第百二十二話 師が師なら弟子も弟子
「せ、せやけどほら、一番ちっさいのはリクルとイレインやろ? その次は俺であとは成人してるから本人の意志で俺なんかが口出す事ちゃうかなあって……とか、思ったりしたん……やけど」
言い訳のようにしどろもどろになって言葉を重ねるが呆れた顔は変わらず。母さんたちを最優先したという事実には変わりないわけで俺はバツの悪さに最後は言葉を濁した。
「わかっている。みな自分の意志でセントバルナに留まっているから、お前が気にする必要はない」
「でも母さんら外に出したら何か言われん?」
一番気にかかった事を聞けば首を横に振られた。
「再興を願ってはいるが、家族の不幸を願っているわけではない。再興も繁栄を求めて、というわけでもないしな」
「え? そういう夢見てるんとちゃうん?」
父さんは立ち上がると俺に向き直り聞いた。
「お前は私に協力出来ると言ったが、それは繁栄を願っての事か?」
「や、ちゃうけど……」
そんな大それたものじゃなくて、単純に高祖父が悪者扱いされてるってのが嫌だと思っただけだ。改めてその辺りを問われると実に子供っぽい理由で言葉にするのも迷う。
「三代前は母親から父親の事を聞いて黙っていられなかった。二代前は父親から祖父の事を聞き、父親の無念を感じて黙っていられなかった。私の父もその想いを引き継ぎ、私達はそれを受け取った。それだけの事だ」
「ちょ、まってや。セントバルナが在る限りハンドニクスはセントバルナを支える礎になるって言うたのは? それって貴族としての誇りやないんか?」
「私達が出来なくなってしまった事を家族が続けてくれている。それを助けたいだけだ」
俺はがくりと肩を落とした。
「……途中から薄々察してはいたんやけど、重要なんはハンドニクスの名前ちゃうんやな」
「もちろん家族との繋がりの一つであるハンドニクスの名を捨てる事はしたくない」
「けど、それが一番重要でもない」
「あぁ」
俺は立ち上がり、頭を掻いた。あれだけ悩んでいたのが阿呆らしい。父さんは相変わらず真面目な顔をしているから、本当にそう考えているのだというのがわかる。
つまり、俺は勝手に勘違いして勝手に父さんに苛々していたというわけだ。ピットさんは話して見なければわからない事もあると言っていたが、これは話さなければ絶対にわからなかっただろう。
「レライ」
「なんや?」
もう外も暗くなってきたから母さんを心配させる前に帰ろうと戸口に向けた足先を返せば、やけに深刻な顔をした父さんが俺を見ていた。
「どっちが母さんを説得する?」
「そんなん俺が………」
父さんに見つめられ、言葉が途切れる。その目は『難しいぞ』と語っていた。
「………え、援護期待してもええ?」
「努力しよう」
弱気なって言えば、父さんはどことなく遠い目をして答えた。
確かに俺は母さんにあんまり逆らえない。だけどまさか父さんもだとは思わなかった。
帰りながら俺と同じように難しい顔をして時折「いや……だが……」とかつぶやいている父さんを見ていると、妙な親近感が沸いてくる。その姿はそのまま父さんをどうやって説得しようかと悩んでいた俺の姿だ。仕事で帰りが遅い父さんの前に母さんに話そうと思っていたが、先に話さなくて良かったかもしれない。少なくとも、俺一人より父さんと二人で話せる事がちょっと心強い。
家に着くとリクルとイレインに飛びつかれ、驚きながらも母さんが引き剥がすといういつもの反応に自然と笑ってしまう。久しぶりにみんなでご飯を食べているとリクルとイレインが賑やかにあれこれと話して母さんに怒られて、気付けば楽しくて笑っていた。
食事の内容は相変わらずで学院での食事と比べるまでも無いが、それでもやっぱりこっちの方が食べた気になる。お腹いっぱいにはならなくても、満たされた気持ちになる。
