第六十一話 誰が握れるかわからない手綱
遅くなりました。
行ってしまった。
行ってしまったとはどういう意味だろうか。学院へなら『戻る』とカルマは表現するだろう。
では、学院以外?
その考えに至ったところで、口が勝手に開いた。
――どうして引き止めなかったんです。
喉元まで出かかったセリフを抑え込み、僕は親指でこめかみを押さえた。
少し冷静になって考えれば理由は明白だった。
彼を傍にと言うカルマが、引き止めもしないのは僕が無視できないとわかっていたからだろう。探すとわかっていたから引き止める必要も無かったという事だ。
正直、今はどうするべきなのか答えが見つからない。彼が緑の民の血を引き、それを同じ緑の民が狙っているという中で探し出したとして、そこからどうするのか自分でもよく分からない。でも、ここで何もしないという選択肢は選べない。それがカルマの思惑のままだとしても、出来そうにない。
「どこに行くとか、何か言っていませんでしたか?」
「そうですね……服を着替えましたから学院に戻る様子では無かったですね。あ、小さい頃はリットで働いていたみたいです」
「リット……」
リーガル・トラバナクス。通称、リット。俗称、伝手なしの小屋。
領地であるなら領主の私兵、国であるならば国兵が倒しきれない、または御しきれない魔物や賊を民が独自に金を集め依頼する最後の場所。
統治者が堅固な治世を開く土地では微かな活動しかなく、逆に目が行き届いていない土地では組織として大きな規模を誇る。
セントバルナの治世はここ八十年程安定している為、ささやかな窓口が用意されているだけで、依頼自体の数もことさら多くなく、またその内容も他国に比べれば容易いものが多い。
けれど、幼子が働く場所としては不適切としか思えない。
いくら規模が小さいといっても、そこに集まる者は力在る者、力在ると豪語する者が多い。そんな中に子供が混じれば目を引き、仕事の場を子供が遊び場として犯したと反感を持たれてもおかしくない。
どんな生活を送っていたのだろうかと一瞬不安が過ぎったが、今はそれよりも彼の所在を突き止める方が先だと掛布を剥ぎ取り、急いで支度をする。
「そんなに動いたらまた倒れますよ? まずはご飯でも食べて」
「今は要りません。実験の試しであればまた別の機会にしてください。
――まさか彼に何か食べさせたりしてないですよね?」
自分で言いながらヒヤリとしたものが背中を伝った。
「いえいえ。彼、毒が効かない体質なので材料が勿体ない」
良かった……下手をすれば数日後に症状が現れるものもある。毒が効かない体質であればたとえ食べた所で大事にはならなかっただろうが……………?
僕は眉を潜めた。
彼に何か食べさせたりしていない。それはつまり、彼は何も口にしていない?
「カルマ、彼はいつここを発ったのですか」
「二日前です」
無いとは分かっていたが、確認しなければならない。
「彼に、金銭なり渡したりしましたか?」
「いいえ? 服を着替えてそのまま行ってしまいましたよ」
いつも通りの笑みを浮かべて答えるカルマに頭痛がしてきた。
早急に発見しないと道端で倒れている可能性がある。彼は変に線を引く所があり、見ず知らずの人間に救いの手を求めるような事はしないだろう。お金を持っていればいいが、それだって野戦の最中だった事を考えれば持っていないに決まっている。
「分かりました」
「もう行くのですか?」
「はい」
あまり長居をして、警戒された白の民に来られても面倒だ。
「勘違いをしている馬鹿な石頭はお帰り頂いてますよ?」
振り向くと、子供のような無邪気な笑顔にぶつかった。
今までの経験上、予想が外れたことはないが、外れて欲しいと願いながら尋ねた。
「………カルマ、それは白の民の事を言っているのですか?」
「馬鹿な石頭とくればそれ以外に居ないでしょう?
四日前に不法侵入しようとしてきたので丁重におもてなししました」
「殺しては……ないですよね」
「嫌ですね。そんな処理が面倒な事しませんよ。おもてなししただけですから」
おもてなし。ですか。
白の民の協力をもらいたかったのだけれど、無理かもしれない。
「カシル? 大丈夫ですか?」
大丈夫ではないが、もう過ぎてしまった事をとやかく言っても仕方がない。もうやってしまったというのなら、そのまま手を借りるまで。
「大丈夫です。すみませんが、二三日でいいので彼らの目を僕から逸らせたままにしておいて貰えませんか?」
「いいですよ。二三日と言わず、永久でも――」
「二三日でお願いします」