115.シメの塩スープパスタ
「ヴォルフは今日、あまり食べてませんでしたね」
「行く前まで訓練だったからね。赤熊はちゃんと食べたし、飲んでたよ」
馬車の中、ダリヤの問いかけに、ヴォルフがあいまいに答える。
今日の食事会、赤熊に合うのは、白ワインか、黒エールか、東酒の辛口か、そんな話をしつつ、食べては飲んだ。
しかし、いつもなら、肉やパンを二、三人前は軽くたいらげるヴォルフが、追加を頼んでいなかった。
「今日の訓練、かなりきつかったんですか?」
「そうでもない。たまたま盾が鳩尾に入ってしまって。今はもう平気だけど」
「あの、もしかして、また嫌がらせとかですか?」
「いや、訓練でランドルフの盾に飛ばされただけ」
魔物討伐部隊は対人戦もするのだろうか。
疑問が顔に出ていたらしい。ヴォルフが続けて説明してくれた。
「ランドルフが魔物役で、突っ込んでくるのを直前で避ける訓練。ランドルフは体格がいいし、動きの真似がうまくて、盾の跳ね上げが大猪の牙の上げ方とそっくりにできるんだ。で、俺は反撃しようとしたら跳ね上げにあって、盾が鳩尾に入ってふっとんだ」
「それ、かなり痛いのでは……?」
「しばらく息ができなくなった。それでも天狼の腕輪があるから、衝撃は逃がせたし、すぐ安全圏まで避難できたけど」
「あの、ランドルフ様から逃げられないとどうなるんですか?」
「基本、軽くふっとばされる。近くに誰かいれば地面につく前に拾ってくれるし、神官は立って待機してる。今日は怪我人もいなかったよ」
ランドルフの見事な体躯を思い出し、納得する。
大猪の大きさはわからない。だが、彼が全力で走って来るのをぎりぎりでかわすのは、かなり辛そうだ。
しかし、それに対し反撃しなければいけないというのも、赤鎧は辛そうである。
「あの、塔に戻ったら軽食を作るつもりですけど、ヴォルフもどうですか?」
「正直、ありがたい。本当に毎回、俺がご馳走になってばっかりだね」
「いえ、馬車をお借りしていますし、二角獣の素材がお代と考えれば、私の方が、はるかに『ぼったくり』ですので」
「『ぼったくり』……ダリヤには、とことん似合わない言葉なんだけど」
「……『全力で貢ぐがよい』も、かなり似合わないと思いますが」
それは初めて塔に送ってもらった日、ヴォルフに言われた冗談だ。
言った方はとっくに忘れているかもしれないが。
「……ダリヤに『そんな縁のない言葉は言いません』って、叱られたっけ」
どうやら彼は覚えていたらしい。
自身の顎を指で押さえ、少しだけ首を傾ける。思案顔のヴォルフが、少しばかり気になった。
「ダリヤ、考え直したんだけど、緑の塔食堂にだったら、全力で貢ぐ価値があると思う。だから、俺の方が『全力で貢がせてください』と言うのが正しいと思う」
「何をどう考え直したらそうなるんですか……」
ヴォルフの突拍子もない冗談は、あの日とまるで変わっていなかった。
・・・・・・・
塔に戻り、二階に上がると、上着を脱いで準備にかかった。
ヴォルフには、炭酸水とソルトバタークッキーを出し、座っていてもらうことにする。
鳩尾を打ったことで、気がつかない怪我をしている可能性もある。
本人は平気だとくり返していたが、安静にしてもらいたかった。
台所に行くと、食材ストックの棚から、一番細い乾燥パスタを取り出す。
乾燥パスタをゆでるときに重曹を入れると、前世のラーメンの麺に近くなる。食感も味もちょっと違うが、この世界ではいい代用品だ。
お湯を準備しつつ、冷蔵庫に入れていた鶏のスープに、塩を少し足して温め始めた。
麺がゆであがったら、深皿に入れ、熱いスープを注ぎ入れる。その上に、冷蔵していた蒸し鶏のほぐし身と、ゆで卵をのせ、青ネギを多めにちらした。
少々無理はあるが、塩ラーメンもどきの『塩スープパスタ』ができあがった。
おそらくヴォルフは、外の酒のシメなら甘いものより塩系を好むだろう。
前世では、同期が酒のシメにラーメン派、女性の先輩がパフェ派だった。どちらにも付き合ったことがあり、それぞれにおいしかった。