食事を終えてリクルとイレインを寝かしつけた母さんは、居間に戻ってきて椅子に座ると「どうしたの?」と俺に聞いてきた。
「学院で何かあった?」
さっきまで無かった心配そうな顔で問われ、俺は慌てて首を横に振った。
「いや、何も無かった……わけでもないけど、俺は何も無かったよ」
「? どっちなの」
「あぁ……ええと学院で火事があったの知ってる?」
「ええ。森が焼けたと聞いたけど幸い怪我人もなく直ぐに消し止められたって聞いているわ」
「あったといえばそれくらいで、あとは特に何がってわけでもないんやけど」
「けど?」
俺は父さんの方を見そうになって、止める。まだ援護は早い。この話を持ってきたのは俺なのだから、俺がちゃんと話さないと。
「母さん、リクルとイレインをセントバルナの外に出してくれん?」
「……いきなり、どうしたの」
「いきなりだとは思うんやけどな、考えてたのはいきなりってわけやない。それは母さんも知ってるやろ」
「………そうね、お父さんとそんな話をしていた事もあったわね。ずっと小さい時に」
「言っても聞いてもらえんかったらから、言うのは止めたけど諦めたんちゃう。聞いてもらえる時まで待とうと思ったんや。俺がガキで相手にされんのならガキじゃなくなればいい思って」
「レライ、お父さんはそういう意味でここを離れないと言った訳ではないわ」
母さんが心配そうに父さんの様子を伺うが、父さんは視線をテーブルに落としたまま。はらはらとした様子で俺に視線を戻すので俺は母さんに頷いた。
「それはさっき聞いた。ここでやりたい事があるから外へは行けんって事やろ?」
「あなた……話したの?」
父さんは顔を上げて、一つ頷いた。
「……そう。………そうなの」
「せやから、俺と父さんはここに残る意味はあるんやけどな、小さいリクルとイレインは危険なだけやろ? だから母さんに安全な外へ連れて行って欲しいんや」
「……一緒に居たいと思うのは駄目なの?」
目を伏せた母さんはぽつりと言った。
俺はすぐに答えられなかった。思う事自体は駄目ではない。それは俺だって一緒に居たいと思う。だけど、それを認めてしまったら母さんは外に行ってくれない気がした。
「今は、まだ………だけど、大丈夫なように何とかするから、だからそれまで――」
「今が危険なのね?」
しまったと口を噤むが遅かった。母さんは見たこともない鋭い目で俺を見据えていた。
「それはどういう事。説明して」
父さんの様子を伺っていた儚げな様子は微塵も感じられない。それどころか父さんよりも怖いと感じるものを滲ませていた。
半ば身が竦むの拳を握り込む事で耐えて、俺は首を横に振った。
「それは、出来ん」
「レライ」
「出来んもんは出来ん」
母さんに後継者問題で争いが起きるかもしれないという事は話せない。約束したからというより、内容が誰かに聞かれれば咎められかねないものだから。だけど、そういう理由以上に今の母さんに言ってはいけないと思った。父さんには大丈夫だと思ってピットさん達の事を少し話したが、母さんにはそれも駄目だ。言ったら何をするかわからないような気がする。
「……フィニア。落ち着け」
「あなたは知っているの?」
父さんが口を開くと、母さんは矛先を俺から父さんへと移した。
「話は聞いた」
「それで納得したの? あなたも私に外へ行けと言うの?」
「あぁ」
母さんは父さんを見詰め、父さんは眉間に皺を寄せて母さんを見詰め、そのまま二人は押し黙った。俺が口を挟める空気などではなく、意気込んでいた思いとは裏腹に二人を交互に見ているしか出来なかった。どれほどそれが続いたのか、先に視線を外したのは母さんだった。
「………あなたまでそう言うという事は何かあるんでしょう」
「ありがとう」
頭を下げた父さんに、母さんは苦笑交じりに肩を竦めた。
「他の方は?」
