120.魔導具師と妖精結晶
父の話から言葉につまっていると、オズヴァルドが手ずから紅茶を淹れてくれた。
礼を言って受け取りながら、再び向き合って話を続ける。
「あの、自分一人で、魔力枯渇をさせ、魔力ポーションを飲むのは、危ないですか?」
「もしやのあることはおやめなさい。教えた私を後悔させたいですか?」
「すみません……」
思いがけぬほど厳しい声に、すぐ謝る。
オズヴァルドは首を横に振り、浅く息をついた。
「こちらこそ申し訳ありません。つい、カルロさんのことを重ねてしまいました。あなたの方がショックだったでしょうに……」
「いえ、父はその……マイペースというか、自分のしたいことをする人でしたので」
思い返せば、日々、マイペースな父だった。
魔導具師としても父としても尊敬していたが、生活面では手がかかることも時々あった。
「魔力値といえば、ダリヤが最後に魔力を計ったのは、いつですか?」
「二年近く前です」
「上がっているかもしれませんから、測定してみましょうか?」
棚から出されたのは、測定魔石だ。
濃灰で縦に長い物差しのような形をしており、十五段階の目盛りがついている。
ダリヤが指先で触れると、測定魔石の左に、淡い光が灯った。そして、中央に薄く刻まれた線を、白い光が左から右へ染めていく。
八を越えてほっとしていると、そこからまた、じりじりと上がった。
「九と三分の一ほどありますね。上げる気になれば、十一までは問題ないでしょう。ただ、ご結婚なさった場合はご注意ください。妊娠中は魔力上げができませんので」
「予定がないので大丈夫です」
オズヴァルドは笑んだまま、測定魔石の上がった魔力を、対になった魔石で戻す。魔力が四散する淡い光が、テーブルの上をふわりと跳ねた。
「魔力が十一までだと、先生のように魔導具を作るのは無理でしょうか?」
カルロが十二にしていたのだ。おそらくはオズヴァルドも同じか、それ以上にあるだろう。
稀少素材を使って魔導具を作るのは、もっと魔力が必要かもしれない。
だが、オズヴァルドはダリヤの質問に答えず、測定魔石に自身の指をあてた。
ダリヤと同じく、白い光は細く右に伸び、やがて止まる。
「私の魔力値です。これでも、うちの店のほとんどの魔導具は作れますよ」
「……?」
測定魔石に光っている魔力数値は十。十一の目盛りに近いが、届いてはいない。
「私は子爵家の生まれですが、一族で魔力が一番少なかったのです。元から四上げても、この数値です。魔導師にも騎士にもなれませんでしたので、魔導具師の道を選びました。この魔力値でも、案外なんとかなるものですよ」
「でも、魔導具師でよかったのではないでしょうか? 今、とてもすごい魔導具師になっているわけですから!」
オズヴァルドの抑揚のない声に、思わず声を大きくしてしまった。
「とてもすごい魔導具師……」
自分が言った単語をオウム返しに、男が固まっている。完全に呆れられたらしい。
「す、すみません! 子供みたいな言い方で、表現がおかしくなってしまって……」
「……いえ、私が『とてもすごい魔導具師』という言葉で思い出すのが、カルロさんでしたので、少々驚いただけです」
オズヴァルドはいつものように微笑むと、測定魔石を片付ける。そして、別の魔封箱を持ってきた。
「さて、ヴォルフレード様の眼鏡に使っていた『妖精結晶』のお話も必要でしょう?」
「はい、お願いします」
「妖精結晶は、妖精が隠れるための魔力が固まったものと言われています。幻影入りのランプなどにも使われますが、最も多いのはカモフラージュと攪乱です」
「カモフラージュと攪乱、ですか」
ヴォルフに妖精結晶の使い方などを話したとき、諜報部のつながりを尋ねてきたことがあった。
それは当然の心配だったのかもしれない。
「最近は王城や、他国の軍などでも需要が出てきましたし、注目され始めている素材です。妖精結晶を複数発注する場合は、王城や高位貴族との取引を目指していると思われるか、軍備関連に進むかと思われやすいです。目立ちたくないのであれば入手方法に気を付ける方がいいですね」
「あ……」
すでに遅い。オルランド商会に複数、発注してしまった。
そして思い出した。
妖精結晶を頼んだとき、オルランド商会長であるイレネオは言った。
