109.王城へ正規納品挨拶
(王城への移動回です)
小雨の降る中、ダリヤはイヴァーノとルチアと共に、馬車で王城に向かっていた。
先にロセッティ商会が魔物討伐部隊へ正規納品挨拶、時間をずらし、商業ギルド長であるジェッダ子爵、服飾ギルド長であるフォルトゥナート子爵が続くという。
事前の打ち合わせでは、騎士団への納品となった場合、フォルトゥナートが代行してくれると聞き、ほっとした。
オズヴァルドのところへ行ってから九日。
ダリヤはその間に四回ほど、オズヴァルドの第一夫人であるカテリーナから、王城向けの礼儀作法を教わった。
カテリーナは子爵家の出だそうで、騎士団についても詳しかった。
最初はかなり緊張したが、彼女の指導はとても優しかった。作法だけではなく、なぜそうするのか、まちがえたときはどうするか、謝罪方法まで説明してくれた。その上、服や髪型などのアドバイスももらい、本当に助かった。
イヴァーノの方も、オズヴァルドの指導はとても有意義だったらしい。
『王城のことがよくわかりましたし、いろいろと感銘を受けました』と、しみじみと言っていた。
もらった礼儀に関する暗記カードに関しては、夢に出るくらいには気合いを入れて覚えた。ここまでの丸暗記は学生時代のテスト以来である。
なんとか全部、頭には入れた。実行できるかどうかはまた別の話だが。
一昨昨日、塔にドーナツを差し入れに来たヴォルフもようやく暗記し、今までの反省をしていると遠い目で言っていた。
王城で働くヴォルフですらこれである。
やはり、オズヴァルドの求めるレベルが高すぎるのではないかと、ちょっと思ってしまった。
「ねえ、ダリヤ……一般庶民で手袋や靴下をひたすらに作っていたあたしが、なぜ、五本指靴下の工房長で、なぜ、王城に向かっているのでしょう?」
最終確認にとメモをめくるダリヤの隣、明るい緑の髪を持つ女が、色のない笑みを浮かべていた。
ファーノ工房の副工房長、ルチアである。
ルチアは服飾の小物を作る家族の工房で働いていたが、五本指靴下の試作を行っていたことから、服飾ギルド長と共に量産体制作りに加わった。
そして、一ヶ月経過した今日、庶民ながら王城へ招かれる一人となった。
「えっと……大出世?」
ダリヤの小声の応答に対し、友人の露草色の目はゆっくりと伏せられた。
「忙しくてぼうっとしてるときに、いつか自分の工房を持つのが夢なんですって、フォルトゥナート様に言ってしまったのよね。そうしたら、五本指靴下に一番詳しいのはあなただから、工房長におなりなさいって」
「夢が叶ったじゃない……」
「よかったじゃないですか……」
「なんで二人とも目をそらすのよ?」
ダリヤとイヴァーノは同時にルチアを視界から外していた。示し合わせたわけではけしてない。
「『服飾魔導工房』には年上の職人がいっぱいいるから、あたしへの風当たり強すぎ!」
「ああ、それは……」
『服飾魔導工房』と名付けられた、五本指靴下と靴の乾燥中敷きの制作工房。今後も見据えてか、かなり大きい建物と多めの人員が用意された。
ルチアの父親が引き受けてくれれば一番だったろうが、服飾ギルドからの使いだけで目を回したので、到底無理。祖父には『もう引退した身だから』、兄には『家の工房があるから』と逃げられたという。
『ファーノ家の男どもは骨がない』とは、ルチアの弁だ。
ルチアはダリヤと同じ年である。服飾魔導工房での風当たりは相当なものだろう。
しかし、たった二週間で五本指靴下と靴の乾燥中敷きの生産体制をほぼ整え、一ヶ月で本式稼働というあたり、ルチア含め、関係者の努力と実行力は凄まじいものがある。
「服飾ギルドに行く度に、フォルトゥナート様の愛人説とか、腹違い兄妹説とか、もうアホかと! フォルトゥナート様とあたしとじゃ、クラーケンと小イカほどに違うでしょうが」
