第六十六話 審議中
「帰してしまって宜しかったのですか?」
歩みを止めないまま尋ねてくるヒューネ・オリオン。
「良いも悪いも言葉のままです」
「それはまた………随分とお優しい――」
睨みあげると、ヒューネ・オリオンは失言でしたと口を閉ざした。
ティオル・エバースは何を考えているのか分からないまま、私の速度に合わせて黙々と歩いている。
「私とティオルは差し詰め姫を守る騎士と従者といったところでしょうか」
話していないと気が済まないのだろうか。
私は柔和な笑顔を固定し張り付けているヒューネ・オリオンに一瞥を送る。
「そのようなこと、私の一存で出来る筈がないでしょう。貴方はまだしもティオル・エバースは嫡子。家を継ぐ者が騎士になれるわけがありません」
「建前ではそうですね。ですが人の心とは存外自由なものでして。意外と好き勝手な事が出来るものです」
「何を勘違いしているのか知りませんが、貴方達ならば知っても良いと判断しただけです」
え? という顔をするヒューネ・オリオン。
「しかし……先ほど『分かりました』と」
「言いました。ですが、手を借りるとは言っておりません」
「……では、何故私たちを?」
「先ほど言った通りです。貴方達ならば知っても良いと判断しただけの事」
私の言葉に、考えるように口を閉ざす。
「ヒューネ」
それまで沈黙を保っていたティオル・エバースが口を開いた。
「え……しかし………」
「……………。」
「…………でもですね」
「………」
「だから――」
「…………………………」
「………………………………………わかりました。
如何されました?」
最後は足を止めた私に向かって訊いたのだろうが、それはこちらが発する言葉ではないだろうか。
ティオルの口は一切、動いていない。それでどうやって会話が成立するというのか。
「あぁ………ティオルは昔からコレなので慣れてしまったんです」
「……そうですか」
何とも言えず再び足を動かした私に合わせるように歩を進める二人。
「姫様のお気遣いは有り難く思いますが、私もティオルも何も考えずに申しているわけではありません。その時になれば、遠慮なくお使いください」
使えという単語に、顔を顰めそうになった。
本当に余計な事をと苦々しい思いが胸の内に広がる。意識しなければ、こんな風に思い悩む必要も無かったのに。
「と、言うと貴方が怒るとティオルが言っているので、お望みのままにとだけ申しておきます」
撤回するような言葉に視線を戻せば、ティオル・エバースがヒューネ・オリオンに鋭い眼差しを向けていた。
ヒューネ・オリオンは柔和に笑っているが、若干口元が引き攣っている。
なんなの、この二人は……
ヒューネ・オリオンが補佐をしているのかと思えば、補佐だけをしているわけでもなく、かといってティオル・エバースが手綱を握っているのも確かなようで今一つ二人の力関係が見えない。
「そういえば今回の事にいつもの網は使われないのですか?」
網は子女の噂話。話の中継点を把握しておけば収集も操作もそれなりに簡単に出来る。
学院内のちょっとした事であればそれで事足りるが、今回の話は学院内だけに留まらない。下手をすれば国内にすら留まらないかもしれない。そんな話題を力の持たない、考えの覚束ない子女に撒いて後がどうなるか恐ろしすぎる。
「使えると本気で思っているのですか?」
先程から、分かりきった事ばかり口にするヒューネ・オリオン。そうも内容を選ばれると試されているとしか思えなくなり苛立ってしまう。
「あぁ……これも失言でしたね。彼を帰すぐらいですから」
「ヒューネ」
「はいはい。黙ります」
睨む前にティオル・エバースがヒューネ・オリオンを沈黙させ、私は溜息をついた。
「言っておきますが、私は貴方達が思う程優しい人間ではありません。
私にとって重要なのはこのセントバルナ王国の安寧です。その安寧を守れるというのなら、何を犠牲にしようとも構わないと考えています」
「ああ。そうすればいい」
なにを試したいのか知った事ではないが、これ以上喧しいのであればこちらも前言撤回する。その意思を込めて言ったはずなのにヒューネ・オリオンではなく、ティオル・エバースが答えた。
