に切られていた。その隣の皿には、大根とナスが薄く切られて並んでいる。
その他にも厚みのあるサンドイッチ、色とりどりのカットフルーツ、クラーケンの魚醤焼き、チーズの盛り合わせなどもある。
だが、真ん中の一番大きな皿は、空いたままだった。
「じゃ、二度揚げしてくる」
「あたしも手伝う?」
「大丈夫、すぐ戻るわ」
にこりと笑ったダリヤが、再び台所に消えた。
ヴォルフはその後ろ姿を見送り、グラスを空ける。黒エールは冷たくそれなりにうまいのだが、どうも落ち着かない。
「ヴォルフさん、大丈夫よ。すぐ来るから」
「俺もなにか手伝えればいいんだけど」
「後片付けでいいんじゃないかしら」
イルマは笑って答えたが、後で今までもヴォルフが皿洗いをしていると聞き、固まることになった。
「お待ちどおさま」
数分後、ダリヤがまだ油の音のする大皿を持ってきた。
「鶏の唐揚げです。味は二種類あるので、食べてみて、好きな方をどうぞ」
鶏の唐揚げは、食堂にも居酒屋にもあるメニューで、とりたてて珍しくはない。
だが、そのスパイシーな香りと少し強めに揚げられたらしい色合いに、口内がうるむ。
勧められるがままにフォークを刺し、口に運んだ。
「あ、今日はしっかり歯を磨いてください。ニンニクは容赦なく使いましたんで」
彼女の声を聞きながら、おいしさを逃がさないよう、一口で噛みしめる。
衣がさくりと音を立てて、唇に熱い。
ニンニクとショウガのいい風味の後、うまみの濃い肉汁がたっぷりとあふれてきた。その熱に少し慌てて咀嚼すれば、少し塩が濃いと感じた味はちょうどよくまとまる。
唐揚げをゆっくり味わって飲み込んだ後は、自然と黒エールに手が伸びる。
酒を喉に流し込めば、肉の味と脂は消え、爽やかな苦みを口に新しく感じる。エールの味までも引き立つのは、なんとも面白い。
「またこれだよ、絶対連鎖だよ……」
隣で黒エールを空ける男の言葉に、強く納得した。
もう一山の鶏の唐揚げは、最初のものより一段茶色い。
やや焦げ気味なのか、そう思いつつ口にして、柔らかさと甘みに驚いた。肉汁の多さは一緒だが、こちらはまったく違う味だ。
長く咀嚼して飲み込めば、ふわりと甘く残る味に、エールがひどく合う。
唐揚げは多いと口飽きすることがあったのだが、この二種類に黒エールは、止まりそうにない。
「ダリヤ、こっちの下味って、何?」
「ハチミツと魚醤、ほんの少しレモン。冷めてもおいしいからお弁当にもいいわよ」
「後でレシピくれる?」
「いいわよ。後で書くわね」
少ない会話を交わしつつ、唐揚げはたちまちになくなっていく。
空いた皿を見て、赤髪の女は満足そうに笑った。
「もっと食べられそう? まだあるから揚げてくるわ」
「ダリヤ、大好きー!」
「お願いしていいか? 今度、イキのいい鶏を庭に届けるから」
「やめて、飼わないわよ」
マルチェラ夫婦の軽口に応えるダリヤが微笑ましいが、わずかにひっかかるものがあった。
「俺もぜひお願いしたい」
「後でお皿洗いを手伝ってくれるなら、たくさん揚げてきますよ」
「皿洗いだけなんて言わないよ。お願いできるなら、魔導コンロと洗い場まで磨くよ」
「じゃ、俺は台所の壁と床をぴかぴかにするか」
二人のひどく真面目な声に、イルマが笑い出した。
「よかったわね、ダリヤ。台所がすっごくきれいになりそうよ」
「ふふ、期待してるわ。じゃ、追加で揚げてくるわ。すぐできるから、少し待ってて」
赤髪の女は、早足で台所に消える。
今度もこの二種類の唐揚げか、それとも、ダリヤのことだから、また違う味を持ってくるのか――なんとも楽しみでならない。
緑の塔、ダリヤの隣、気負いなく話せる相手、うまい酒と食事。
数ヶ月前までは知らなかったそれらに、うれしい反面、少しばかり怖くもある。以前のように戻れと言われても、できる気がしない。
「……また一緒に飲めるといいね」
「ああ。今度はうちに、ダリヤちゃんと来てくれ」
独り言めいたヴォルフの言葉に、マルチェラが即行で応えた。
「待ってるわ、今度はあたしが料理の腕をふるうから」
「ありがとう。迷惑にならなければ、ぜひ」
こんなふうに話せるのは、とてもうれしい。
けれど、本当にこの夫婦に迷惑ではないだろうか、そう考え、つい視線が下がった。
「うちの家の近くでばれるのがまずいなら、眼鏡をかけているときは『ウルフ』とでも呼べばいいんじゃないか。お忍びで俺らは知らなかったって言えば建前上は通るし」
「それがいいかもしれないわね。気になるなら、夕方からだとそんなに目立たないんじゃないかしら?」
「ありがとう、二人とも」
すっかり見透かされたことに、気恥ずかしくも安心している自分がいる。マルチェラが年上のせいか、ペースが呑まれるのかもしれない。
「下町の裏通りなら顔見知りもいないだろ。あっちなら、外でも気にせず飲めるんじゃねえか? ただ、女性陣にはあんまりすすめられない場所だが……」
「それも楽しそうだね」
「お、じゃあ、路地裏のなにか混ぜたような酒を出す店とか、薄汚れた立ち飲み屋とか、男同士でしか行けない店をはしごしようぜ、『ウルフ』」
「ああ。楽しみにしとく、『マルチェラ』」
勢いのついていく会話に、イルマが疑わしげに赤茶の目を細めた。
「うちの旦那が、ヴォルフさんに何かよからぬことを教えようとしている気がする……」
「なんだ、奥さん、知らなかったのか?」
マルチェラは黒エールを片手に、すまし顔で言った。
「悪い遊びを教えるのが、年上の男友達ってもんだ」