『そうか。君はそちらへ進むのか』と。
おそらく、ダリヤが王城か軍備関連を目指していると思ったのだろう。
実際、今は王城に出入りしているわけで、誤解されているかもしれない。
「すみません、ご相談させてください。ヴォルフ様の眼鏡を作るのに、妖精結晶を四つ、オルランド商会に発注してしまいました……」
「四つですか……研究用とはちょっと言いがたい数ですね」
オズヴァルドは一度銀の目を閉じ、顎に指をあてた。
「ゾーラ商会におさめる、妖精結晶のランプを作ると言っておきなさい。こちらも話を合わせます。オルランド商会には、メルカダンテ君に対応してもらう方がいいでしょう」
「ありがとうございます。本当にお手数をおかけして申し訳ありません……」
「いえ、たいしたことではありませんよ。妖精結晶などの稀少素材で急ぎがあれば、天狼と同じように、私かジェッダ子爵、ヴォルフレード様にご相談を。下手に他の商会に聞くのは危ないように思いますので」
「はい、そうさせて頂きます……」
結局、オズヴァルドにまとめて頼る形になってしまった。
初回授業から、迷惑この上ない生徒である。授業料を上乗せするべきではないだろうか。
「話を戻しましょうか。妖精結晶の付与は七から可能、できれば八です。少しクセがあり、一回で付与者の魔力を半分はもっていかれます。間違っても、二度続けての付与はしないことです」
きっぱりと言われた言葉を魔導書に書き込みつつ、またも冷や汗をかく。
妖精結晶の眼鏡を作る際、二枚のレンズを連続で付与しましたとは、絶対に言えない。
「妖精結晶は、付与時にひどい幻覚を見せることが多いのです。結晶のままの付与で幻覚に負けて集中力を切らすと、四散して粉になります。粉でもそれなりに使えますが、結晶体の方が効果は上です。結晶体と粉の付与の違いに関しては、いずれ自分で試してみなさい。感覚でわかるはずです」
「わかりました」
ペンを走らせながら、父を思い出す。
窓に付与をしようとして、集中力を切らした父は、どんな幻覚を見たのだろうか。
「ダリヤが眼鏡を作ったとき、何を見たか、伺ってもかまいませんか?」
「その、妖精が出てきて、亡くなるところを……会話もした覚えがあります」
「妖精、ですか?」
「はい。あと、付与中に父が隣にいるような感じがしました。幻覚だったなら、もう一度、しっかり顔を見ればよかったです……」
つい言ってしまい、あわてて首を横にふる。このままだと、また涙腺がゆるみそうで危ない。
頭を切り換えるために、他の話題を切り出した。
「あの、いきなりですみません。お伺いしたいことがありまして、『複合付与』というのは、難しいでしょうか? それぞれ別に付与をしたものを連結したいのですが……」
「いくつか方法があります。一番簡単なのは、間に魔封銀ですね」
「魔封銀、ですか?」
魔封銀は、主に魔封箱に使う特殊鉱の一つである。
だが、魔封銀はすでに魔法付与されたものの上からは使えないはずだ。
「ええ。付与した素材に重ねて付与するのではなく、連結部分に合わせて形を作る形です。微細な魔力調整が必要になりますが、接合部を魔封銀でカバーしたら、『固定化』させれば可能です。少ない魔力であれば遮断できますよ」
「魔力がそれなりにある場合は、どうでしょうか?」
「接合部に魔封銀をはさんだ上で、魔法を付与するときに方向付けをし、魔力が反発しないようにする方法があります。氷風扇も風と氷で複合ですが、方向を変えてそれぞれ付与し、途中の管から合わせる方法をとっていますので、似た感じですね」
目から鱗がぼろぼろ落ちる思いだ。
魔封銀を付与するのでも塗るのでもなく、その形で固定化する――できる範囲の技術なのに、一度も考えたことはなかった。
オズヴァルドは流石、熟練の魔導具師である。
「あとは魔力防御の高い素材をはさむ、カバーにするという方法もあります。こちらは稀少素材を使うことになりますね。大容量であれば、魔法で全体を包んで結界のようにし、その上に次の魔法をかけるという方法もあります。こちらはかなり魔力がいりますので、魔力のかなりある魔導師へ依頼するしかないですね」
そんなに大容量の魔導具があるのかとも興味深いが、ダリヤにはまだ縁がない。
