第十二話 嘘つき?
突然口を塞がれ、覆いかぶさるように押さえつけられた。
いきなり何をするんやともがくと「静かに」と低い声が降ってきた。
キルミヤは薄い紫色の目を細め、周囲を探るように視線を走らせていた。
先ほどまでのふざけた態度とはまるで別人で、思わず手を払いのける事も忘れて凝視してしまった。
「お前はここにいろ」
そう言って寮とは違う方向へ走り出す。
「え、おい」
分けが分からなかったが、とにかくキルミヤを追った。
キルミヤはいつもの怠惰な挙動とは似ても似つかない動きで林の中を駆けてゆく。
こいつ早すぎやろ、隠しよって……
ようやく追いついた時、キルミヤは木の陰に身を潜めていた。
「どうし――」
キルミヤは俺の口をまたも塞ぎ、自分と同じように木の陰に引っ張った。
「何でついてきたんだ!」
小声で抗議するキルミヤに、眉間に皺を寄せ睨みつける。
「いきなり走り出すからやろ。どないした」
キルミヤは舌打ちをし俺の質問にも答えず木の陰の向こう側を窺った。
舌打ちをするのもそうだったが、焦る姿を見るのは初めてなような気がした。
大抵寝てるかわれ関せずでボーっとしているかの二通り。不真面目で馬鹿で阿呆のこの男がここまで狼狽えるとは、予想外だった。それだけに、何に焦っているのか視線の先を覗こうとしたら、すぐさま頭を押さえられた。
「どうも学院とは関係ない部外者が侵入しているようだ」
「は?」
あまり顔を出すなよと注意されて窺って見れば、確かに顔を隠した男たちが三人、小声で何かを話している。冒険者という類ではなく、明らかに裏側の類だと分かる。それに真っ当な来訪者であればこんな所でこそこそしている必要などない。
「なんやあいつら」
「分かんねーよ。けど……」
「けど?」
「誰だ!」
三人のうち一人がこちらに気づいた。
ぞくりと背中を悪寒が這い上がる。
魔術を一つも使えない学生の自分達が、見つかってただで済むわけがない。
逃げ切れるんか?
裏稼業の人間を相手に出来る訳がないと恐慌状態に陥る一歩手前の頭で考える。ならば、足の速いキルミヤを逃がして教師を呼ぶ。それしかない。教師が駆け付けるまで、とにかく逃げ続けるだけだ。
覚悟を決めた時、
「お前、ここから絶対出るなよ。いいか、絶対にだ」
「え、おまっ」
キルミヤは立ち上がり、止める間もなく陰となっている木から一歩踏み出した。
あ……あんの…あほうが!!
「……学院の生徒、か」
くぐもった声で呟く覆面の男。
キルミヤは薄い笑みを浮かべて男たちに近づいた。
敵うわけないやろ! どないすんねん!! 今の内に助け呼べばいいんか!? ってこいつ放置していけるわけないやろ!!
「おっさん達、学院の人じゃないよね~。すんげーあやしいしー」
俺の絶叫などどこ吹く風で、飄々とあの巫山戯た口調で話しかけている。
あいつは神経がいかれてるんとちゃうんか? こっちは隠れてても足が震えて音を出さんようにするだけで精一杯やのに……
必死に恐怖を抑え込んで、少しだけ顔を出して様子を伺う。
覆面の男たちは視線を交し合っていた。どうする? というように。
主格と思われる男は小さく頷いた瞬間、男たちは剣を抜き放った。
キルミヤは後ろに下がって距離を取りながら上着を脱いでよじると、振り下ろされた剣をあろうことかそれで受け止め絡めとった。
絡めとられてもなお襲い掛かる男。キルミヤはすかさず剣を取り、男の蹴りを避けると懐に入って男の顎を剣の柄で殴った。
その後ろから、気を失った男もろともキルミヤを切り捨てる勢いの剣が振り下ろされる。
あかん!
「後ろ!」
キルミヤは俺の声に、気を失った男の胸倉を掴んで横に飛んだ。
「……もう一人居たのか」
覆面は呟き、姿を現した俺を見た。
「馬鹿が! 動くなって言っただろ!」
「うるさい! 危なかったやろうが!」
「俺は平気なんだよ! お前に心配されるまでもないんだよ! いいからとっとと逃げろ!」
「なっ! お前を置いて行けるかぼけ!」
二人の覆面は視線を交わすと、一人はキルミヤに、もう一人は俺へと間合いを詰めてきた。
あかんあかんあかん!!
逃げようとしても足が地面に縫いとめられたごとく動かない。
俺は持っていた魔導書を投げつけるが、あっさりと避けられた。
「其は波動の素 零々のゆえんたる汝をここへ!」
突然キルミヤの声が響いたかと思うと、目の前を赤が躍った。
な………なんや!?
