プロポーズ
「こないだのさ、アレ、あるじゃん。」
「うん。」
「アレ、無かったことにして欲しくて。」
私は口に含んだ紅茶を急いで飲み込んでから、もう一度目の前の婚約者の言葉を頭の中で再生する。しかし、どうしても、言葉がすとんと落ちてこない。思わず首を傾げ、「アレってなんだっけ?」とすっかり分かりきった質問をしてしまった。
三宅は困ったように目を逸らすと、静かに言った。
「その、プロポーズ、したじゃん。」
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窓の外は重いグレーの雲が広がっていて、今にも雪が降りそうだ。この天気のせいなのか、街全体がどんよりと沈んでいるように見える。カフェの中にいるけれども、入り口に一番近い席を選んでしまったので、私は手足の指先が冷えたままだった。しかしそのことを三宅に言おうとは思わなかった。私は、熱い紅茶に砂糖を多めに入れたものをちびちびと飲みながら、それをカイロ代わりにして手を温めた。
大学時代に出会った三宅と私は、今年で付き合って五年になる。先日、ついに三宅からプロポーズをされた私は、幸せの絶頂に居た。ずっと呼んでいた「三宅」という呼び方も止めて「悠太」と呼ぶ練習をするくらい、私は浮かれていた。今日だって、家族の挨拶はどうするかとか、式はどうしようかとか、そういった類の話をするんだと思ってこのカフェに来たのだ。
「えーと、よく言ってる意味が分かんないんだけど…。」
「ごめん。花。本当。」
「いや、謝られても…。」
混乱する私をみて、三宅は何度もごめんを繰り返す。ごめん呼応するように三宅の癖っ毛がふらふら揺れる。その情けない声を聞いているうちに、私は訳がわからないという感情が、次第に、目の奥を熱くさせるようなふつふつとこみ上げる苛立ちに変わっていくのを感じた。むーと唸って、丁寧に巻いた髪をガシガシと掻く。三宅を見ると丁度目が合って、彼の眉が怯えるように僅かに動いた。無意識に睨んでいるのかも知れないけれど、構うもんか。
「何なの?」
「……。」
「言わないと分からないから。」
「すいません。」
「謝んなくていいから。三宅こないだ結婚しようかって言ったよね?いっつもの軽〜い調子でしたけど。私言ったよね?そんな軽いもんじゃないけど大丈夫なんですか、って。」
「はい。」
「そしたら大丈夫大丈夫って笑ってたじゃん。あれも何?いつものあれ?口癖?あんま考えないで言ってたの?」
「いや、そういうわけじゃないけど…。よくよく考えたら結婚するなんてまだ…というか俺は花を守れるのかって思ったら何ていうか、ダメっていうわけじゃないけど…。」
ごにょごにょと歯切れの悪い三宅に、泣きそうになるのをぐっと堪えた。これじゃこっちがバカみたいだ。私だけが浮かれていて、幸せの絶頂だなんて恥ずかしい言葉が、今の自分にぴったりだなんて思っていた。
ふにゃふにゃと三宅が私と結婚出来ない理由を挙げていくのを聞いていても、惨めになるだけだ。私は「別れよう」と大声で叫ぶと同時に、立ち上がった。三宅が私を引きとめようとしたので飲んでいた紅茶を三宅にぶち撒けてそのまま走るようにカフェを出た。入り口が近くて良かった。私の目からは、涙がもうそこまで出ていた。あっつ!と叫ぶ三宅の声が聞こえて、熱いだろうなあとぼんやり思った。