「いずれ、実技の方でも行ってみましょうか。ああ、塔で『複合付与』をお試しになる際は、通常素材であれば問題はないと思います。ただ、もしやの備えに、同室に人をおくことをお勧めしますよ」
「……はい、気を付けます」
塔に戻ったらすぐにでも複合付与を試そう、じつはそう思っていた。
完全に見透かされたらしい言葉に、背筋を正して答える。
「さて、ここまででわからないことや、お気に障ることはありませんでしたか?」
「いえ、大変わかりやすく、楽しかったです」
「それはよかった。『自分で考えなさい』というのは、どうも嫌がる方が多いようで。私がカルロさんのように、人当たりがよければ違ったでしょうが……」
ここまで親切丁寧な指導をしてくれるオズヴァルドである。人当たりが悪いわけがない。
少しばかり気になった。
「『自分で考えなさい』は、当たり前のことだと思いますが。父は庶民の話し方だったので、よく『どう思う?』『どちらだと思う?』と聞いていましたし……」
「……ありがとうございます。こちらが勉強になりました」
「はい?」
「自分が教わったように教えておりましたが、言い方が相手に合わなかったのでしょう。この年までそれすら気がつけないとは、いやはや情けない……」
オズヴァルドが何か自己完結している。会話を思い返してみても、ダリヤにはぴんとこない。
狐につままれたような思いでいると、カップに二杯目の紅茶が注がれた。
「失礼を覚悟で言わせて頂きますが、あなたの婚約破棄は、正解だったようですね」
「あの、どうしてでしょうか?」
ここまでの話題で、婚約破棄については出ていない。
オズヴァルドが突然切り出す理由がわからなかった。
「さきほどは濁させて頂きましたが、妖精結晶で多い幻覚は、大切な人の死や、いなくなるところを見るものです。多いのは、夫や妻、婚約者、恋人、その後に家族、親友ですね」
「私が見えたのは、妖精でしたが?」
ダリヤが見たのは半透明の妖精である。妖精に知り合いはいない。
「あなたは妖精結晶だけを集中して見ていた、だから妖精に会えたのでしょう」
「あの妖精も幻覚ではないのですか?」
「いえ、妖精結晶を残した、その妖精の記憶らしいです。残念ながら、私は一度も見たことがありませんが。私の師匠が若いときに何度か見たと言っていました」
妖精の記憶と言われ、ようやくわかった。
眼鏡に付与をしているとき、妖精の死が見えた。
あれは、幻覚ではなく、妖精の最期の記憶だ。
魔物に追われ、恐怖し、絶望し、隠れる魔法を使ったままで、死を迎えた。
だから、記憶がほどけず、自分に『虹の向こう側』へ送るよう頼んできたのだ。
あの妖精はあの世へ、もしくは自分と同じように、別の世界へ旅立てたのだろうか。確認はできないが、そうであることを祈りたい。
「あの、父がいると感じたときに隣を見たら……どうなっていたんでしょうか?」
「できれば見ない方がいいと思いますが、正直、わかりません。私が見るのは、いつも去って行く妻達の後ろ姿ですので」
オズヴァルドは静かに答える。
だが、その声の奥、ひどく苦いものが聞き取れた。
「あれだけは覚悟をしていても慣れられませんね。妖精結晶の付与をした夜だけは、誰かと一緒の方がいい」
「一人暮らしの私には、ちょっと難しいお話です……」
イルマやルチアに頼む方法もある。
二人とも、泊まりに来てと願えば、来てくれるだろう。
だが、イルマをこんな用で呼びつけ、マルチェラを一人にするのはちょっと申し訳ない。
ルチアについては、絶対に山のように服を持ってきて、着せ替え大会になる。却下だ。
「いっそ、塔に『番犬』をおいてはいかがです? その夜だけ借りてくるのも方法かと」
「番犬ですか。どんな犬がいいんでしょう?」
「黒毛の大型犬などはどうでしょう?」
「黒毛の大型犬……それだと夜犬とかでしょうか? 散歩がちょっと大変そうですね」
夜犬は、前世のジャーマンシェパードに似たフォルムの、黒一色の大型犬だ。
護衛として有名な犬で、動きが速く、夜目がきき、泥棒よけにも重宝されていると聞く。
ただ、大型犬となると散歩の距離が必要だろう。飼うのはなかなか難しそうだ。
「王城には『護衛犬』もいますから、ヴォルフレード様に伺ってみては?」
「はい、そうしてみます」
ダリヤの答えに、オズヴァルドはひどく楽しげにうなずいた。