第九十五話 時と場合により傍観
「あの子の事はこれくらいにして、手始めに私は何をすれば宜しいでしょうか?」
狸が二匹狸が二匹と頭の中で考えていた私は反応が遅れ、聞き返した。
「ごめんなさい、考え事をしていて……なんと?」
「大丈夫ですか? 顔色も優れないようですが」
「えぇ、少し疲れているだけですから眠れば治りますわ」
「それなら良いのですが……」
「それでなんでしょう?」
「あぁ、私は何をすれば良いのかと」
問われ、少し考える。
リダリオスにはグランがしてきた事を聞くように言われているが、ただそれだけというのでは彼の力が勿体ない。
「フーリとグレリウスの情勢を確認出来ますか?」
「えぇ、ある程度。フーリの方は外への動きが活発化しているようなので特に気を付けた方がいいと思います」
「活発化?」
「バイヤス・グナンという名前をご存知でしょうか」
「……いいえ」
「フーリの暗部を束ねている男です。彼がこちらに来た可能性があります」
「なっ ……本当ですか?」
声が大きくなりかけ、慌てて口を塞ぎ、落ち着けてから尋ねるとグランは「おそらく」と頷く。
「外も気になりますが最大の問題は内側ですから、そちらも間合いを見つつ協力者を募ってみます」
それはこちらも願っても無いことだけれど、あまり無理な事はやめてほしい。
「グラン、無茶はやめてくださいね」
「…………ベアトリス様に言われるとは思いませんでした」
目を丸くするグランを見ると、本気で言っているらしい。
どういう意味かと問い詰めたくなったが脱線しそうなので耐える。
「……意味は聞きません。
もう一つ、調査とは別にお願いしたい事があります」
「なんでしょう?」
「これまでグランがしてきた事を教えて欲しいのです」
これには、返答までに間が空いた。
グランは意味を計りかねるように首を傾げ、またお菓子に手を伸ばす。
今思ったが、グランも甘い物好きではないだろうか。
さっきから立て続けに三つも食べている。
「私がしてきた事……と、いいますと官吏としての仕事、ですよね?
それは報告書にまとめておりますから、ノラン様の許可があればいつでもお見せできます」
「それはお話し頂けるという事ですね」
突然沸いた第三者の声に、グランは立ち上がり声のした方を振り向き身構えた。
私はといえば、声を聴いた瞬間に遠のきそうになった意識を繋ぎとめるのが大変だった。
一日のうちに二回も対するのは、ちょっと嫌だった。
グランは顔を見て相手が分かったようだが、警戒を解かない。
ティオルを見て警戒を解いたのに彼を見て警戒を解かないのは、判断基準が何かは知らないが、あながち間違っていないなと頭痛がする頭で無意識に考える。
「鍵が掛かっていたと思うのですが」
「外してしまいました」
「フェイ……外に控えていた者は」
「お休み中です」
「…………なるほど」
グランの声が変わった。
聞く者を包むような柔らかさから、首に刃をあてられているような鋭いものに。
あまり良くない状況だなと思ったが、グランに話を聞けと持ちかけた本人がここでそれを壊す事はしないだろうと思い、間に入るのはひとまず保留にした。
「ご心配なく。本当にお休み頂いているだけで危害は加えておりません。
遅くなりましたが自己紹介と参りましょう。
こうして顔を会わせるのは初めてですね。私はカルマ・リダリオス。リダリオス家の当主を務めさせていただいております」
貴族然とした詰襟の服装で優雅に腰を折ったリダリオス。
対するグランは背中しか見えなかったが、こちらもゆったりと腰を折った。
「ガーラント・パージェスが嫡子、グラン・パージェスと申します。
伯爵家御当主様がいかな理由でこのような所へお出ましになられたのか伺っても宜しいのでしょうか?」
挑発的な言葉に、リダリオスは笑いを堪えるように握った手を口元に当てわざとらしい咳をした。
「その様子を見ますと、どうやら私の素行は筒抜けのようですね」
「御前会議にすら出席しないというお話しですか? それはこの宮殿に詰めているものであればどなたでも存じておりましょう」
「私が動く時は天変地異の先触れだという噂とともに?」
「さぁ。そのような噂が流れているのですか」
