第百二十五話 継承
「お一人で大丈夫ですか?」
寝所へと続く扉を前にして足を止めた私に、グランがそっと尋ねた。
私はそれに軽く首肯して手を上げ、扉を叩いた。私の部屋よりも幾分重いノックの音がして、数秒遅れて応えがあった。
「入れ」と、低い声に導かれ扉を開けると部屋着の陛下が長椅子に腰掛けこちらを見上げていた。テーブルの上にはグラスが一つ。何かを飲まれていたのだろう。
「パージェス縁のその者にも、入って頂きなさい」
口を開く前にそう言われ私は振り向いた。グランは少し驚いたのか目を見開いていたが、すぐに冷静な顔つきになって私に視線を返してきた。それを受けて私は陛下に向き直る。
「よろしいのですか?」
「願ってもない相手だ」
許可を出した陛下に内心首を傾げる。グランと陛下は直接言葉を交わすような関係には無い。あるとしても全てノランが間となっている筈だ。それなのに陛下はまるでノランに対するような態度を取っている。グランが有能だとノランから聞いているのかもしれないが、それだけで『願ってもない相手』とまで評するとは思えない。よくわからなかったが、許可が出たことは確かなので私はグランに頷いて見せた。
「グラン、お願いします」
「……失礼致します」
共に部屋の中へと足を踏み入れたグランは静かに扉を閉めた。
私は改めて姿勢を正し腰を折ろうとしたところで制された。手を上げた陛下はそのまま立ち上がり私達の前に近づくと、じっとグランを見詰めた。瞬きも忘れたようにじっと。いきなりの事にグランも戸惑っているのか頬が強張っている。さすがにこの反応は何かおかしいと私も思った。
「陛下、グランが何か?」
少しだけ間に入り、陛下の視線を私へと向けさせる。と、陛下は我に返ったように瞬きをして首を振ったかと思うと額に手を当てた。
「……そなたはケルト殿から聞かされているのだろうか?」
今まで一度も見たことがないような弱った顔で、陛下はグランに問いかけた。
私とグランは思わず顔を見合わせた。私は『ケルト』を陛下がご存知だったのかという意味でグランを見たが、グランも同じ目で私を見ていたのでお互いに話していない事を悟る。
「おそれながらケルト殿とは?」
「いや知らないのであれば……」
言いかけて淀み、僅かに眉間に皺を寄せる陛下。
陛下の中で何かがせめぎ合い葛藤しているのが見て取れたが、私達にはそれが何なのかまるで見当がつかず、何と声を掛けて良いのかもわからなかった。下手に思考を妨げるのも下策に思えて、結果沈黙が横たわった。
「先話をしよう」
長い時を経て、ようやく陛下が言葉を発すると無意識に詰めていた息が漏れた。
陛下の向いに座るよう促され、同じく促されたグランは王族と同じ席に着くという事に最初は抵抗を感じたようだったが、すぐに意識を切り替えたのかいつもの落ち着いた様子で腰かけた。
「ベアトリス」
「はい」
名を呼ばれ、私は握り込みそうになる両手から力を抜き、努めて平静を装った。内心は何を言われるのだろうかと煩いぐらいに騒いでいる。
「そなたは自分の道を歩むと、そうノランから聞いたが相違ないか」
連絡も報告もせず学院を卒業した事、王宮にも戻らずカルマやグランに繋ぎを取った事、極め付けは今日の月夜会。陛下の意志を確認もせず勝手に動いた事は不信感を抱かせたとしてもおかしくない。意志に反していたとすれば排斥される可能性もある。それでもノランに言付ければ、きっと陛下には届くと思っていた。
私は陛下の目を正面から受けて答えた。
「ございません」
「その道は王位へと続く道か」
さらなる問いに、私は首を横に振った。
「王位は手段の一つに過ぎません。考え得る限り、最もこのセントバルナが安寧を得る道。それが私の望む道です」
「だからアクナスを焚き付けたのか」
「さようにございます。陛下は――」
発しようとする問いに口の中が乾き、唾をのみ込む。肯定されたら、私は陛下の意志に反した事になる。
「アクナス兄上は王位にはふさわしくないとお考えでしょうか」
陛下は目を伏せ、眉間に皺を寄せて溜息をつくように答えを口にした。
「あやつが最も相応しいのであろう」
「相応しいと……お考えなのですか?」
