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第1話 イースト・ミーツ・ウェスト

  明治十一年(1878年)


 さかのぼること約一年前。

 アメリカ、サンフランシスコ港に一隻の貿易船が入港しようとしていた。

 1858年に締結された日米修好通商条約に基づいてやってきた日本の船だ。

 積荷は主に生糸や茶が中心だ。帰りにはその代わりに毛織物や工業品などを満載する。

 俺の乗っている船もそうした貿易船のひとつだ。

 俺の名は氏原光次郎(うじはらこうじろう)。歳は十七歳……いや、欧米の数え方で、十六歳になったばかりだ。

 この船には氏原屋二代目の親父の他、偉い学者さんや政治家さんも乗り合わせている。彼らはアメリカ人に失礼のないよう、アメリカ式の礼服を着ているが、俺たち親子は普段着ている洋服ではなく、ひと目で日本人とわかるように着物を着ていた。

 そんな様子から、この船の目的が貿易だけではないのはなんとなくわかっていた。

 だからこそ、親父も俺を船に乗せたんだろう。

 これからの時代、商人はもはや日本だけを相手にしているわけにいかない。日本とアメリカの間に結ばれた条約は、関税やその他の点で決して平等なものではなかった。だが、商人にとっては新しい顧客というのはそれだけでチャンスだった。

「港は見えるか?」

 甲板で進行方向を眺める俺に、親父が声をかけてきた。

「わからない。島は見えるんだけど、どこが港なのか」

 俺は答えた。前もって見ていた地図によると、サンフランシスコは半島になっていて、その内陸側に港があるらしい。だから沖合のこちらからではまだ港は見えない。

「船長の話ではあと数分で着岸するそうだ」

 親父はそういうと、真面目な顔をして空を眺めた。

「……なあ、光次郎。この空はどこまで続いていると思う?」

「どこまでって? それは日本までってことか?」

「いいや、違うぞ」

 親父は大げさに手を広げてみせる。

「いいか光次郎。空はどこかに続いているんじゃないんだ」

「なんだよ、それ」

 そらはどこまで続いてるかって聞いたのは親父じゃないか。

「空は、一つしかない。俺たちが見ている空、それが唯一無二の空なんだ」

「で、何が言いたいんだ?」

 親父が難しいことを言う時は、適当に聞き流していていい。どうせなにかの本の受け売りだろう。

 やがて、船は港に着いた。

 同時に紺色の服装の一団が船に乗り込んでくる。十数人はいるだろうか。こちらの船員より確実に多い。

 気になるのはそいつらがみんな、ライフル銃を持っていることだった。

 やれやれ。武器をちらつかせて優位に話を進めようって腹かね。

 もう一つ気になるのは、先頭で船長と話している軍人が金髪の女だってことだ。日本では女軍人なんて考えられないことだが、アメリカではよくあることなのかもしれない。

 そう思っていたその時、軍人の中の、浅黒い肌の男が素早く動いた。

 同時に衝撃すら伴う破裂音が俺の耳をつんざいた。

 船長がくずおれる。撃たれたのだと理解するまで数秒かかった。

「光次郎、船室に逃げろ!」

 親父が俺を突き飛ばす。その手にはコルト・ネービーが握られていた。三〇年近く前に作られた、アメリカではとっくに旧式になっている拳銃だ。

 俺は迷わず船室に飛び込んだ。逃げるためじゃない。銃を持って戦うためだ。

 客室の荷物から、親父がかつて趣味でとりよせたライフルを取り出す。ウィンチェスターM1866、通称イエローボーイ。真鍮の黄色い銃身からそう呼ばれるのだが、それを黄色人種の少年(イエローボーイ)の俺が持つとは皮肉なものだ。