「これから話す。各々どうするかは決めるだろう」
「そう……」
「行先は――」
父さんの視線を受け、俺は頷いた。了承を得られたならピットさんから聞けると思う。
「また後で伝える。それとこれを」
そう言って父さんは首に下げてものを取り出した。
紐に括りつけられていたのは小さな黒い石で、一見すると俺がリットの支部長から貰ったあの石に似ていた。が、すぐに違うと気付いた。それは頼りない蝋燭の灯りの中で、中央が蒼くほんのりと発光していた。
母さんもそれが何か知らないのか、差し出されたそれを受け取り怪訝そうに眺めていた。
「レライ、お前のも出すんだ」
「え?」
「リットで同じような黒い石を受け取った筈だ」
父さんの言葉に、俺はポケットに突っ込んでいた石を取ろうとして驚いた。
指先に固い石の感触がしたのはいいが、それが熱を持っている事に慌てて出せば母さんの手の中にある石と同じように中央が蒼く発光していた。
「私達が持っていればこうして石同士で反応して光り熱を持つ。その石が反応している時に左手で左耳を覆っていれば『家族か』と声を掛けられる。問われたら『カウの者だ』と答える。そうすれば相手が話を聞いてくれ、必要であれば手を貸してくれる」
「家族かと聞かれて、カウの者と答えるのね?」
母さんはこの石が何なのかとか、どういう意味かとかそういう事は聞かずに内容だけを確認した。
俺は何でリットの支部長が持ってる石を父さんが持っているのかとか、『家族』とか『カウ』とか言うって事はリットの支部長ってそういう人なのかとか、いろいろな考えが頭の中ぐるぐると回っていた。
「そうだ。逆に、この石が反応している時に同じ仕草をしているものが居たら『家族か』と問う。答えに『ケルト』『セット』『アクバ』『ノーバ』『ナルク』『シルク』『カウ』『ルイウ』『ジゼル』『ニール』『フィン』『レグラン』『ネイビ』『ウェイビ』『リィツ』『インツ』のいずれかが入っていれば出来る限り手を貸す」
疑問が沸きあがる俺の前で父さんは早口に例の家族間での呼称らしきものを一気に口にした。
そんなものを一度に言われても覚えられるわけがないだろと疑問をさておき口を開きかけたところで母さんは頷いた。
「『ケルト』『セット』『アクバ』『ノーバ』『ナルク』『シルク』『カウ』『ルイウ』『ジゼル』『ニール』『フィン』『レグラン』『ネイビ』『ウェイビ』『リィツ』『インツ』ね。わかったわ」
………たぶん、あってる……よな?
思わず父さんを見ると、父さんは静かに頷いた。一度で聞きとった母さんに驚いている様子は無い。
「レライ、お前は全部は無理でも『ケルト』『アクバ』『ノーバ』『ナルク』『カウ』『リィツ』は覚えておくんだ」
「ちょ、ちょい待って………ケルト、アクバ、の……」
「『ケルト』『アクバ』『ノーバ』『ナルク』『カウ』『リィツ』」
「け、ケルト、アクバ、ノーバ、る……る?」
「『ケルト』『アクバ』『ノーバ』『ナルク』『カウ』『リィツ』だ」
父さんは急かすでもなく、ゆっくりと何度も繰り返してくれた。
焦って聞き取ろうとしてしていたが、父さんが落ち着いて答えてくれるので五六回繰り返したところで一先ず諳んじる事は出来た。が、すぐに忘れそうで何かに書き留めたかった。
「忘れたら私に聞きなさい。紙に残してはいけない」
「え……」
俺の考えなど見通しているのか先回りして父さんに言われ、顏が引き攣った。
「せやけど、母さんも覚えておけんくない?」
「大丈夫よ。『ケルト』『セット』『アクバ』『ノーバ』『ナルク』『シルク』『カウ』『ルイウ』『ジゼル』『ニール』『フィン』『レグラン』『ネイビ』『ウェイビ』『リィツ』『インツ』。ちゃんと覚えたわ」
「レライ、母さんは私達の中で一番記憶力がいいんだ。母さんの次はイレインだろうな」
女系か。
