第二十一話 過去の淵
今でもあれは、あまり思い出したくない。
――選ばせてやろう 父母の下へと今すぐ逝くか それとも あえかな光に縋るか――
そんな問いを八歳児にしないでほしい。
小学二年の時の記憶などとうに忘れて久しいが、阿呆な見栄を張って無駄な喧嘩を繰り返していた気がする。一日一日で完結し、翌日に持ち越される問題など無かった。宿題を含めて。宿題に関しては俺が覚えてなくとも先生が覚えているので自動的に翌日嫌という程自覚させられたが。
とにかく興味ある事を追及して、同じ興味を持つ奴と競い合って、全力投球しっぱなし。よくも疲れないなという毎日を送っていたと思う。たぶん。
ともかく、勝負相手や渡り合う相手は同じ年齢で、大人との経験など無かった。
どういう設定になっているのやら、間違いなく今生はハード設定に違いないと現実逃避をする反面、俺の口からは獣のような低いうなり声が絶えず出ていた。
背を踏みつけられ腕を捻られた状態にもかかわらず、俺の身体は勝手に抗い目玉が飛び出そうなほど目を開き相手を睨んでいた。
肩にかかる髪は新緑を思わせる鮮やかな緑。冷笑が浮かぶ双眸は切れ長で、瞳は赤くも見える濃い紫。
誰に言われなくとも説明されなくとも、それがおかんを殺した相手だと分かった。
根拠などトブに捨ててやる。そんなものは必要ない。俺の全身全霊がそいつを拒絶し嫌悪し破壊しつくしてやりたいと叫んでいた。
だけど、いいのか悪いのか俺にはそいつを殺せるだけの力は当然のごとく無く、変わりに格上との経験を持つ精神があった。
その精神が、抵抗するだけ危険だと判断した。
暴れ狂う心を理性で覆い、現実逃避という名の弾幕を張って自分自身を惑わし、俺は男と対峙した。
「子供相手にいい大人がムキになるなよ」
息を整え、獣を腹に納めて軽く挑発すると男は目を細め口角を少し上げた。
幼児を踏みつけたまま笑う男の顔は狂気に満ちていたと思う。まともな子供が見れば泣くか失禁するか暴れるか。
「目の色が変わったな」
「変わるかよ。俺は生まれたときからこの色だ。目が悪いんじゃねーの?」
男は暫し吟味するように俺を観察すると、手を離した。足は俺を地面に押さえつけたまま。
「面白い。ここで殺すには惜しいやもしれん」
そうして俺は決まりを一方的に言い渡された。
「か………大丈夫ですか?」
ふと、俺は瞼を抑えている事に気付いた。
「あ。悪い、聞いてなかった」
少年は眉を寄せ、首を傾げる。
「それほど心配しなくても、本当に大丈夫ですよ?」
「その自信はどこから来るのか。少年は学生だろうに」
「それはそうですが……一応こちらで習得出来るものは既に習得してしまっていますし」
おいおいおい。
「じゃ何で入学してんだよ」
「………まぁいろいろと」
「ふーん」
少年もなかなか面倒臭そうなものを抱えていそうだ。
下手すりゃ俺より面倒なのかもしれない。それなのにまぁよくも手を貸そうと思ったものだと思う。
人目に付かない場所に移動しながら、小さな背を眺めていると「あぁそうだ」と少年は振り返った。
「封印を解除してから祝福の方も何とかしましょう」
「ん?」
「今のままでは魔術が使えないでしょう?」
「……え………もしかして知ってんの? 俺のノーコンっぷり」
「はい」
青年だけだと思ったのに、ここにも居ましたよ。
ここんとこダメージ受けてばっかなんですけど俺。ガリガリガリガリ削れちゃってるんですけど。もうちょいしたら泣きながら駆けていきそうな自信あるんですけど。
「あの……落ち込む事じゃないですよ?」
「生暖かいよ。さっきから少年が生暖かい目で見るよ。掘削機のごとく削られるよ」
「くっさく? なんですかそれ」
分からないなら説明しよう。
「掘削機、またの名を油圧ショベル又はパワーショベル。俺的には後者が好み。
複数関節のアーム先端が付け替え可能な自走式建設機械。主に下向きバケットを取り付けたバックホー形態が一般的。
ちなみに俺が削られたイメージもこれ」
痛いよ? 痛いよっていうか血をみるよ? 土石相手の代物だからこれ。
「いや……あの、そんな『どーだ』という顔をされましても……余計に分からなかったのですが」
「はっはっは。分かったらむしろすごい」
「……………
精霊に愛されし者の多くは、どうしても魔術のコントロールが苦手になるものです」
あ、すごいスルーされた。
グラン以来の清々しいスルーだ。クロワッサンはいちいち拾ってくれるから面白かったが、少年はあんまし拾ってくれないらしい。
「普通は同調力があるので、それで精霊を抑止するんですけど」
「あぁ、俺には無いから難しいんだ?」
「はい。なので、定量を決めておきましょう」
「定量?」
「後で説明します。
その前に、魔導と魔術の違いを知っていますか?」
俺は、はて? と首を傾げた。
魔導と魔術は同じ意味で使われているものだと思っていたのだが。