ただし、どちらも確実に翌日の体重に出る。今世ではその反省を少しだけ活かし、自分の分は半盛りにしておくことにする。
「塩スープパスタです。好みで白コショウをどうぞ」
居間に戻り、テーブルに深皿と箸、そして、フォークと大きめのスプーンをおく。
ヴォルフは深皿を前に、すでにそわそわしており、気づかぬふりをするのが辛い。
「……食べやすい方で食べてください」
「ありがとう、頂きます」
ヴォルフは向かいに座ったダリヤを見て、同じように箸をとる。
湯気の上がる塩スープパスタは、鶏だしのいい香りがしていた。
重曹を加え、少しゆで時間を増やしたパスタは、ラーメンに近い食感だ。噛まなくてもつるつると喉を通る。
鶏のスープはあっさりめだが、塩を少し多めにしているので、麺とよく合った。上にのせた蒸し鶏のほぐし身、ゆで卵との相性もいい。
蒸し鶏とゆで卵は自分のダイエット用にストックしたものだが、ちょうどいい具になった。そのうちに鶏チャーシューを作るのもいいかもしれない。
少しなつかしく思えてしまうのは、前世の記憶と、父カルロと食べた思い出のせいだろう。
麺を食べ終えた後、大きめのスプーンの上、ほろりとほぐれる黄身にスープを合わせ、一口で食べる。
口の中、スープと共に溶けていく黄身を味わいつつ向かいを見れば、ヴォルフがほとんど咀嚼をしていなかった。
味が合わなかったか、それともこの麺なのであまり噛んでいないだけか。黙ってつるつると食べ続ける彼がなんとも気になる。
「……おいしかった……」
麺と具を最後まで食べ終え、スープをすべて飲み干し、ようやくヴォルフが言った。
満足そうにとろんとした黄金の目、ほどよく上がった口角、そしていまだ、ぬぐわれない額の汗。
塩スープパスタも、どうやらお気に召したらしい。
「なんで、スープパスタが、スープパスタじゃないんだろう?」
「いきなり哲学的に聞かないでください。市販の乾燥パスタをゆでるときに、ちょっと重曹を入れただけです」
「これ、普通の麺? 特別な輸入品とかじゃなくて?」
「お徳用の大袋で、銅貨七枚のいたって普通のパスタです」
「納得がいかない……どうしてここだと、なんでもおいしいものに変わるんだろう?」
最早、言いがかりである。
調理法がちょっとだけ違うので、物珍しさが上回っているだけだ。
思案顔のヴォルフに、ダリヤはとりあえず提案してみる。
「もう少しゆでましょうか? スープのストックもありますし」
「ありがとう。よかったら、俺にこのパスタのゆで方を教えてもらっていいだろうか?」
「かまいませんが、兵舎でパスタを煮るんですか?」
「遠征で、できないかな?」
「ちょっと厳しいかと。水が大量にいりますから」
「水の魔石と魔導師がいるからいけると思う」
ヴォルフの目は本気だが、塩ラーメンもどきは遠征向けではないだろう。スープと麺が別々なので手間がかかる。
この世界の技術的に、インスタントラーメンというのもちょっと難しそうだ。
「時間のかからない遠征メニューを考えた方が……遠征用コンロに、よさそうなレシピをつけましょうか? レシピというより、焼き肉のタレとか、干物とか、チーズフォンデュとか、ここで出したような料理メインになっちゃいますが」
「とてもありがたいんだけど、こう、微妙に教えたくない気もするんだよね……」
「もしかして、料理担当の人の仕事をとっちゃうことになります?」
うっかりしていたが、遠征で料理担当がいれば、その人が決めるものだろう。
遠征用コンロにレシピをつけるより、ヴォルフに話し、参考程度にしてもらう方がいいかもしれない――そんなことを考えていると、彼が首を横に振った。
「いや、遠征のスープはお湯を沸かすだけだから、担当も決まってないんだ。その、単に俺の思い込みみたいなもの。緑の塔限定メニューの特別感が薄れる気がして……」
「それはないですよ。だって、塔で作って食べるから塔限定じゃないですか」
「そうか……ここで作って食べるから塔限定か……」
ヴォルフのつぶやきに、なんとも微妙な間があった。
その後、妙に機嫌のいい彼に作り方を教えながら、二杯目の塩スープパスタを作った。