 撃ったことはないが使い方はわかる。レバーを起こして、引き金を引くだけだ。

 俺はイエローボーイを抱えて甲板に飛び出そうとした。船室の扉から、親父が見える。親父は木箱の影に隠れて様子を伺っているようだった。

 だがそこで俺と親父の目があった。親父は俺が銃を持ってきたことに驚いたようだ。

「光次郎!」

 親父が声をあげた瞬間、その胸に血しぶきの花が咲いた。

「お……親父っ!」

 俺は反射的に親父の隠れていた木箱目指して駈け出した。

 それを見逃す敵ではなかった。耳元に風切り音。くそっ、俺はイエローボーイを構えて銃声のした方をみる。紺色の服の――おそらく軍人なのだろう――集団が銃を構えて船員たちを撃ち殺している。

 ひどい、まるで虐殺だ。こちらには武器らしい武器はほとんどないのに。

 その中で俺の方を見ているのは一人。船長と話していたあの女だ。

 長い金髪を風になびかせ、豊満な胸を無理やり軍服に詰め込んだ女だった。

 この女に親父は撃たれたのか!

「うわあああああああっ!」

 俺はイエローボーイを女に向かって撃った。

 だが、撃った瞬間ものすごい反動が俺に襲いかかってきた。

 持ち方が悪かったのか、それとも単純に体がすくんでいたのか。弾丸はあさっての方向に飛び去り、俺はバランスを崩して船の縁に立たされた。まずい、足が止まらない。

「うわわわっ」

 全身を衝撃が襲う。俺は足を滑らせて真っ逆さまに海の中へと落ちていった。

 そこを狙って上から銃弾が飛び込んでくる。くそっ、このままじゃ水面に出ることはできない。

 だが俺だって水泳には自信があるんだ。船の下に潜る。ここなら銃は届かないだろう。そのまま近くに係留している船の下を通り過ぎて向こう側に回り込んだ。

「ぷはあっ」

 そこでようやく、一息つく。耳にはまだ銃声が届いてくる。

 銃声を聞きつけてか、すでに港には人だかりが出来上がっていた。

 俺はなるべく人の目が向いてないあたりの桟橋を這い上がった。建物の影に隠れて、様子をうかがう。

 今すぐ飛び出したかった。だが、体が言うことを聞かない。一度銃を向けられた恐怖が張り付いてしまったようだ。

 やがて、銃声がまばらになり、止まった。

撤退(Withdraw)(the troops)(from)(here)!」

 一際大きな声が響き、紺色の服の軍人たちが船を降りてくる。そしてそのまま用意されていた馬に飛び乗って、一気に全軍が引き上げて行った。

おまえは(Are you)日本人だな(Japanese)?」

 そんな俺に、話しかけてくるものがあった。着物を着ていてずぶ濡れなのだ、すぐにあの船の関係者だということがわかっただろう。

 横浜港で育った俺は、アメリカ人とも接していたのである程度英語も理解できる。

 男は意図してか、それとも癖か、ゆっくりと喋ってくれたおかげで聴きとるのに苦労はしなかった。

はい(Yes, I am.)

