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第九十二話 親離れ子離れ

 でかい声出したのはお前が先だろ。とか、砕かれそうな勢いで顎を締め付けるその手は最初に勢い余ってかなりの力で口を塞いだ仕返しか。とか、レースと俺で態度違い過ぎない? とか、言いたいことはいろいろあったが騒がず慌てず抵抗せず、両手を上げる。


 昔ながらの降参ポーズ。俺とグランとでは『言うとおりにする』という暗黙の意志表示。

 グランはお手上げした俺を見て「少し待て」と言い、隣の部屋へ姿を消すとそちらに控えていたフェイと二三言葉を交わしすぐに戻ってきた。

 俺とグランの顔を見比べているレースをさっきまで自分が座っていた椅子に座らせ、その手にお菓子を置くと俺にもう一つあった椅子を勧めてきた。俺はそれを断り脚立に腰かけると、グランはため息をついて俺の手にも菓子を置き、椅子に座った。


「お前が何か隠しているのは昔から感じていた。

 父上が倒れたのもそれに関わるのだろうと思って知らせなかったが……」

「知らせろ。そこはまじで知らせろ。おっちゃんが倒れるなんてよっぽどだろ」


 思わず突っ込む俺。


 おっちゃんは昔から風邪ひとつひかない健康優良児並みの健康体だ。

 いい歳ではあるけど太っても無いし動きも軽やかだし、生活習慣病とは無縁そうな人だ。

 倒れるなんて、そんな事を考えた事もなかった。


「ああいう仕打ちを受けて、どうしてお前はそんな事が言えるんだ」


 呆れた口調で言うグランに俺も呆れた口調で返す。


「おっちゃんが何かをさせたって事は無い。それと仕打ちとかそんなもんは何も受けてないって何回言えばいいんだよ」

「主家を厭う使用人を放置され食事も満足に与えられずに、それでも何も受けてないと言うのか?」

「だーかーらぁ。避けるのは仕方がないだろ? 誰だって異質なものは怖い。それに食べるものだって財政状況を考えれば」

「違う。お前こそいつまで勘違いしているんだ。うちの財政はお前が七つになった頃には持ち直していた」


 …………え。


「そなの?」


 素で聞くと目の前で魂まで出しそうな深い溜息をつかれた。


「その時の手腕が認められて、私に出仕の話がまわってきたんだ。本当に気付いていなかったのか?」

「……すんません。全く」

「お前は興味が無いとそれだからな」


 胡乱な目を虚空に向けて呟くグラン。


 いやぁ興味が無かったわけじゃないんだけど、俺も世話になってたから多少はお役に立てればと思ってたけど、家の仕事に関わったら駄目だろうと思って近づくのを避けていたのであって……って、脱線してる。


「それより、おっちゃんは大丈夫なのか?」

「翌日には起き上がっていた。医者が言うには精神的なものらしい。

 問いただしても何一つ言おうとしないから詳しい事は分からないがな」


 『何か知っているんだろ』という視線に、俺は戸惑いながら首を振った。


 俺の事情をおっちゃんに言った事は本当に無い。

 可能性があるとすれば、おかんが残していた手紙ぐらいだが、俺はそれを見たことがないから何とも言えない。


「俺の事を一番知ってるのはお前だろ? 伊達におむつ変えてもらってたわけじゃないからな」

「伊達にって、それは私が言うべき言葉じゃないのか?

 お前は……パージェスを出てもちっとも変わらないな」

「んなもん変わるかよ」


 紙包みを開けて出てきたのはマドレーヌに似た焼き菓子、クァッサン。

 グランが中央に行った頃からよく土産に貰っていたそれだった。


 もう命綱ってわけじゃないんだよなぁ……これも。


 焼き菓子を頬張ると、馴染んだ味に頬が勝手に緩む。

 純粋に菓子を楽しめるのは嬉しい。菓子に限らず口にするものは全般、命綱だった。持ち運びが出来て、ある程度保存期間があった菓子は命綱の中でも特別。うまうまと味わって食べる暇もなく飲み込まなければならない時もあって、何度作った職人に謝罪したことか。


