第七十二話 開き直り
「後ろの方の意思も確認出来た所で、お尋ねしましょう。
ベアトリス様、貴女は一体何をお望みなのでしょう?」
動揺したままではいられない。
何を望むのかと問われれば、そんなのは昔からただ一つ。
「私が望むのは、このセントバルナの安寧です」
「……安寧。ではいまの世情ではそれが叶わない、叶っていないとお考えですか」
小細工が通用しないのなら、もういい。
「北のグレリウスは八十年前に停戦条約を締結した後、穏健派が内政充実に方針を転換させました。しかし数年前より強硬派の活動が目立ってきています。東方国家が不安定になっている事が要因だと思われますが、あちらが安定するのはまだ先でしょう。
また、西のフーリは我が国に面した地をダランディエの小国から直轄としました。理由は内部紛争により虐げられたフーリの国民を助ける為だと言っておりますが、領土を拡大させ続けてきたフーリがそれだけで直轄とするでしょうか?
ただ、国外情勢は表面上安定しているように見えます。友好関係は変わらず結んでおりますし、我が国で何が起きたというわけでもありません。しかし、何かが起きてからでは遅い。
国内でそれに対応すべく動きがあるかと言えば十分とは言い難く、一枚岩となっていない事はもちろんですが、陛下の体調が優れない最近になってその傾向が顕わに過ぎます。
サジェス侯を中心とする元老一派。第一王位継承権を持つアクナス兄上を中心とする一派。第二王位継承権を持つアーギニア兄上一派。
外政をどうにかする前に、この内政をどうにかしなければ、最悪セントバルナは内外両方から崩れる可能性があります」
リダリオスの表情は変わらない。
相変わらず人懐っこい笑みを浮かべ、冷たい目をしている。
「だから、私を取り込めないものか。またはどの一派に属しているのか、それを知りたいのですね?」
一々確認されると、心をへし折られそうになる。
「あと二つ、お尋ねしても宜しいですか」
だから一々聞かずとも聞けばいい。私に選択肢はない。
「なんでしょう」
「どうやって安寧を? どれか一つにつくのでしょうか?」
顔が歪みそうになった。
かろうじて滑り落ちそうになった面を押さえられたものの、本当に嫌な質問だ。
内部をいずれかの一派一つにまとめたとしても、それが恒常的な安寧に繋がるとは考えられなかった。兄達の派閥は貴族の発言力が強く、メンバーを見てもいずれは意見が割れていくだろう事が予想された。今でも多少その傾向があるというのに、力を持てば増長するのは火を見るよりも明らかだ。ではサジェスはといえば、それはもっと有り得ない。サジェス侯爵が実権を握れば傀儡政治が始まり、軍事国家へと変わっていくだろう。
「私は兄上にも、サジェス侯爵にもつきません」
「ほう?」
初めて、リダリオスの表情が動いた。
冷たいだけの青い瞳に、子供のような残忍さを秘めた好奇心が混ざる。
「私は私に与えられた力を使います」
「セントバルナは建国以来女王が立った事はありませんよ?」
確かに、例は無い。
現実的ではなく、一般論で言えばそれこそ有り得ないと一笑に付されるだろう。
「それでも、私はこのセントバルナを守りたい。それが私の存在意義です」
「………………皮肉なものですね」
「……え?」
「いえ、なんでもありません。二つ目の質問です。
私はどの派閥に入っているでしょう?」
それはわからない。わからないこそ、こうして来た。来たが、結局何も分からない。
あぁもう本当……
心の中でさえ言葉にならない。
いろいろと考えてみたものの、それら根拠となるものは何もない。
じゃあもう残っている情報だけで判断するしかないじゃない……
「どの一派にも属さない。貴方は貴方がその時々で感じたままに動く自由人」
「ほ…う。何故、そうお思いに?」
私は肩の力を抜き、竦めた。
「姉上がそうおっしゃったので」
ベルベット姉上は、私よりも人の本質を捉える。私が材料無く判断するより、今はまだそちらの言葉の方が何倍もましだ。
「…………っく」
リダリオスは口元を抑え、身体を折った。
何事かと身構えたが、どうやら笑っているらしい。
「ベルベット様にそう言われてしまったのなら、きっとそうなのでしょう。
貴女は幸運な方です」
肩を震わせながら『お茶をどうぞ』と勧められ、何なのだと思いながら緊張していたままに手つかずだったカップに手を伸ばす。
「……ティオル・エバース?」
その手を後ろから伸びた手に止められ、振り返ればティオル・エバースがまだ赤い目をリダリオスに向けていた。
「ね? やはり貴女は幸運な方です。
私も使い勝手のいい素材を放置するなんて致しません」
からかう様にティオル・エバースに笑んで見せるリダリオス。
一瞬ヒヤリとしたが、ティオル・エバースは冷静そのもので私の手を離し、元の位置に戻った。
「さぁいろいろとやらねばならない事が出来ました。
貴女はお勉強からですね」
「え? はい?」
「貴女もベルベット様とは異なる目を持っています。あぁ、試金石の事ではありませんよ? それよりも価値のあるものです。グラン・パージェス殿に教わってください」
「グラン? 一体何を」
「彼がこれまで行ってきた事を、です。私も――」
私とリダリオス、そしてヒューネが同じ方向を見た。
屋敷の正面に立ち止まる気配があった。
「しばしお待ちを」
断ってリダリオスは出て行き、私はテーブルに残った茶を見て溜息をついた。
「ティオル・エバース。これには何が入っているのですか?」
「マーナラ」
無味無臭。魔術による検知も困難。表に出てくる事はまず無い暗殺に用いられる貴重な毒物。
それが何であるのよ……あるんだろうけど。リダリオスならあっておかしくないんだろうけど。
「止めてくれたこと、礼を言います。よく分かりましたね」
「試しだ。わざと見せていた」
………私は目が悪いかもしれない。ずっと手元は見ていたが全く気付かなかった。
「失礼いたしました」
手に茶色い封筒を持ったリダリオスが戻り、再び椅子に腰を降ろす。
「それは?」
「これですか? これは古い知人からの……何と言いましょうか、叱責の手紙です」
………え?
「あの………リダリオス殿が?」
「いえいえ。私を、知人が怒っているのですよ。そう、今はエントラス学院で教師をしているようです」
あの教師達の中にリダリオスを怒れるような家柄、または気概のある者が居ただろうか?