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第百二十四話 逃しはしない

 ゆっくりと開かれた扉から始めにリダリオスが、そして手を引かれた私が会場へと入る。

 一段高い檀上へと現れた私とリダリオスを見て会場が一瞬静まった。様々な視線がこちらへと集まるが、そのほとんどが私ではなくリダリオスに向けられている。

 疑念、困惑、不快、最も多いのは驚愕。その気持ちはわからないでもないと思いながら会場を見渡し、リダリオスに先導された檀上の右端の椅子へと腰かけた。私が腰かけた事で呪縛が解けたのか、囁くような声が広がり今度は不躾な視線が私へと向けられた。

 隠そうともしないのか、隠せないだけなのか、どちらかは知らないが子供でも気付きそうな視線(それ)を向けて来る者達の顏をさっと目で撫でる。


 ……大半がアーギニア兄上寄りの者かしら。


 アクナス兄上を支持する者も居るには居るがアーギニア兄上のところよりは少ない。中立、元老院に至ってはごく少数だ。隠せていないと仮定するならば数だけでなく質の面でもアーギニア兄上はアクナス兄上に勝っていないのかもしれない。元より第一王位継承者であるアクナス兄上が立つのが自然なのだから、今現在地位を確立している者は当然アクナス兄上に付く。アーギニア兄上に付く者は今のままではのし上がる事が出来ないと画策している者が多いと考えれば、その能力も比例していると言えなくもない。

 それでも、内部で波紋を広げるような真似をされては外に付け入る隙を与えてしまう。いずれアーギニア兄上が破れると見込まれても、外はセントバルナが落ち着くのを待ってはくれないだろう。

 私は斜め後ろに控えたリダリオスを見遣る。リダリオスは少し肩を竦めて彼特有の人を喰ったような笑みを浮かべた。それに私も口の端を上げて応え、再び会場に視線を戻した。

 大丈夫。現状を理解している者が居ないわけじゃない。例えその数が少なくとも、それでも出来る事はある。

 私に続いてベルベット姉様が表れると、どことなく安堵したというか予想通りというような反応があった。サジェス(予定調和)の人物を見たことでリダリオスの登場による驚きを掻き消そうとしているのかもしれない。

 アーギニア兄上が現れると今度は一部が興奮を見せ、その次にアクナス兄上が現れると別の場所で興奮が起こった。これは昨年よりも顕著な気がした。両派閥の対立が表面化してきているのは間違いないようだ。表面ぐらいは取り繕って欲しいと切に思うが、ここまで顕わにする者達に願うのは間違っているのだろう。アクナス兄上はともかく、アーギニア兄上は自身が取り繕っていないのだから、ある意味支持者がそれに習っているとも考えられるので余計に始末が悪い。

 最後に陛下と現王妃が現れ中央の椅子へと座る事でようやく会は始まった。最初に陛下から今年一年も共にセントバルナという地を守り、豊かにしていって欲しいという内容のお言葉を頂き、居並ぶ者達は腰を折る事で恭順の意を示した。それはもはや慣習のようなもので、陛下が二度手を叩き音楽が流れ始めると一気に場の空気は固いものから華やかなものへと姿を変える。

 それに合わせでアクナス兄上とアーギニア兄上が立ち上がり、アクナス兄上が私を、アーギニア兄上がベルベット姉様の手を引いて中央へと進み出る。八年前までは付添いが相手だったらしいが、ベルナール姉様のデピュタントで問題があったらしく兄弟が居る場合はそちら優先となってしまった。個人的にはリダリオスと踊るよりはアクナス兄上の方が気が楽なので有り難い。

 一曲だけ踊りを披露してしまえば形式上の務めは果たした事となり、壇上に戻るなり続けて踊るなり会話を楽しむなり好きにすれば良い事になっている。昨年は壇上に戻って時間が過ぎるのを眺めて待っていたが、今回はそうはいかない。