俺は言いしれない残念な気持ちを胸にしまい込み、ついでに先ほどの呼称を何度も何度も頭の中で繰り返した。父さんを恨みがましく見ながら。
俺の視線に気づいた父さんはどことなく居心地悪そうに視線を逸らした。
「レライ、お父さんを困らせないの。あなたの頭はあなたのものでしょ」
「う……せやけど一回で覚えるとか目の前でされると……」
「それも一長一短よ。覚える事は出来るけど、母さんはお父さんのように知識を生かす事は出来ないわ」
「って言われてもなぁ……父さんが何やってんのか俺具体的に知らんし」
「そうだったかしら?」
母さんは目を丸くして父さんを見た。父さんはさらに居心地悪そうに視線を逸らして完全に明後日の方向を向いていた。
「恥ずかしいみたい。話してもいいでしょうに」
「フィニア」
「なぁに?」
「…………いや」
微笑む母さんに項垂れる父さん。
普段母さんが父さんに口を挟むような事はしない。だからハッキリとは知らなかったがこれは母さんの方が強いのだろうと思われた。けれど、父さんが頼めば母さんは不承不承ながらも頷いてもいた。どちらかが完全に強いというより、それぞれに強い部分があると見るべきか。
何にしても、自分の親のこんなやり取りを目の前で見ると言うのも微妙なものがある。別に見たくないとか嫌な気持ちになるとかそういう事ではないが、何も俺の前でやらなくてもいいだろと思ってしまう。でかい図体した父さんが華奢な母さんの前で項垂れる姿を子供に見られてるとか、なんか憐れになってくる。
見なかった事にしようかと考えかけて、今さらそんな反応しても逆に父さんも嫌かと思い直していると母さんは居住まいを正した。
「二人とも」
声に、俺と父さんは母さんに意識を向けた。
「リクルとイレインは何があっても守り抜きます。だからあなたもレライも、怪我をしないで」
「駄目だ」
即座に父さんが拒否した。そんな心配させるような事を言うか普通。と思ったが、そういう事ではなかったらしい。父さんは続けて言った。
「守る中にお前自身も含めるんだ。私も手は尽くすが、お前が自分を大切にしてくれなければ守れるものも守れない」
母さんは目を瞬かせて、一瞬間を置いてからゆるく表情を崩して小さく頷いた。
俺……邪魔?
狭い家でこっそりこの場を去るなんて芸当も出来ず、両親が醸し出す雰囲気からちょっと身を引く。仲がいいのはいい。それは確かだ。だが、目の前は止めて欲しいと切実に願う。
俺は勇気を振り絞って声を発した。
「じゃ、話は以上だから俺寝るわ」
返答も聞かず俺は逃げた。逃げたと後ろ指さされようとも構わない。むしろ逃げたと断言しよう。それでいい。あの空間に居るよりましだ。寝室で団子になって寝ているリクルとイレインを見て癒された。もうこいつら守るためなら俺は何だってしてやると改めて勢い込むぐらいに癒された。イレインの横に転がると、ごろんとイレインが寝返りをうって毛布を蹴飛ばした。やんちゃなリクルに影響されて日々たくましくなっていくイレインに笑いを噛み殺して、イレインの向こうでイレインと一緒に被っていた毛布を肌蹴られたリクルが寒そうにもぞもぞしているのを見て慌てて毛布を引っ張る。肩までちゃんと掛けてやっているとリクルに袖を掴まれ、起こしたかと顔を覗けば薄い月明かりの中に目を閉じたまますやすやとした寝顔が浮かんでいた。
「……いっしょ」
不意に胸元から声が聞こえたかと思うと、イレインが俺の服にしがみついていた。その目からはぽろぽろと涙が零れている。
「イレイン?」
そっと声をかけるが、目覚めた様子は無い。
「……やだ」
声と同時に腕を引かれ、見ればリクルが俺の腕を抱え込んで泣いていた。
「リクル?」
声を掛けるがこちらも目覚めたわけではないようだった。それでもぼろぼろと涙を零して一向に止まる気配が無い。
