海乃かにきちという生き物について
久々に自分自身のエッセイを書いてみました。
文章に関するものやら特殊職業やら、多種多用な内容が含まれますが、お暇な方、よかったらお付き合いください。
1.まずは自己分析をやってみた
Q. 海乃かにきちってどんなひとですか?
A. ・他人様と変わったことをしたいと常に考えている
・妄想家でたまに落書きやら文を書き散らしている
・友人にも家族にも隠さないオタク腐女子(もしかしたら腐貴人かもしれんと周囲で囁かれている)
・重度の方向音痴
・本人が考えたギャグよりボケの方がウケルetc…
こう書き出してみると、一般的なオトナと随分違う部分もあるが、一応曲がりなりにも成人女性である。
たまに「あなた話さなければねえ…マシなのに」と知人に言われるくらい、大声でアホなことややや下ネタを呟いていることもあるし、競馬や麻雀にがっつりハマリにいきかけたこともあるが、とりあえず本人は表面上は普通のオトナだと思っている。
が、先に言ったとおり、私はかなりのケガ多発人間でトラブルメイカー、しかも極度の方向オンチ。
携帯のナビがなかったら、初めての場所なんてとても歩けない。
かつて、東京の自分の会社の本社に初めて行くのに、通常なら2分のところを30分かかったという残念な記録まで持っている。この『方向オンチ』というものも、極端に行き過ぎるとある種の病だといっていいと考えている。
ついでに、その方向音痴さとどんくささがあいまって、母に運転免許を取ることを固く禁止されているため、50CCのバイクの免許すら持っていない。
中学3年間で学年が変わるごとに病院に1ヶ月以上通院するケガをし、今年に入ってもメガネをかけていなかったからか、夜道で電柱に自転車で激突するなど、細かいものを数えだしたら、枚挙に暇がないのでやめておく。
トラブルメーカーな部分は、いくつも拙作やらブログなどでネタにしているが、やたらめったら妙な事件に巻き込まれたり、変な人に声をかけられるようなものや未遂案件も含めたらこれも相当な数になりそうなのでこれもまたの機会にしたい。
そういう法則で考えていると、私はかなり多くの『問題』を抱えていることに改めて気づかされる。
無論、ここで断っておかなければならないのは、私自身体も一般の人より強くないし、持病も少なからず持っているが、ここでいう『問題』はそういう身体の疾患ではなく、むしろ考え方そのものの話なので、心がまえそのものとも言えるかもしれない。
ただ、私がここでいう『問題』や病というものは、ある意味自分の持論の根本な部分でもあるので、そう簡単に変えられない。だから、余計に重篤だともいえる。
だが、そういったものも自分が表現や創作に関わる際、重要なものになってきているのは、紛れもない事実なのだ。
過去には、あまりにも私の行動が面白いと友人に漫画にされたこともある。
そういう意味で考えるなら、自分のはずかしい黒歴史もまんざらでもないのかなと思えるから不思議だ。特に年を重ねるごとにその考えは強くなってきた。
ただ、創作するうえで私の一番いけないところは、自分の文章に悪酔いしてしまうところだろう。パソコンをうつのもそんなに早くない上、書いていて文章のリズムが気持ち悪いと感じてしまえばそこで指が止まってしまう。特に、『てにをは』や句読点の使い方に違和感を覚えたら、もうダメだ。
書く気力が戻ってくるまでにひどけりゃ半年かかる。本当に厄介である。
しかし、こんな私でもその昔、文章を書くことやクリエイティブな活動でお金をいただいていたことがあるので、仕事になると話は別だ。
限られた制限時間内に自分のテンションを無理やり上げて書き上げるしかない。
無論、一定のクオリティに達している必要性があるのだが、一種の妥協も必要だ。しかし、自分の趣味の範囲の創作ともなればそうもいかない。
普通は逆だろうと突っ込まれるかもしれないが、小説でもイラストでも趣味の範囲なら、もっともっと変えていけば面白くなるかもしれないという、作者(自分)に対する一種の期待感も相まって自分が自分の作品に求めるハードルが更に高くなる。
だが、それをやっているといつまでたっても、物語は完成しない。
だから、とりあえず映画で言うところの『ディレクターズカット版』を作り、そこから物語を整理していこうと考え」を改めた。
人様に見せていいと言える一定の基準をどこにおくのか。
それが、物語を書き始めて以来、ずっと私の頭を悩ます最大の課題だ。