「………何を犠牲にしようとも、と言ったのですよ?」
「その意味を分かっているのだろ」
ティオル・エバースは淡々としている。
真意の程は、やはり分からない。どのような考えで彼が私と相対しているのか、私をどう見ているのか一つも分からなかった。真紅の瞳は私を見据えたまま、逸らされることが無い。
「だからティオル、入り過ぎ。申し訳ありません姫様」
いつの間にか足も止まり、外す事の出来なくなった視線を横から現れたヒューネ・オリオンが遮った。
「要するに、ティオルは姫様の可能性にきた――」
「ヒューネ」
低い声に、ヒューネ・オリオンの口がピタリと機能を停止した。
「…………………………………」
「………………………………………」
「………」
「………………………」
「………………」
「………………………………」
私は無言で語り合うような技術は持っていない。
見つめ合う二人に背を向けて離れれば、すぐについてくる気配がしてまた溜息が出た。
この程度で苛立っていては王都に戻ってから身が持たなくなるわね。学院は安穏に過るわ。いい加減感覚を戻さないと……
「ところで今回の件はサジェスかアクナス派かアーギニア様か北のグレリウスか西のフーリか。相手が多すぎて特定するのも骨が折れそうですね」
「ヒューネ・オリオン」
「どうぞヒューネとお呼びください」
「………ヒューネ。外での発言は控えなさい」
「ご心配なく。索敵を使用しています。近場に警戒する相手はおりませんよ」
索敵は有用性の高い術だが、その精度は使用者によって左右される。
索敵の使用者よりも技術が高ければ感知されなくする方法もあるので絶対とは言い切れない。
所詮学生の力では魔導師団員の感知は出来ない。彼らと同じ技術を有する者が子飼いの中に居ないなどと確約も出来ない。
そこまで警戒される対象に認定されているのかは別の話ではあるが、警戒しないわけにもいかない。
「貴方の力では――」
「問題ない」
ティオル・エバースの宣言に、私は言葉を途切らせた。
くすくすとヒューネが笑い、ティオル・エバースの肩を叩いている。
「索敵にかけては魔導師団員にも引けをとらない自信があります。ほら、私は一族に相手にされて居ないと言ったでしょう? 相手にされないというのは、つまり用無し。用無しを囲う程緩い頭を持ってくれないのが面倒なところでして。
今役に立っているので少しだけ感謝してあげてもいいかもしれませんけどね」
「……それは」
「あぁいえ、直接的に命をというわけではありません。ただ、ちょっと魔物の群れの中に放り込まれたりしただけです」
十分、命に関わる。弱い魔物でも群れれば脅威となる。その中に一人放り込まれればよほどの腕がなければ生きては残れないだろう。
オリオンは軍部の人間が多いが、それにしてもそんな無茶な事をする種類の人間だっただろうか?
ヒューネと同じ薄い青、空のような色の髪をした大柄な当主の顔を思い出し首をひねる。
「私の話はまたの機会にという事で、本題に戻りますが………
今回、誰が主犯にしても敵にまわせば姫様はあっけなく潰されるでしょう。
どうされるおつもりですか?」
一瞬、カチンと石火が鳴る。
だが、それが事実だと笑う己も居た。
動き方次第では、ベルナール姉様のように人質として他国へ売られる可能性もある。
いやむしろその方が高い。今はまだ水面下の争いだが、これが浮上してくればいいように使われるだろう。
やはり今後の事も考えると、ここでどうにかしなければならない。
相手が相手なだけに荷が重いという思いが込みあがってくるが、アレをどうにか出来るのならそれ以外もどうにか出来るという自信にもなる。どの道八方ふさがりだった事には変わりないのだから、やるだけしかない。
ただ、その覚悟を彼らが知る必要は無い。
「それを知って貴方たちはどうするつもりですか。
後輩を案じる先輩という構図もそこまでいけば限界があります」
「………どうしようティオル。本当にティオルの言った通りかもしれない」
訳の分からないことを言って、ヒューネは興奮したようにティオルの肩をばしばし叩き始めた。