怖い夢でも見ているのかと撫でて落ち着かせてやりたかったがリクルに腕を掴まれイレインに服を掴まれ動くに動けない。
「何泣いてんのや、怖い夢なんか笑っとったらどっか行ってしまう。泣かんくてもええやろ?」
そっと声を掛けてやると、リクルはますます腕にしがみつきイレインは小さなしゃくり声まで出し始めた。
「レライ、それじゃあ逆効果よ」
何故だと焦っていると母さんが部屋に入って来てリクルとイレインの頭を撫でた。
「大丈夫よ。お兄ちゃんはどこにも行かないわ」
「は? 俺?」
思わず声を出した俺に母さんは口に人差し指をあてた。
俺は目を瞬かせリクルとイレインを見た。母さんが撫でているお蔭か涙は止まり、目じりから零れ落ちた跡だけが残っている。
「あなたが学院に行ってから、時々泣いているの。今日あなたが帰ってきたのが余程嬉しかったのね。だからまた行ってしまうと思って夢を見ているんでしょう」
「………俺が、泣かせたん?」
母さんは少し困ったような顔をして首を傾げた。
「あなたのせいではないけれど、でも……そうね。リクルとイレインはお兄ちゃんが大好きだから仕方が無いわ」
「でも母さんも父さんも居るやろ」
「お兄ちゃんはあなた一人よ?」
「それはそうやけど………」
そうは言っても、俺が居ない事ぐらいで二人が泣くとは思わなかった。それが正直な感想だ。
「仕方が無いわ、あなたがこの子達を一番近くで守ってきたんだもの」
「……いや……こっちであんまし酷い目には合ってないと思うんやけど……」
「そうじゃないの。この子達が泣いてるとき、困っている時、寂しい時、嬉しい時、ずっと傍に居てくれたでしょう? 私もお父さんもそうしようと思っているけど、でもどうしてもずっと一緒には居られない時があるから、そんな時にこの子達の拠り所となったあなたはこの子達にとって特別なのよ」
「だから」と母さんは俺を見て言った。
「あなたがもし居なくなってしまうような事があったら、わかるわね?」
俺は母さんに気圧されるように頷いた。今一ピンと来なかったが、俺に何かあればこいつらが泣くんだぞという母さんの言いたい事は理解した。
「わかった。こいつら泣かすような事はせんよ」
「お願いね」
重ねて言う母さんに頷きつつも、どれだけそれが出来るだろうかと内心考える。これから自分が何をする事になるのかなど想像もついていない。只、争いが起きればそれに加わる事にはなるから、平穏とは言えないだろうという漠然な想像ぐらいだ。
そういえば父さんはどうしたのだろうかと聞く前に、母さんは眠っていた。相変わらずの寝つきの良さに苦笑している俺自身も、後を追うように寝てしまったので聞けずじまいだった。聞いていろいろと語られても困ったかもしれないのでそれはそれで良かったかもしれない。
翌日、父さんと二人であの小屋に行きピットさんを待った。
「そういや、父さん」
昨日と同じように椅子が無い小屋の中でテーブルに行儀悪く腰かけ、俺はポケットから黒い石を取り出した。母さんが持つ石から離れると最初に見た時と同じただの黒い石だ。
「これ、リットのアンスガーさんって人から貰ったんやけど、その人も『家族』なん?」
「アンスガーだったか……」
「あれ? てっきり相手わかってるんかと思ったんやけど違うんや」
「てっきり?」
「せやろ? リットに行ったのがわかったんはコレ持ってるからやと思ったんやけど」
「あぁ……それは違う。お前達がリットに入った目撃情報はソレではなくちゃんと耳で聞いた事だ」
「距離的にうさんくさいなぁ」
「……何とでも言え」
「まぁええけどな」
「………そういえばお前、アンスガーとは顔を合わせた事があったか?」
「無いで?」
「それでよく引っ張り出せたな」
「あー……」
ローザ叔母さんに言われてたからってのは言わん方がええんか?