「わたしは保安官(シティ・マーシャル)だ。わかるか?」

 男が胸につけた星型の徽章に指を当てて言った。

 保安官(シティ・マーシャル)……ええと、確か同心みたいなものだったかな。なんにせよ治安官だ。

「おまえはあの船の乗組員か?」

「はい……」

「状況はわかるか?」

 正直、わからないことだらけだが、俺は見た限りのことを保安官に話した。

「そうか、わかった。アンディとディックはついて来い。他のものはこの一帯を封鎖。船の中を改めるぞ」

 保安官は言って、俺と助手を連れて船に乗り込んだ。俺もその後についていく。

 船の中はひどい有様だった。何人もの船員や商人が殺され、また同乗していた学者や政治家も殺されていた。

 そして――

「おまえの父親か」

 俺がみたあのまんまの場所で、あのまんまの形で親父は死んでいた。

 右手にコルト・ネービーを握りしめたまんま。苦痛の表情を浮かべていた。その横には俺の取り落としたイエローボーイもある。

「合衆国で弔ってやろう。ブディストの司祭は居ないが」

 はるか遠い異国に旅立つことを決めてから、父も客死は覚悟していただろう。

 だがまさか、アメリカの土を踏みもしないうちにこんなことになるなんて……。

 泣くのはあとにしよう。俺は保安官立ち会いの上で積荷を確認した。もちろんアヘンなどのご禁制の品物はみつからないし、逆に盗まれたものもなかった。

「物取りでもないのか。白昼堂々とこれだけの人数を殺しておいて、意味がわからん」

 保安官が悪態をついた。そんなことを言われても困る、こっちだって被害者なんだ。

「保安官、ご報告が……」

 その時、保安官とは違った徽章をつけた男がやってきた。徽章には大きく『保安官補』と書いてある。

「いま忙しい、あとにしろ」

「ですが、陸軍からこの件に関しての通達です」

「なんだと?」

 保安官は俺を遠ざけ、保安官補と何やらヒソヒソと言葉を交わした。それから、俺に向き直って言い出す。

「……おい、おまえ。ええと……」

「光次郎です。コウジロウ・ウジハラ」

「コーデュロイ?」

「コウジロウ、ウジハラです」

「長いな。コーディでいいだろう」

 人の名前を勝手に略さないでほしいとは思ったが、横浜のアメリカ人にもそう呼ばれていた。アメリカでの作法なのだろう。

「コーディ。この件は――大変面倒なことではあるが――過激派軍人による暴走、と言う形で収まりそうだ」

「なんですって」

 やはり、船を襲ってきた紺色の制服の連中は、この国の軍人らしい。確かに軍人に皆殺しにされるにしては、心当たりはない。

 それどころか保安官がこうして事件を検分しているのだから、正規軍による行動でもないのだろう。そうだったとしたら保安官も承知しているはずだ。

「おまえの船に乗っていたえーと……長い名前の男たちは、おまえは知らなかったようだが、政府の高官だそうだ。偉いさんらしいな」

 それはなんとなくわかっていた。政治家だ、と言うくらいではあるが。

「合衆国と日本の、貿易条約を改正しようという交渉のテーブルに付くためにわざわざはるばるお越しくださったようだが――残念だったな。過激派のせいでそれもパアと言うわけだ」

 保安官は誰に向けただろうか、皮肉を交じりに続けた。

「おまえたち親子はそのとばっちりを受けたようだな。残念だが……」

「犯人が捕まって、そう言ったんですか」

「いいや、『そういう動きがあるから気をつけろ』と言う手紙が、郵便屋の手違いで遅れて届いたのだ。重要な案件なのだから早馬を直接出せばいいものを」

「それじゃあ、犯人は……」

「主犯はジェーン・カナリー軍曹。女だ。まあ、いずれ捕まって縛り首になるだろう」

 軍人の女……あの、金髪の女か。

「合衆国では女が軍人になるのは当たり前なんですか?」

「いいや、かなり珍しい。わたしも聞いたことがない」

 とすると、あの船に二人以上女軍人がいたとは思えない。

 親父を撃ったのは、ジェーン・カナリーと言う女に間違いない。

「復讐に燃えるのは結構だ。だがその前に、おまえの父親たちを埋葬してやらなければならないな。アンディ、おまえは男手を集めろ。ディック、おまえは葬儀屋の手配だ」

 視野が狭まった俺の前で、保安官がてきぱきと指示を飛ばしていく。


 日が暮れる前に、保安官が集めた人手によって、親父たちは町外れの墓地に埋葬された。牧師が『日本式の祈りを捧げるか』と聞いてきたが、念仏なんかうろ覚えだ。手をあわせて『南無阿弥陀仏』とつぶやくだけにしておいた。葬式なんかなんでも同じだ。

