第八十七話 もしや一番チキンなのって
「いい。ミンナ、あなたは本質を忘れてしまってるって言ってる。きっと本当の名前言えない」
俺とは違い、固い口調で距離を取り、拒絶するようにレースは答える。
その態度に背の少年は一向に構う気配はない。
「精霊が………そうですか。教えてくれてありがとう」
いつも通りの口調で温度差も何のその。礼を言っている。相変わらずの鋼の精神だ。
「……お礼言われる事、してない」
「いえ、僕の気持ちですから………強制するのも失礼ですね。
二三質問したい事があるのですが、いいですか?」
益々表情を硬化させていくレース。
「……………なに?」
「あなたの言う、ご子息様とは里長の子という意味ですか?」
レースはぴったりと口を閉ざして、解答する気ゼロを表意した。
しかし少年はじっとレースの言葉を待っている。
歩く音だけが残り、静かな戦いが開始された。
俺はぼけっとしながら山並みに目をやる。日本で良く見ていたなだらかな連なりではなく、天を貫くような猛々しい様は大陸のヒマラヤ山脈を思わせる。遠目でぼんやり見てもそうなのだから、近くで見ればさぞや迫力がある事だろう。
これまで国外の侵攻をその険しさで阻み、超えようとする者には死の息吹を与えると恐れられる数少ない白地地帯。俺が感じているこの大陸の七不思議の一つでもある。
もうちょい正確にいえば、あの山脈自体が七不思議というわけではなく、この大陸には数えるしか白地地帯が無いという事が七不思議なのだが、どっちでも同じようなものだろう。
そういえば、あの山脈はどれぐらいの標高があるのだろう? 海まで出て行った事がないのでこの辺の仮想水面がどの程度の高さかよく分からない。山の国と評される事もあるので、海抜ゼロ地帯という事はないだろうが…………
………いつになったら戦局に変化が出るんだよ、君らは。
レースは硬化させた態度の上にハリネズミのような棘を装備して少年を威嚇している。
少年の方がどんな顔をしているのか見えないが、気配はちょっとだけ固くなっている。
ってか、少年。なんでそんなにムキになってんの。どっちかっていうと君は深くは突っ込まないタイプじゃないの。
このまま擬似冷戦を背中でされるのも疲れるので、邪魔かなぁと思いつつ俺は口を開いた。
「たぶん、長の子という意味であってるよ。ご子息様っていうのは、俺のおとんが先代の長だったからみたい」
「ご子息様!?」
途端、レースが反応してくるが俺は薄っぺらい笑いを浮かべた。
「まぁまぁ、俺は君たちの事を知らないから不利になるような事はたぶん言わないよ」
「あたしたちじゃなくて、ご子息様が!」
「あぁ俺ならいいよ。少年ならもう今更何を隠す? って感じだし」
「でも!」
陰険狸のせいで過去を暴露された俺に隠すものなんてほぼ無い。
「あなたの里に、掟はいくつありますか?」
「…………たくさん」
「なら外の民との婚姻は認められていましたか?」
「ない! 外の人は危険だって言われてるから誰もそんな事しない!」
だよねー。
想像通りというか、お決まりのパターンというか。
乾いた笑いが出そうになっていると、左肩に手を置かれた。
その手の温もりに『まさかまた何かしてんのかお前!?』と思ったが、ただ手を置いているだけのようで安心した。また力を使うような素振りを見せれば会話したかろうが嫌がろうが強制的に眠らせる。
「あなた方にとって、外がいかに危険かは僕にも分かります。隠れていた方が穏やかな暮らしが出来ると理解も出来ます。けれど、外の民全てが危険だという考えには同意しかねます。あなたは彼が危険だと思うのですか?」
あ、そっか。俺、おかんが外の人間だから緑の民からしてみりゃ外の人間だわ。
少年の指摘で今更ながらに俺は首を傾げた。
いくらおとんがそうだったとしても、掟まで存在している種族がそれだけで内側に入れるわけがない。
それをどうしてレースは――
「ちがうっ、ご子息様は外の人じゃない!」
違うと思っているわけか。それとも違うと言い聞かせているのか。
「違いません。彼の髪の色を見ていてそんな事が言えるのですか?