 もごもごしながら顔を上げると、意外そうな顔をしたグランと視線が合う。


「飽きたのか?」

菓子(クァッサン)? いや。好きだよ」

「……大抵一口で食べていたから」

「大人の階段を上ったのさ」


 ゆっくりと菓子を味わいながら哀愁漂わせて言ってみたら噴出された。


「本当に……お前は変わらないなぁ。あれだけ貴族の子息が集まる学院だというのに」

「たかだか数ヶ月で変わんないって。第二次反抗期も過ぎちゃってるんだから、人格形成はもうほとんど終了。あとは歳を取るごとに頑固になっていくだけだよ」

「既に頑固だろう」

「えぇ~、そう?」


 グランは笑って足を組み椅子の背にもたれた。


「違うというなら、学院で何があったのか話してみろ」

「あぁそれはさすがに言わなきゃならないと思ってる」

「珍しい」

「俺は別に秘密主義者ってわけじゃないよ。聞かれれば答えてるだろ?」

「全てではないがな」

「はっはっは。さすがグラン」

「いいから話してくれ」


 ちゃちゃ入れたのはそっちなのにと口を尖らせて視線をずらすと、所在無さげに菓子を持ったままのレースが視界に入る。食べても大丈夫だよとジェスチャーすれば、レースは再び俺とグランの顔を見比べて、ゆっくりと菓子の包みを開け始めた。


「話すけど、野戦の時だけでいいよな?」


 怪訝そうな顔をするグランに、俺は『またまたとぼけちゃって~』と手を振って見せる。


「入学してから三日ぐらいか? 人を置いただろ?」

「……気付いていたか」


 俺はトントンと自分の耳を指で叩いた。


「これがなくて、どうやってお前の居場所(ここ)を探ったと思ってるんだよ」

「そうだな……」


 思案するように組んだ手に顎を載せ、視線を落すグラン。


「って事で野戦の時だけど、学院から何か説明来てたりする?」

「いいや。大した事は何も。火災があったということと負傷者は出なかったという連絡だけだ。お前ともう一人が行方不明になっている事は関係者だけに知らされたが、詳細を求めても応答は無い。どころか、学院長が雲隠れしてその後一切進展なしだ」


 さすがにアレを学院側の誰も知らないという事は無いだろう。

 雲隠れしたという学院長はたぶん知っているんじゃあないだろうか。それなら火災以上の説明が無いのも、行方を勝手に晦ました俺達について情報が流れないのも頷ける。何せ学院側に説明なんて一切せずに出てきてしまったのだ。フェリアがやってくれているかもしれないが、重要参考人である俺と少年を確保しなければ明確な事は判断出来ないだろう。何で雲隠れしたのか知らないが、案外俺と少年を探してたりするかもしれない。


