Episode 37 天絡、それは天と連絡する場所
7月30日、天気は曇り。気温は29度。テレビ番組の出演者は涼しい部屋にいるにもかかわらず真夏日を脱したことに狂喜している。その様子を見ている陽はリモコンの電源ボタンを押し、家を出た。
向かう先は彼の家の最寄り駅・光台の隣、天絡橋駅。今日はノイエに呼び出されての外出だ。彼が改札を抜けたときには既に背の高い女性の姿が待ち合わせ場所の銅像の傍にあり、彼は手を振りながら駆け寄った。
ごめん、待たせちゃった」
「いや、時間には間に合ってる。それよりよく来てくれた」
「神社に行くんだよね?」
そう、今日はノイエが神社に参拝をしたいので作法を教えてくれ、という要望を受けてのデートである。もう躊躇せず言うが、これはデートなのである。陽は一昨日と同じような服装で、ノイエは白地にピンクと黄色のチェック柄のYシャツにベストを重ね、下はジーンズという組み合わせだ。スカートではない彼女を見たのは球技祭以来だ。
「ルールがあるのだろう?」
「ああ、あるね。そんなに難しくないし、しないからって罰せられるわけじゃないけど、できたらいいよね」
「前から神社には行きたいと思っていたのだけど、あそこは神聖な場所なのだろう?作法を知らない私が行くべきではないと思っていたんだ」
「日本人じゃない人が行っても門前払いはされないけど…まあ、あまりいい顔はされないだろうね。大丈夫、今日から行けるようになる」
「よろしく頼む」
天絡橋という地域には約五十年前の都市開発によって移転を余儀なくされた神社がこの地から離れた途端に火災が頻発し、都市開発が頓挫した後に元の場所に新たな神社を設置したところ件数が減ったという記録がある場所で、『この地は天と繋がっていて、神が人間の姿をしているときに過ごす場所である』という伝承に基づいてこの名前に改名された。もとは『岩不動』という地名で、これは神社ができる前にあった大岩が地震でも人力でも動かせなかったという記録に基づいているが、移転の際に破壊されてしまった。そんな由来のあるこの地には多くの神社があり、『神社街』という大通りは多くの参拝者で年中賑わっている。ノイエはこの地に住みながら参拝していないことを気にしていたようだ。
「一番有名なのは岩不動のあった天絡神社、旧平元神社だね。でもここからちょっと離れてるから、先ずは近い小滝神社にしようか」
「陽はこの辺りの土地を知っているのか?」
「小学校の野外学習でこの辺の神社を回って話を聞くっていうのがあったんだ。道は忘れたけど、どの辺りに何神社があるかくらいは憶えてる」
携帯電話の地図アプリケーションで経路を検索し、目標とした小滝神社に到着した。背の高い木に囲まれた真四角の境内の隅に、小さな湧き水があり、それが器から零れて滝のようになっている。ここでは手水舎の機能を担っているようで、立て札に作法が書かれている。
「ほら、初めての人にも優しいでしょ?」
「本当だ。これを見れば何も困らなかったのか」
「観光客にもわかるようにという配慮だろうね。あれが社務所で、あれが拝殿。祭事がないと社務所は閉まってることが多いね。お賽銭して次の神社に行こう」
「小銭を投げるんだっけ?」
「そう。五円玉を『ご縁』にかけて投げる人が多いね」
「偶然にも五円玉があったからこれを投げよう」
「投げるって言っても箱に落とす感じだけどね。あとここにも作法があって、基本は二礼二拍一礼。今からやるから真似して」
陽がする。ノイエもそれに倣って頭を軽く下げる。
「次にこの鈴を鳴らす」
「これはよく聞くな」
「神様に参拝に来たことを知らせるんだって」
「そうなのか」
神様がわかるように力強く鳴らす。
「それで、お賽銭を優しく入れる」