幾度かの呼び出しに対しても態度を改めないアクナス兄上の評価としては変に高い。疑問を感じた私に、陛下は苦い笑いを浮かべた。
「あやつは狡猾だ。出来れば皇太子として立ててしまいたかったが妨害のせいで未だに出来ていないのだ」
「妨害? アーギニア兄上ですか?」
「そうであれば苦労せん」
元老院? と、考えかけて否定する。
元老院はアクナス兄上であろうとアーギニア兄上であろうと地力が削がれる事は無い。それだけの力を備えた者しか所属していない。わざわざアクナス兄上が皇太子になるのを阻止する理由が無い。理由があるとすれば――
「――アクナス兄上自身?」
「アーギニアが焚き付けられたのも元を正せばアクナスが動いたからだ。そなたのエントラス行きが許されたのも、未だベルベットが嫁いでいないのも、あやつが裏に居る」
「……アーギニア兄上を焚き付けたというのはともかく、私のエントラス行きとベルベット姉様の婚姻もなのですか?」
「では聞くが、アーギニアを除いた場合にこのセントバルナを守れる者は誰だ」
「もちろんアクナスも除外だ」と言う陛下に、私は顔が強張るのを感じた。
「まさか……アクナス兄上は」
「嫌になる程あやつと、王たらんとする私の考えは似ている。私個人の想いなど無視するところまでそっくりだ」
自嘲するように口を歪めた陛下は、目を伏せた。
「あやつは最初からそなたを王に据えようと動いていた。エントラスに行かせたのはそなた自身に力を持たせる為。また協力者を見つけさせるため。ベルベットの婚姻を妨害したのは、そなたが嫁ぐ必要が出た場合の防波堤にするため。北か東、いずれかに嫁ぐ事になっていただろう。
だが、あやつの補佐に徹するとそなたが表明した事でおそらく筋書きが変わった」
筋書き……
私を王にしようとするなら、それは上位継承者の排除を考えるだろう。
ベルベット姉様の婚姻を邪魔したというのなら王家である事に何か意味があるとして、失脚させる気はなかったのだと思われる。であれば、残るはアクナス兄上とアーギニア兄上。二人は衝突していた。つまり、
「共倒れ」
呟くと、陛下は億劫そうに首を縦に振った。
「そなたは元老院に屈する者ではない。そなた自身を見て集う者も僅かながら存在している。数は少ないが昔から能ある者ばかりを惹きつけていたそなたにアクナスが目をつけるのも理解出来る。王族としての責務を誰よりも意識しているそなたを選ぶ事は誤った選択ではないと考えている。そなたであれば王家の責務を全うする事が出来るのではないかと私も思っている」
「それはもちろんこのセントバルナの為であれば私は――」
「そうではない。いや、それも重要な事ではあるが、もう一つ王家には役割がある。その為にこのセントバルナが建国されたと言っても過言ではないのだ」
一つ息を吐き顔を上げた陛下は、今までの疲労や葛藤を微塵も感じさせない『王』の顔をしていた。眇められた眼光は鋭く、威圧される空気に息苦しささえ覚える。
「そなた以上にこのセントバルナの事を考え、想い、王族としての責務を全う出来る者は居ない。故に明日、私はそなたをセントバルナ王国第十八代国主として任命し、退位を宣言する」
「……………え?」
「そなたを国主とする事でセントバルナはこれまでにない道を歩むこととなろう。だが、セントバルナはこれまで女王を禁止した事もなければ禁止する理由も無い。正しき国主の選考は責務を全う出来る人間であるか否か。その一点のみだ。その意味で私はそなたならば可能だと考えた」
耳がおかしいのだろうか。
次々に飛び込んでくる言葉が信じられないモノばかりで、理解出来ない。横を見れば驚きに固まっているグランが居た。なんとなくその姿に自分だけが驚いているわけじゃないという妙な安心を覚えた。
バタン
その時、いきなり大きな音がしたかと思うと何かがグランと私の間を抜けた。次いで陛下の埋めき声が耳に届いた。
動揺した頭が捉えた姿はテーブルを踏みつけたアーギニア兄上が、赤い棒を手に胸を抑えた陛下を見下ろしているところだった。
「ふざけるなこんな奴に王の座を明け渡すなど――」
言い終わる前に吹き飛ばされた。
入れかわるように無礼などどこ吹く風でテーブルを踏みつけていたのはティオルだったが、そんな事に構っていられなかった。