 アーギニア兄上の様子をうかがえば無表情で、パートナーのベルベット姉様の楽しげな様子が対照的だ。


「アーくんが気になる?」

「兄上、アーギニア兄上とちゃんとお呼びくださいませ」


 子供っぽい言動は控えて欲しいという目を向けても、屈託なく笑うアクナス兄上。控えの間でも思ったが以前と全く変わらぬ様子に溜息が出そうになる。一応公の場では『アーくん』などと呼んだりしないが、それでもアクナス兄上が奇人と噂されるぐらには情報は漏れている。幼い頃は様々な事に興味を示し並みならぬ才を見せていたと言われているが、どこかで道を誤ったか最低限の公務以外は行方を晦ます事が日常茶飯事となってしまった。まぁ、私はその行先を知っているというかついて行った事もあるのだが。

 陛下から呼び出しが何度かあったが今に至るまで改善されていないので、陛下もアクナス兄上に王位を継がせる事を諦めていないかと心配だ。


「アクナス兄上は変わりませんね」

「やっとこちらを向いた。ほらほら笑って」


 子供のように笑う兄上。


「微笑んでいるつもりですが」

「固い固い。女の子なんだからベルベットぐらいふんわりしてないと」


 促されて私はベルベット姉様を見た。花畑が見えた。

 あの領域は無理だ。幻影を見せる魔術でもあれほど綺麗に花は咲かせれない。


「残念ながらあのような魔術は未だ作った事がありません」

「大丈夫だって。ベアトリスは可愛いんだから深く考えずこの場を楽しめばいいの」


 余計に無理だ。


「身構えるのも大事だけど、ゆったりしているのも一つの見せ方だよ。ベルベットは天然だけどね」


 確かにベルベット姉様のあれは天然だ。絶対にアーギニア兄上が不機嫌だという事に気付いていない。くるくる回って心の底から楽しそうだ。


「学院はどうだった?」

「興味深い事ばかりであっという間でした」

「楽しかった?」

「そうですね……楽しかったと思います」


 思い返して答えると、アクナス兄上は笑みを深めた。


「良かったね」


 良かった……そう。本当に良かった。行けるかどうかも最初はわからなかったのだから、無事に卒業できて、ティオルやヒューネ、グランやリダリオスの力を借りる事まで出来た。


「はい。良かったです」

「ベアトリスなら出来ると思ってたよ。それでこそ押したかいがある」

「……おした?」


 最後にくるりと回され、互いを向いたところで膝を軽く曲げて終わった。

 問おうとした私の手を離し、アクナス兄上はするりと人の中へと紛れてしまった。


 アクナス兄上は一見すると優しげで、裏では奇人と囁かれ、まるで駄目な人間に感じられる類の空気を持っているが、それをそのまま受け取り侮る事は出来ない。

 表で優しい皇子、裏でおかしな皇子と呼ばれている事など兄上は百も承知だ。むしろ、そう仕向けている。王位から遠ざかろうとするように。


「けれど、逃がすわけにはいかないのですよ。兄上」


 兄上が王位を継ぐのが、一番確実で一番安全なのだから。

 正直、私は万が一の保険でいい。いや、兄上さえ王に居てくれれば私は臣下としてこの国を守る事が出来ると今なら言える。私一人では発言力も弱く、どこへ嫁がされるかわかったものではなかったが、今は違う。


 私はアクナス兄上を支持する貴族の手を取り中央の踊り場へと戻った。

 あまり踊らない私が簡単に応じたので、いつもならベルベット姉様に群がる者までこちらに集まってきた。踊るごとにリダリオスがどうして付き人なのか探られたが、それには明確に答えずベルベット姉様と踊り始めたサジェスに視線を向けた。それだけで相手は忙しなく視線をサジェスとリダリオスへ動かした。

 こういう場所では僅かな情報でも見逃さない力は求められるが、それがどういう情報なのかを見極める力も求められる。私にとって幸いな事にこの男はその手の力を有してはいないようで、私から離れると慌てたように別のものと言葉を交わしていた。

