第十三話 いいえ小心者です
俺は青年の口を塞ぎ、身を潜めた。
例の精霊さんとやらが運んでくれる声やら音は、体力が戻った後は元気よく復活してくれた。
以前ほどの喧しさでないのは救いだったが、それでも授業中に教師の話をまともに聞く気も失せる程の威力はある。
基本的に、俺にとってはうんざり要素の超高性能地獄耳だったが、ごく稀に役に立つ事もある。
〝まだ見つからないのか〟
〝申し訳ありません。舎の方には……〟
〝結界場かと。ここまで入って特定出来ないとなると〟
〝他にも同様の箇所はあります〟
一言で表すなら、不穏。
数ある雑音を電源オフにして聞き流しているが、その声は嫌に耳についた。
言葉自体は咎められるようなものではない。が、声の質とでも言うのだろうか。それが不安を掻きたてたのだ。
それにしても結界場かぁ……
結界場には同期生がまだ授業をしているだろう。本来なら、俺もそこに居る時間だ。
いやぁでもなぁ、俺がらみじゃないよなぁ………?
嫌な汗を掻きながら、一先ず声の主が近くに居ない事を確認していると青年がもがき出した。
「静かに」
ここで見つかって、青年を庇いながら複数人勝負するというマゾい趣味は持ち合わせていない。
「お前はここにいろ」
下手に動かれて鉢合わせするよりはこのままジッとしていた方が安全だろう。
その間に相手を見つけて様子を伺えば誰が目的かも検討つく。と、思った。
伊達に雑音に苛まれ続けていたわけではなく、ある程度は音の発生源を割り出せる。さすがに目の前というか、周囲の音かはるか彼方の音なのか区別がつかなければ日常生活は送れない。そこまでの道のりは今さら思い出したくもないが。
過去の黒歴史をちょっぴり思い出しかけていた俺は、人の気配を感じて速度を緩めそっと木陰に身を寄せた。
〝結界の可能性があるのは〟
〝療養室と教師塔、それから結界場です〟
〝三手に分かれますか?〟
大当たり………
覗いた先にはご丁寧にも顔を隠した男が三人、ぼそぼそと囁き合っている。どこからどう見ても堅気の人間ではない。
どーしよー。どーしよっかー。どーしょっかなー。
あぁ俺、昔に比べて呑気になってきたなぁ。ガキの頃は慌てまくっておっさんのとこ駆け込んで呆れられて。
普通は焦るよな? ガキの俺の反応間違ってないよな? 俺が呑気になったのは環境のせいであって俺は悪くないよな?
うんうん。俺悪くない。
自問自答で一人満足感に浸っていると、有り得ないものが視界に飛び込んだ。
群青色の髪から雫を垂らしたままの、おせっかい青年が息せき切らして走ってくる姿。
なしてー!!?
「どうし――」
俺は素早く奴の口を塞いで木陰に押さえつけた。音を立てなかった俺を褒めて欲しい。本当に、褒めて欲しい。
「何でついてきたんだ!」
青年は空気を察してか今度は抵抗を見せなかったが、そのかわりとばかりに眉間にくっきりと皺を刻んで睨んできた。
睨むな。睨むのは俺の方だと言いたいのを我慢して口を塞いだ手をどける。
「いきなり走り出すからやろ。どないした」
青年にとっては説明不足だったらしい。
俺の所為かーーー!!
〝あまり時間はない〟
あぁくそ……あちらさんは動こうとしてるし……
焦っているというのに青年は緊張感の欠片も無く頭を出そうとしたので慌てて押さえつける。
もう一度睨まれ、仕方なく事情を説明する事にした。
「どうも学院とは関係ない部外者が侵入しているようだ」
「は?」
突拍子もない話に目を点にした青年。
百聞は一見に如かず。論より証拠とばかりに、あまり顔を出すなと注意して様子を見させる。
「なんやあいつら」
ようやく青年も事態を理解してくれるが、そんな『どういう事だこれは』という顔を俺に向けないで欲しい。
「分かんねーよ。けど……」
「けど?」
「誰だ!」
うげっ!
