第六話 言葉わからず言葉にできず
第一話から第六話までは、導入部分です。
本編はこの次、第七話からとなります。
この子の前では泣かない様にしていたのに、気が付けば頬を涙が伝っていた。
その涙を、この子は拭うように手を伸ばしてきた。まるで慰めるように。
いくら何でもまだ首も座っていない赤子が慰めるなんて考えすぎで、涙が珍しかったのだろうとすぐに涙を拭いていつも通り笑おうと思った。
だけど、あの人そっくりな笑顔で笑いかけられて、
「っ」
堪えていたものが堰を切ったように溢れてきて、抱きしめた。
泣いている事を悟らせないように、あの人ごとこの子を抱きしめるように。
早く涙を拭わなくては。早く笑わなければ。
思えば思うほど、喉の奥が変な音を立て目が熱くなり、震えてしまう。
いけない。この子に気付かれてしまう。この子に悲しい思いなんてさせてはいけない。
息を整え、目に力を込める。だけど心がどうしようもなくあの人を求めてしまって悲鳴を挙げる。
どうしていないの……
どうしてあの人がいないの……
どうしてあの人がいないのよ……
答えなんて分かりきっている問いかけを繰り返してしまう。
自分でも抑えきれない感情に支配されて、もがけばもがくほどより深みに落ちてしまいそうだった。
「あーうー……あーあーうーー」
不意に、抱きしめた腕の中から細い声があがった。
苦しかったのだろうかと慌てて腕の力を緩めて見れば、眉をハの字に垂らしていた。
「あーうーうー……うーうぇーおー」
消え入りそうな声に具合が悪いのかと焦ったが、どうやら違う様子だった。けれど「どうしたの?」と声をかけてもずっと声をあげ続けていて、どうしたのだろうかと思った時、ふと閃くものがあった。
それは親の欲目かもしれない。他の者が聞けばそうは絶対に思わないだろう。けれど、私には聴こえた。
「とーとーとるきのおじいさん
いつも仲良くが口癖で
にこにこ笑ってみんなを見てる
とーとーとるきのおばあさん
いつもおうたを唄っては
みんなをにこにこ笑わせる」
私が一緒に唄うと、それまでハの字にしていた眉を一瞬で解き、ぱあっと明るい顔で笑いだした。
この子は……
「…あり…が…」
私は言葉につまってしまったけど、代わりに一緒になって笑った。涙も出てしまったけれど、きっとこの子はそれでもいいのだろう。一緒に笑えたらきっとそれで。
やったーーーーーー!
やりましたーーーーーーーー!
ここにきてやりましたーーーーーーーー!
脱音痴!!
だって伝わったんだもん!
そうとしか言えないだろこれは!
今まで俺を馬鹿にしていたものどもめ、泣いて詫びるがいい!!
伝える術なんぞ無いがフィーリングで詫びろ!!
苦節二十七年プラス七日か八日。長かった……
子守歌と気付いてもらえるかどうかは賭けだったが、俺は見事その賭けに勝った。
おかんはどうやら落ち着いたようで、いつものようににこにこと笑っている。
たぶん初産で、しかもおとんが居ないという環境はおかんにとって相当きてるものがあるだろう。
俺だって嫁さんなしで子供育てろと言われたら、そりゃ育てようとするけど不安で仕方ないと思う。
それに子供を産んで一週間は身体を休めろと聞く。
おかんはそれが出来てないんじゃないかと思う。俺の世話をつきっきりでやってるのもあるし、おとんの事で休めてないような気がする。
ここはひとつ、寝る前にでもまた唄うかな~
そんな計画を立てていると、いきなり視界が高くなって俺は驚いて手足を引っ込めた。
って、おかん。いきなり立ったら貧血でふらつくだろ。
あぁほら言わんこっちゃない~ 壁に寄り掛かっちゃって、俺今は腹空いてないし衛生状態も良好だから動かな……
視界は端に、人影があった。
時折ここに来てはおかんの世話をしているおばちゃんではない。そのおばちゃんよりももっと背が高い。
もっと良く見ようとしたらおかんが俺を抱き込むようにしてそいつから隠したので、俺の視界はおかんだけを映した。
「――――!」
「―――――――――」
おかんが声を荒げている。
対する声は、男。抑揚が無くて平坦な声。感情の起伏が全く感じられなくて、息をしてる相手なのか疑いそうになるぐらい変な感じがした。
それはともかく、おかんが声を荒げるなんて生まれてこの方一度もなかった。それにこの全身で拒絶しているような態度には鬼気迫るものがあった。おかんに依存している俺はそれに引きずられ、顔が強張るのが分かる。
「―――――! ―――――――――――!」
「――――――――――――」
「――――!」
「――――」
おかんと男の喧嘩? が現在進行形で繰り広げられている。
俺はと言えば、おかんの怒声が怖くて怖くて、がたがたしてるだけというチキンハートを披露していた。
いやー、赤子と大人って想像以上の体格差だ。
子供の頃って大人が大きいなって思ってたけど、赤子ともなると威圧感は生半可なものではない。
子供の前で喧嘩はやめて~とか考えていると、いきなりおかんが走り出した。
え!? どしたのおかん!?