 適当なところで私は踊り疲れたと差し出された手を避けて待ち受けるリダリオスのもとへと向かった。

 はじめに見た時はかなりの人数に取り囲まれていたのに、今は初老の男一人と談笑していた。


「踊られないのですか? あのように待ちわびているものがおりますよ」

「残念ですけれど少しばかり疲れてしまったのです」


 差し出されたグラスを受け取り、視線を横の人物へと向ける。歳はリダリオスよりも上。ノランよりは下。たしか南方の領地を持つミリナリア子爵の前当主だ。

 記憶から名を引き出し、私は軽くグラスを掲げて会釈をした。


「ようこそ、ミリナリア殿。お会いするのは初めてかしら」

「ランセール・ミリナリアと申します。遠目にて拝見しておりましたが、ますますお美しくなられたようで年寄りには少々眩しいぐらいでございます」


 本当に目を眇めて私を見るランセール・ミリナリアに私は苦笑した。


「ありがとうございます。ですけれど、ベルベット姉様には叶いませんわ」


 ベルベット姉様はまだ元気に踊っている。依然として周囲に咲き乱れる花も健在だ。


「それは思い違いというもの。ベルベット様を輝く日と例えるならばベアトリス様は静謐な月。お二人とも空にあって我々には触れることさえ適わぬ光でございます」

「お上手なのですわね。耳慣れない言葉に舞い上がってしまいそうです」


 お世辞もここまでくると嫌みを通り越して吹き出しそうになる。

 口元を隠してくすくすと笑えば、ミリナリアもそれが狙いだったのか笑みを浮かべた。けれど媚び諂う類ではなく、陽だまりに目を細めるような様はノランのようで、こちらの心を温かくするものがあった。リダリオスの知り合いのようだったので思わず警戒したが、リダリオスより人柄は良さそうだ。


「世辞など難しい事は年寄りには荷が重いのでございますよ?」


 そう言いながらランセール・ミリナリアはリダリオスに視線を向けた。


「それにしても。こやつがおもしろいものが見れると言うので参ったのでございますが……いやはや、ベアトリス様のお手を引いているとは」


 リダリオスがランセール・ミリナリアを呼んだ?


 首を傾げればランセール・ミリナリアは会場のあちらこちらへと視線を動かした。


「他にも唆されて参った者がちらほらと。かような歳になってもほんに悪戯が好きで困ったものでございます。だから未だに当主などと揶揄される始末。さっさと退けばよいものをダリオン殿のご苦労がいかほどのものかと胸が塞がる思いでございますよ」


 そういえば先程もサジェスがリダリオスの事を『当主』と呼んでいた。何かの隠語かと思ったらただの揶揄だったらしい。大方後進に道を譲らない邪魔な者という意味合いだろう。

 ダリオンはリダリオスの甥で、リダリオスから家督を継いだ現当主。あまりにもカルマ・リダリオスの名が高いために掠れて記憶されない不憫な当主だと誰かが言っていたような気がする。


「これでもダリオンに請われて私は王都に留まっているのですけれどね?」

「どの口がそれを言うか。言わせたのはお主であろうが」

「否定はしませんが私だけ悪者のように言われますと心が痛みます」


 傷ついたという顔をして胸を抑えるリダリオスを、ランセール・ミリナリアは歯牙にもかけず手を振った。


「この程度でお主の心が痛むなど笑い話にもならぬ。ほれ、さっさと姫様をお連れせぬか。何ぞあるのであろう」

「ええもちろん。年寄りは気が短いので困りますね」

「お主に言われとうないわ。対して変わらぬであろうに」

「ああ耄碌されてしまいましたか。ランセール殿とは有に二十は違っていたと記憶しているのですが」

「お主は精神構造が年寄りであるからな。頑固で気が短くて扱いづらい事この上ない。わしらよりよほど爺であろう」

「知将にお誉め頂き光栄です」

「誉めてなどおらんわ。

 姫様、こやつの手綱を握るのは並大抵の事ではございません。気をしっかりお持ちになられませ」

「え、えぇ……?」


 普通に頷きそうになり、寸前で理解出来ないという顔をして曖昧な答えにすり替えた。

 この場に置いてリダリオスはサジェスと繋がっていると見せている。であるならば手綱を握るのは私ではなくサジェスと考えるのが普通だ。そう考えなかったという事は、ランセール・ミリナリアは看破しているか、単にリダリオスが私の後見に名乗りを上げたとだけ考えているか。