うめき声はかろうじて抑えたものの、勘づかれてしまっては隠れていても仕方がない。
青年を見れば、顔色が面白いぐらいに急降下して真っ青を通り越し真っ白になっている。
さぁこの青年に向かって逃げろと言ってきちんと逃げ切れるだろうか?
答えは明白だ。俺自身が恐慌状態に陥った事があるから言える。高確率で、身体がまともに動いてくれない。
その状態で覆面男の内一人でも追われたら、まず逃げ切れない。
どーせならこういう場面は美女がいーんだけど……
「お前、ここから絶対出るなよ。いいか、絶対にだ」
「え、おまっ」
青年を置いて俺は木陰から姿を現し、相手に認識させた。
男は三人とも剣を履いている。こちらは素手のみ。
今さらだけどまずくない? ねぇまずくない? これ、死亡フラグ?
「……学院の生徒、か」
くぐもった声で呟く覆面の男に俺は言いたい。
学匠である青色の上着を着ている者で、学生以外に何があるのだと。あんたのボキャブラリーは枯渇しているのかと。
言ってもスルーされそうなので、俺は絞ったらたっぷり水が出そうな上着を外しつつ、男たちの左手に移動するようにゆっくり移動する。
「おっさん達、学院の人じゃないよね~。すんげーあやしいしー」
俺の軽口に覆面の男たちは視線を交し合っていた。殺るか? と。
リーダー格と思われる男が視線で肯を現し小さく頷いた瞬間、男たちは剣を抜き放った。
あはははは。きたよ。まじできたよ。やっべ……
俺は笑いそうになる膝に力を入れ、接近してきた男の間合いを外すように後方に下がりつつ途中まで脱いだ上着の袖を勢いよく抜いてよじり、振り下ろされた剣先を受け止めつつぐるりと一巻して剣の腹に肘を当て、そこを支点にして身体を捻り相手の手から剣を放させる。
それでもプロはプロ。戦意を失うどころか増して蹴りを繰り出してくるのを避けて、手から離れた剣を掴んで懐に入り距離を取られる前に剣の柄で顎を下から思い切り殴りあげる。
まずは一人だが、よっぽどお仕事大事なのか味方ごと殺ってしまおうと後ろから襲いかかってきている気配に溜息が出る。でも連携はあまり取れていない。リーダー格の男が連携に加われば逃げ道が無くなりそうだが、俺の事を過少評価してくれているのか動こうとしていないので、これぐらいなら大丈夫だろう。
「後ろ!」
え!?
青年の声がした事に一瞬反応が遅れるも、俺は気絶した男を掴んだまま横手に飛んで背後からの攻撃を避ける。
「……もう一人居たのか」
リーダー格の男は呟き、姿を現した背年を見た。
このっ……
「馬鹿が! 動くなって言っただろ!」
「うるさい! 危なかったやろうが!」
怒鳴ったら怒鳴り返された。
え? え?? ここ俺が怒鳴られるとこ?
ちょっと動揺しつつ、でも素直に受け取れない年頃(身体年齢)の俺はさらに怒鳴る。
「俺は平気なんだよ! お前に心配されるまでもないんだよ! いいからとっとと逃げろ!」
「なっ! お前を置いて行けるかぼけ!」
青年。そーいうセリフは女の前で………言っちゃだめだな。言うって事は女を戦わせてるって事だよ。何してんだよ男が。
気絶した男をポイ捨てしてると残った覆面男二人は視線を交わし、リーダー格は俺に、もう一人は青年へとロックオン。
俺は一気に間合いを詰められて一瞬にして鍔迫り合いに移行した。一撃を受けた瞬間にびりびりと手が痺れ、せり合う今も馬鹿力で押され、少しでも力を抜けば剣ごと叩き切られそうな勢いだった。
それなのに視界の奥では魔導書を投げつけるだけで精一杯の青年の姿が入る。
命をかける事など貴族の青年には無かった事だろう。本を投げるという事だけでも動ければましなのかもしれないが、結果が伴わなくては意味が無い。
ああもう……
俺はガクンと膝をつき、男の重心が前のめりになった瞬間横に転がり起き上がりざまに剣を投げつける。追撃をかけようとした男は難なくその剣を弾くが俺にとってはそれで十分。手のひらを天に突き出し叫ぶ。
「其は波動の素 零々のゆえんたる汝をここへ!」
声に応じるようにして俺の手のひらに火炎が生まれる。
驚きにか目を見開く男に向かって、俺はそれを全力投球した。
ごうっ!!