あなた方は誰もが緑を有しているのでしょう? 他民族での婚姻を是としない掟があるのならそれは今でも変わりがない筈です。けれど彼にはそれが無い。それどころか、あなた方にはない青を持っています。その意味が分からないという事はないでしょう」
「ちがうちがうっ!」
「あなたは彼に何を求めているのですか」
「あた……あたしは! あたしは――」
喘ぐように口を開き言葉を求めるレース。
対照的に、少年からは冷気っぽいものが漂って……
…………え、え? なに? 少年キレてんの!? 何に!? どこに!? どっか少年にとっての禁句とかあったの!?
まてまて。少年がキレる時っていったら、ほら俺がふざけてた時とかはぐらかした時とかだったから、多分今回も――――無いよ。ないない。今回俺かなり真面目だよ。真面目に猿を抑えてるよ。レースも真面目に威嚇してるだけだよ。どこに要素があるんだよ。誰か解説してくれ。もしくは俺にエスパーの能力をくれ。
冷静なふりして焦っていると、都のすぐ近くまで戻ってきている事に気付いた。
「はいはーい。二人とも注目~」
二つの視線が俺に刺さる勢いで向けられた事を感じて、冷や汗掻きながらくいっと顎で前方を示す。
「もう都に着いちゃうからその話題はお預けって事でいいかな?」
俺の提案にレースは何も言わず、少年は小さく息を吐いて俺の肩を軽く叩いた。
了承の意に、俺は肩の力を抜いてレースに声を掛けた。
「レース、行くとこ………はい。無いんだね。分かったから下唇噛まない泣かない。少年冷気出さない」
「あなたは分かっているんでっ」
俺に届く様に囁く少年に、俺は軽く頭を振って後頭部で少年を頭突きした。
少年は声を途切らせ声もなく呻いた。
「何にキレてんのか知らないけど、世間知らずのこんな子供を放り出してみろ、餌食にされるぞ。それに緑の民の事を知ってる奴に見つかったら事だろ」
「あのですね、もう少し自分の事を考えてください。抑えられるんですか」
「おぅふ。痛い事を。相変わらずぐりぐり真実を抉るね」
笑っていると、盛大なため息をつかれてしまった。
少年、今『こいつ何も考えてない』とか思っただろ。それはちょっと失礼だぞ。
俺だって考えるときゃ考える。考える事は数える程度しかないけど。
「まぁ大丈夫……かな? ちょっとやりたい事も出来たし、それ考えればたぶん大丈夫」
「やりたい事?」
「内緒」
また溜息つかれた。しかもさっきより大きい。
何故だ? 何故俺の方が悪戯を考え付いた子供で、少年の方がそれを見守る保護者的な構図になっているんだ!?
「―――やめよう。突っ込んでも自爆しかねん」
「は?」
思わず口に出てしまっていたらしい。聞き返す少年に、俺はふっと大人の余裕を見せて笑った。
「………大丈夫ですか?」
本気で心配されたよ……背負ってるから顔も見えないのに……
泣きなくなってきた繊細なハートを虚しく自分で励まし、外門に設置されている通行監査の詰所の前に並ぶ。並んでから、俺はとある事を思い出して隣のレースを見た。
「レース、身分証持ってる?」
帰ってきたのは疑問の顔。
全ての街、村に設けられているわけではないが、こと王都に関してだけは通行はかなり厳しい。
依頼を受けて外に出る段階でそれに気づいた俺は、本当にリットの証があってよかったと姉御に感謝した。
王都に出入りする為には身分証明が必要となり、その役目を担えるのはリットの証、各町村の代表者の一筆、または貴族の紹介文。
国外の人間はリットの証で身分を証明し、その中の一部例外である行商は貴族に紹介文を頼む。国内の人間であればほとんど苦労する事もなく、代表者の一筆で事足りる。
で、レースは国外の人間なので身分証明となればリットの証か貴族の紹介文だが、無いときた。
「降ろしてください」
考え込んでいた俺に少年は言ったが、俺は即答した。
「駄目」
「ならこの外套を彼女に渡してあげてください。目くらましを掛けているんでしょう。一人で歩けば」
「駄目」
「………何か、あったんですか?」
言うべきか……?