 前者であるならば私は頷いてはならない。ここではあくまで前に出るのはサジェスでなければならないのだから。


「無駄話もここまでに致しましょうか。それではランセール殿、お歳を考えてほどほどに」


 リダリオスが私の前に手を差し出し、それに私が手を乗せるとやや強引にランセール・ミリナリアから離れたため慌てて「宴をお楽しみください」と告げるのがぎりぎりだった。


「何者ですか」

「ランセール・ミリナリア。女侯爵殿の懐刀です」

「サイリス侯爵の?」


 足を進めながら小声で言葉を交わす。


「ええ。現役は退いていますが南方守備の要とも言われる方です」

「……あまり耳にした事がなかったのですが」

「南は情報が表に出てきません。演習を度々行うサジェスよりも私は警戒していたものです。

 それよりも、右前方会場端の扉付近。見えますか?」


 示された先に、とある人物が会場から逃げ出そうとしているのを認めて私は頷いた。


「逃がさないように」

「言われずとも」


 私はリダリオスの手を離し、ドレスの裾を軽く摘んだ。

 本来このようなところで走るのは礼節に反するどころの話ではない。けれど私は駆けた。さすがに全力は無理だが、近くに居た者はぎょっとしたようにこちらを見ている。それを無視して私はさらに口を開いた。


「アクナス兄上!」


 今まさに会場を出ようと扉に手を掛けていたアクナス兄上は一瞬肩を震わせたが、何事も無かったかのように振り返った。


「どうしたの? ベアトリス」


 今まさに会場を抜け出そうとしていた事など微塵も感じさせない落ち着いた様子で尋ねる兄上に、私も足を緩めて目の前で止まり裾を払い乱れを正した。


「ごめんなさい。兄上がこちらを離れるように見えましたので慌ててしまいました」


 胸の前で手を組み軽く首を傾げて見せると、アクナス兄上は目を丸くした。


「まだまだ月夜会はこれからだよ?」


 「そんな事はしない」と笑って首を振る姿に、私も笑顔で「そうですわよね」と頷く。


「兄上、もう一曲踊ってくださいませんか?」

「ベアトリスの望みとあらば叶えない筈がないよ」


 兄上の姿を探している者達を確認しながら、私は手を引かれて行く。


「ところでベアトリス」


 踊りの舞台へと戻った兄上は私を引き寄せ囁いた。


「何を企んでるの?」

「企む?」


 訝しげに見上げれば兄上は小さく笑い踊り始めた。

 その笑いは今までの子供のような笑いとは違い、微かに剣呑な響きが宿っていた。

 私を見ながら私の後ろを観察していた兄上は小さく何か呟いて私に目を合わせた。


「何だか注目を浴びているみたいだね」

「兄上ですもの。注目しない者はいないですわ」


 十中八九、アクナス兄上には悟られると思っていたがやはり機嫌が下降してきている。遠目にはわからないだろうが、至近距離の私からは瞳孔が開いたのが見て取れた。


「私は苦手なんだけどな」

「諦めてくださいませ」

「ベアトリスは容赦ないね。昔は兄上兄上って私の後を一生懸命追いかけて来てくれたのに、今は崖から突き落とすような事を言う」

「兄上には資格も力もおありでしょう?」

「どうだろう?」


 笑って流すアクナス兄上。

 自覚を持ってくれればいいとは思うが、その可能性が低い事を今ここで改めて認識した。やはりアクナス兄上は王位を望んでいない。

 私は兄上の支持者がこちらを見つけて集まってきているのを確認して踊りの輪から兄上を引っ張り出し、その集いの中へとやんわり放り込んだ。この包囲ならばすぐには突破出来ないだろう。

 一瞬非難めいた視線を感じたが微笑みで潰す。それから、私へと向けられたいくつもの視線にも笑みを返して近づいた。












 こちらの思惑通りに誤解させる事は出来た。リダリオスがアクナス兄上に「そろそろ諦めて陛下をお助けしてはいかがか」と言ったのが決定的だった。それに便乗して「でしたら私も兄上をお助けいたします」と言えば場は盛り上がり完全に包囲されていた兄上は苦笑いを浮かべていた。

 首尾は上々。けれど私はベッドに腰掛けたまま脳裏に残る表情を思い返していた。


 陛下は……どう思われていたの?