唸りを挙げて業火へと膨らんだ炎は一瞬にして男を喰らい、さらに青年に迫っていた男も飲み込んで、その向こうに続く林の木々も包んでさらなる姿へと変貌しようとする。
俺はもう一度手のひらを天に突き出し叫んだ。
「其はやすらぎの源 零々のゆえんたる汝をここへ!」
ざああああああああ
今度は叩きつけるような雨が一体を襲い、広がる炎蛇を消し去る。
炎が通過した後は黒く炭化していたが、残念な事に男の姿はあった。
さすがに無傷というわけではなく、焦げた服の間から覗く皮膚は赤く爛れている。
「お前らの相手は俺だろ」
これ以上やるなら、俺は手段を選ばない。
俺の本気に、リーダー格の男は目を細めた。
「貴様、白の宝玉の仲間か」
俺は答えず、弾き飛ばされていた剣を拾い、構えた。
「……退くぞ」
リーダー格の男が小さく言うと、もう一人が気絶した男を抱えて林の中へと消えた。
俺は黙ってそれを見、気配が学院から遠のいたところで手にした剣を捨てた。
固まったままの青年の所へ行こうとして、上着が落ちているのに気付いて拾っていく。
「あーあ、ぼろぼろ……」
なかなかに高価らしい学匠の上着は、広げてみると刃を受けたところが切れて穴が開いていた。
荷物の中に用意されていたのは二着なので、もう一着が駄目になったら面倒だ。
「お前……さっきの何だよ」
「ほれ行くぞ。ここに居たら面倒だ」
さっきの炎といい水といい、遠目でも派手に見える。ぐずぐずしていると教師達が駆け付けてしまう。
俺は青年の腕を掴みその場を離れようとした。
「なんだったんだよさっきのは! お前……魔術」
「下手なんだよ。突っ込むな」
心底突っ込んでほしくない。
分かっていたから使いたくなかったのだ。
「下手!? あれで!? どこがや!!」
「声でけーよ。あいつらは引いたと思うけどそんな騒ぐなって」
「あ……」
不安になったのか、後ろを振り返りきょろきょろとしている青年。
あ、まずった。まだ恐慌状態に近いわこいつ。
「おいおいおい。だーいじょーぶだって。あれはぜってー引いたから」
盛大に呆れて見せれば、怯えた目が俺に救いを求めるように向けられる。
これが美女だったら――美少女でも可。幼女……も、可――ガッツリ攻めに入るところなのだが、不幸にも相手は青年。
「そう……なのか?」
「ぷぷ。こわがってやんのー」
びびりまくっている青年の頬をぐりぐりと突いてやると、凶悪な目をして叩き落された。
地味に手が痛かった。
「うるさいわ! それより、さっきのはどういう事や」
どういう事も何も事の成り行きは青年と一緒に見ているのだから、それ以上はない。
何を言わんとしているのか分からず首を傾げる。
「なにが?」
「とぼけんな。何で魔術が使えないふりしてたんや」
あぁそっちかと納得する俺。
「あーひっぱるねぇ。しつこい男は嫌われるよ? 女の拒絶の言葉は半端ない威力なんだよ?」
「話かえんな。何で嘘ついてた」
……嘘?