 それから俺は船の積荷を売り払うことにした。俺は武士じゃないから、敵討ちなど考えなくていい。商人なのだから、親父の遺志をついで商売をしよう。

 幸い、親父があらかじめ連絡していた商人はすぐに見つかった。

 だが、騙された。

 商人が説明した金額と、契約書に書いていた金額が全く異なっていたことに気づいたのは、月曜日に銀行で小切手を両替したあとのことだった。

 俺はすぐさま悪徳商人に直談判しに行ったが、『契約書通りだ』と譲らなかった。

 裁判所とやらにいくかと言われたが、この国の法律もわからない。孤立無援の俺にはどうしようもなかった。

 このままだと船の停泊料すらすぐに払えなくなる。俺は儲けを諦め、すぐさま別の商人に船を売った。幸い、船はかなりの金になった。

 もっとも、その値段も相場を大幅に割っていると知ったのは後になってからだったが……。

 やはり、アメリカにおいて、日本人はまだまだ下に見られているのだ。

 俺は少なくないが充分とも言えない金を持ち、何か商売のあてでもないかと探した。だが、あいにく顔も聞かなければ言葉も不自由している。八方ふさがりだった。

 船を売った金で、慣れない食べものを食うだけの生活が続いたある日、俺の目に一枚の紙が飛び込んできた。

 保安官事務所の横に立てられた掲示板。そこにあの女の似顔絵があったのだ。

指名手配(WANTED) ジェーン・カナリー 生け捕りに限る(ALIVE ONLY)

 そしてその下には、賞金としてかなりの額が記載されていた。捕まえてくればそれがもらえるらしい。

 親の仇を討った上に金がもらえる。そんな美味しい話があるか?

「おまえの船を襲った主犯がこの女だ」

 例の保安官が、掲示板の前に立ち尽くす俺を見つけて言った。

「この国では通常の賞金首は(DEAD)(OR)(ALIVE)問わず(NO ASK)賞金がもらえることがほとんどだが、この女の場合は生け捕りに限る(ALIVE ONLY)らしい。珍しいが、外国の要人殺しということで、上はこいつを裁判にかけたいそうだ」

「裁判に?」

「死体にあの世で後悔させる時代は終わりつつあるということかもしれないな」

 保安官は噛みタバコを吐き捨てて言った。

「おまえも、親の仇は自分の手で討ちたいかも知れんが。殺してしまえば次に賞金がかかるのはおまえだぞ」

「俺、金がいるんです」

 俺は言った。本音だ。

「仇討ちにはこだわりません。捕まえてきます」

「随分立派なことを言うんだな。憎くないのか?」

「憎くないわけないじゃないですか……。でも、故郷を離れて言葉も曖昧な異国で、働き口もない今、帰るためには一攫千金を狙うしかないんです」

「いい覚悟だ。それに、目の前で縛り首になるところを見れば溜飲も下がるだろう」

 保安官に言われて、俺ははっとした。

 そうだ。なにも自分の手で殺すことにこだわる必要はない。どうせ裁判の結果は有罪に決まってるのだ。だったらこの女が法律に殺されるところを見届けてやる。

 金ももらえるんだから、一石二鳥。親父が眠るここの裁判所に連れてくれば、親父も喜ぶに違いない。

 俺はすぐに、あたりをつけようとアメリカの地図を見て、頭が痛くなった。

 広すぎるのだ。日本の十倍、いや二十倍はあるだろうか。もっとかも知れない。

「早速挫折したか」

 保安官はそう言って、箱から嗅ぎタバコをひとつかみ取り出し、口に放り込んだ。

「この国で今時、親の仇を追いかける。そんな古臭い男を俺は見捨てられない。だから一つだけアドバイスしてやる」

「アドバイス?」

「ここから東に行ったところに開拓村がある。サクラメントの向こうだ。新しい開拓者は他の村から離れたところに住み着きたがる。そこはまだできたばかりで、いわば全員がよそ者という村だ。しばらくそこで暮らすといい」

「俺、アメリカに住み着くつもりはありませんよ」

「右も左も分からない日本人のおまえが、アメリカに馴染むまでの話だ。英語を覚え、価値観を共有するまでの間の話だ」

 言ってまた、保安官は噛みタバコを含んだつばを吐き捨てる。

 確かにそうだ。俺はまずアメリカに慣れる必要がある。

 日本のやり方は通用しない。俺は保安官のアドバイスを受けることにした。

 開拓村に行って、雑用でもなんでもやらせてもらいながら覚えよう。

「ありがとう、保安官。……俺、アメリカは嫌いだけど、あんたは好きです」

「保安官なんて嫌われていた方がいいのさ。それより、アメリカを嫌いにならないでくれ」

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