「優しく、だな」
手のひらから滑り落とすようにして五円玉を箱に入れる。
「次は二礼二拍一礼。両手を合わせて、右手をちょっとだけ引いて、二回打つ。で、二回腰を九十度に曲げて礼をする」
ノイエが遅れて同じ動作をする。
「手を合わせてお祈りをする」
しばし目を閉じて祈る。祈りが強いのか、ノイエはなかなか目を開かなかったので、陽が次に移る。
「最後に一礼」
「一礼、と…」
「これで一通りは終わり。どう?慣れれば難しくないよ」
「もう一度確認していいか?まず軽くお辞儀をして…」
ノイエが作法を覚えようとしていることには、神様は喜ばしいことだと思っているだろう。彼女の復習は完璧で、これでもう誰の手も借りずに参拝ができそうだ。
「ここと天絡神社との間に、朱糸神社っていう神社があるみたいだね。縁結びの神様がいるらしいよ」
「縁結び…恋人が欲しい人が来ると聞いたが」
「そうだね。でも縁は恋人だけじゃないでしょ。俺がノイエと会ったのも縁だし」
「クラブの仲間との縁か。より一層強くなるな!」
「そういうこと。行こう」
朱糸神社は小滝神社とは違って木が少なく、石畳の配置などのデザインが現代的な神社だ。手水舎で清め、先ほどと同じように拝殿で賽銭とお祈りをする。先ほどと祈ることは同じだが、神様の施しの仕方は変わるかもしれない。
「じゃあ最後に天絡神社だね。せっかくだし社務所が開いてるといいんだけど…」
「社務所では何をするんだ?」
「絵馬とか護符とかが買えるんだ。ところによっては食べ物とかがあるよ」
「絵馬ってあの家みたいな形のやつか!」
「だいたいは五角形だね。俺が昔住んでいた桜木町では桜の形の絵馬があったな」
ノイエはすっかり神社のことに夢中になって他の話をしないまま天絡神社に到着した。
「都会のど真ん中にあるけど、ここだけ異世界みたいだね」
「木がパーティションの役割を担っているのだろう。それに、ビルの色と臙脂色の屋根が混ざらないから独立したスペースになっている」
「裏手は川だから橋がかかってて、平安の荘園みたいになってるんだよ。見たことある?」
「正門で引き返してしまったから見たことはない。ヨウはそこまで見たのか?」
「あんまり広くはないんだけど、グループワークだったから見に行けたんだ。赤い橋で、漆塗りっぽい光沢があるんだよ」
「じゃあ見に行くか」
「まずはお参りをしよう」
星乃ヶ丘特別区で最大の神社にお参りをし、社務所でお守りを買ってから裏手の橋を渡って公園に出た。公園のさらに奥にはビルやマンションといった高層建造物が並んでいて、ここは無機質に疲れた人々の憩いの場になるように自然を多めに配置したデザインがされている。天然芝では子供たちがボールを投げて遊んでいて、それを見ながらしばしの休憩とした。
「こんないい場所があったのか。もう五年近く住んでいるが、今まで来なかったことを後悔したぞ」
「ノイエは中学生のときにここに来たのか。まだ日本のことをよくわからないうちにいろんな場所を歩くのはちょっと怖いかな」
「そういう理由だ。生活圏はできるだけ狭く、その範囲だけをよく知れればいいと思っているうちに時間が過ぎてしまった。だがヨウ、君のおかげで私は足を伸ばせそうだよ」
「目的なく遠くを歩くのは案外楽しいものだよ。俺も山登りに行くついでに飯能をふらつくことがあるけど、けっこういい店が多いんだ」
その後二人は公園の傍に見つけたレストランで食事を楽しみ、少し散歩をしてから別れた。
ノイエが神社で何を祈ったかは、陽には分からないままだ。
これをきっかけにジブラルタルに興味を持つようになって、最近までやってたネーションズリーグ(サッカー)のジブラルタル代表の試合をたまに見ます。