顔を見上げようとしたら、ドンと衝撃が身体を伝い、おかんは倒れた。
倒れながらも、俺を抱いた手は離さず胸の中に抱き込んだまま倒れた。
「――――――」
おかんが何か囁いて、よろよろと身体を起こし、立ち上がれないのか片手で俺を抱いて、片手で床に爪を立てて這っている。
おかんの身体の向こうから足音が近づいている。
……え………と? ……ちょっと……………俺、分かんないんだけど……
おかんの薄いピンクのワンピースが、真紅に染まってゆく。
何度か嗅いだ事のある鉄さびの匂いが俺を包む。
足音がどんどん近づいてくる。
俺は、男を見た。
必死に逃げようとするおかんの腕ごしに、緑っぽい髪の男を見た。
お前……おかんに何した。
がくりと、視界が低くなる。床についていた腕に力が入らなくなり、肩をぶつけるようにして倒れこむおかん。だけどやっぱり俺は手放さなくて、腕の中に抱えたまま大事に大事に身体に寄せる。
足音がすぐ傍まで聞こえ
近寄るな
俺はこの身体になってから初めて人を睨みつけた。
……お前さ……何した?
………お前さ、何したの?
…………何したのか……………………………って、聞いてんだよ!!!
男は足を止め、俺を見た。
喉の奥から低い咆哮が迸った。そんな声が出るとも思わなかったし、赤子が出していいような声ではなかった。
だけど、俺はそんな事にも気付けず男を睨みつけ獣のような咆哮を挙げた。
「―――……」
頭が真っ白になっても、この人の声だけはどうしてか届く。
視線を動かせば、にっこり笑ってるおかん。
瞼にキスを落とされて、俺はおかんにつられるようにへらっと笑った。
おかんの顔の向こうで、男が背を向けるのが見える。
「―――……――…」
なんで……だよ……
「―………―――」
なんで日本語じゃねーんだよ……
「……――」
おかんは笑ったまま、震える手で俺の頬を撫でる。
けれどその手はいつもと違ってヒヤリとしていて、囁く声も段々と小さくなって。
「― ……―――」
なんなんだよこれは!
なんで俺はあんたの言葉が分かんねーんだよ!
冷たくなっていくおかんの腕の中で、俺はおかんの髪を掴んだ。
さらさらしていた髪は、血糊に濡れて手にへばりつく。でも、おかんの髪だ。
なんで俺は赤ん坊なんだよ!
なんであんたを守れないんだよ!
「――……―」
声が聞こえなくなる。おかんの藍色の瞳がゆっくりと閉じられる。
……いわせろよ……ありがとうなって……いわせてくれよ……
何で言えないんだよ俺は……何で……なんで赤ん坊なんだよ………
「駄目よ……」
「そんなお目々……似合わない…」
「だい………じょうぶ」
「……守るから」
「ね? ……キルミヤ」
「愛して……る」
基本的にコメディです。
基本的に………基本的には……
まぁ次の話から本編スタートなので。