第八十六話 御しきれない感情
「あのねぇ、俺は君の言う先代様どころか緑の民の事も何も知らないんだよ?
里に戻るとかそんな話をする以前に、どうして君は俺の事を知ってるの? 人違いとかしてない?」
何とか落ち着いたらしいレースに聞けば、あっさり首を横に振られ否定された。
「ううん。ご子息様はご子息様だよ。目がそうなの」
「目?」
「長様はみんな紫の目をしているの。ずっと前にね、最後の紫の民を長様のご先祖様が助けて、それから目にその色が出るようになったんだって」
「………へぇ、長様は『紫の目』なんだ」
レースが俺の言葉に含まれたニュアンスに気付いた様子はなかった。
「それにね、ミンナがそうだって教えてくれたの」
「ミンナって、精霊?」
「うん」
って事は、本当にその『先代様』とやらがおとんか。
なんかもー……何やってんのおとん。と、言えばいいのだろうか俺は。
これってアレだよね? おかんは巻き込まれた系だよね?
「はぁ………」
「ご子息様、先代様に会った事が無いって……それにあたしたちの事を知らないってどうして?」
「えあ? あぁ……そりゃ俺が生まれた時、おとんは居なかったんだよ。
それから一度も会った事ないからたぶん死んでるんだろうな。唯一の情報源と思われるおとんがそれじゃあ、君たちの事も知りようがないだろ?」
「だろうって……先代様がどうなったのか、知らないの?」
「どういう意味?」
「先代様は外の人に殺されたって、あたしたち聞かされて、だからあたしご子息様に――」
「はあ?」
口からこぼれ出た俺の素っ頓狂な声に、レースは言葉を途切らせた。
あ、いや、レースに対してじゃなくて、そんな事を言った奴に対して呆れたわけで…………すいません。何でもないっす。涙目にならないでください。
だってさー、外の人ってつまり緑の民じゃない人って事でしょ? 状況判断しか出来ないって言ってもさ、あの声の主がその辺の奴に殺さるわけがないって思うんだよ。
おとんは間違いなくおかんと、おかんの腹に居た俺を守ろうとしていた。じゃあ何から? って、そんなもんおかんを殺したのは誰だよってわけだ。
「わるいわるい。えーと、予想外だったからびっくりしただけ」
「む、無神経な事言ってごめんなさい。知らないなんて思ってもみなかったから……」
レースは自分のセリフの内容に気付いてか、おどおどと謝った。
こちらとしては緑の民がどういう認識で見ているのか分かるのでむしろ大歓迎なのだが、人の生死が話題ともなれば、年頃の少女を誘導して口にさせるのも気が引けてきた。
聞きたい事は腐る程あるのだが、何から始めればそれとなく聞き出せるだろうか。
様子からして、おかんを殺した相手を知ってはいるが、その事自体を知らないのだろう。下手にその辺りに勘付かれても面倒なことになりそうで避けるべしと本能が警告する。
どうやって引き出すかなぁと考えているうちに雑木林を抜けて街道を進み、都が見えてきた。その間レースも押し黙ったままで、よっぽどさっき言った事を気にしているようだった。
「………里ってどこにあるの?」
「里は………出ちゃったから、すごく遠い」
とりあえず、これだけ聞ければいいかと思って口にすれば、ものすごく曖昧な答えが返されてしまった。
最初っから感じてはいたが、どうにもこの子は要領を得ない話し方をする。
俺もそういう話法を使う事は多いが、この子の場合は天然でソレなので突っ込んでも疑問符で返されてしまうだろう。対処法としては推論を重ねて誘導するという、考える事が億劫になってきた俺には拷問のような方法しかない。
でもやる事ないし暇つぶしにはいいかと頭を回転させて考えてみる。
「出たら遠くなるって、位置としてはこの辺りだけど入るのに道があるってこと?」
「うん。ミンナが里を隠してくれてるから、決まった道を通って行かないと帰れないの。だから外に出る人はミンナが見える人だけって掟で決まってるの」
「……え? あれ? 緑の民ってみんな精霊が見えるんじゃないの?」
「それはもう昔の事だよ」とレースは小さく笑った。
「今はね、精霊が見える人は少なくなってきるんだよ。
精霊が見えて声が聞けて、お話し出来る人はもっと少ないよ」
そりゃ……意外。少年でも知りえない事があるんだな。
「じゃあレースはその少ない内の一人?」
「うん。そうじゃないと里に戻る道が分からなくなっちゃうから。
……本当はね、里の外に出る事を許されているのは長様だけなの。長様だけは、この世界を見るために外に何度か出てるの。戻るのはいつも半年ぐらいしてからで、戻られた時は決まって外は危ないよって」
レースはちらっと少年を見て、複雑そうな顔で俯いた。
あぁ警戒してるんだな。と思ったものの、あんまり俺の心は動かない。
所詮この少女は俺にとって見知らぬ存在で、少年は俺にとって………恩人?
