Episode 24 試験対策本部
陽が納得したので会話が終わり、二人がしばらく過去問を見ていると、ノイエと桜が入室した。
「お姉ちゃんと御手洗くんが勉強してる!?」
「レアな光景だな」
「なんだお前らいきなり失礼だな。期末の対策くらいするさ」
「そうだよね。お姉ちゃんはとくにやらないと去年みたいになるもんね」
椿が毎日のように友人を家に招いて課題をやっていたとき、中学生だった桜は受験勉強をしながら彼女らをもてなしたことをよく憶えている。
「ああそうだとも。そして今年はお前もその危険にさらされているわけだ」
「桜は勉強苦手なの?」
「いや?そうでもないよ。御手洗くんは?」
「俺もそうでもない」
「じゃあお姉ちゃんに教えてあげて!」
「えっ、一学年下の人に教わるほどなの!?」
「基礎的な部分を一年生のときにしっかりやっておかないと二年生以降での応用で苦労するんだけど、お姉ちゃんは基礎がちょくちょく抜け落ちてるのよ」
「俺が教えられる分野ならいいんだけど...」
「お姉ちゃんが苦手なのは数学だよ」
「あ、死んだわ俺」
陽の得意科目は現代社会と英語で、苦手科目は数学と化学。物理も苦手だが履修していないので助かった。定期的に受ける模擬試験(業者が入試問題に似せてつくった問題)の結果を視覚的に示すチャートは毎回尖っている。具体的に言うと歴史や古典が平均的で、理数が凹んでいて、英語と現代社会が極端に突き出ているような形だ。『刺さったら痛そう』とよく友人に言われる。高校入試の数学は47点、英語は100点。テストで3点笑顔は満点のアノ娘ほどではないが、なかなかの極端さだ。
椿の問題提起は彼女に四人が教えるという解決策を導き、陽が現代社会、桜が数学を教えることになった。
「現代社会ってのは今の政治や経済に興味があれば自然に成績がよくなるものです。ニュースを見て、自分なりの考えを持つことが大切です」
かつては『ネットde真実』とか『ソースは2ch』とか揶揄されていたインターネットを介した情報取得だが、今や情報収集のメインツールたるメディアはインターネットであり、かつて隆盛を極めていたテレビ番組や新聞は遅れをとっている。というのも、最も手軽に情報を得ることができる―電車やバスでの移動中にニュースアプリでさっと見るだけでよい―ので若者を中心に好まれている。問題は虚偽性であるが、これは『虚偽記載の罰則に関する法律』により大幅に改善されたため、信頼度のばらつきこそあれ、概ね正しいことを記載している。陽はそれを踏まえて、事実をただ言うだけの人間ではなく、それに自分がどう考えを持ったか、という部分を大切にするべきだと主張した。選挙権は十五歳以上に与えられるので、彼の言うことを蔑ろにしてはならない。
「私もたまに『こいつおかしいだろ』って政治家を見ることがあるぞ。そん時くらいだけどな、政治を考えるのは」
「そこから興味の幅を広げていけばいいんです。全部のことについて逐一意見を述べよというわけではありませんから」
「御手洗くんって将来そういう道に進むの?」
「いや、政界は俺の頭じゃ無理だろう。政治家が全員俺よりアホになったらやるかもしれないけど」
「陽にはズバッと言える気の強さがねーな。相手の剣幕に圧されて縮こまりそうだ」
「そもそも議員になれませんよ」
政治に興味がある人間がすべて政界を目指していると思ったら大間違いだ。ただ、政界を目指す人間は須く興味を持つべきだ。
「桜、俺にも数学教えてくれない?」
「いいよー。私も教えるだけ復習になるからね」
数学ができる女の子っていいよね、と陽は思った。
椿の定着がなかなか良くないので、明日以降も同じメンバーで勉強会をすることになった。その間、教えることもなく教わることもないノイエと椛は二人でポテチ君を食べながら復習をしていた。
『全員で一つのことをやって楽しもう』がテーマの和室部らしくはないが、夏にそれを存分に達成するためには効率的になるしかないのだ。