「嘘? 嘘はついてないって」
ないない、本当ない。
俺嘘つかない。
嘘つくイコール後が怖い。
俺チキン、イコール嘘つかない。
「ついてるやろ! 魔術使えないふりして」
あぁーなるほどね、君の中ではふりも嘘だという事かぁ~
そう言われちゃうとそうなんだけど、でも使えませんって自己申告するような言動は取ってないつもりなんだが。
「してないしてない。使うのめんどーだから使ってないだけ。使えないなんて言ってないだろ?」
確認してみるが、青年の凶眼は悪化の一途をたどるばかりで改善傾向は一向に見られなかった。どころか、なにやら黒いものを滲ませて来たので俺の本能がヤバいと訴え、慌てて言葉を追加する。
「んな怖い顔で睨むなよ…………あのな、面倒だから言うけど、本当に巫山戯てるつもりはないんだよ」
「へぇ、そうなんか?」
青年の笑みが黒すぎて怖い。生ぬるすぎて怖い。
あまりに怖くて、俺は言う気ではなかった事までしゃべってしまった。
「さっきの術、俺はあそこまででかくしよーなんて思ってなかったんだよ。だけど、制御が効かない。小さいものになればなるほど制御から外れるから、人前じゃ出来ないんだよ」
この火と水の魔術、元はさっき授業で見たように些細な効果しかない初級魔術に位置する。それがどこをどう間違えばああなるのか俺自身にも分からないが、俺がやるとああなる。授業中に大真面目にやろうものなら蝋燭一本どころか何人燃やすか分からない。
つまり、千人切りコースは無理。味方巻き込み自爆コースなら可。という無能な俺。
「もしかして……だからか? 授業で」
「細かい作業は昔から苦手なんだよ。ほっとけ」
俺が視線を逸らせていると、くすくすと声が聞こえ、見れば青年が呆けた顔で笑っていた。
「何笑ってんだよ。気色悪ぃな」
「何でもないわ。……………なぁ、さっきの奴らを知ってるのか?」
笑われたのはまぁいいとして、俺は心当たりを一つずつ照らし合わせてみる。
あの手の問題を引き寄せるのは俺ではなくてグラン。ごれまでにも何度かパージェス家の周りをうろちょろしている者は居たが、どれも偵察という感じですぐにグランの手の者に潰されていた。
「分からない。多少の心当たりはあるけど、どうもそれとは違ったような……」
「心当たり?」
「グラン関係だよ」
「グラン……お前の兄貴か。あぁなるほどな。出世頭だから敵は多いかもしれんな」
「だけど俺の顔を見ても反応してなかったんだよねぇ………。ま、なんにしてもさっきの事は誰にも言うなよ」
「何でや? 教師には話さな。そうすれば警備を強化してもらえるやろ。犯人だって捜してもらえる」
そりゃあ捜すだろうが、相手が相手ならそれも意味が無いだろう。
それに学院に対する行為でないとなれば、各家の問題で、そこは自分ところで後始末してほしい。
学院の責任もあるかもしれないが、それに振り回される他の生徒はいい迷惑だろうし余計な不安を与える事になる。
襲われるかもしれないっていう圧迫は結構きついからな……
無駄と思いつつ、俺は反論してみた。
「それは無駄だろ。ここにはあのサジェなんとかってぼっちゃんだとか、お偉いさんの子供がいるんだ。ざるな警備をしてやないさ」
「だからと言って、このままにしておくなんて出来るか? お前だって狙われるかもしれんのやで?」
…………あ、そゆこと。
確かに目撃者の俺と青年は口封じに狙われる可能性はある。俺はグランの事があるから今更気にもしないが、青年にとってはとんでもない話だ。
「……な、なんや」
「はぁ……まぁ、そうだよな。俺たちが標的にされるかもしれねーし。わかったよ。お前の好きにしろ。但し俺の魔術については黙っててくれ」
「何でや? 教師に相談すればいいやろ」
恥をさらせと? 冗談ではない。
「なんでもだよ」
「……なんやそれ」
「さて、さっさとメシメシ」
それ以上の追撃を遮って俺は元気よく歩き出した。
「お前そればっかりやな。補習の事忘れるなや。それ以前に着替えやけど」
頭を叩かれ、襟首掴まれて愛しの食堂から遠ざかってしまう俺。
………そろそろ、いいかな?
………………………いいよね? もういいよね?
俺はずるずると引き摺られながら、長く息を吐いた。
緊張を解いた途端、ガクガクと膝が笑いだした。