110.お礼と寄付
「応接室へご案内する前に、隊員待機室へお願いします。申し訳ないのですが、なにせ、入りきらず」
「……入りきらず?」
魔物討伐部隊棟の廊下、先を歩くグリゼルダに、ダリヤは思わずつぶやき返してしまった。
「はい。服飾魔導工房から先納で頂いた靴下を、部隊の希望者に一足ずつ与えていたのですが、大変好評で。夕方洗って、翌朝履いている者もいるほどです。乾燥中敷きと合わせ、ぜひ御礼をと。グラート隊長も隊員待機室の方におりますので」
横を見れば、ルチアが露草色の目を丸くしている。
後ろをちょっとだけ振り返ると、イヴァーノが貼り付けた営業用の笑顔になっていた。
喜んで使ってもらえるのはうれしいが、前回の水虫騒動の件もある。できれば人数は少なく、さらりと流してもらえないだろうか。
そう思いつつ進むと、隊員待機室の四枚のドアは、すでに全開だった。
「ロセッティ商会長、服飾魔導工房のファーノ工房長をお連れしました」
グリゼルダが部屋の入り口で言った。
イヴァーノの名前が出ないが、これはロセッティ商会でひとくくりであり、従者や付き人、護衛は数に入らないのだという。
これもオズヴァルドに教わったことだ。聞いていなかったら、きっとあせっていた。
「ようこそ、ロセッティ商会長、ファーノ工房長」
グラート隊長の声に挨拶をして入室すると、部屋の入り口に向かい、八列に並んだ隊員達がいた。濃灰の服に、黒のベストをつけていたり、一部防具があったりと様々だが、全員がとても明るい、いい笑顔だった。
迷いつつ、少しだけ視線を動かしたが、ここにヴォルフはいないようだ。
「お招きありがとうございます。ロセッティ商会のダリヤ・ロセッティと申します」
「続けて失礼致します。服飾魔導工房のルチア・ファーノと申します」
二人で挨拶をし、手を軽くそろえて会釈をする。
「服飾魔導工房のファーノ工房長は初見だったな。魔物討伐部隊長を務めているグラート・バルトローネだ。来て頂いたことに礼を言う」
「こちらこそありがとうございます。王城へのお招き光栄に存じます」
ルチアの余裕の笑みがなんともうらやましい。
「ここに集まっているのは、直接礼を表したいという者達だ。任務のあるものは外したが、それでも数が多くなった。狭苦しいのは流して頂きたい」
そこまで言うと、グラートは、隊員達の前へと進んだ。
「全員、敬礼!」
隊長の一声で、全員が右手を左肩にあてる。見事にそろった動作に、思わず固まった。
その動作は騎士の敬意表現であり、賓客や高位貴族のみに向けられると暗記カードにあった。
「ありがとうございましたっ!!」
そろって続けられた大波のような声に、顔を作るのが限界だ。
自分達が、そこまでの敬意を示される理由がわからない。
「代表して礼を言う。靴下、中敷きとも、足下環境をたいへん改善してくれた。遠征や訓練時に、汗や不快感で靴を気にすることが少なくなった、不快な状態で神殿へ通う者も大幅に減った」
隊長の声に、深くうなずく者が多数いた。
靴内環境の改善で喜んでくれているのか、それとも水虫が治ったことで喜んでいるのか、判断をつけたくない。
「そちらには生産を急がせ、大変負担をかけた。だが、おかげで今夏は、心おきなく魔物を蹴り飛ばすことができる」
隊員達がさざめくように笑っているが、一部に少しだけ獰猛さを感じるのは気のせいか。
今年の夏、人里に下りてくる魔物は、ちょっと不憫かもしれない。
その後、隊長以外の全員に見送られる形で部屋を後にした。
・・・・・・・
移動した先は、前回と同じ応接室だった。
広い部屋の中、艶やかな黒いテーブルを、魔物討伐部隊からは五人、ダリヤ側が三人で囲む。
ここにもヴォルフはいなかった。