七月十日、小宮山家のリビングを囲って椿、桜、陽の三人は勉強会を『していた』。というのは椿が朝の十時からやると言ったせいで休日は十一時起きの陽が八時半に起きることになり、それを愚痴ったら詫びに昼飯をつくってくれることになったからである。彼は集合時刻を決めるときに午後からがいいと明言していたが、椿により却下されていた。その引き換えとして、彼女が企画した『珍しいこと』、つまり椿と桜による昼食の提供を受けることになったのだ。色違いの手作りエプロンを纏った私服の椿と桜は陽の目にはとても新しく、個性が制服のときよりも際立って見える。
「女子の家にあがって昼飯なんて滅多にねーだろ!?」
「はい。幼稚園のとき以来です」
「幼稚園のときにあったんだ...」
「とても気が合う女の子がいてね。母さんが用事でいないときは幼稚園の後にお邪魔してたんだよ」
誰の影響だかはわからないが、幼き日の陽は人形遊びやままごとという女児向けの遊びをしていた。そのおかげ(せい)で男の子とは気が合わず、いつも女の子と遊んでいた。サッカーを始めてからは、男友達ばかりになった。
「久しぶりの女子の家だ。うまいもんを作ってやるぞ」
「おっ、胸が躍りますね」
「お姉ちゃんこう見えて料理得意なんだよ~?」
「こう見えてってなんだ。三ツ星シェフも唸る絶品をお前におみまいしてやる」
陽の脳裏には祖父が好きで幼い頃よく一緒に見ていたローカル番組の映像が浮かんでいた。
「それよりだ。お前なんかコメントはねーのかよ?」
ゆで卵の殻を剥きながら椿が言う。何に対してのコメントなのか分からないでいると、それを察した桜がエプロンを捲った。
「今日は制服じゃないよー?気付いてるー?」
桜は花の装飾をあしらったパフスリーブの白ブラウスに夏によく合うマリンスタイルのミニスカートという組み合わせで、清楚な彼女のイメージととても合っている。一方椿はUネック(丸首より襟の広いもの)から"見えてもいい下着"をチラ見せさせ、下は七分丈のジョガーパンツを穿いている。涼しげでとてもよい。
「いいっすねー、爽やかですねー」
「なんだお前、クソ真面目に評価すんのかよ」
「え、じゃあ何て言えばよかったんですか?」
「キョドりながら言葉に窮してればいいんだよ。お前こういうの慣れてないんだろ?」
椿は相変わらずの鋭い攻撃を陽に喰らわせてくる。しかし陽はこのようなシチュエーションを何度も妄想しているおかげで万全の返しを思いつく。以前椿は『無理が利く』を陽を評価したが、陽が難しい話題にも返しを思いつくのは彼が空想世界にて『和室部』を創造し、同じようなやりとりを繰り返しているからだ。好きな人間だけと交流し、都合よく環境を構築するのは、モテない人間がよくやることだ。
「ほら、できたぞ」
「サラダ...配色が綺麗ですね。おいしそう」
「お茶とお水、どっちがいい?」
「水で」
「おい、メインがないっていう疑問はねーのか」
「ないんですか?」
「ない」
きっぱりと言い切る椿。桜は申し訳なさそうな態度を露骨に表して釈明を始めた。
「ごめんね、家にある材料でつくろうとしたから、サラダしかできなかったの」
「いいよいいよ、俺野菜大好きだもん。食べ過ぎて腸が詰まったことあるもん」
水溶性食物繊維はその名の通り水に溶けるのでさらっと流れていってしまうが、脂溶性食物繊維は水に溶けないので腸内に残る。大量摂取によって残った脂溶性食物繊維が絡まって大きな塊をつくると、腸が詰まる原因になる。腸管を圧迫するだけでなく、排便を極めて困難にしてしまうこともあり、対処が非常に難しい。(余談だがこれは著者の体験したことであり、大量摂取した翌朝から数日は苦しんだ)
レタスと胡瓜の緑、トマトの赤、ヤングコーンの黄と鮮やかなもので、どれも陽の好物である。彼は大きく口を開けて箸で掴んだものをすべて入れると、口の中に広がる酸味や甘みを楽しんだ。
「最高ッス」
「だろ!?三ツ星シェフが唸るんだって!」
「口に合ったようでよかった~」
「こんど食事会しませんか?実は俺もけっこう料理するんですよ」
「あーそれはいいな。椛が食いつくだろうなー」
「いっぱい作らないとね」
すっかりその事ばかりが頭に残り、午後の勉強は長く続かなかった。