藍と青の視線が逸らされる事なく正面から合わさり、異様な緊張感が場を支配した。と、思いながら私は妙に落ち着いた気持ちで二人を観察していた。
なぜこんなに落ち着いていられるのだろうかと内心首を傾げるものの、落ち着いてしまっているのでただ眺める。
「さすがご義兄弟。とぼけるのも似ていますね」
「兄弟?」
「キルミヤ殿が突然訪ねて来られたのですよ。驚きましたが興味深い方でした」
「それは……愚弟が失礼をいたしました」
「いえ、彼には助けられましたのでこちらとしては礼を言わねばなりません。あのような人物を隠し持っているとは、グラン殿もお人が悪い」
「申し訳ありません。何を言われているのか分かりかねます」
「ですが、魔導学院へ出したのは迂闊でしたね」
「…………は?」
眉を潜めたグランに近づき、リダリオスは何事か囁いた。
「――――――――――――――」
「っ!!」
目を見開いたグランは耳元で囁いたリダリオスを凝視した。
「まぁ、彼の言葉を借りれば『この世界は情報不足』。権力を持ってしても掴み切れない謎が余りあって手におえません。グラン殿も薄々気づかれているのではないですか? いずれにせよ我々が手出しする事は出来ないので大人しく帰りを待った方が無難です」
「何を知っているのですか」
「彼が隠している事は大体。グラン殿には隠し通したいようなので私からは申し上げられませんが」
「……アレに何を言ったのです」
「私は、ほとんど何も申しておりません。全ては彼が決めて彼が動いている事です」
グランは視線を落とすと額に手を当て、息を吐いた。
あぁその気持ちは分かるなと傍観していて思う。
話の内容は知らないが、リダリオスと会話していると何もかも見透かされているようで精神的にとてつもなく疲れる。
「リダリオス様がここに来られたのはベアトリス様の関係ですか?」
グランの声音が先程までの鋭いものではなく、仕事をしている時のような冷静なものに変わった。
話の内容が違うので、完全に切り替えたのだろう。
「多少」
「多少?」
「私もベアトリス様の協力者です。
先ほどグラン殿が何をされたのかお話し頂くにはノラン殿の許可が必要だと言われましたね」
「……はい」
「それは具体的な数値が報告書に書かれているからではありませんか?」
グランは拳を顎に当て考える仕草をすると、こちらを振り返った。
「ベアトリス様が知りたいと思われたのはリダリオス様が?」
リダリオスがここまで口にしている状況ではぐらかす必要はどこにもない。
私は素直に頷いた。
「はい。言われた時は何を意図しているのか分かりませんでしたが、先程の貴方の話で少し分かりました。私は力になるものなら何でも吸収したいと思います。権力も、人脈も、お金も――知識も。
ですから、具体的な値はさほど重要ではありません。『他に無い』考えで仕事をしてきた事を、教えていただけませんか」
「おや。思ったよりも理解が早かったですね」
おどけた様子で口を挟むリダリオスに、私は頭痛がひどくなる気がした。
グランがキルミヤ・パージェスの話をしたから意図もなんとなく読めたが、あの話がなければ一つも分からなかっただろう。
一人で話をつけろと言ったわりにこうして現れたのは本人も説明不足を感じているからだろうか。
「そういう事であれば、お受けいたします」
「それは良かった。ベアトリス様は兄君とは違い帝王学を学ばれておりませんからね」
「リダリオス様……さすがに私も帝王学は知らないのですが」
珍しく顔を引き攣らせたグランに、リダリオスは問題ないと首を振る。
「十分基礎は持っておられます。
さて、私の本題はこちらです」
グランの反論を受け付けず懐から紙――手紙のようなものを取り出し、それをグランの目の前に差し出す。グランはそれを受けとると、裏返した。
「学院……」
エントラス学院からだったようで、グランは封を開けた。
「屋敷に戻られないと、困っていた従者から預かりました」
「…………リダリオス様にもこれが?」
「中を拝見しても?」
「どうぞ」とグランは手紙をリダリオスに差し出す。
それを受け取り読んだリダリオスから、ふふっと笑いが零れた。