「とりあえず火事があったのは本当。

 山火事の勢いだったから随分すごい事になったけど、負傷者が出なかったのも本当。一人を除いて。

 それが行方不明の片割れ。俺はそいつを運んでここまで来たんだ」

「学院に任せなかったのか」

「緊急だったからなぁ。俺も動転しててまともな状態じゃなかったし。

 で、そのまま学院を出ちゃおうと思って報告に来た」

「なにが『で』だ。お前の耳の事は誰にも気づかれていないんだろ? ベアトリス様までお前を気にかけてくださっていると聞くぞ」


 ほんっとーに、こいつはしつこいな……


「どうせお前が俺の存在を仄めかしたんだろ。

 だいたい何度も何度もなんっども言うけど、俺は肩書や名声が欲しいわけじゃないんだって」

「……私はもう力の無い子供ではない。お前が行動を制限するような事は」

「はいはい毎度毎度それはもう平行線。本題はここからだから」


 俺はなおも口を挟もうとするグランの言葉を遮り、黙らせる。


「一つ、頼みごとがある」


 グランは心の底から驚いたという顔をした。


「たの……み、ごと? お前が? 私に?」


 驚いたままレースに流れた視線に、慌てて手を振る。


「あ。その子の事じゃないから。その子はただの迷子。これから送ろうとしてるとこ」

「迷子って……お前、何をしているんだ」

「まぁまぁ。『ジャジェス』『バイヤス』この二つの名前に憶えは無いか? 前者は語感的にフーリかジンバルの北あたりの人名だと思うんだが」


 グランは口元に手を当て目を細め考え込むが、やがて首を振った。


「……いや。憶えは無い」

「そっか。まぁ……大丈夫だと思うけど、屋敷の警備に気を付けて欲しいんだ」

「警備? 何をしたんだ」

「偶々居合わせて、襲われてた奴がいたから首を突っ込んだ。その相手が特定出来なくて、どうも組織的な相手らしいから……悪い」

「わかった。ちょっかいかけてくるのは一つや二つではないからな。負担ではない」

「本当に悪い」


 俺は脚立から降りて、グランの前で頭を下げた。


「それから、もう一つ。屋敷の北にフェレン山脈に続く山があるだろ?」

「あぁ」


 下げたままの頭に、静かだが動揺したままの声が降る。


「その山の麓に地元じゃ奇形岩って言われてる岩がある。その岩に左手をつけてぐるっと回ると正面に穴が開くんだ。その穴の中にあるものをおっちゃんに渡して欲しい」

「父上に?」

「そう。当主様(おっちゃん)に」

「……それは…………私達と縁を切るという意味ではあるまいな?」


 震えた声に、俺の口の端は自然と持ち上がる。


 あぁ鋭いねぇ。さすが俺を育ててくれただけはあるよ。

 今まで頼みごとなんてした事なかったもんなぁ……変だと思うか。


「学院が嫌だったのか?」

「いいや。そこそこ面白いと思ったよ。おせっかい青年とかツンデレ坊ちゃんとか……俺にはもったいない場所だと思った」

「パージェスの居心地が悪いからか」

「そうじゃない。そうじゃなくてだな、離れないと……」


 いつか皆が殺されるんじゃないかと思って

 だけど、あの体力で外に出ればすぐに死ぬとわかっていて


「キ………ミア?」


 己可愛さに危険を承知で残り続けた


「離れないと、ニート街道まっしぐら。学院に居ても結局、お前の手の中だから変わらない。どんどん怠け者になっちゃうんだよ」


 狸の言葉そのまんまなんだよなぁ……


「何を考えている」


 俺がにへらっと笑って顔を上げると、険しい顔をしてグランは立ち上がり――


パシッ


 俺は飛んできた拳を握り込み、貫いてくるようなその視線を受け止める。

 頬には幸い、いつもの緩い笑みが残ってくれていた。


「お前はっ、お前は……どうして何も言ってくれないんだ」

「ちゃんと言ってるだろ。俺はいつだって背で語る渋い男を演出してるってのにスルーしてくれたのはそっち」

「だから! そうやってはぐらかすな! 私はそんなに頼りにならないのか!」

「何言ってんだよ。出世街道まっしぐらの奴が頼りにならないなんて」

「やめろ!」


 至近距離で見る藍は怒りに染まっていた。


「私はっ……私は、お前がずっと怯えていたのを見てきた。何に怯えているのか、何を恐れているのかずっと調べていた。財政を立てなおしたのも、幼いお前の傍を離れ官吏になったのも…………」


 俺を守るための力を欲して、かぁ……


 俺は片頬で笑ったまま、グランの額に手を伸ばし――


べちん!


「っ!」


 デコピン喰らったグランは両手で額を抑え、よろよろと後ずさった。

 動揺したそこをついてさらに額を押せば、難なく椅子に座らせる事が出来た。


 椅子に据わったグランを見下ろし、俺は尋ねる。


「なぁグラン、俺は今いくつに見える?」

「……何を言ってる」

幼児(おさなご)に見えるか?」

「…………」

「俺だって、いつまでも何も出来ない子供でいたくはない。

 それに今までどれだけ俺がお前に負担をかけていたのか自覚してないわけじゃない」


 俺はグラン以外の手を拒絶し、まだ本当に小さかったグランに慣れない(赤子)の世話をさせてしまった。

 あの頃の記憶はかすれ気味だが、覚束ない手つきで世話をしてくれたグランは覚えている。


「負担だと思った事はない」

「だとしても、俺は苦労をかけたと思っている。これ以上、俺のせいで苦労して欲しくないとも思っている」

「思った事はないと言っているだろ」

「だとしても、だ。

 お前は真面目すぎるんだよ。もっと思うままに生きて欲しいんだよ。知ってるか? 人生って一度だけで、取り戻そうと思っても取り戻せないんだよ? もっとこうすれば良かったって後で思っても遅いんだよ? どれだけ後悔しても……本当に手が届かないんだよ」


 震えそうになった声を腹に力を籠めて支え、凄んで見せる。


「俺はさぁ……おっちゃんとこに引き取られて、お前に育ててもらって、十分幸せなんだよ。

 それ以上なんて望みようがないんだよ」


 グランに対して、俺は何も望んでない。


 言外にそう言うと藍から怒りが抜け、代わりに哀しみが過ぎった。


「私はもう必要ないのか」

「…………いい歳して、子守が必要だなんて笑い種だろ?」


 肩を竦め、苦笑して見せる。


「そうか……」


 ポツリと言ったグランは、虚脱したような顔でぐったりと椅子にもたれた。


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