赤は炎。俺に襲いかかってきた男を飲み込み、さらに横手の林も飲み込んで物凄い熱風をまき散らせていた。
「其はやすらぎの源 零々のゆえんたる汝をここへ!」
ざああああああああ
続けてキルミヤの声が響き、空より大量の水が発生した炎の全てを消し去るように洗い流す。
俺は、キルミヤを見た。
だけどキルミヤは鋭い目で何かを睨みつけたまま。
視線の先には、服を焦がした男たちの姿がまだあった。
「お前らの相手は俺だろ」
声は地を這い空気を振るわせた。
少し巫山戯た調子の残る声。だけど俺は知らぬ間に、震える身体を押さえていた。
「貴様、白の宝玉の仲間か」
キルミヤは答えず、手にした剣を構えた。
「……退くぞ」
男は小さく言うと、倒れた男を抱えて林の中へと消えた。
キルミヤは男たちが消えた方角を睨みつけていたが、しばらくして手にした剣を捨てた。
剣を受け止める為に使った上着を拾い上げ、俺のところへと戻って来た。
「あーあ、ぼろぼろ……」
剣を受け止め穴が開いた上着を見てため息をつくキルミヤ。
「お前……さっきの何だよ」
「ほれ行くぞ。ここに居たら面倒だ」
キルミヤは俺の腕を掴みひきずるようにしてその場を離れようとした。
「なんだったんだよさっきのは! お前……魔術」
「下手なんだよ。突っ込むな」
こいつ……本気で言ってるんか?
俺は耳を疑った。
あんな威力、学生ごときが出せるものじゃない。それどころか魔導師団員だと言われた方が納得出来る。
「下手!? あれで!? どこがや!!」
「声でけーよ。あいつらは引いたと思うけどそんな騒ぐなって」
「あ……」
不安になって後ろを振り返るが、焦げた木々が見えるだけであの男たちは居ない。
「おいおいおい。だーいじょーぶだって。あれはぜってー引いたから」
「そう……なのか?」
「ぷぷ。こわがってやんのー」
ぐりぐりと頬を指で突かれ、俺は無言のうちにそれを叩き落とした。
「うるさいわ! それより、さっきのはどういう事や」
「なにが?」
「とぼけんな。何で魔術が使えないふりしてたんや」
「あーひっぱるねぇ。しつこい男は嫌われるよ? 女の拒絶の言葉は半端ない威力なんだよ?」
「話かえんな。何で嘘ついてた」
「嘘? 嘘はついてないって」
「ついてるやろ! 魔術使えないふりして」
キルミヤはこっちが理性切れそうになりかけているのもお構いなしに気楽にパタパタと手を振った。
「してないしてない。使うのめんどーだから使ってないだけ。使えないなんて言ってないだろ?」
こいつ……は。
こいつはどれだけの人間が魔導師になれるのか、魔術を操れるのか知っているのだろうか。
魔術を操る素質を持つものが数百人に一人と言われ、その中で教育を受ける事が出来るものはホンの僅か一握りだ。
学院に通えるという事は、それだけ恵まれた環境に居るという事になる。通いたくても通えない人間は沢山いる。俺にしてみても、家の再興という使命のもとに相当な無理をしてここに通わせてもらっている。それなのに。
「んな怖い顔で睨むなよ…………あのな、面倒だから言うけど、本当に巫山戯てるつもりはないんだよ」
俺の怒気に気付いたのか、キルミヤは少しだけ弱ったような顔をした。
「へぇ、そうなんか?」
「さっきの術、俺はあそこまででかくしよーなんて思ってなかったんだよ。だけど、制御が効かない。小さいものになればなるほど制御から外れるから、人前じゃ出来ないんだよ」
視線を逸らして答えたキルミヤは、気まずそうに、加えて幾ばくか恥ずかしそうだった。
「もしかして……だからか? 授業で」
「細かい作業は昔から苦手なんだよ。ほっとけ」
蝋燭に火打石で火をつける事が出来るくせに、細かい作業は苦手だという。
なんやそれ。
「何笑ってんだよ。気色悪ぃな」
「何でもないわ。……………なぁ、さっきの奴らを知ってるのか?」
キルミヤは黙り込み、しばらくしてから首を横に振った。
「分からない。多少の心当たりはあるけど、どうもそれとは違ったような……」
「心当たり?」
「グラン関係だよ」
「グラン……お前の兄貴か。あぁなるほどな。出世頭だから敵は多いかもしれんな」
「だけど俺の顔を見ても反応してなかったんだよねぇ………。ま、なんにしてもさっきの事は誰にも言うなよ」
「何でや? 教師には話さな。そうすれば警備を強化してもらえるやろ。犯人だって捜してもらえる」
俺の言葉にキルミヤは微妙な顔になった。
「それは無駄だろ。ここにはあのサジェなんとかってぼっちゃんだとか、お偉いさんの子供がいるんだ。ざるな警備をしてやないさ」
「だからと言って、このままにしておくなんて出来るか? お前だって狙われるかもしれんのやで?」
キルミヤは動きを止め、俺を見た。
「……な、なんや」
「はぁ……まぁ、そうだよな。俺たちが標的にされるかもしれねーし。わかったよ。お前の好きにしろ。但し俺の魔術については黙っててくれ」
「何でや? 教師に相談すればいいやろ」
「なんでもだよ」
「……なんやそれ」
相談すれば制御出来るように訓練をつけてもらえるかもしれないのに、このやる気のなさはなんなんや……
「さて、さっさとメシメシ」
早々に日常に立ち戻ったキルミヤは、『補習』の事などきちんと忘れ去っているのだろう。
一緒に襲われたというのに、あっさりと日常に帰ってゆく能天気なその後ろ姿を見ていると、侵入者について悩んでいる俺が馬鹿みたいに思えて、笑いが出てきた。
命を狙われて身体を動かせない程の死の恐怖を味わったというのに、もう笑えている自分が可笑しくて、さらに笑いがこみ上げてきた。
「お前そればっかりやな。補習の事忘れるなや。それ以前に着替えやけど」
キルミヤに追いつき、スパンと頭を叩いて痛がるふりをしたところを襟首を掴んで逃亡を防ぎ、ずるずると進路を食道から寄宿舎へと修正して引き摺って行った。