「お父様!」
お父様の胸を抑える。けれど血が溢れてどんどんその顔から色が失われている。
「グランっ!」
金切声の自分の声が煩い。喚いている場合ではないと理解しているけれど、落ちた仮面を拾い上げる暇すら惜しい。
応えの無いグランに苛つきさえ感じながら見れば、取り囲まれていた。
私と陛下を守る様に、扉に居たあの近衛二人が剣を抜き放ち、なだれ込んできた者達を牽制している。相手が誰だと目を動かせば壁に叩きつけられたアーギニアを支え起こす姿が見えて理解した。そして耳に入った「逆賊」という単語。私を指さし、私に剣を向けるその光景に、状況を把握した。何故このタイミングで、何故こうも手早く動かれたのだと疑問が沸きあがると同時にこのままでは拙いと必死に頭を働かせる。
「アーリー、リダル、彼らをこの者達より逃せ」
低くくぐもった声が腕の中からした。
「了解。まぁ当然だよね~」
「了解! お前ら道は開くからちゃんと行けよ?」
二人の近衛はこんな時なのに嬉々として答える。
「それには及ばない」
威勢よく飛び掛って行った近衛とは反対に、ティオルが陛下を支え壁際に移動し、何も無いその壁に手をあてた。すると予想通りそこにはぽっかりと黒い穴が生まれた。
「え、何それ。そんなのありなの??」
「アーリー、口より手を動かせ、手を」
私は戸惑っているグランの腕を掴みグランに続いてその穴に入る。
すっとんきょうな声を出す近衛は私達を背にして、けれどそれ以上こちらには来なかった。
「何をしている、早く来い!」
珍しくティオルが声を荒げると、アーリーと呼ばれた方の近衛がちらっとこちらを見た。
「だーめ。俺は陛下の近衛なの」
「……だが」
渋るティオルにもう一人が苦笑を浮かべた。
「あのな、こんなんだけど誇りを持ってるに決まってるだろ?」
ティオルの眉間に深い皺が刻まれ、穴が消えた。小さくない舌打ちが聞こえ、ティオルは陛下をその場にゆっくりと寝かせるとあの独特な言葉で何事か囁いた。
「……エバースの……者か?」
宙をさまよう陛下の視線に、私はすぐにティオルを手伝い傷口が見えるよう衣を剥ごうとして止められた。
「この手を……離せば…………もう」
私の手を止めた陛下は、もう片方の手でずっと首筋に当てていた。それをティオルが支えるように抑えている。
「お…父様っ」
あんなに綺麗なお父様の髪が血に濡れてほつれて見る影も無くて、自分でも情けないほど声が上擦った。
「ベア……トリス、手を」
「はいっ」
両手で陛下の手を握る。大きな、大きな、ずっと憧れて、大好きで仕方が無かった手を握る。力強い筈の手なのに、今は弱々しくて、体温の薄さが現実を突きつけるようで、我慢しても喉の奥からとめどめなく呻きが溢れて零れそうになる。
「88cb978a8ee5:ノルベルト、88da8d73:ベアトリス」
お父様が囁くと、唐突に手が熱くなり見れば握った手が蒼く光っていた。
「ここに……国主としての証を……そなたに、託した」
私の手の甲に模様が浮かび上がっていた。王家の証の、宿木の形。
「宿木の意味は……寄生………己達では事を……成せない象…徴、だが、どうじに、祈りをまもる、ゆり…かご……の、しょうちょう」
浅くなる息。小さくなる声に、必死に耳を傾ける。
「宿木の意味ですね? 祈りを守るのが王家の役割なのですね?」
祈りが何なのか、それがどういう意味なのか、そんな事はわからなかったけれど、応えなければならないと急き立てられるように口にすれば、お父様は小さく頷いた。
「エバーす、どの」
「ここに」
「パーじぇす、どの」
「ここにおります」
「む、すめを……どうか……」
振り絞るようにして紡がれた言葉に二人が肯定を返すと、お父様は安心したように笑って――力が抜けた。
「………」
私は手を握ったまま、ふるえる唇を何度も開けては閉めて、呼吸を落ち着かせる。呼びかけても、もう声は聞けない。わかっていても呼びたかった。揺さぶって起きてくださいと縋りたかった。けれど、右手に残された宿木が私を現実に引き止め足踏みする事を許さない。
「……グラン、ティオル」
陛下の手を離し、二人に尋ねる。
「陛下をこの先、お連れする事は危険ですね?」
「……もうしわけありません」
