第八十五話 うつし見る
俺の胸ぐらいまでの背しかない少女、レースはぶんぶんと首を縦に振った。
振るたびに両肩に垂れたおさげが跳ねるのは面白いと思うが、興奮に頬を染めてこちらを見上げる瞳に宿る無形の信服の気配はいかがなものか。
記憶力に自信がある――と、公言出来たらいいなぁと思っている俺ではあるが、さすがにこれだけ反応しちゃう色を持っている子を忘れはしないだろう。だから初対面で間違っていない筈なのだが。
「ずっとご子息様に会いたいって思ってたの。それで、ずっと隠れてミンナにご子息様がどこに居るのかって聞いてたの」
いやだから何で俺を知ってるのよ。ご子息様とは何なのよ。
などなど突っ込みたいのを我慢して、うんうんそれでと促す。
「ずっと分からないって言われてたんだけど、見つけたって教えてもらって、だから会いに来たの」
「俺に会いたかったんだ?」
「うん!」
それはもう全開の笑顔で頷かれた。
俺には何でそこまで嬉しいのかさっぱり分からないので、反応に困る。
「なんで俺に会いたかったの?」
「あ…………」
水をそちらに向ければ、いきなり表情を萎ませるレース。
もしかすると勝手に出てきたとか、親御さん的なものが出てくる展開になるのかもしれない。
坊ちゃんの二の舞か? いや、今度は本気で戦う事になるかもなぁ。
「ご子息様も…………あたしたちはホロブべきって思って……る?」
親御さん的なものが出てきた場合の対処を考えていた俺は、尋ねられたので耳に入っていた言葉を繰り返し考えかけ、聞き間違えた? と思ってレースの顔を見た。
今、この子『滅ぶべき』って言った?
「…………あのさ、滅ぶ……とかなんとかって言った?」
尋ねると、レースはみるみる目に涙を溜めて、ぼろりとこぼした。
「やっぱり……」
「すとっぷすとっぷ。ちょいまって。えーと、どうして君はそう思うの?」
慌てて尋ねると、ぐっとレースは口を引き結んで涙を堪え、小さく口を開いて答えてくれた。
「……長様も、お父さんも、お母さんも、お祖母ちゃんも、みんながそう言うの。みんな、あたしたちは『消えていくんだよ』って、『ホロブべきなんだよ』って、そうじゃないと『この世界』が壊れちゃうって」
「君は………緑の民だよね?」
思わず尋ねた俺に、レースは我慢しているせいか鼻を赤くさせ、それでも可愛らしく首を傾げて辺りを見回した。
「た……ぶん、そう。ミンナが合ってるって言ってる」
「じゃあ緑の民の人は、自分達は消えたり、滅んだりするべきだって考えてるってこと?」
「う………ぅ」
「それはどうしてか聞いた事はある?」
「な、い。聞いても、わ……わかっ……んなくって」
「……どうして、『俺』なの?」
「だって、だって……ご子息、様は、先代様のご子息様だ……から。先代、様は………そんな事、ないよって、言ったって、お姉ちゃん……たち……言ってた……
あたし、わかんないけど、でも、みんなが……い…なく、なっ……なっちゃうの、嫌だからっ、だからっ」
わからないから、ご子息様に会いたかったのだと言って、とうとうボロボロと大粒の涙を零し始めた
――緑の民と言えば最も温厚な種族。その優しさ故に捕らえられ利用され、それでも尚優しさを失わなかった一族なのに、どうして彼を狙うのですか? ――
………少年よ。お前の情報、なんか違う感じがするんですけど……
まぁいいや。
「先代様っていう人は、そんな事ないよって言ったんだね」
しゃくりあげるレースに問いかけると、レースは息を整えようと何度も呼吸を繰り返して頷いた。
「うん……だけど、みんなそんなわけないって言って、先代様は里の外に出ちゃったって。
あたし……みんなみたいに頭良くないから、馬鹿だからなんでかわからなくて……」
「レース」
俺の声が固くなった事に気付いたレースが少し怯えた顔をした。
だからそういう顔をされるとダメージを受けるのだが、撒いたる種は何とやら。諦めよう。
「他人に馬鹿だと言われるのはいい。戒めの為に自分に使うのもいい。
でも卑下するためだけにそれを使うのは止めない?」
「え?」
「自分を卑下するって事は、自分を認めてくれた人や自分を大事にしてくれる人を馬鹿にしている事になる。レースには大事な人はいないの?」
「いる! いるよ! あたしそんなつもりじゃ」
「うん。極論だけどね、俺はそういう事だと思う」
「………?」
のみこめていないレースに、俺は足を止めて膝をつき視線を合わせた。
少年を背負っているからきついかと思ったが、意外と少年が軽くて苦も無く出来た。
それはさておき、
「俺は先代様もレースたちの事も何も知らない。
だからどうして消えるべきだと、滅ぶべきだと言うのかは分からない。でも、そうやって無くなろうとするのは自分を大事にしてない事じゃないかと思う。大抵の人は誰かに大事にされた事があると思うから、自分を大事にしない人はその誰かも大事にしてない事になるんじゃないかな?
俺の考えと先代様の考えが同じかどうかは分からないけど、少なくとも俺は誰かに大事にされた事があるから、自分を大事にしたいと思う」
『消える』だの『滅ぶ』だの、おまけに使う人間にお目にかかった事がなかった『この世界』という単語まで飛び出てくれば、何かしら民族的な、もしくは宗教的な理由や謂れがあるのだろう。その手の話に理論的な事を言えるほど俺は悟ってはいない。
人にはそれぞれ考え方や生き方がある。それに対して俺がどうのこうの言うのもどうかと思ったが、自分なんかと卑下するレースを見ると、まるで自分を見ているようで嫌だった。
なんで。と思ったのは数えきれない。俺さえ居なければと思ったのも数えきれない。
だけどそれを考えていきついた先は、『おかんは俺なんかを生んだ』という結論。
それは違うだろと思った。俺はおかんが一生懸命俺を世話してくれたのを覚えている。おとんがいなくて辛かっただろうにいつも笑って、あやしてくれて、話しかけてくれて、唄をうたってくれて。
――――最期の最後まで、俺を守ってくれた。
未だに、俺はどうしてここに生まれてきたのかわからない。
何の為に生きているのかもわからない。
それでも、おかんを否定するような事だけはしたくなかった。
全身全霊の想いをそそがれた俺は、俺なりに楽しく生きようと、それだけ決めて生きてきた。
「じゃ、じゃあ………消えちゃわなくていいの?」
「存在するしないは、誰かが決める事じゃなくて自分の意思だよ。誰が何と言おうとね」
「……滅ばなくていいの?」
「それも意志だと思う。レースが嫌だと思うなら、その心に従ったらいいんじゃないかな」
自分に言い聞かせるように俺は言葉を紡く。
レースは縋るような目をしていたが、徐々に赦されたような落ち着いた表情になり、肩の力が抜けた。
それにしても、滅ばなくてはならないものってなんだろうか。はっきり言って俺には想像つかない。
病原菌? と一瞬思ったけど、十把一絡げにまとめて消えたら逆に身体壊しそうだ。
「ご子息様……里には戻らないの?」
立ち上がる俺に、本当に不思議そうにレースがそんな事を言うので、ようやく糸を掴めた俺は笑った。