第七十一話 勝負開始
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
顔を隠し、制服を外套で覆って乗合馬車に乗り込んで揺られる事、三日。
二年ぶりの王都だったが感慨深い思いが浮かぶことも無く目的の屋敷を目指した。
ティオル・エバースはもちろんのこと、ヒューネも無言のままここまで来た。
事前連絡も何も無い訪問は普通はしない。しないが、相手が相手。普通に行っては相手にすらしてもらえないかもしれない。だが、この方法で相手にしてもらえるのかと言えばやってみなければ分からない。とにかくやってみるだけだと自分に言い聞かせるしか出来ない。
ようやく見えてきた屋敷は他と比べて質素で家柄のわりには華やかさに欠けていた。
見える庭も閑散としていて手入れされている気配が無い。
門扉に近づいても中から使用人が出てくる気配もなく、また索敵でも屋敷の中に人の気配を感じなかった。
無人かもしれない。
そう思いながら門扉に近づくとパチンと音がして門のカギが外れ独りでに開いた。
後ろを見ればヒューネが首を横に振る。彼も屋敷の中に人の気配を感知出来ないようだ。だが、居る。居ると確信した。そして開いたという事は来いという事だ。門扉を押し開け、敷地の中へと入る。
正面玄関へと近づくと再び独りでに扉が開き、中から人物が現れた。
生成りのシャツに黒いズボン。栗色の髪を結わえず背に垂らした姿はラフそのもので、初めて見るものだった。
「久しぶりですね。リダリオス殿」
リダリオスはにこにこと笑顔を浮かべたまま、昔同様、優雅に腰を折った。
「お久しぶりです。ベアトリス様。
此度はこのようなところまで如何なご用向きであられましょう」
「それについては――」
「ああ失礼。どうぞお入りください。大したもてなしは出来ませんが、このような所で伺う内容でもありませんでしたね」
私の言葉を遮り、招く様にして屋敷の中に消えるリダリオス。
相変わらずペースを掴ませない嫌なタイプだと思う。それに何の用で来たのか完全に見透かされている。
溜息が出そうになりながら後ろの二人に目配せをして屋敷の中へと入る。
リダリオスの先導のもと、一階の一室に招かれるが人影は無く索敵の結果から見てもリダリオス一人しか居ないようだった。
まぁ、索敵を逃れている者が全く居ないとは言い切れないが、リダリオスのような者が他に何人も居るとは思いたくない。
招かれた部屋は黒檀の家具で統一され、冷たく実益を重視した印象を受ける。
滅多に屋敷に人を入れないと噂では聞いていたが、ここまで入れた人間が何人居るのだろうかとそんな事を考えていると、一旦出て行ったリダリオスが茶器のセットを持って戻ってきた。
「どうぞお座りください」
私は示された椅子に腰かけたが、後ろの二人は左右にある椅子には座らず私の後ろに立ち、そこを位置を定めた。
茶器は四人分用意されていたのだが、リダリオスは面白がるような視線を二人に向け、何も言わず私と自分の二人分だけを用意した。
「なかなか使用人が見つからず。私が入れたもので恐縮ではありますが」
「いいえ。突然押しかけたのは私の方です。失礼を詫びます」
「お気になさらず。それで、どのようなご用件でしょう?」
さあ、ここからだ。
私はここ二年、あまり使って来なかった微笑を浮かべ、皇女の面を被った。
「少々意外な話を伺ったものですから」
「意外?」
「リダリオス殿が後見をされていると。
今の魔導師団長が貴方の後ろ盾をあれ程願っていたのに、見向きもされなかった。それなのにと思ってしまうのです」
「あぁ……アレは勝手に好きな事が出来ますから。
それに私だって孤児を見て何も思わないわけではないですよ?」
「カシル・オージンとはスルで?」
リダリオスは視線をあげ、懐かしむように頷いた。
「これがまた、あんまり可愛くないんです。ちっとも懐いてくれない子で」
「しかし魔術を教えられたのでしょう?」
「そうですね。教えたこともあります」