ティオルはこちらを見ず頷きで肯定し、グランは謝罪で肯定した。
「ですがアーギニアの手へ渡す事などしたくありません」
「ここに隠す」
私の言いたい事を先読みするようにティオルは言い、陛下から離れた。
「一歩引け」
私とグランが陛下から離れると、陛下を包むように地面がせり上がりまるで棺のようにその身体を隠した。
「色々と混乱しておりますが……混乱してばかりもいられません。あの乱入のタイミングといい確実にアーギニア一派が仕掛けてきたのだろうと思います」
同意を示すように二人分の頷きが返された。
「何故どのようにして陛下の意図が……私を王位にという話がアーギニアに漏れたのかは不明です」
偶々私達の話を聞いたアーギニアが暴走したとは考えにくい。
あの時近衛二人がアーギニアを簡単に通すとは思えないし、それにあれだけの人間がなだれ込んで来ていたのもおかしい。
「ですが状況はそれを解明する時を待ってはくれないでしょう。早急に関係者へと話を通す必要がありますが私が今表に出るのは目だって足手まといになります。申し訳ありませんが、表の状況確認と連絡をお願い出来ますか?」
「承知いたしました」
「承知した。リダリオス殿へは」
「ええ、そちらは私から繋ぎを取りましょう。代わりにと言ってはですが南方へはお願いできますか?」
「承知した」
二三と言葉を交わし打ち合わせをする二人に心強いものを感じる。もしこれが一人だったらと、考える事すらおそろしくて途中で掻き消した。
「クロ」
顔を上げれば、目の前にティオルが膝をついていた。
「その部屋で休め。仮眠室がある」
指示された壁は壁ではなくなっており、狭いながらも部屋が見えた。
「いえ、私も今後の事を――」
「私からもお願いします」
グランに遮られた。
「今ここで貴女に潰れられては私達は打つ手が無くなってしまいます。本当なら一人にしたくないですが……」
「この中は安全だ。危険があるとすれば自害の意志ぐらいだ」
率直なティオルの物言いに私は苦笑した。
「そのような事、出来る訳がありません。私は王家の人間です。そして陛下にこれを託されました」
私は右手の甲に左手を重ねた。
「何もせず自分だけ逃げるような真似は恥ずかしくて出来ませんわ。
ですから安心してください。これでもエントラスに在籍していたのですよ? 物資が無くとも三日程度耐える訓練は受けております」
「……そうでしたね……エントラスに」
グランも頭を振ると苦笑した。
「ですが、今は情報があまりに少ない。検討するにも我々が情報を集めてからにしていただけますか? そうなれば休む暇も無いでしょうから」
「………そう、ですね」
休める精神状態ではない事はグランもティオルも判っているだろう。それでもそう言うとなると、余程私の顔色が悪いのだろう。二人を心配させて時間を掛けるのも勿体ないので立ち上がり、狭い部屋へと入る。
それを見届けた二人は足早に去って行った。
遠ざかる足音は途中でぷつりと途絶えた。段々と小さくなるのではなく、ぷつりと、断絶された。やはりこの中は特殊な造りになっているのだろうと感じさせる。
「……だめ……だなぁ……」
冷静に冷静にと思っているのに、頭の中がぐちゃぐちゃで、取り落してしまった仮面を二人の前で付け直す事が出来たのか不安だ。
膝を抱え顔を伏せると闇の中に居るようで昔から居場所が不安定な自分を強く感じてしまう。
母の後ろが皇子を望み、母も皇子を望み、そして皇女は望まれなかった。唯一私を祝福してくれたのが陛下で、忘れられたような宮にこっそりと何度も足を運んでくれて、私と同じ巻き癖のある綺麗な髪で遊ばせてくれた。
だから私は王家の人間として認められたかった。陛下の役に立つように。陛下が大事にするセントバルナの役に立つように。なのに――
「は……ぁ………」
泣きごとなど口にしたくなくて息を止めていると苦しくなって、息を吐き出せば何とも情けない声が出そうになる。
「ほんとうに……もう……」
グランやティオルまで何かあったらどうしようと震える自分が居る。今すぐにでも走って追いかけて安否を確認したい衝動に駆られる自分が居る。
こんな事ではこの先が思いやられると笑いたいのに笑えない。沢山の命を預からなければならない立場なのに、これでは。
