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壱:始まりは珈琲と牛乳で

 俺はコーヒー牛乳なるものの存在は認められん。どうせ腹ん中で一緒になるんだから、別々に飲めばいいじゃないか。


 朝日が欝陶しい。もう学校の時間になっちゃった、と悔やんでももう遅い。

 昨晩はテストがあるから、徹夜で勉強しようと思った。でも日付が変わったと気づいた途端に眠くなったから、ちょっとだけ仮眠をとろうと思った。一時間寝ても眠気が消えなかったから、朝早く起きようと思った。――その全てが失敗して、今に至る。

 ニュースなんぞ見向きもせずにうなだれている俺の前へ、淡々とおばさんがトーストやらゆで卵やらが並べていく。あと、陶器のコップに入ったホットミルクと、砂糖がたっぷり入ったアイスコーヒーのグラスを。

 え? もちろん混ぜないよ? セパレートコーヒー牛乳のままいただくのです。


「ほら見な。夜中、私が起こしたときにちゃんと起きとけば良かったんだ」


 おばさんが片眉を上げて冷たく俺を罵る。


「もう何とでも言ってくれ…」


 おばさんと言っても歳は二十五。モデルばりのスタイルの良さ、緩やかに波打つ黒髪、職業は薬剤師。容姿端麗頭脳明晰なこの人を“おばさん”呼ばわりできるのは世界広しと言えども俺と幼稚園生くらいだ。


 俺は幼少期の大半を施設で過ごした。

 施設というのは、まるでペットショップのようだと思う。

 時々痘のたった夫婦が来て、まるでわんこの如く同類たちが彼らに貰われていくのを何度も見た。

 施設内の頭数は、メンバーが入れ代わり立ち代わりながらも結構一定していた。

 ペットショップのわんことの違いがあるとすれば、貰われていく側にも選択権があることか。子供たちは同意の下で新しい親に着いていく――いやまぁ、「いやだ」なんて言ったら施設従業員に優しく優しく誘導されるんだけど。

 だから俺は、徹底的に捻たガキを演じた。こんなのを飼い主に渡したら、後でクレームがくるっていうくらいの。 そのせいで俺は施設の他の子供たちに嫌われることもしばしばだった。

 何でそこまでして引き取られないようにしたのか?はっきり言って、俺自身にもよくわからない。ただ嫌だったんだよ。

 人と人の間には、守るべきルールやら雰囲気やら、いつも一定した関係がある。“家”というものを俺が手に入れるとき、それはそんな馴染んだ人たちの間に自分を滑り込ませ、適応させるということだ。

 よく知り合う人間の中に新人が放り込まれる――多分、転校してきた子も似たような気持ちだろう。

 そんな理由をぐちゃぐちゃ考えていたわけではないが、とりあえず俺は本能的にそれを拒否した。

 しかし俺は、おばさんからは逃げられなかった。

 当時は二十歳に成り立てだったと思うが、この超絶美人が現れたとき、俺含めわんこたちは尻尾を振るのも鳴くのも忘れて魅入った。他の見学者とは違い、従業員と話をしていても子供と目が合ってもにこりともしないこの人に。

 おばさんは従業員と話をしばらくした後、真っすぐこちらに歩いて来た。

 俺は突然のピンチに冷や汗ダラダラだ。さっと身体を壁に向け、その日学校で喧嘩をして腫れてしまった頬を、氷嚢で冷やしながら三角座り。

 目の前に陰が差したのに、俺は顔を上げなかった。脚を抱え込んだまま、ああ時が来たんだ、と何となく頭の隅でもう一人の俺が呟いていた。


「似てる」


 上から降ってきた言葉が耳に落ちてきて、雨水が窓をゆっくりと伝うように頭の中に入り込み、じわじわと広がっていった。

 俺は機械でできているようにぎくしゃくと眼球だけを動かして、おばさんを見上げた。

 そしてハッとした。後々俺のおばさんとなったその綺麗な人は、施設に入って初めて表情と呼べるものを浮かべていた。


義兄にいさんに、似てるね」


 それは、はにかんだ笑顔の中にちょっとだけ憂愁を漂わせたような、何とも言えない顔だった。


 おばさんには十以上歳の離れた姉がいた。その姉が俺の母親(ということは、俺の母さんも美人だったのか?)で、おばさんとも知り合いである幼なじみと結婚した、と聞いたらしい。

 “聞いた”というのは、おばさんは小さい頃に養子に出されて、それ以降生家とすべての関係を断たれたからだ。何故かと聞いても、おばさんは答えない。わからないのかもしれない。

 もしかしたら、俺が“家”に入り込むことを恐れたように、おばさんが新しい環境から逃げられないように、逃げたくならないように、おばさんの生家はおばさんの前から去ったのかもしれない。

 でも、そこまできっぱりと子供を他所にやれるものなのだろうか? いや、俺にはわかんないけど。

 とりあえず養子に入った以降に肉親に会うことは全くなかったようだが、おばさんは姉(つまりは俺の母親)とずっと文通していた。

 携帯電話やパソコンが普及しても、ずっとアナログでのやり取りが続いたという。結婚の報告も、生家を出て夫婦での生活を始めたことも、子供の誕生の報告も、すべて手紙。

 しかしある日その手紙がぱったり途絶えて、おばさんは何十年ぶりか生家と連絡をとり、俺の両親が事故死したことを知ったらしい。

 そして大学生活が安定したとき、おばさんは今の両親に俺を引き取りたいと言って、今の生活に至る。

 なぜ俺がおばさんの生家ではなく施設にいたのかは謎だが、自分のルーツを辿ることよりも新しい家と学校に馴染むことでいっぱいいっぱいで、今でも祖父母の顔は知らない。それでも何か不自由があるわけではないから、別にいい。

 おばさんとじいさんとばあちゃんがいるここが俺の家で、それが俺の家族だ。

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