第五十九話 懐かしいもの
「――髪が」
明るくなったわね。
髪色が。
…………なるほど。そーくるか。
理解して、俺は凍った手の時を溶かし饅頭もどきを掴んだ。
「でしょー? 前は真っ黒にしてましたからねー」
前髪をつまんで見せると、姉御はにやにやした笑いを顔に張り付けてテーブルに肘をつき顎を手のひらに乗せた。
「一部には死神とか言われてたものね」
腹立つ笑顔を振りまく姉御に、俺も最上級の微笑みを浮かべて、ことさらゆっくりと饅頭もどきを噛みしめた。
「心外ですよねぇ? 純朴な子供が、いっしょーけんめーお手紙書いてただけなのに」
「その傍らで大鎌振るって魔物を狩っていたから定着するのも仕方ないわよ?」
「それもおかしな話ですよねー。依頼はリットと本人にしか分からないのに、何で俺がやったってわかっちゃったんでしょー?」
「本当ねー。人の口に戸はたてられないって言うけど恐ろしいわー」
しみじみ言うな。バラしたのあんただろーが。
「きっと大鎌なんて使う人はめったに居ないでしょうから印象に残っちゃったんでしょう」
「あーなるほどー」
なわけあるか。
そもそも周りに誰もいなかったよ。だいたい人がいるとこに魔物出たら大騒ぎ。そんな依頼は俺なんかじゃなくて専属がいただろ。それに俺がやったのは通算で十回程度だ。それで印象に残るか。
「今更だけど、何で大鎌なの?」
「本当に今更ですね」
「だってあの時はあなたみたいな子供がいつの間にか三級になってて、驚きでそっちばかり気にしてたもの。ねぇ何で?」
「俺は金無かったですからね、きっと神様が憐れんで恵んでくれたんでしょう。空から降ってきました」
「へぇ~すごいわね~」
「すごいでしょ~」
笑う姉御に笑う俺。
ひとしきり二人で笑い続け、同時にピタリと止んだ。
「って感じに流せるぐらいに明るくなったわね?」
確認作業を終えてみて、俺はうーんと腕を組み首をひねる。
「そんなに違います? 俺としては特に変わったつもりはないんですけど」
さっきまでの流れとほぼ同じ事を毎日繰り返していた記憶しかない。
ちっさい時は別として、リットに通うようになった頃は今とそう対して変わらない状態だった筈。改めて指摘される程の違いなど無いように自分では思っていた。
姉御は最後の一つとなった饅頭もどきに手を伸ばし、思い出すように遠くを見つめる。
「あの頃からミア君は人をおちょくるのが特技だったけど、でも今みたいに余裕は無かったかな」
「余裕ですか?」
饅頭もどきをかじりながら頷く姉御。
「始終巫山戯てないと落ち着かないっていうか、主導権を少しでも握られると怯えてたような感じだったかな。訳ありなんだろうって思ってたけど」
良かった良かったと言ってくれる姉御に、俺は照れた笑みを浮かべておいた。
いやはや。全く持ってそんなつもりは無かった。
姉御にそう見えていたのなら、おやっさんにもそう見られていたのかもしれないと思うと――いや無いな。あの人は無い。ないない。
「でも頭を撫でられるのはまだ駄目みたいね」
「―――」
喉に饅頭もどきがつまった。
胸を叩いている俺の前にお茶が差し出され、ぬるいそれを流し込み必死の想いで嚥下した。
まさかばれているとは思わなかった。伊達に傭兵相手の商売をしているだけある。
観察眼、侮りがたし。今度からもーちょい注意しておこう。
「……分かっててやるなんて性質が悪いですよ?」
肩を落とし、ちょっと睨んで言うと姉御は片目を瞑った。
「ごめんごめん。経過観察みたいなものよ」
軽く言って、粉のついた手をパンパンと払う姉御。
いやいや待て待て。その手段は考えものじゃないですか? 悪化したらどうしてくれるんだ。
「じゃ、ごはん食べに行きましょうか!」
「よし行きましょう!」
俄然はりきって立ち上がった俺は、ハタと止まる。
誤魔化されたと思ったわけではない。誤魔化されるのは日常茶飯事なのでそれこそ本当に今更だ。
そうではなく、ここへ来たそもそもの目的と、それが必要となった状況を思い出した。
忘れるなよと突っ込むところではあるが、事が事なだけに、いくらなんでも突っ込んだら可愛そうだ。俺が。
「その前に仮証を作ってもらっていいですか?」
「今? いいけど急いでるの?」
「って訳でもないんですけど……いえ、やっぱり急ぎです」
「あらそう。なら少し待ってて、書類持ってくるから」
「お手数おかけします」
部屋から出ていく姉御の後ろ姿を見やり、俺はトスンと再び椅子に腰を降ろした。
飾り気もあったものじゃない個室は狭く、素っ気ない木のテーブルと硬い座り心地の椅子。その上に置かれた異質感丸出しの湯飲に視線を落とし、俺はついつい頬が緩んでしまった。
湯飲みの中身も、緑茶に近いもの。
昔、いろいろと受け入れられなくて、縋るものが欲しくて懐かしいものを手当たり次第に作った。
ちょっと歪な形をした湯飲みは、最初に姉御にプレゼントしたものがそういう形だったので、姉御が勝手にそういうものだと解釈して独自に商品開発した結果。
市場に広まる事は無かったらしいが、姉御的にはツボにはまったようだ。
姉御に初めて出会ったのは、パージェスのリット。
当時十歳になったばかりで一人リットの受付に行き、そこで対応してくれたのが姉御だった。
年端もいかない子供を相手に姉御は話を聞き、登録手続きをしてくれた。
と言っても、俺はどうしてもお金が必要だから働きたい、けどリットの他に働けるところがないと、その二点だけしか言わなかった。どこに住んでいるとか、保護者はとか、そういう事は一切何も言わなかった。
もともと訳あり人間が集まるリットにしても子供相手によく登録手続きを取ったものだと思う。
最初にまわされた仕事は代筆。特殊技能の部類に属する識字率の低さを逆手に取った仕事で、やり始めた時は子供がと不安がられたものだが、それも慣れてくると定期的に依頼は舞い込んだ。
複数の言語に対応できるのが俺と姉御の二人だけだったので、姉御が居なければ俺がという形でごく自然とリットの中に居座る事が出来るようになった。
仕事が無い時もそのまま居座って、姉御とリットの支援制度の無さについて語りあったり、地方の特産物では何が一番うまいのか聞き出したり、パージェス限定七不思議を語られ泣かされた――
俺は空になった湯飲みに茶をそそぎ、すすった。
お茶はいーよねー 心が落ち着くー
「……………落ち着け、落ち着け。びーくぅーる。思い出さなきゃいいだけだ」
「思い出すって何を?」
ゴトン
取り落した湯飲みがテーブルに転がり、中身をこぼす。
「あぁもう何やってるの」
「は………はははは。すんません」
布巾でこぼしたお茶を拭く姉御を手伝い、湯飲みを片す。
言えるなら言いたい。
元凶は姉御です。