考えれば考える程転がり落ちそうになって、考えるのを止めようと方向を変えてみたけれど、結局それも駄目で気が付けば私は眠っていた。
ふと目が空いて、ぼんやりと自分の手を見て、その手が赤い事にぎょっとして飛び起きて状況を思い出す自分に、参っているくせに呑気に寝るとは随分とガサツなものだと苦笑いが出て、自己嫌悪に陥った。
「……洗えないかな」
深みに嵌らないように意識を目の前のものへと変えて、私は部屋を見た。隅に小さいながらも水場のようなものがあり、近づいてみると魔術具を使ったものに酷似している事がわかった。
「………たぶん、これよね」
少し考えて手を近づけると、思った通り水が出て、それで手を洗う。上着はもう落ちないだろうと、脱ぐだけにして置くところが無かったので床に置いた。
ベッドに戻りする事も無くぼんやりと部屋を眺める。
ティオルとグランが戻ってきたのはそれからまたうとうとと微睡んで目を覚ましてを二度ほど繰り返した後だった。
息せき切って戻ってきた二人に駆け寄れば、予想通りの話と予想外の話をされた。
一つは私が陛下を弑した逆賊であるという話。アーギニアが中心となって軍部を指揮し中央政権を一時的に握り私を探しているらしい。これは予想の範囲内。
もう一つは、アクナス兄上が姿を消したと言う話。騒ぎが起きてからすぐに所在と安否確認が取られ判明したらしい。これは完全に予想の範囲外だった。
アクナス兄上が居ない事で、実質アーギニアが最も王位に近い人間という事になってしまった。その後押しもあって軍部が動いた可能性もあるとのこと。
「アクナス兄上は……あの騒ぎがある前に姿を消していた可能性がありますね」
どういう事かと顔を向けるティオルに説明したのはグラン。
「アクナス殿下は玉座に興味を持たない、むしろそれをベアトリス様に渡そうと画策なさっていたそうです。ベアトリス様が公の場でアクナス殿下を支持する発言をされたので方向転換された可能性がある、という事だと思います」
「……あいつはそれでも――」
思わずといったように悪態付いたティオル。けれど最後までは言わず飲み込むように言葉を消した。
「幸い、こちらから連絡した方々には理解していただけました」
「本当に? 正直難しいかと思っていましたが」
「日頃の行いです」
笑顔で宣言されると追及のしようが無い。
「……か、カルマはどうでした?」
「リダリオス殿は既に状況を把握され動かれていました。一旦ここから離れるための手筈を整えられています」
離れる選択をしたのね……
という事は、この王都での弁明は不可能という事。元より軍を動かしていると聞いた時点で正攻法は通らないと思っていたが。
「行先は聞いていますか?」
「南です。サイリス侯爵の所へ」
「え……サイリス侯爵……ですか?」
「はい。この状況をどうにかするにはそれが一番かと私も思います」
それは理解できるが、果たしてあの女傑が小娘の話をまともに聞くだろうか?
「それと……」
「どうしました?」
言い淀んだグランの横で、ティオルが口を開いた。
「近衛が二人、中央広場に吊るされた」
…………。
「逆賊と」
「………そう、ですか」
忠義の者だと讃えるべきなのだろうか。そうは頭で考えても、そうですかと返す事しか出来なかった。その覚悟は讃えられるものなのかもしれないけれど、理解などとても出来そうにない。どんなに醜態を晒そうとも生きて欲しいと願ってしまう。そして、あの背中を無理にでも引っ張り込めばよかったと。
「近衛の人間を軍法会議にもかけずにこのような手段を取るというのは異常です。リダリオス殿がサイリス侯爵にと言われるのも、このような事情があってです」
押し黙って言葉を紡げない私の耳に、グランの言葉がゆっくりと入る。
「……随分と、規律が乱れているようですね。
わかりました。準備が出来次第、南へ移動しましょう。そのような状況では下手に動いては危険ですから、他の方々には表だって動かないよう注意を促していただけますか?」
「それに関しては大丈夫です。機を見る事は当初からの予定でしたので、この状況で動く者はおりません」
良かった。犠牲は出さないで済むならそれに越したことはない。