 姿を見せた時も、始まりの言葉を口にしていた時も、そして私が騒いでいても、感情が見えなかった。


 いえ、私達を見てもいなかった……


 少なくとも、私の誕生を祝う場で顔を合わせた時はそんな風ではなかった。

 毎年の事だけれど、毎年きちんと陛下は私を見て私を祝ってくれる。それは間違いない。


「考えてみれば、公式の場で陛下と顔を合わせる場は日天会か月夜会しかないわ」


 あれが陛下の公式としての顏?


 そう考えるには何か落ち着かない。落ち着かなくて眠る事も出来ない。


コンコン


「だれ?」

「リベルです」


 グランから借りた侍女の声に身体を起こす。


「どうしたの?」

「申し訳ありません。私を含め周囲を警戒し御身を守るため魔術のご用意をお願いいたします」


 私はすぐさまベットから降りてガウンを羽織り腰紐で止め、足に纏わりつく裾をたくし上げて結び枕の下に置いていた短剣を左手に持ち、右手を空切りの構えで止めた。


「貴女も警戒しろとはどういう事」

「ご準備終られたものと受け取ります。どうかそのままで。扉を開けさせていただきます」


 宣言通りゆっくりと扉が開かれたかと思ったら、するりとリベルが滑り込むと同時に閉められた。


「このような時刻に申し訳ありません」


 きっちりと侍女服に身を包んだリベルは腰を折った。


「それは構わないわ。それより、どうしたというの」


 リベルは紙を取り出すと私に差し出した。


「こちらは主からです」

「見ても?」

「もちろんです」


 受けとり、内容に目を走らせれば今日の月夜会の後の動向だった。

 アクナス兄上のところはサジェスが付いたと勢いづき、アーギニア兄上は分が悪いとサイリス侯爵、サーハルト侯爵と何とか繋ぎが取れないかと画策しているらしい。諦めない精神だけは、本当に見事だ。

 読み終えて顔を上げると、さらに紙を取り出された。


「こちらは陛下の遣いと名乗る者からです」

「陛下の?」

「念のため主とリダリオス様に確認致しましたが、印に間違いはなく。また、魔術的な危険も無いとの事でしたが、本日中にベアトリス様へ手渡すよう指定があり何らかの罠である可能性があります」

「だから警戒しろと言ったのね。二人は中を見たの?」

「印が本物であったため開けておりません」

「陛下のものと認められたものならいいわ」


 私は紙を受け取り、裏返して宿木の印を開封した。内容は簡潔だった。


――夜半、寝所にて待つ――


「………グラン(ケルト)とリダリオス、それからティオル(エフ)ヒューネ(ヒルト)に今すぐ繋ぎは取れる?」

「可能です」

「陛下から内密の呼び出し有り、場所は陛下の寝所、可能ならば来て。そう伝えて」

「お一人で行かれるのですか?」

「時刻が夜半とあるの。そう待たせるわけにいかないから半刻過ぎて貴方が戻らなければ一人で行くわ」

「承知致しました。すぐに行って参りますが、そのまま警戒を解かないようお願いいたします」

「ええ、もちろん」


 印が本物だったとしても、差出人が陛下だとは限らない。

 印は厳重に管理されているが陛下に近い人間であれば入手する事は不可能ではない。例えば、現王妃だったりと。


 短剣を腰紐に挟み、クローゼットから学院で着ていた動きやすい衣装を選んで壁を背にして短剣を足元に置き着替える。さすがに寝着でうろつくわけにはいかない。

 改めて短剣を左手に持ち、周囲に気を配る。ここで索敵が使えれば楽だが、王宮で魔術を使う事は禁止されているためすぐに対処出来るよう集中している事しか出来ない。そういう事に長けたリベルが居ないのだから、己の身は己で守らなければならない。


