第五話 待ったなし再び
この子はよく眠る。
起きている時はあの人に似ている薄い紫の目を大きく開いて何かをじっと見ている。
ちゃんと瞬きしなきゃだめよと瞼にキスをすると、きゃらきゃらと笑って私に手を伸ばそうとする。
私の髪がお気に入りなのか、掴めると満足そうな顔をする。子守歌を唄うと決まって髪を掴んで嬉しそうな顔をして眠る。
この子が私の事を信頼しているのが全身から感じられて、泣きたくなるぐらい嬉しい。叶う事なら、やっぱりあの人にも抱いて欲しかった。この苦しくなるぐらい胸がつまる幸せをあの人にも感じて欲しかった。
おかんはときどき悲しそうな顔をする。
未だ視界はぼやけているが、テレパシー的な何かが俺にそう教えて――くれれば苦労はない。にこにこしている時はよく分かるのだが、そうでない時はあまりよく分からないので四六時中ガン見している。
あんまり見ていると瞼にキスをされてしまうのだが、それはそれで良し。
むしろもっと!
赤子の武器を全面に押し出して愛嬌ふりまきまくってみるが、残念な事にそうそう何度もしてくれない。
おかん~そのうち男なんてぐれて近寄らなくなってしまうんだから今の内だよ~ほらほら~
「あうあう」言いながらそれでも必死に喰らいついていると、何故か唄いだすおかん。
おかん。あのね、俺は歌いたかったわけじゃないんだよ。そりゃ言葉になってないから何言ってっか分かんないと思うけどさ、俺たぶん音痴だから歌苦手なのね? だからまず歌じゃないわけよ。
「――――」
ピタリと口を閉ざした俺に、おかんが何事か言う。
やっぱし何言ってるか分からなかった。だが、俺はその言葉のアクセントにピンときた。
これ、日本語じゃなくね?
俺は生後……もう何日目か分からんが、たぶん七日は経ったところで、よーやく答えに至った。
胎内に居た頃には確かに声が聞こえて言葉が理解出来たので、てっきり――というか意識する事もなく――日本語だと思っていたのだが、外に出てみればそれは難解な言語へと早変わり。
なんつーかこれはあれだな……完全に宇宙人のそれだ。何を言ってるのか以前に発音の仕方すらわかんねぇ。
何語に似ているとかという発想も出ない程に聞き取れない言葉で先行き不安になりかけたが、赤子の学習能力は人生の中で最も高いと聞いた事があるので耳慣れするだろうと、こちらを覗き込んでくるおかんにへらっと笑って見せる。
青っぽい髪のおかんは今時娘っこではなく、きっと外人さんなのだろう。せめて英語圏なら多少は分かったかもしれないが無い物ねだりは非生産的で疲れるだけ。おもろい言葉が使えるようになるのだと考えれば、むしろラッキーだ。
例えば、履歴書の特技だとか資格に英語を書いても
『あ、ふーん。そう』
で終わってしまうが、そこにリヴォニア語とかあったらどうだろう。
『……え。なにこれ。使い道あるの?』
『使い道ですか? ご存じだと思いますが、世界には消えゆく言語があります。このリヴォニア語もそうなるかもしれない言語なのです。ですから、使う事自体がこの言語の使い道だと言えるかもしれません。本当は多くの言語を覚えて後生に伝えていければと思うのですが、覚えられたのはまだこれしかなく、これからも増やしていこうと考えています』
『へえ~そうなんですか』
てな感じで掴みに最高だ。たとえその後、
『君はもっと進むべき道が他にあると思いますよ』
と言われても
『君の才能を生かす道は他に沢山あると思います』
と言われても
『君はうちの社におさまるような人間ではない』
と言われても!
掴みのみに置いて言えば最高だ――と、思っている。
なぜだ。なぜどいつもこいつも憐れむような目で俺を見るんだ。
リヴォニア語とか聞いた事が無いから適当だとでも思ったのか。思ったのかええこらおい。
あるよ。本当にあるんだよ。母国語としてはあんまり使われなくなってしまったらしいんだけど、ちゃんとあるんだよ。
就職難でやさぐれた俺を拾ったのは零細企業。てっきりつぶれると思ったその会社は五年もの間持ちこたえ……どころか、ちゃっかり社員数増やして世間の波風ものともせず、微弱ながらも右肩上がりに成長を続けていた。
うちの社長変人だけど。
変人だからこそあれだけの人間が集まったのかなぁ? と思い出していると、不意に視界の中にきらりと光るものが見えた。
良く見えないのでやっぱりガン見すると、きらきらと光るそれはおかんの頬を流れていた。
おかんはぼうっとしている様子で窓の外を見続けている。
………おとん。か?
今生のおとんは、まだ見てない。でもたぶん、見れないんだろうなぁと俺は予感していた。
胎内で旦那だと思ったあの男の声、あれがたぶんおとんだ。
おかんはおとんと離れる時、泣いていた。泣いておとんの分も俺を守ると言っていた。
俺は精一杯手を伸ばして、おかんの頬を撫でた――つもりで、実際はぺちりと叩いてしまった――
おかんはびっくりした顔をして俺を見る。
俺はその顔に、にへらっと笑って見せる。
もうちょい時間はかかるけどさ、おかんは俺が守ってやるからそんな顔するなって!
言葉に出来ないし、言葉も分からないけど「おおうあおうあああ」と声に出して宣言する。
おかんは呆けたように俺を見ていたが、やがてくしゃくしゃっと顔を歪めると俺を抱きしめるように顔を伏せてしまった。
あ、あれ? 逆効果? うわちょ、ちょっと待ってすとっぷすとっぷ!!
細かく震えるおかんの身体に、汗じと流す俺。
おかん泣かせるとは――前おかんでは有り得ない事態だが――どうにかしなければ!