Episode 21 アレ襲来
内容が虫関係なので虫が苦手な人は飛ばしたほうがいいかもしれません。これを書いた日、家に出ました。
「エアコンをつけて涼しいと言うのも夏なり つばき」
卓袱台とキッチンの間のスペースに正座して呟いた椿に対し、陽は周りを見回して救いがないことを確認し、言葉をあげることにした。
「自由律ですね」
「ああ!俳句って突然閃くよな!」
「うーん、同意できるようなできないような...」
深い議論をするつもりはなく、ただ椿の唐突な話に対応する言葉を考えることに必死になる。知識の深い分野ではない話を振られると、広げるための言葉が思いつかない。
「ところであいつらはまだか!」
「連絡来てないんですか?」
このご時勢便利なチャットアプリが携帯電話にインストールして利用できるので、たいていの連絡はこれで簡潔にできる。部活動に参加できないときはメッセージが届くのだが、まだ椿の携帯電話には来ていない。
「来てねーなぁ...まあハッキリした開始時刻が決まってねーから遅刻はないんだけどな」
「日直なんじゃないですか?」
「そうかもなー。なぁ、たった二人でできることがないものかね?」
「じゃんけん」
椿は後ろに倒れこんで両腕を広げた。この行為に意味はない。
「そーゆーのじゃなくてよー、ビビッとくるセンセーショナルなのはねーのかって聞いてんだ」
「ワールドフットボールやります?」
「持ってねーし。ってかお前にボコされる未来しか見えねーよ」
「大丈夫ですよ。三部のチームと世界最強だったらいい感じになりますよ」
「三部のチームにボコされたらもう立ち直れねーよ」
「うーん、まあ勝敗がいつも同じってのは負ける側からすると面白くありませんね...じゃあ部長、何かアイディア出してください」
「うえぇー?」
椿が気の抜けた反応をすると、苦笑った陽の視界で何かが動いた。その動きを追うとそれは停止し、長くて黒い触角を揺らした。陽は全身が震え上がり、しかし冷静に卓袱台の下に差し込んだ脚を抜いた。
「ぶ、部長...ちょっとこっち来てください」
「あ?なんだよ」
「いいから!」
「なんだよオイ」
椿が起き上がって陽の傍に来て彼が指差す先を見る。
「うおおっ!」
よほどビックリしたのだろう、彼女は跳ねて陽の裏に隠れた。制服を掴む両手の力が強い。
「ゴキじゃねえか!陽、どうにかしろ!」
「ちょちょちょっと待ってくださいよ!殺虫剤なくないですか!?」
「探せばあんだろ!お前ちゃんと私を護れよ!?」
「あんた部長でしょうが!殺虫剤がどこにあるかくらい知ってるでしょうが!」
椿は正気を失っているらしく、黒い塊を相手に構える陽の背によじ登っている。
「登らないでくださいよ!くそっ、殺虫剤がないなら新聞紙...もない!」
「バカ!潰したら畳がダメになるだろうが!」
「ああそっか...どうしようどうしよう...」
幸いにも相手が動かないでいてくれているので考える時間はあるが、平穏を一刻も早く取り戻すためにはこの状況を打開しなければならない。
「部長、隣の部から殺虫剤借りてきてくださいよぉ!」
「よっしゃ任せろ!だがヤツを私に近づけたらころすぞ!」
「俺をころせるならヤツを殺してください!」
椿が部屋を飛び出して隣の部に助けを求めた。その間に相手が動き出し、じりじりと陽との距離を近づけてくる。彼は椿が戻ってくる入り口へヤツを近づけまいと誘導を試みた。座布団や鞄を設置して進路を限定し、窓際へ追いやる。
「陽!隣にもねぇ!」
「なんですって!クソぉ!こうなったら俺のゴッドハンドで...」
「早まるな!ヤツは病原菌を媒介する超ばっちぃヤツだぞ!」
「じゃあどうしろって言うんです!」
「お前もこっち来い!ヤツをこの部屋に閉じ込めて、後でアレだ、煙の出るやつやろう!」
「今はそれしかないか...!」
陽は素早く自分と椿の鞄を拾い、廊下に飛び出た。ぴしゃりと隙間なく扉を閉め、廊下にあった筆記用具を使って立ち入り禁止と大きく貼り紙をする。
「はぁ、はぁ...」
「なんてこった...我らが神聖なる部室が...」
椿は膝を屈して落ち込んでいる。男らしさを見せられなかった陽は奥歯を噛んで言った。
「クソ、俺に力があれば...」
その時だった。
「力が、欲しいか...?」
陽は幻想に入り込んだ。白い髭を長くした老人が杖を傾けて言う。
「力を...くれるんですか!?」
「青年、君には護りたいものがあるか...?」
「俺にはあります!とても大切な人です!」
誠意ある応答に老人は微笑んだ。
「とても純粋で真っ直ぐな瞳をしている...」
......よう...陽...!
「陽!」
「はっ!」
陽は現世に戻ってきた。結局老人は何も与えてくれず、ただ現実逃避をしていただけだったが、陽には強い使命感が宿った。
「部長」
「ん?」
「今から俺が、一世一代の超やばい大魔法を使ってゴキを殲滅します。長年の修行を経て先日ようやく習得したばかりでうまく使いこなせるか不安はありますが...しっかり見ていてください」
「お前...何をする気だ」
「部長。またすぐに会えます」
そう言い残して陽は廊下を全速力で駆け抜け、どこかへ去った。呆然とした椿はしばらく固まったままで、日直の仕事が終わった桜の治療によって元に戻った。
「ただいま!」
陽が帰ってきた。その手には『ゴキブリ用殺虫燻煙剤』のラベルが貼られた円筒形の物体が握られている。
「お前...買って来たのか!?」
「俺の大魔法"スーパーソニックショッピング"でした。どうです?すごく速かったでしょ?」
「あ、ああ...しかしもっとこう、ドカーン!ってのを想像してたんだが」
「そんな非現実的なこと、俺にはできませんよ」
「すごく速く買い物を済ませるって技でいいのかな...?」
「そういうことだよ、桜」
陽は蛇口を捻って水を筒に入れ、薬剤をその中に入れて部室の中央に置いた。憎き敵の姿は見えない。
「畳が傷むかもしれませんが...仕方ありませんよね」
「ああ。もし取替えが必要だというのであればみんなで買おう」
厄介な企画が一つ増える予感がした。しばらく空き部室で待機しているとノイエと椛が来たので事情を説明した。すると二人は嫌な顔ひとつせずにこう言った。
「なんだ、それならこの教室に常備されているぞ。ほら」
棚の下部の戸をスライドすると、陽が買って来た燻煙剤がいくつも置かれていた。
「え...じゃあ俺の大魔法の意味は...?」
「美化委員でここを掃除するときにたまに見るから買った」
陽は二人に縋るようにして崩れた。
「早く来てよぉぉぉ!」




