Episode 39 一ヶ月
蝉と風鈴と人。八月になって猛暑はさらに勢いを増したように感じる。三十九度に加えて直射日光を受けると水分はあっという間に失われてしまうので、陽は母親から借りた日傘をさして駅から学校まで移動した。日傘の下に黒ズボンの生徒を後ろから見ていた椿は確信を持って彼に声をかけた。
「よっ、陽」
「部長!会いたかったですよ!」
「おーおー、そんなに私が恋しかったか?媚を売っても蝉の抜け殻くらいしかやらねーぞ?」
「いや本当に恋しかったですよ。部長とデートしてから桜、ノイエ、椛先輩とデートローテーションしましたけど、和室部の日常に慣れすぎているせいか皆揃ってないと違和感があるというか、突然『あれ?部活じゃないのになんでこの人といるんだ?』ってなっちゃうんですよ」
「じゃあお前をそれに慣らすためにデートローテーションをもう一巡させよう」
「部長、まだ俺を拉致する場所を用意してるんですか?いや拉致られるのに不満はありませんけど」
「知らない場所に行ってもいいじゃんか。草加行こうぜ草加。せんべい食いたい」
「すごいな…発想に制限がない」
「そうじゃなきゃ和室部の部長は務まらねーよ」
ここの部長になるにはいろいろと条件があるようだ。
「部長、先どうぞ」
「いっちばーん…暑いなオイ」
明日はフードフェスでここより過酷な環境の飯能市に行く。今日がフードフェスであったならば、四十度を超えていたかもしれない。和室部にとっては一つ企画が成功して喜ばしいことかもしれないが、死のリスクを覚悟してまでは行きたくない。体温を超えているという点ではどちらも変わらないが。
「今日がピークだと信じたいですね…これ以上暑くなったら俺たちでも危ないですよ」
「もう既に危ねーよ。野球部とかがテントを設置したあたりで私らでもやべーんだよ。ってかよくあいつら活動できるよな。こんな環境でもやろうと思うもんかね」
「友達に聞いたら『涼しいのがいいのは言うまでもないけど、過酷な環境でトレーニングすれば身体が強くなるからたまにはいいと思う』って言ってましたよ。俺も一昨年までこんな酷暑でやってたんですよ」
「お前見た目に反してタフだよな。なんなの?なんでヒョロいフリしてるの?」
「そんなつもりはありませんけど…まああの頃に比べれば細くはなってますね」
「…いいこと思いついた」
椿がいつもの不敵な笑みを浮かべたので、陽はまだ涼しくなっていない部屋で汗を垂らした。
「今日はスポワン行こう」
スポワンことスポーツワンはフットサルなどのスポーツ競技とトランポリンなどのアスレチック競技ができる施設で、生徒と学生は割引の対象になる。ここから遠いので交通費がかかることがネックだが、近場にそのような施設はない。
「思ったんですけど、桜は一緒じゃないんですか?」
「桜は家事やってから来るからな。休日はあいつが担当するんだ。かーさんがパートでいないから」
「部長は手伝わないんですか?」
「私が手伝うとかえって時間がかかるんだ。前に手伝おうとしたんだが、掃除機が壊れた」
何があったのか詳しくは聞かない。椿が桜、ノイエ、椛に学校ではなく駅に行くようにメッセージを送った。スポーツワンは椛の家の最寄り駅である小手橋駅から二つ下った始原駅という駅の近くにあり、小宮山姉妹以外は学校に来てすぐに自分の家を挟んで反対側に行くことになったが、それに関して不満の声は出なかった。椿の提案によってこのようなことが起きることは想定済みだからである。
「こうしてみんなで電車に乗ることはなかったな」
「ああ、確かに」
「なんだか不思議な気分だねー」
しばらく電車に揺られていると、始原駅に到着した。始原という名の通り、はじまりの野原をイメージした芝生の空間が北口に広がり、その奥に通りが伸びている。街路樹の下を通って道を行くと、バドミントンのシャトルの形をした大きなオブジェが乗っかっている建物を見つけた。
「何からやる?」
「最初は軽めのでいいと思う。ボウリングとかどう?」
エアコンで涼しくなっているロビーのテーブルを借りて話し合う。親切なことに案内が貼られていて、競技に対応した場所が書かれている。ボウリング場は二階なので、エレベーターを使って移動する。受付で参加者の氏名を書くとき、問題が発生した。
「一レーン四人までだそうです。どうします?」
「二人と三人で分けるのが最適でしょうけど…それでいいですか?」
桜がノイエと椛の意見を求める。二人が頷くと同時に、椿が手を挙げた。