「相変わらず公平が好きですね……しかし私の名まで出しますか……」
「リダリオス様?」
「あぁいえ、私の所はこういう内容ではありませんでした。毒と棘たっぷりに叱られましたよ」
「この方とお知り合いなのですか?」
「昔の部下です。いずれ顔を合わせる事もあるかと思いますが、今は学院の監視に人手を割く必要がないことを知っていただきたくて参りました」
「こちらに専念せよ……という事ですか。わかりました。引きましょう」
リダリオスは手紙をグランに返すと、こちらに視線を寄越してきた。
これ以上まだ何か話があるのかと首を傾げていると、意味ありげにグランに視線を流した。
「ベアトリス様がキルミヤ・パージェスに興味を持ったのはグラン殿が理由ですか?」
え? という顔をしてグランがこちらを見る。
ティオルの視線も感じたので、まぁここで言っても遅い話だと思い口を開いた。
「仰る通り、グランには私が目を止めるぐらい魔術師としての素質があります。
血族であれば同じように高い素質を持っているだろうと予測はしておりました」
驚いたような顔をするグラン。
「グラン殿であれば優秀な魔術師になったでしょうに……本当に惜しい。
あ、そうです。今からでも遅くない。どうですか?」
「「は……?」」
私とグランの声が綺麗に重なった。
「お忙しいでしょうから合間を縫って伝授致しますよ」
「え……ぇえ!? リ、リダリオス様がですか!?」
驚き過ぎて声が裏がっているグランを笑う余裕は無かった。
私も突拍子もない事を言いだしたリダリオスに絶句していた。
いや、だって……貴方今まで弟子一つとらないって有名で………え? なに? そういうこと? グランを後継者にするの? それはさすがに年齢的にも遅すぎるわよ? 七年はさすがにグランには……
「あの……大変光栄なお話ですが…………私も時間的制約がありますので、申し訳ありませんが」
しおしおと頭を下げるグランに、思わず「はあ!?」と言いそうになった。両手で口を塞いで何とか出さずに済んだが、この申し出を断るのは予想外だった。
官吏よりも魔導師団員の方が権威も権限も地位も強い。『年齢的に遅すぎる』と思っていた事は別として、これまで順調にその地位をあげてきたグランなら一つの階段として選ぶかもしれないと思っていた。
けれど、リダリオスにはそれが分かっていたのか「でしょうね」と平然と相槌を打っていた。
「では、私の目的は果たせましたのでこれでお暇させていただきます」
「リダリオス様」
「はい?」
グランに呼ばれ、足を止めるリダリオス。
「繋ぎはどう取れば良いのでしょう?」
「あぁそれでしたら手紙の相手で問題ありません。ソレはしばらく学院に留まりますから」
「わかりました」
リダリオスが堂々と扉から退室していくのを見送ると、グランは椅子に倒れるように座り込んだ。
「……お疲れ様でした」
「いえ……」
何となくこぼれ出た私の言葉に返すグランの声は、力が無い。
まるで失った何かを補充するかのように菓子に手が伸び、それを二口で食べている。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「「…………はぁ」」
二人同時に溜息をついて、お互いに苦笑いを浮かべた。
「ベアトリス様もあの方を引き入れるのは苦労されたでしょう」
「苦労といいますか……そのつもりが無ければ何をしても協力してくれなかったと思います」
私のぼやきに、グランは拳を顎にあてて視線を落とした。
不意にティオルが動き、私の前に出た。その直後、
「グラン様!」
いきなり扉が開け放たれ、赤髪の男が飛び込んできた。
グランはティオルの行動に、大丈夫と手を挙げて制した。
「フェイ、何事もないから静かに」
男の方もグランの態度につられるように勢いを潜め、素早く扉を閉めると膝をついた。
「失礼しました」
「うん、構わない。私を案じてだろう? そちらは誰も負傷してないか?」
束の間、男は私とティオルを気にした様子で口を閉ざしたが、グランが促すとすぐに頭を垂れた。
「問題ありません。眠らされていただけです」
「そうか。クイネを呼んでくれ。それで今日は下がっていい」
「はっ」