「そのたとえはともかくとして、その手の話、ルチアさんもあるんですね……」
イヴァーノの紺藍の目に、同情がこもっていた。
ルチアも独身女性である。その手の噂は、娘のいるイヴァーノにとっては、重いものに映るのだろう。
「ええ。毎回、『目がお悪いんですか? お医者さんか神殿へ行かれた方がいいですよ』って心配してあげて、笑い飛ばしてるけど。ダリヤも商会立ててから、うっとうしいでしょ?」
「少しね。聞かないことにしてるし、聞いても忘れるわ」
「まったく、暇人ばっかりよね。せっかくもらった役職だし、儲かるから渡さないけどね!」
これぞルチアである。
すべてをふりきった笑顔で、露草色の目がらんらんと輝く。
「工房長やってると、去年の一年分の貯金が二ヶ月よ。ふふふ……四年もがんばれば、お洋服工房が建てられそう」
工房長のお給料は、なかなかよかったらしい。
服作りの工房を持つため、懸命にお金を貯めていたルチアにとっては一番の利点だろう。
だが、ダリヤには気がかりなこともあった。
「体だけは壊さないでね、ルチア」
「ええ。大丈夫よ、ダリヤ。あたしは、かわいいお洋服で王都を埋め尽くすまでは死なないわ」
ぱっと笑ったルチアは、ダリヤの肩をぽんぽんと二度叩き、逆向きに撫でた。
初等学院で流行っていた、試験前の不安をはらい、点数を上げるおまじないだ。
いつの間にか自分が不安げな顔をしていたのだろう、ルチアに気遣われてしまったようだ。
「今日のお洋服もかわいいわね、ルチアに似合ってる」
ルチアは露草色の細身のロングワンピースに、同じ色の上着を合わせていた。
上着の裾やスカートのカッティングが丸く、同色のリボンがアクセントになっている。髪は編み込んでまとめられ、こちらも露草色のリボンが飾られていた。品があって、かわいらしい装いだ。
「ありがとう。失礼にならないように考えて、フォルトゥナート様にも相談したの。でも、作法の方がね……服飾ギルドで王城に出入りしている人達に教わったけど、夢に出そうだったわ」
「俺は、暗記カードも講師も夢に見ましたよ……」
イヴァーノも、なかなか大変だったようである。
三人そろって言葉なく笑ったとき、馬車の速度が落ちた。王城内に入ったのだろう。
ここからは馬車を降り、男女分かれての本人確認と持ち物検査だ。
今回はルチアも一緒なので、前回よりはあわてないですみそうだ。
しかし、正直なところ、前回、顔を合わせた魔物討伐部隊の隊員とは、あまり会いたくない。
水虫の話に思わず声を荒らげてしまい、水虫疑惑まで出てしまった。思い出すほどにはずかしい。
今日は話をむしかえされず、何もなくすむことを祈るばかりである。
ルチアと共に、女性騎士に簡単に確認をしてもらうと、魔物討伐部隊の迎えを告げられた。
イヴァーノと共に外へ出ると、青い髪をした大柄な男が立っていた。
「魔物討伐部隊所属、副隊長のグリゼルダ・ランツァです。お迎えに参りました」
丁寧な挨拶と共に笑みを向けられ、挨拶が一瞬遅れた。まさか副隊長が来るとは思わなかった。
「失礼致しました。ロセッティ商会員のイヴァーノ・メルカダンテと申します。なにぶん初めての王城で、少々緊張しておりまして」
一歩踏み出したのはイヴァーノだ。続いて、ダリヤとルチアも挨拶をする。
幸い、騎士に挨拶をされた場合に、独身女性であれば、先に従者的な者が挨拶を取り次いでも失礼にはならない。オズヴァルドのメモがなければ、あわてて謝罪しているところだった。
「魔物討伐部隊は堅苦しいところではありません。礼儀にもうるさくはありませんので、部隊棟の中では、お楽になさってください」
「お気遣いありがとうございます」
グリゼルダにそう言われても、本当に崩していいものか、どこまでが許されるのかがわからない。
なんとか営業用の笑みを浮かべ、馬車で移動した。