恩人で間違ってないけど……なんかそれも違うような……
「その人、危なくないの? たくさん血の匂いがするんだよ?」
頬を少し強張らせ、俺の反応を確かめるように尋ねてくるレースに、一時思考を中断して意識を戻す。
「血が穢れだっていう発想もわかるんだけどね、怪我人に向かってそういう発言は駄目でしょ」
俺は苦笑して、敢えてそう答えた。
「……でも、怪我人だからってだけじゃないから……」
反論するレースに、やっぱりなぁと思う。
単純に『匂い』ってわけじゃないんだよなぁ。
俺が感じたのと似たようなものを感じているんだろう。そっちの感覚が意識の前面に出ちゃってると。
でも、本質的なものはその辺の子と変わらないような気がする。
「じゃあ見捨てる? 目の前で倒れてる子が居たら見捨てられる?」
「………でも」
試しに軽く投げかけてみたらレースは目を泳がせ、手をせわしなく組み替えた。
「そんなに深く考えるような事じゃないよ。
って言っても君みたいな子が同じ事をすれば止めるかもしれないけど」
おろおろする姿に笑いそうになりながら、手を振れないので首を振る。
「俺はあんまり考えるのは得意じゃないんだよね……だから、みんな楽しかったらそれがいいなと漠然と思うだけなんだけど」
俺の言葉に、ハッとしたようにレースは動きを止めた。
「みんな? ………それ、あたしたち……も?」
赦しを請うような視線に再び晒され、蓋をしていた感情がぞろっと顔を覗かせた。
咄嗟に返す言葉が出ず、外れかけた蓋を戻しているとレースの顔色が段々と悪くなっていた。
「……やっぱり、あたしたちは………生きてちゃ駄目なの? ご子息様もそう思うの?」
「あ、いや……そうじゃなくて……」
やっぱり、その色を持っている相手にそういう視線を向けられると感情の方が刺激されて碌な事にならないようだ。
息を詰めるレースの様子に、己がどんな貌をしていたのか考えるのも怖くなってくる。
「あー………うーん………なんていうか、首輪に繋がれてない猿が暴れまわるというか、いう事をきかない部分があるというか、いやいや分かってるんだよ。君はあいつとは違うって。分かってるんだけど、まだまだ俺も未熟者って奴だね。俺の考えは最初に言った通りだから気にしないでくれると助かる――」
笑って誤魔化してみようとしたとき、背中の少年が身を強張らせたのを感じた。
俺の背から飛びのこうとする動きがあったので、思わずにやりと笑ってしまった。
「少ー年? この状態で俺が降ろすと思ってないよね?」
「……………………………………………………………何を、したんですか」
動かない身体に焦るかと思ったが、少年は冷静そのものの声音で尋ねてきた。
しかし粘ったな、こいつ。間があき過ぎだろ。
「身体に寝ていてもらってる状態。正しくは脳かな? 半覚醒に近い感じ。気持ち悪いとか変なものが見えたりしてない? 一応自分で試した事があるけど個人差あると思うから」
「…………………ありません」
溜息混じりに言って、少年は諦めたようだ。
「悪い。俺だけだと何しでかすか分からなかったんだ。嫌だろうがもうちょっと我慢してくれないか」
本音を幾分混ぜて囁くと「緑の民ですか?」と問われ、肯定する。
「………大丈夫ですか?」
「少年……それはこっちのセリフだから」
「目に見える傷など時があれば癒す事が出来ます。目に見えないものは……傷ついている事さえわからない」
「…………………」
囁かれる小さな声が、俺には大きくて、どう返していいのか分からなかった。
軽口を生み出してきた口が今回は一つも動かず、傍らで不安そうに俺を見ているレースに気付いていたがそれに反応する事も出来ない。
「彼女と話をしたいので解いてもらえませんか」
「……いいのか? その子はお前の事を――」
「構いません。僕が血を浴びてきたのは事実です」
…………うん。だよな。お前はそういう奴だよな。
「降りないでくれよ?」
「はい」
俺は周りの精霊に、少年にかけている金縛りを解いてもらうよう頼んだ。
その途端、少年の身体がびくりと強張ったが、すぐに弛緩して頭を預けられた。
少年は一つ深呼吸をすると、反対を向いていた顔をレースの方に向き直した。
レースはびくりとして二三歩と距離を取ったが、構わず歩く俺を追いかけてきた。
「………怖がらせてしまい、申し訳ありません。僕は白の宝玉です」
「白の……ホウ……ギョク?」
「はい。聞いた事はありませんか?」
「……………ない。外の事、長様しか知っちゃいけない」
……え? 長様しか知っちゃいけないって、じゃあ外に出ちゃってるレースはどうなんの?
大人しく聞いていようと思っているが、ものすごい気になった。
「そうですか……。では自己紹介をしたいところですが………生憎、僕には名前が多すぎてどれを言うべきか……」
え? ちょ、少年? 偽名だとは思ってたけどそんなに名前あんの?