第三話 待ったなし
待ってください。
待ってください。
待ってください。
人間何事にも心の準備というものが必要なんです。
特に俺のように繊細で極小の精神の持ち主にはそれ相応の対応マニュアルというものがありまして。
それにのっとって対応して頂かなければ後々にわたって傷やら禍根やら他人が聞けば喜びそうなものですが本人にとっては本当に一大事の事態になるのです。
つまりどういう事かと申しますと、
いきなり収縮開始しないでーーーーーーーーー!!!!!
あ! ちょ!? これどうなんの!? 俺どうしたらいいの!? 俺何週目!? ちゃんと十月十日経ってるよね!?
めちゃくちゃ意識はっきりしてるからちゃんと育ってるよね!? 医者いるよね!? 何で外の音が聞こえねーんだよ!!
外の音が聞こえない理由は俺が焦り過ぎて気付いてないだけ。と、後々解釈。
そもそも何で俺が胎児なんだよ! 逆行しすぎだろ!!
あ~子供にもどりてー……って、思ったけど、これは戻り過ぎだろ!!!
あっ! ちょちょっと待ってお母様! そんな追い出そうなんてひどいわ!! もうちょい息子の心の準備というものを!!!
動揺も焦りも全く無視され、たぶん子宮だろうと思われるが、それが狭まって『ほらほら早くいきなさーい』と追い立てる。
もはや気分は断崖絶壁でバンジーさせられる直前。後ろからどんどん押されてる感じだ。
………っやりゃーいーんだろーが。やりゃー……
覚悟を決めて、突っ張っていた手を身体に引いて周りの動きに身を任す。
グッと頭に圧力が掛かり、とんでもトンネルをゆっくりと進んでいく。
い……痛いっつーか、圧力が……圧力が……顔面が……
頭が出たと思った瞬間、つるりと身体も押し出され、なんかすごい勢いで顔やら身体やらふかれた。
「あぎゃ! あぎゃー! あぎゃー!」
やっぱり出た瞬間は『おぎゃー』だろ。と、それだけは用意していたのだが、誰の手だか知らない神速垢すりもどきにビビり過ぎてそんな考えもふっとび、気が付いたら変な絶叫を出していた。
そういや息出来た……息の仕方忘れてたらどうしようかと……
本当のぬるま湯で身体を洗われ、ふわふわとした布にくるまれているところで俺はボンヤリとしてきた。
声をあげ続けるのも大変で、呼吸が落ち着いたらもう後はどうでも良い気分で、眠いとか疲れたとか思う間もなくブラックアウト。
元気な産声をあげてくれた我が子に安堵が満ちる。
乳母に取り上げてもらった子を胸に抱き、その小さな手にそっと指を添わせると、ちいさなちいさな力でギュと握ってくれた。
どうしようもなく愛おしくて、何に置いてもこの子だけは守ろうと誓う。
あの人に抱いてもらう事は出来ないけれど、その分も私が一杯抱いて愛そうと誓う。
まだ薄い髪は私と同じ青褐色。目元はあの人そっくり。鼻は私だろうか。口はどちらだろう。瞳はあの人と同じだろうか。
これからどんどん大きくなって、いつか私の背も超えて、あなたは幸せになるの。絶対に。