「依頼はアンスガーにしたのか?」
「え? あぁ、そうやけど」
「そうか……行先の件は」
「まだや。父さんを説得出来てからって事やったからな」
「ならアンスガーには私から話しておこう」
ローザ叔母さんの事はどうしようかと思ったが、アンスガーさんと顔を合わせるならそこからわかるだろうと「ほな、よろしく」と言って父さんに頼んだ。アンスガーさんが言わなければその方がいいという事で。
それから暫く父さんと他愛も無い話をして、まさか父さんと他愛もない話が出来るとは思わなかったなとしみじみしているとピットさんがやってきて、俺と父さんの様子を見てにっこりとされた。
説得がうまくいってなければ俺がこんなに気楽な調子でいるわけがないのだから、一目見てわかったのだろう。父さんよりも母さんにびびらされ父さんに助けられるという実態は伏せておこうと思った。何となく。言ったら笑われそうなので。何となく。
「お話が出来たようで何よりです。その様子ですときちんと説得も出来たようですね」
「はい、まぁおかげさまで」
「では早速ですが、国外への移動は私が同行させて頂きます。私の他にも男性がおりますが、奥さまとお子様の事を考えますと私の方が適任かと考えそうさせていただきました。宜しいでしょうか?」
俺は問題ないと思い、父さんに『どう?』と首を傾げる。
「私も異論はない。ご考慮感謝する」
「いえ。それでは行先についてですが、私どもで安全と判断しているのは南のマーベライです」
マーベライ。確か隣国ニヘルトの向こう側にあるデライトの南に位置する大国だ。女王様が統治している国で、戦だとか物騒な話は聞いた事がない。北のグレリウスや良い噂を聞かないスルよりは断然いいと思えた。
「マーベライ……具体的な場所は?」
「中央の都です。女王陛下の膝元である城下町の治安の良さはおそらくこの大陸中でも指折りでしょう」
父さんは小さく何か呟いた。何と言ったのかは聞き取れなかったが、真横に居た俺からは隠した口元が『リット』と動いたのがわかった。
「わかりました。妻と子らをお願いします」
ピットさんは片膝を付くと腰にあった剣を外して俺と父さんの前に翳し顔を伏せた。
「承知いたしました。この命に代えても無事にお連れ致します」
俺は初めて見るその仕草に固まった。
剣を外すのは敬意。それを目の前に差し出すのは全てを捧げる証。本来は騎士が生涯ただ一人へと忠誠を誓う際に行われるものだが、騎士でなく剣を扱う者では多少意味が違うと昔叔母さんから教えてもらった。騎士ではないピットさんがこれをしたというのは、誓い。誓いを破れば居間の言葉の通り命を差し出すという意味になる。
父さんは差し出された剣に触れず、ピットさんの腕を押して下げさせた。
「私はレライを信用しています。貴女がレライの期待を裏切らないで頂ければそれで構いません」
ピットさんは片膝をついたまま俺に目を向けたので、慌てて首を縦に振る。
「命なんて差し出されても困りますよ! ピットさんなら安全に連れて行ってくれるって思ってますから!」
「あら、レライ君も意味を理解して?」
「剣の誓いですよね? 剣を扱う人の古い作法って聞いてますけど実際見たのは初めてで……ほんま、驚いた……やめてくださいよ心臓に悪い」
「ごめんなさい。私の権限ではこれぐらいしか出来ないのです」
どこかしょんぼりとしたピットさんは剣を腰に戻すと、やっと立ってくれた。
横で小さく息を吐く父さんも慌てていたのだろう。
気を取り直したピットさんと父さんで出立の日取りを確認したところで、俺はピットさんからレシーアにある食堂へ行くように言われた。