男が下がるのを待って、私は男が出て行った扉を指さし訊いた。
「宮殿に私兵を入れているのですか?」
「いいえ。彼らは私の従者です」
確かに帯剣していなかったけれど、あれは従者というより騎士の動きに近い。
宮殿内に私兵を入れるのはかなり危険、要は咎められる行為なのだが。揺るぎない笑顔で『従者』と言われたら押し通しているんだなと納得せざる得なかった。
「まぁこの程度は上の方になればなるほどやっている手です。指摘してぼろを出したくないと皆口を噤んでいるのでしょう」
規律も何もあったものではないわね……
嘆息しても仕方がないが出るものはどうしようもなかった。
「クイネを付けますので、二日程街に潜んでいただけますか。今私が掴んでいる情報は彼に聞いていただければ分かります」
「助かります」
控え目なノックが割って入り、グランが応じると細面の男が入って来た。
「ベアトリス様、繋ぎもこのクイネをお使いください」
「クイネですね。よろしく頼みます」
のっぺりとした顔の男は、面に表情らしきものを一つも浮かべず頭を垂れた。
ティオルのようでいて、ティオルとは違う表情に、男が影の存在なような気がした。
「パージェス殿」
「グランで結構ですよ」
「……グラン殿、こちらは表を通って来てはいない身だ」
固いティオルの口調に、確かにクイネを伴って脱出路で戻る事は出来ないと気付く。
「場所を決めますのでそこへ来ていただける?」
私の提案に、クイネは無言のまま首肯した。
私とティオルは先にクイネに行ってもらう事にして、グランにも部屋を出てもらいまた脱出路に戻って街を目指した。
その道すがら、おそらくここでしか聞けないと思って前を歩くティオルに尋ねた。
「この通路、普通ではないですよね? 三階に昇ったのに階段もスロープもありませんでした。
それに私が触れても壁は消えませんし、何の反応も示さないのに、どうやって道を開けているんですか?」
「起動に必要な鍵がある。ここは通路であって通路でない」
「言葉が必要という事ですか? 通路でないというのは?」
ティオルは足を止めると、側面の壁に手をついた。
その瞬間、黒かった壁が消え去り、白一色の広い場所となっていた。
唖然として見ていると再び元の通路に戻り、ティオルも手を離した。
「通路に見えるよう認識設定されている。元はさっきのような所だ」
「…………魔術……なんですよね」
「環境設定を基礎とし恒常的に機能する。手順外の侵入に関しては迎撃が働く」
「どうやってこんなものを管理するんですか……」
「管理空間がある」
手のひらを出されたので、それに自分の手を重ねるとティオルは呟いた。
「8ac7979d8ed2:grandal_everce」
今度ははっきり聞き取れたけれど、言葉として聞き取れなかった。
起動に必要な鍵というのは魔術で使用される口頭契約の言葉でないらしい。
考える間に再びあの白い空間に変わって――違った。白い空間ではなく、壁一面が細かい文字でびっしりと埋め尽くされ、それが発光して白く見えている場所に来ていた。
「ここが、その『管理空間』というところですか?」
ティオルは壁の一面を指さした。
「あそこに庇護対象を記載すると、その者は起動の鍵なしに道を使える」
あそこと言われても、よくわからなかった。
文字自体も見たことがない字体でどこからどこまで一つの文字なのかもわからない。
「記載されている人の名前がわかりますか?」
「ない」
「……読めない?」
「いや、記載がない」
「…………誰も?」
「ない」
宝の持ち腐れ。そんな単語が頭に浮かんだ。
もっとも管理されていない、放置されているという話だったので、予想してしかるべきだった。
「書くか」
「私をですか? ……それは止めておきましょう。誰がここの存在を知っているのかを把握してからでないと迂闊だと思います」
「そうか。89f095fa」
ふっと辺りが暗くなり、目を瞬かせると元の通路だった。
「ティオル、ここの管理方法を教えてもらえませんか」
「考えておく」
エバースの中でも一子相伝のものだろうから、即答は期待していなかった。
私は「お願いします」とだけ言って、クイネとの待ち合わせ場所に向かうべく足を動かした。