第五十七話 短め希望
鼻孔をくすぐる屋台のいい匂いにノックアウトされそうになりつつ、必死で理性保ちながら俺は視線を壮大な蒼い空へと向ける。
あー空が蒼い。
そして視線を落とせない。
落とせばノックアウト。
絶対肉汁滴る串焼きなんか見た日には離れられなくなる。一文無しなのに。
だんでぃずむカルマのダン君は、さっさと出ていけとばかりに追い出してくれた。
学院の制服のままだった服だけは着替えるように忠告されて、有り難く替えの服を頂いたがそれ以外は一切なし。
あ、違うか。スポーツ飲料は頂いたか。
でもさー。そりゃ協力断ったけどさぁ。もうちょっとちょーだいよー。
とか思ったが、少年をあんな状態にしたのは俺なので文句を言える雰囲気でもなく、気分はドナドナ。別に誰に連れて行かれるわけではないが、なんとなく。
「いやぁ参った参った」
俺の人生設計では、確かにパージェスを出て世界を巡るという事は組み込まれていたが、まさかこういうスタートになると誰が予測できただろうか。
学院に入学する事も予想外だったのに、こんな形で脱走するというのも予想外だ。準備も何もあったものではない。
と言っても仕方がないので、これからの事を考える。
ダン君は、あれからもう一晩休ませてはくれたが、腹に入ったのはスポーツ飲料だけ。舅のいぢめかと思う仕打ちに、俺の腹は最高にご機嫌な音を奏でてくれている。
うん。視線が下がってきたな。頑張れ俺、負けるな俺。無銭飲食は後が怖い。
大丈夫。気配を読むのは得意だ。上を見ててもぶつかる事は無い。あ、綺麗なおねーさんが子供の手を引いて避けている感じが……え、いや、そんな不審者を見るような視線……でも、でもですよ、視線落としたら不審者じゃなくて、犯罪者になっちゃう自信があるのですよ。そりゃずっと上見てれば変人だと思うのも分かるけど。
いかん。思考が逸れる。早めにどうにかしないと。
行商は元手が無い今は無理だから、傭兵兼冒険者か。そっち方面は気が乗らないが、うだうだやってる場合じゃない。
「そうと決まれば職安だ」
……………………ここの職安、どこ?
「いやぁ、だからね? ここには無いけど、契約はしてるんだよ」
「申し訳ありません。証が無い場合は受付が出来ません。再度の発行をお願い致します」
「でもさぁ、再発行だとお金要るでしょ」
「申し訳ありません」
「無茶言っている自覚はあるんだけどね、どーにか出来ない? 登録はパージェスの支部なんだけど」
「確認には一週間程掛かります。その費用も出して頂けるという事でしたら確認させて頂きます」
飢えます。一週間は飢えを通り越して衰弱死する勢いです。そしてそんな費用持ってません。持ってたら理性が抑える暇もなく串焼き買ってます。
必死の思いで俺命名職安こと、リットにたどり着いたのは小一時間程ウロウロした後。
リットは所謂、ゲームで御馴染のギルドに類似した組織。でもゲームのギルド程至れり尽くせりではない。
リットは登録員に対して仕事の斡旋を行っており、等級制によって受けられる仕事が決まっている。この辺はよくあるゲームと同じだ。
が、ここから異なってくる。基本的にリットに登録しようと思う輩は荒事専門か特殊技能職の二パターン。等級が問題で仕事を受けられない者はあまり居ない。ぶっちゃけ、等級が問題になるような者はリットに登録するよりもどこかに住み込みで働く方が安定しているし収入もいい。そもそも、そんな楽な仕事はあまりリットに来ない。つまり、ゲームのように誰でも出来ます仕事なんてそうそう来ない。
でもって、斡旋は行うが基本的には何があっても自己責任。怪我しようが、依頼主と揉めようが自己責任。リットが介入するのは料金の部分だけ。手数料が割合制なので、そこさえ抑えられたらいいのだろう。
福利厚生も当然なく、支援制度もない。具体的にはお金を預けるとか、消耗品の割安販売とか、そういった類。現に今も、俺がリットで登録した証を持ってなくて、パージェスの支部に確認とってくれと言ったら、時間が掛かるわ費用こっちもちだわで全く使えない。
本気で、ただ、斡旋するだけ。
改めて考えると職安と命名したのは間違いか。職安に申し訳なさすぎる。
いやまぁ理由は分かるのだが………
でも愚痴りたい時というものが人にはあるじゃないか……
カウンターにぐってりと覆いかぶさりながら恨めしそうに受付のお姉さんを見上げてみる。
お姉さんは営業スマイルも無く、こちらを見下ろしている。
スマイルゼロ円すらないなんて………
「邪魔だ、どけ」
がしっと肩を掴まれて、勢いよく俺は押しのけられた。
某みんなのヒーロー首から上がおいしい方ではないが、お腹が空き過ぎて力が出ない。ふらついて棚にぶつかり、上からバサバサと本が落ちてきた。
俺を押しのけた大男は受付嬢と二三言葉を交わし仕事を引き受けてさっさと出て行った。
…………あー……泣きたくなってきた。
「大丈夫?」
そっと肩に手を置かれ、視線を挙げると優しげな女性が………って!?
「エリーゼさん!?」
ダークブラウンの髪を後ろで一括りにした、三十代の細面で少し細目キツネ目の姉御的な雰囲気の女性は目を見開き口を開けた。
「………驚いた。ひょっとしてと思ったけど、あなたミア君?」
「あ、はい。ミアです。どうもお久しぶりです」
俺は慌ててその場に正座し、深々と頭を下げた。
「髪、染めたの?」
「あ~……いえ、どちらかというと、こっちが本来で――」
ぐーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
…………なっがいよ。俺の腹。自己主張してもいいけど、もうちょい短くしろよ、お前が鳴り終わるまでの微妙な間がヤだよ。さっさと終わればテヘッでいいけど、その長い間を俺にどうしろというんだ。
「と、とりあえず奥に行こうかしら。立てる?」
肩を震わせるエリーゼさん。
俺は肩を落とし、ちらっと受付嬢の方を伺う。さっきから彼女の視線が痛い。
「勤務中じゃないんですか?」
「あの子と交代したところ。今日は終わりなの」
手を差し出され、俺はちょっと迷ってからその手を取った。
「それにしても名前で呼んでくれるとは思わなかったからビックリしちゃった」
「あー。姉御の方が良かったですか?」
立ち上がりながら言うと、デコピンされた。
「ここでそれは止めて。あなたがそう言うものだからパージェスではずっと姉御だったのよ?」
「そりゃすいません」
「悪いと思って無いでしょ」
「テヘッ」
もっかいデコピンされた。
ちょっとずつですが、主人公が母親を殺されてから何をしていたのか明らかになってきます。