ピットさんが母さん達につくので、その代りに俺を学院まで運んでくれる人が居るらしい。運ぶと聞いてまたアレかとちょっとげんなりするが、わざわざ足を運んでもらっている身としては文句の言いようもない。
待ち合わせに指定された食堂は何度か俺も足を運んだ事がある場所で、馬車に乗り夕方には迷うことなく店の前に立てた。戸を軽く押せば仕事帰りの男達の姿が多く、空いている椅子はほとんど無かった。
俺は客を見回して、奥まった席で俯く様に食事をしている人物を見つけ椅子を勧めてきたお店の人に断りを入れてから足を進めた。
紺色のフードを降ろした赤茶色の髪の人物は、近づいてみると頬杖をついてフォークをサラダの木皿に突っ込んだまま寝ていた。
「……あの」
間違っていたらどうしようかと思ったが、『他に紺色のフード』『赤茶の髪』『二十代後半』は見当たらないので声を掛けてみる。他にも目つきが悪いとか、背丈は俺と変わらないとか聞いたがこうして座って寝られているとわからない。華奢だから遠目には女にも見えるとも言われたが、主観的な要素が大きいのでそれも判断材料にはならない。確かに線が細くて肩幅も無いので遠目にそう見えない事もなかったが。
「………」
目の下にくっきりと表れているクマを見ると、なんだか起こすのが酷く悪い事のように思えて反応を返さない男に次の言葉を使おうかどうしようか悩む。
かといってこのまま突っ立っている訳にもいかないので、ピットさんに教えられた通りぼそっと言ってみる。
「研究資料燃やしますよ」
カッと男の目が開いた。
至近距離で凝視された俺は喉の奥でヒッと声を挙げそうになって何とか堪えた。
「だれだ」
掠れた声で問われ、俺は背筋を伸ばした。
「レライです」
「…………だれだ?」
人違いかと焦りそうになるが、『研究資料燃やす』で反応する人物なので間違いはない。
俺はピットさんの説明通りに頭を下げた。
「学院までよろしくお願いします」
「…………」
よくわからないのだが、この人物はすっとぼける事が多くて、強引に話を進めれば思い出すらしい。暫く無言が続いて、だんだん自信が無くなってくる。ちらっと様子を伺うと眉間に皺を寄せてテーブルの隅を睨んでいた。
「………あぁ、坊主か」
何か繋がったのか、男は座れと自分の前の椅子を指さした。俺は従って座り改めて男に向き直る。
「思い出してもらえました?」
「飯食ったか?」
「え? あ、いえ、さっきレシーアに着いたばかりで」
「じゃ食え。食ったら出発する」
俺は外を見た。暗い。
「あの、夜に出るんですか?」
「俺らに夜も昼もねぇよ」
それもそうかと俺は納得して指差された先にある、壁のメニューをざっと見て適当に頼む。
食事を頼んでしまうとやる事も無くて、かくりかくりと寝かけながら食事をするという器用な男を眺める。ここで自己紹介とかしたいところではあるが、ピットさんに向こうからされるまで聞かないようにと言われているため出来ない。
やっと男から問われたのは食事を終えて店を出て、空を飛ばず暗い街道を進み始めてからだった。
「名前は? 本名じゃなくて団名」
「だんめい?」
「まだか。魔術は誰に師事している?」
「ヴェルダ先生ですけど……」
「そういやそうか。……めんどくせぇ」
灯りも無く、仄かな月明かりだけで街道を進んでいるので男の表情は読み取れないが面倒くさがっているのはしっかり伝わってきた。
「なんか、すいません」
「いや決めてないのはお前の責任じゃねぇよ。こっちの問題だ」
「そうですか?」
「なら仮でヴィーな。それでも団員なら誰に師事してるかわかる」
「誰に師事してるか重要なんですか?」
「重要っつーか、暗黙の了解だな。意味は無いが『あぁあいつの』って感じの」
「意味ないんですか……ピットさんも団名なんですか?」
「あいつが師事してるのはピドナって男だ」
