Episode 19 夏だから
梅雨明けの報せがあったのは今朝のこと。すっかり日本は熱気に覆われ、温帯湿潤の夏に相応しい高温多湿になっていた。今日の星乃ヶ丘の最高気温は34度。猛暑日一歩手前である。だがまだ六月だ。
「あ"あ"あ"あ"」
無理やりに濁点を入れたような『あ』を連発して扇風機の前に陣取る部長の椿は半袖のシャツをさらに捲ってノースリーブみたいにしている。
「部長...ジャージに着替えたらどうですか...?」
扇風機の風にあたれない陽は畳の上に巨大なタオルを敷いてその上に寝転がっている。今日のように暑い日はアクティブになれないらしい。
「今日は体育ねーんだよ...お前持ってねーの?」
「俺が着ているのでよければ...」
「バカ野郎。お前、その位置で制服とか死ぬ気かよ」
制服は夏仕様で通気性の良い素材を採用しているが、やはりジャージの機能には敵わない。陽は『俺のを着ることはいいのか』と心の中でツッコんだ。
「じゃあノイエみたいに脱ぐとか...」
女子に『脱ぐ』と言うのはいささか気が引けるが、陽が逆さに見ているノイエはYシャツを脱いでインナーを露わにしている。彼女はそういうのは恥ずかしくないらしいが、陽は見慣れないそれに長く目を向けていられない。
「あー、ジムとかで着るのを着けてくればいいのかぁ」
何なら恥ずかしい、何なら恥ずかしくないの線引きが男子にはよくわからないが、ざっくり考えてピンク色のレースのついた下着はアウト、黒のスポーツインナーはセーフらしい。
「もう眼福とか言ってられませんよ。エアコンつけましょう」
「待てィ」
椿が立ち上がって操作盤に手を伸ばそうとした陽を呼び止めた。彼がこの部に連れ込まれた時にも、同じ口調で彼を止めていたので、よからぬことが起きるだろうと思った。
「なんでしょう...?」
「お前に見られる恥ずかしさとかねーからさ、この暑さをもうちょい楽しもうぜ?夏じゃねーとできないんだぜ?」
「でも椛先輩と桜が死にかけてるじゃないですか...」
陽は定位置から離れた場所でぐだっとうつ伏せになっている椛に声をかけ、その傍にあるポテチ君を一枚食べた。湿気を吸ってしっとりとしている。
「桜ー、大丈夫かー?」
桜は低い声で呼びかけに応え、スカートの端を上下させて扇ぐ。正面にいると下着が見えてしまうので、少し斜めから彼女の様子を窺う。
外ではセミが断続的に鳴いている。夏の風物詩である彼らの声よりも、もっと夏に相応しいものを思い浮かべた陽は立ち上がり、鞄から財布だけ取り出して立ち上がった。
「ちょっと買い物に行ってきます」
「おっ、勇者だなお前。今外に出るとか自殺行為だぞ」
「ポテチ...」
椛がうつ伏せたまま右手を伸ばして呟く。運動好きで体力もある彼女がこうも元気を失ってしまっているのは他でもない暑さのせいであり、もはや大好物のために動く気力もないようだ。
「わかりました。味は?」
「なんでもいい...」
冷たい場所を探して転がる彼女は猫のようで、陽はその様子をしばらく観察してから廊下に出た。彼が部室棟の玄関を出ようと靴に履き替えたとき、後ろから声が聞こえた。
「私も行く」
振り向かずともノイエだとわかった。制服を着た彼女はおそらく彼女のではない日傘を傘立てから持ち出して開いた。日焼けは肌の敵で、殊に女子は気にする。この季節の必需品だ。
「暑いよ?」
「部室にいても何もできない。ツバキが飽きるまでエアコンはつきそうにないし、ヨウが何を買おうとしているのか少し気になる」
「それは店についてからのお楽しみだな」
正門前の住宅地を抜けると公園があり、それを囲うように並木道がある。それに沿って少し歩く。
「あ、ここは涼しいね」
「暑いところにいたからさらに心地いいな」
「そういえばその日傘誰の?」
「サクラのだ。女子力?が高いな」
「桜の柄なんだね。桜らしいや」
彼女は花柄のものをたくさん持っている。彼女の印象に非常に合っていて、まるで彼女のためにそれがあるようだ。今はそれをノイエが持っているわけだが、決して似合わないわけではなく、こういう組み合わせも面白い、と陽は思った。
「ノイエって着物似合いそうだよね」
「着たことないな」
「あっ、そうだ」
「なんだ?」
「今から行く店でいいのがあったら買ってあげるよ」
「何を買うんだ?」
「それもお楽しみ」
陽が笑うのでノイエは彼の意図がわからないままつられて笑った。