「わかった、こうしよう。私は陽の運動能力を見ようとここに来たのだ。私と陽で対決をする。負けたほうはそっちの勝者と交代だ」
「ああ、そうしましょうか。4ゲームできるそうなので、総当りできますね」
「よし、陽、ボウルを選べ。公平に同じ重さのを使うぞ」
「俺が選んでいいんですか?じゃあ14ポンドのやつで」
陽は最初から敵意を剥き出しにしている。彼の片手でも重いと感じる重量のボウルをまっすぐ飛ばし、右端一本を残した。陽は不敵な笑みをわざとらしく椿に見せ、二投目でスペアを獲った。椿はゆっくりと立ち上がり、腕を組んでボウルを取りに行った。
「私の番だな!…重ッ」
「ふふふ」
「てめー卑怯だぞ!私と体格がちげーからって重いの選びやがったな!14って書いてあるじゃねーか!」
椿がキーキー文句を言っているが、陽はベンチに座って涼しい顔をしている。その態度が彼女の闘志に火をつけたようで、真剣な表情になった彼女は馬鹿力を発揮した。
「うおおおーッ!」
乱雑に放たれたボウルは一度床にバウンドしてレーンを滑り、ゆるやかな回転を経てガターに入った。
「くそぉ、お前…」
「ほら、二投目」
陽がにやついているので今度こそ倒してその顔を変えてやろうと意気込む椿。一投目を乱雑に投げてしまったことを反省し、ゆっくりと置くように離す。するとまっすぐ転がったボウルは右の二本を倒した。
現在のスコア:陽…10、椿…2
「このまま突き放してやりますよ!」
陽は友人とやっていた頃のことを思い出した。彼はスペアの天才と呼ばれるほどスペアを獲るのが上手で、特に一本だけ残ったのを狙い撃つことに関しては成功率100%を誇る。
「左狙いで…」
数の違いこそあったが、左の四本が倒れる。これで陽のスコアは8点追加される。二投目で仕留めなければならない数が多いのでスペアは獲れなかったが、椿とは大きく差をつけた。
「部長、ボウル変えましょう。俺の正義に反します。いじめてるみたいで気分がよくありません」
「そのうちそう言うだろうと思っていたぞ。お前は紳士だからな」
椿は10ポンドのボウルに替え、感覚を確認してから投げた。彼女は決して下手ではなく、ボウルを自分の力量に合うものに替えた途端に強くなった。
「っしゃあオラぁ!」
ストライクである。部長として平部員、それも一番の下っ端に負けることを許さない。そんな気の強さが見せた技術である。
真の力を発揮した椿と陽の戦いは熾烈なものとなり、互いに譲らぬうちに最終フレームに入った。
「部長、勝ったらジュース奢ってください」
「いいだろう」
「いいんですか?部長不利ですよ。俺はスペア分がプラスされるんですよ?」
「構わんさ。私は99だが、お前にスペア分がプラスされたところで逆転できないわけではない」
「じゃあ遠慮なく」
陽の10フレーム目の一投目は六本。次にスペアを獲ればもう一度投げられる。残り四本を狙うのは簡単ではないが、どこを狙えば四本すべてを倒せるかは知っている。
「いけえええ!」
彼の願いは届かなかった。倒れたのは端の一本だけで、残りの三本は揺れながらもなんとか保たれた。陽のスコアが確定した。椿は残り二回か三回で118を超えれば勝ちだ。
「陽、お前はよく戦った。だが勝つのは私だ。よく見ておけ」
椿はボウルを優しく撫でてから放った。最初に倒れたのは四本。次がガターならば彼女のスコアは103で彼女が負ける。しかし椿は焦ってなどいなかった。
「どんなに不利な状況に陥ろうとも決して諦めない」
転がるボウルは残り六本をすべて倒し、椿はもう一度投げる権利を得た。じわじわと陽の額に汗が浮かぶ。今の彼女のスコアは109。ストライク以外に勝利はない。
「この私が第四代和室部部長・小宮山椿だ!」
まっすぐ、速く放たれたボウルはまるで立ち塞がる障害を打ち砕く力強い意志を持つ椿そのもので、十本のピンを弾き飛ばした。陽は自分の負けが確定したことに構わず立ち上がり、彼女を祝福した。
「部長きたあああ!」
「見たか陽。これが部長だよ」
椿は今のストライクのために全力を使ったようで、疲れ果ててベンチに身体を預けた。そんな彼女にジュースを渡した陽の表情は、とても晴れやかだった。
「ところでそっちはどうなったんだ?」
桜、ノイエ、椛のグループの様子を見ようと振り向く。すると項垂れた桜とノイエがいて、椛が立って喜んでいる。スコアボードを見た椿と陽は目玉がとれそうになった。
「242ぃ!?」
ここで椛の母がプロボウラーであったことを知らされるのであった。
原作ではここから6章らしいですが、なんで既に6章にもなっているのかは大学時代の私に訊いてください。




