Episode 8 ノイエと陽
雨となると、いつもの和室部とはいかなかった。陽は今日は走らず、傘をさして歩いて部室棟まで移動した。
「畳が湿気を吸ってる...」
古い建物なので雨漏りが気がかりだ。今日はカーテンを閉じているので雨音はあまり気にならないが、どこか気分の盛り上がりに欠ける。こういう日こそ読書をするべきなのかと思い、昨日帰り際に寄った本屋で買ったライトノベルの最新刊を開いた。
「部長からのメールはないし、今日もあるんだよな...?」
中止の日はメールを届けると椿からは言われている。まだ彼女のクラスのHRが終わっていないのならメールが来ないのに納得できるが、十分待っても来なかったので今日はあるということになる。ただ、誰も他の部員が来ない。
「なんだろう、この寂しさ...」
読んでいるライトノベルは明るいエピソードを綴っているが、今日はあまりそちらの世界に入り込めない。すべて雨のせいだ。
「ハロー」
ノイエが部室に入った。彼女は長細い金属をいくつか持っていて、カシャカシャ音をたてている。
「ノイエ!待ってたよ!」
「ボーイ、キミだけか?」
「うん。ノイエが来るまで一人寂しく本を読んでいたんだ」
陽はノイエに素直に孤独を打ち明けた。するとノイエは彼の頭の上に手を置き、身体を寄せて体重をかけた。彼女より小さい陽は、弟のような存在に思われているのかもしれない。
「ああ...浄化されてゆく...」
「ヨウは甘えん坊だなぁ」
陽は今まで言葉には癒されていたのかもしれないが、身体が触れることで伝わる温もりには癒されていなかった。一人きりの空間に入り込み、自分に触れてくれたノイエは、確かに陽を癒していた。
「ああ、安らいだ」
「雨だと気分が暗くなるな。ツバキがいてくれれば明るくなるかもしれないのだが」
「部長はすごいよね。いつも元気だから、俺たちも元気になれる」
一見すると幼く、我儘な椿がどうして部長なのだろうかという陽の疑問は晴れていた。彼女は自分にはないものを持っているし、それを正しく使っている。
「ヨウは強引に連れて来られたのだろう?実は私もそうなんだ」
「ノイエも拉致...キドナッピングされたの?」
日本が好きで日本語を学ぶ人は、きっと悪い意味の言葉より良い意味の言葉を優先して学ぶだろうと思ったので、陽は『拉致』という言葉をノイエが知らないと予想して敢えて英訳した。
「ああ。そうだぞ」
「そもそもノイエってどこ出身なの?...聞きたいことがいっぱいあるなぁ」
「私はジブラルタルという国から来た。スペインの位置はわかるだろう?あの半島のいちばん下だ」
「イベリア半島...あっ、ジブラルタル海峡のジブラルタルか!」
「場所は分かっても詳しいことは知らないだろう?」
「うん。でも俺が知りたいのはジブラルタルのことよりもノイエのことなんだよね」
ノイエは少し嬉しそうに身を乗り出した。彼女は自分に興味を持ってくれる陽に好感を抱いたようだ。
「どうやって部長と知り合ったの?」
「去年同じ委員会に入っていてな。ツバキは前期の活動には来なかったんだが、後期から来るようになったんだ。ツバキが1組、私が2組だったから隣の席になって、前期のことを私に訊いてきたんだ。そこからよく話すようになったな」
「それで一緒に委員会の仕事をしているうちに仲良くなった、と」
「そうだ。椿は私のことを珍しい人だと思ったようで、他のフレンズより私とよく話をしていた」
しばらく話をしているうちに、ノイエは陽の異常に気付いた。
「ヨウ、顔が赤くないか?熱があるのかもしれない...」
ノイエが手のひらを陽の額に当てた。前のめりのノイエの胸が陽の視界いっぱいに入り込む。開いた上着から覗くYシャツに、滑らかな凹凸が浮かぶ。
「いや、どこが痛いということはないんだ...」
「じゃあ何でそんなに赤くなっているんだ?」
「俺さぁ、女子と話すのって慣れてないんだよね。自分から話しかけるのは気が引けるし、向こうも俺に話しかけてこないから…部長はそんなのお構いなしに話すから楽なんだけど、桜と椛先輩はまだちょっと難しいかな」
ノイエは陽と話せて嬉しいと言って彼に自信を持たせ、椿以外にも気軽に話すように助言した。
陽は力強い支えを受けて、もっと素の自分を出すことを決意した。