グッドラックストア
「ちょいとそこのお客さん」
仕事帰り、路地裏から男が声をかけてきた。
サングラスにアロハシャツ、スキンヘッドとどう見ても怪しい。
どうせ、ろくな要件ではないだろう。
俺は無視することにした。
「話を聞いて下さいよ~」
面倒な事になぜか追ってきた。
迷惑な事だ。
「あなたですってば、そこの不幸顔のおにいさん」
「だれが不幸顔だ!」
「聞こえてるじゃないですか」
しまった、ついツッコミを入れてしまった。
「そんなに嫌そうな顔をしないでくださいよ、あなたにぴったりなお話があるんです」
「いや、間に合ってるんで」
「運が欲しいな、とは思いませんか?」
「いや、間に合ってるんで」
「昨日、痴漢と間違われてたじゃないですか」
「いや、間に……何でそれ知ってるんだよ!」
「そんなあなたにぴったりのお話なんです、運を買いませんか?」
「さすがに流すなよ、その話題……」
しかも、運を買うとかどう考えてもうさん臭い。
詐欺を通り越して、そのまま路地裏に連れて行かれて闇に消える臭いすらする。
「まあ、話だけでも聞いて下さいよ。それで判断してかまいませんから」
「残念ながら、今急いでいるんで」
「まず人間には運の量っていうのが決まってます」
「人の話聞けよ」
「その運ってのは考えている以上に重要です、運がなければ一日たりとも生きる事は出来ない」
「……それは言い過ぎじゃないか?」
「いえいえ、考えて欲しいのです。世の中の運の量は間違いなく不平等です、生まれながらにして環境が違うどころか、生まれる前に死ぬほどの命すらあります」
……それは確かにそうだな。
俺だってもう少しだけでも、運が良ければ全然違う人生を歩んだかも知れない。
スキンヘッドの光る頭を眺めながら、そう思った。
「それでなにがいいたいんだ?」
「運の尽きは命の尽き、そんな不可欠な運をわたしはお売りしています、10円なら10円分の運を。1000円なら1000円分の運……1億なら1億円分の運をです」
「いや、アンタ、そんなに運が余ってるならそもそも金なんかいらないんじゃないか?」
「……あまり否定で会話を返すのは感心しませんよ」
「そこはほっとけよ、キャッチセールスの分際で」
「需要と供給の問題ですな、運を売ってでも金が欲しい人はいるもんです。うまく運用すれば、さらにお金が儲かるでしょう?」
どうやら運の買い取りまでやっているらしかった。
なんだ、その商売。
「ちなみに買い取りに関してですが、業界でもなかなかの高値で買い取りしております」
「いっそ俺の運も買えよ」
金なら咽喉から手が出る欲しい。
すると、スキンヘッドはサングラスが落ちるんじゃないか、というほどに腹を抱えて笑い出した。
「またまたご冗談を! もう買い取るほど運なんか残ってないじゃないですか~、雀の涙なんて言葉がありますけど、まだそっちの方が多いですよ~」
「本当に失礼な奴だな」
確かに運がいい方とは思ってないけどな。
「じゃ、こうしよう。いい加減めんどくさくなってきたんだ。100円分だけ買わせてもらおう、それでご利益あったらまた後日買わせてもらうよ」
「100円分ですか? 目に見えるほどの効果もないと思いますけどねえ」
「そん時はそん時だ、で、どうなんだ? 100円分のバラ売りはしてるのか?」
「もちろんです。正直言えば、どばっとたくさん買った方が良いと思いますが……」
そう言いながらスキンヘッドは、俺の差し出した100円玉を受け取る。
「はい、これであなたに100円分の運が渡りました」
「……お守りみたいのくれたり、御呪いでもするわけじゃないんだな」
「そんなことで運が増えたら不幸な人なんていませんよ。運自体には色も形もないものなので、なんの実感もないと思いますよ。もっとも運の臭いをかぎ取る人も、中に入るようですが」
「へえ? ま、だまされたと思って今日一日に過ごしてみるさ」
「はい、ご利用ありがとうございました。あなたが明日、笑顔でご利用して下さることを祈っております」
たいして信じても居ないけど、募金みたいなもんだ。
これでかわいい女の子との出会いがあれば、ありがたく合掌する気持ちにだってなるだろう。
昨日はその可愛い女の子に痴漢扱いされたわけだが。
そのまま10分くらい歩いていると、財布が落ちているのを見つけた。
やけに汚れた財布で、触るのもためらうようなものだった。
普段だったら見ないことにして、そのまま歩き去っていただろう。
だけど、その時はさっきのやりとりのせいだろうか。
なんとなく中身を見てみる気になったのだ。
「……マジかよ」
その財布の中には、きっかり100円玉だけがはいっていた。
一瞬感心しそうになるが、これはさっきのスキンヘッドの仕込みじゃないかと疑う。
仮にそうだとしたら、なんて暇な奴なんだ。
「ま、運なんてあるのかどうかあいまいなものを、いちいち気に掛ける必要性なんてないな」
そう、思った瞬間だった。
後ろから「危ないっ」と言う叫び声やら、女性の悲鳴。
とっさに振り向いた瞬間に、眼前に広がったのは。
俺に迫るトラック。
「——え?」
(もう買い取るほど運なんか残ってないじゃないですか~)
(運の尽きは命の尽き)
そんな……馬鹿な……。
「という夢をな、昨日見たんだよ。……スキンヘッド」
「へえ、そうだったんですか。それで初対面にも関わらず、こうしてご自分から声をかけてきたのですね」
スキンヘッドはサングラスの位置を指先で直し、ニヤリと笑った。
荒唐無稽な話だが、この男は平然とそれを聞き入れた。
「正直に答えな、俺はこのままだと死ぬのか?」
「……ええ、死ぬでしょう。悪ければ、もっとひどい事にだってなりかねません」
「もっとひどいこと?」
スキンヘッドは肩をすくめて笑った。
「実際に体験してみないことには何とも言えませんけどね、わたしも色々と悲惨なものを見てますから」
サングラスのせいで表情が読み取りずらいが、その笑みはどこかさびしげなものだった。
「で、どうしたらいい? 値段に応じた運しか買えないなら、正直じり貧だ」
自分が意識していない時にすら、運が消費されるのならどれだけ運があってもすぐに尽きてしまう。
絶対量として、どれだけあったとしても足りる気がしない。
「話が早いのはありがたいのですが、それはあくまで夢の話。そこまで信じていいので?」
「自分が目で見たものしか信じない主義だが、実際あそこまで現実と間違えるほどの夢を見て、価値観が揺らがないわけはないさ」
「自分の目で見たものしか信じない人間なんて、一番騙されやすいタイプだと思いますけどね」
「そんな御託はいい」
俺としては、自分がいつ死ぬかの瀬戸際だ。
つまらない話をしている気はない。
「では、あなたも私と同じ立場になるしかないですな」
「同じ立場、だと?」
「ええ、運の扱い方を覚えて……なんとか生き残るしかないありません」
――わたしと同じ『運の売人』として。