――苦労してるんだなクロワッサンも――

――自衛手段の用意は必須だよな。誰かに守ってもらえるわけじゃなし――


 ふと、そんな言葉が甦った。

 昔から王家の人間として護身術を習い、身の危険を回避する手段を教えられてきた。頭ではその可能性はあるだろうと考えていたし、それを踏まえて真剣に取り組んできた自負はある。けれどそれは今の状況と何か違うような気がした。


「あぁ……そうね」


 護身術も身の危険を回避する手段もどちらも護衛が来るまで、救助が来るまでの時間稼ぎの意味が最も大きい。本当の意味で、一人だけで自分の身を守るという事は想定されていなかった。

 けれど、それを考えが足りないとは思わない。むしろ身の程を知り出来る者の力を使うという考えは正しいと思う。ただし、私に彼らの力を使う事が出来ればという前提が付くが。

 その前提にしても大げさなものではない。仮に私が王家の人間でなはなく、庶民だとしても街中で危険に遭遇したら警備の詰所へと走ればいい。それが無理なら声を挙げればいい。少なくとも誰にも守ってもらえないなどという発想にはそうそう行き付かない。

 今はかなり特殊な状況だ。罠だったとすればリベルが居ない今を狙われる。やるからには確実にするだろう。助けを求める事は難しいと考えておいて損は無いが、こんな状況はそうそう起こらない。ましてあの馬鹿は地方貴族の次男。突出した才能も無いと見なされている名も知られていないただの子供。

 それなのに、あの言葉はごく自然に出ていた。それがさも当たり前だと言うように。


――でもな、そのトレー薄いからぼうぎょりょくは対して高くないと思うぞ――


「………無いわね」


 続けて言った馬鹿の言葉を思いだし、首を振る。

 そうだった、意味の分からない事を口にするのが馬鹿だった。こんな状況で未だおちょくられている自分が情けなくなった。

 一人で微妙な思いに捉われていると、半刻も経たずリベルが戻ってきた。後ろにはリダリオス。グランとティオル、ヒューネの姿は無い。


「一人という指定は無かったのですね?」


 着替えを済ませている私を見てリベルが扉を開けたところで単刀直入にグランが聞いてきた。


「ありません。ただ、場所が場所なだけに控えの間で待っていて欲しいのです」


 グランは軽く頷いた。

 同意を得て、グランを前に私は続く。リベルは私の居ない部屋に留まった。

 グランは最短の道ではなく、何度か遠回りをしながら進んだ。一度も近衛と鉢合わせない事を考えると会わないように道を選んでいるのだろう。警備は同じではなく不規則に変えられるため予想する事は難しいと兄上も言われていたが、どうやってグランは知ったのだろうか。

 そんな事を考えている内に二人の近衛が立つ扉の近くまで来た。奥が陛下の寝所に続く間となっているが、どうしようかとグランを見上げる。と、いきなりグランは私の前に立った。


「遅かったね~ こっちは待ちくたびれたよ」


 呑気な声がグランの向こうから聞こえた。


「待ちくたびれたというのは?」

「出世頭くんとお姫様。うん、合ってるね。陛下がお待ちだよ」


 グランの背から顔を覗かせると、アッシュブラウンの髪の近衛がこちらに手を振っていた。近衛という印象からかけ離れた仕草と、場違いとも言える呑気な空気を醸し出す笑顔に思わず短剣を握る。


「アシュガリア、やめろ。余計に警戒している」


 隣のダークブラウンの髪の近衛が手を振っている近衛の頭を叩き、どこか気まずげに頭を掻いた。


「あー……なんだ、非公式の場という事で流して欲しい」

「……そこを通していただけるという事ですね?」

「あぁ、さっさと入ってくれ」


 横にずれた近衛を前に、私達はそれ以上問答せず中へと入った。


「……最近の近衛はああいう者も居るのですか?」

「いえ……私もああいう者は始めてなのですが……」


 思わずグランにこそこそと聞くと、グランも訝しむように首を傾げていた。


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