「魔導師団長にと?」
「いいえ」
それは思ってもみなかったという様子で首を横に振って見せる。
しかしリダリオスが直々に教えるという事は、普通なら後継者だと考える。
「では何故学院へ」
「あの子がそれを望んだからです」
「カシル・オージンが?」
「はい」
楽しそうに肯定するリダリオスに、私は手のひらに汗をかきながら言葉を紡いだ。
「………このような言い方をしたくはないのですが、カシル・オージンは間諜ではありませんか?」
「間諜? 面白そうな話ですね」
否定するどころか、リダリオスは益々楽しそうに身を乗り出した。
「学院で先日火災がありました。その時から彼の行方が分かりません」
「へぇ……火災。残念ながら学院からは何の連絡も受けておりません。
ベアトリス様はその火災の原因があの子だと思われているのですか」
「そこまでは言っておりません。ただ、それまで彼の行動には不信なところがありましたので……それに火災の原因を知っているのではないかと」
「火災……なるほど。火災の原因を。
まぁそういう言い方も出来ますが――」
リダリオスは不意に言葉を切り、トントンとテーブルを二度叩くと身を引いて、後ろの二人には一つも目をくれず私だけを定めた。
「――つまらないので真面目にお話しましょうか」
薄い青の目は冷たいくせに、口元に浮かんぶのは人懐っこい笑み。
ぞくりと悪寒が背筋を這い上がった。
学院長の視線など目ではない。
サジェス侯爵の冷笑など取るに足らない。
喰われると思った。
一つでも受け答えを間違えれば、喰われる。ここで潰される。
「私は今、機嫌がいいので先に疑問に答えましょう。
学院で起きた『火災』についてですが、カシル・オージン、キルミヤ・パージェス、フェリア・サジェスの三名が関わっています。が、キルミヤ・パージェスは首謀者とまったく関わりがありません。次にカシル・オージンは、間接的に関わっていた事はあるかもしれませんが今回の事に関して言えば無関係です。最後にフェリア・サジェスですが、彼もまた本当の意味での首謀者ではありません。
そしてカシル・オージンとキルミヤ・パージェスの行方については今のところ答える気はありません。行方をくらましているのは本人たちの意思です。
これだけ言えば後ろの二人の目的は果たしますね?
野戦の指揮官だったティオル・エバース君とヒューネ・オリオン君」
後輩を心配する先輩。
キルミヤ・パージェスとカシル・オージンが無事である事。また自分の意思によって戻らない事がわかれば、この構図でいう目的は果たされる。
「果したなら即刻立ち去りなさい。ここからは私と皇女との話し合いです」
無理だ。体裁を整えた程度では防波堤にはならない。エバースとオリオンは伯爵家。それもいくらか助けになるだろうと思っていたが、甘かった。リダリオスが本気で邪魔だと判断すれば、二人は切り捨てられかねない。
私は左手で握った右手を隠しながら、後ろの二人を振り返った。
だが、ティオル・エバースは落ち着いた赤い目でリダリオスの視線を受け止め、ヒューネはそのティオル・エバースを見て微笑み、私と目を合わせようとしなかった。
私はそれに焦った。
この国を守れるのなら、どんな犠牲でも厭わないとは思う。
だが意味のない犠牲など望んでいない。
ティオル・エバースもヒューネ・オリオンも将来人を動かす立場で十分力を発揮出来るだけの素質がある。それをこんなところで、先も不透明な自分が引きずり込むようにして終わらせるなど。
「ティオル――」
「問題ない」
「そうですね。問題ありません。私もティオルも既に決めております」
「そうですか? 残るというのなら、それなりの対価は払って頂きますよ?」
「くどい」
年齢も経験も立場も全て上の相手に対して、ティオル・エバースは一切怯む事なく言を断ち切った。
ただの伯爵家当主に対して、子息が啖呵切る事も有り得ないが、よりにもよってリダリオス相手に啖呵切るとは正気の沙汰ではなかった。
新年一発目はクロクロパートでした。