ちらっとそんな事を考えたが、俺は首を横に振った。
今は余計な事をこいつに言うべきではないだろう。言う相手は他に居る。
「お前が目立つだろ。ここで覆面フードになられても……そういやよくそんな不審者丸出しの恰好で出てこられたな」
「リットの証で一定以上の等級保持者は詮索されないものです」
それ、力技って言いませんか……?
いかん。なんか少年のタイプがまたしてもわからなくなってきた。気にするな俺。気にしたら負けだ。
「ご子息様?」
どうしたの? という視線を下から向けられ、曖昧な笑みを浮かべてしまう。
「あたし……なにかいけない事……」
「ちがうちがう。そうじゃなくて、ここを通る為には身分証明が要るんだよ。だからレースをどうやって隠そうかなぁっと……」
外套のような物質に対して目くらましを掛けてもらう事は可能なのだが、人といった生き物に対してはまだ成功していない。どうも俺が指定したい個人を精霊はなかなか特定できないらしく試しにやってみたら、掛かった人間全員が自分以外の人を認識出来なくなってしまい、露店が立ち並ぶ通りがぷちパニックに陥った。それに気づいてすぐさま解いてもらったので、白昼夢として処理され事なきを得たのだが、ここでそれをやってしまえば事件として捉えられるかもしれない。
こうなったら最終手段、夜間飛行で行くか? 外套のように物質があればまだ――
あるよ。少年の外套借りたらいいんだよ。ちょっと時間掛かるけど並びなおせばいいんだよ。
「それなら平気」
列からそっと離れようと思ったら、出鼻を挫かれる形で自信満々レースに言われた。
世間知らずのひっきーな種族に自信満々に出られても不安にしかならない。
「何をす……?」
尋ねようとしたところで、いきなりレースが歌いはじめた。
小さな声で少女特有の高めの声で同じ旋律を繰り返す。そして同時に、ふわりと少女の裾が翻り精霊が舞っているだろう事が見て取れた。
つまり、これが魔導?
って、よりにもよって歌かい。
一瞬毒づきそうになりながら、少年に「これって魔導?」と尋ねると、微妙な間を置いてから「一応」という答えが返ってきた。
「本来の魔導には言葉も型も無いので……ですが、精霊の力を借りて行っているのは確かです。約束の言葉を使っていますし、効果も問題ないと思います」
「約束の言葉?」
「以前、あなたに向けられる精霊の祝福を抑制した時の事を覚えていますか?」
「あぁ」
「あの時、僕が使用していた言語が約束の言葉と言われるものです。精霊の言葉とも言われ、同調力が低い者が力を借りる時に使っていたものです」
「へぇ……音がシィール語に似ているんだな」
「あなたは………時々怖くなりますね。言われる通り、今のシィール語は精霊の言葉から派生したものです。魔導の力を持つ人種が多かった地域で日常的に力を取り込もうと試みられ変化していきました。一部誤解されて魔術の中に形態として取り込まれたものもありますけれど」
あっさりと少年は教えてくれたが、この話、言語学者に教えてやったら涎ものだ。
今の歴史は千九十年前の最古の書を起源としている。実は最古の書じゃないと密かに思っていたりするけど、まぁそれは今はどうでもいいとして、それ以前を古代と呼称しその時代のものはほとんど何も残っていない。
俺にとっての七不思議第二弾がこれなのだが、少年の知識はどうやら古代にまで伸びちゃっているらしい。シィール語も、そしてラドルゴ語もファス語も、大陸言語と呼ばれるものは全て、その古代から存在しているので。
「よく知ってるな、そんな事」
「旅をしていればそんなものですよ」
なんて世間話をしていたら俺達の番となり、俺が最初に証を見せ兵士に確認してもらう。次に少年が証を渡したのだが、一瞬兵士は反応に遅れ、今気づきましたという顔で少年を見て証を受け取りチェックして俺と同じように少年に返した。
そしてレースは、歌いながら兵士の目の前をガン無視して行った。
……あの子、結構いい度胸してない?