「さて、こちらは前回のメンバーからそろえてある。間もなくギルド長も来られるだろう。その前に、ロセッティ商会長に対し、前回の礼をのべておきたい」
紅茶をおいてメイド達がいなくなると、グラートが少しばかり早口に切り出した。
「当部隊では、遠征で靴の履きっぱなしが多く、水虫などに罹患する者が多かった。前回聞いたことを実行してから、それが劇的に改善した」
「……ご参考になったのであれば、うれしく思います」
「教えてもらったことを箇条書きに、すべての希望者に配布した。水虫にかかっている者と疑わしい者は全員神殿に行かせ、新しい靴で帰らせた。古い靴は洗浄後、浄化魔法をかけた。ああ、兵舎の浴場も変更した。今は個人ごとにタオル配布、足マットも小型とし、一回ごとにカゴに入れる方式にした。一度なった者には優先的に靴下と中敷きを渡してはいるが、魔物討伐部隊では、再度かかった者は一人もいない」
晴れ晴れとした顔で言うグラート、その隣でうなずくグリゼルダと年配の騎士二人、そしてランドルフ。
グラート以外もなんだか笑っているように見えるのは、自分の目の錯覚だろうか。
必死に営業用の笑顔を保持しているが、そろそろ頬の筋肉がぴくついている。
前回に続き、今回も水虫関係の話からまったく離れられていない。
「他の騎士団にも『対処方法だけ』は勧めている、うつされると困るのでな」
「まったくです。あちらからうつされると困りますからね。以前は『魔物討伐部隊は不衛生だからなる』とよくおっしゃっていましたが。今はうちの隊にはいませんからね」
「『水虫は、魔物討伐部隊が魔物からもらってきている』というおかしな迷信も、これでなくなるでしょう」
にこやかに言っているのに、三人の声に冷えたものを感じる。
騎士団内で積もりに積もったものがあるようだ。ここで声をかけるのは絶対にまずい。
「……魔物からなんて、そんなことはないのに」
不意に、ルチアが言葉をこぼした。
「す、すみません! あたし、つい……」
「いえ、お気になさらず。ファーノ工房長のお気持ちはありがたく思います」
「あの、『水虫になるのは、靴を脱がないほどがんばって働くからだ』と、祖父が言っておりました。もちろん、早く治せて、あとはかからないのが一番だと思いますけれど……」
懸命に言葉をつなげるルチアに、向かいのランドルフがうなずいた。
「騎士にとっても文官にとっても、名誉な言葉です」
「確かに、必死に働くのが原因でもありますね……王城全体で治し、再発を防止するべきなのかもしれない」
騎士団内の話をしていたことに、少々バツが悪くなったらしい。壮年の騎士達が顔を見合わせている。
グラートが軽く咳をした。
「靴下と中敷きはしばらくは当方を優先とさせてもらうが、無理ない稼働範囲となれば、王城内でも願うことになるだろう。ああ、そちらに無理を言ったり、横合いから買おうとする者があれば、遠慮なく言ってくれ。こちらで対処する」
「お気遣いありがとうございます」
服飾魔導工房による量産体制は一応整ったとはいえ、王城全体への即時供給は不可能だ。
もしものことを考えれば、たいへんに助かる申し出だった。
「今回のことは、本当にありがたく思っている。今後は治療に行く者が大幅に減りそうだから、神殿の方が大変かもしれんがな」
冗談めかして笑ったグラートだが、ダリヤの隣、イヴァーノがわずかに肩を震わせた。
水虫の治療費がいくらかは知らない。
しかし、神殿の定期収入となっていた場合、ちょっとまずいのではないだろうか。
「……会長、靴下関係の収益の一部を、神殿に定期寄付してよろしいでしょうか?」
「お願いします……」
イヴァーノのささやきに、ダリヤは深くうなずいた。