「……もしかせんでも、頭文字?」
「わかりやすいだろ?」
わかりやすいが、そういう安直なものでいいのかと微妙な気持ちになる。魔導師団なのだから、もっとこう格式ばった決まりのようなものがあってもいいのではないかとか。
「……あれ? もしかしてヴェルダ先生のヴェルダって団名ですか?」
「気付いたか」
「ピドナさんが団名ならって思ったんですけど……そっか、本名やないんか」
「本名は表でしか使わないからな」
「表?」
「中央の式典とかな。今の俺らは魔導師団員でも何でもない。本名使う意味が無いんだよ」
「はぁ、そうなんですか」
「気になるなら後で聞いてみろ」
「聞いていいんですか?」
「聞くだけならな。問題ないと判断されれば答えてもらえるさ」
「わかりました」
「あと、俺はカーク」
「カークさんですね」
「カークでいい。言葉使いも敬語はいらない。急いでいる時に時間喰うような事は出来ないからな」
「わかった。……ピットさんは結構丁寧やと思ったんやけど」
「あいつもいざとなれば端的な口調になるぞ」
なら、ここで俺が敬語を使用していてもいいんじゃないかと思ったが、切り替えられるかどうかカークから見れば分からないので普段からそうしていろという事かなと考えを巡らして納得する事にした。
「さて、そろそろ始めるか」
「始める?」
「俺がお前につけられた理由だな。今のままじゃお前は使い物にならない」
「……まあそうだと思う」
ばっさり言ってくれるカークに、俺は反論せず肯定した。学生ごときが本物の団員相手に反論出来るわけが無い。
「索敵と走天、この二つは覚えてもらう」
「あ、索敵は一応出来る」
野戦の時に先輩たちが使っているのを見て便利だなと思ってこっそり調べた。自力で食糧を確保していた事があるとあの魔術はすごく魅力的に写る。二年の先輩も使っていたから、二年で習うのはわかっていたが、抗いきれなかった。
「ヴェルダ様か」
「最後は確認してもらったから学生としては大丈夫やと思うけど、団員の域では無いと思うで」
「試してみるか」
言うなり、カークは片手を振った。
「ほら」
促されて俺も腕を振った。瞬間的に広がる魔力が見えない知覚となって辺りの様子を拾った。ただ、隣で同じ索敵を使用しているカークの存在もその力も感知出来ない。
「空切りか。濃度も……まずまず」
逆にカークは俺の索敵の魔力を知覚出来ている様子。さすがに本物の団員との探り合いに勝てるとは思っていないが、こうも全く分からないとちょっと悔しい。
苦し紛れに魔力の濃度を出来る限り調整して何とか知覚出来ないかとやってみるが、やっぱり駄目だった。
「へえ、魔力操作出来るのか」
「カークの索敵は知覚出来んかったけど」
「いやあ? それが出来るって事は……」
急ににやにやし始めたカークに、思わず身を引く。
「な、なんや」
「ははは、そう怯えるな」
最初に見た鋭い目つきはどこへやら、やけにいい笑顔で詰め寄られ顏が引き攣る。
「それ無理やろ、そない不気味な笑い浮かべて」
「不気味ぃ? 先輩に向かって不気味ぃ?」
「せやから笑うか怒るかどっちかにしてや! なんで笑ってるんや!?」
カークは笑いながら俺にいきなり魔術を放ってきた。しかも奈風。正面から喰らえば普通に顔面切れてた。索敵を使ってたから辛うじて察知出来た。それもキルミヤが魔力の流れ云々言ってなかったら俺も索敵で探れるかもとか思わなかった。あれが無ければ察知なんて出来なかったし、間違いなく血どころか出てはいけないものまで出ていた。
「何なんやいきなり!?」
「一年だっけ?」
「それが何なんや!」
「優秀優秀。索敵の利用法を心得てるじゃないか」
「はあ!?」
「ちなみに俺のカークって、師事している相手の団名からじゃなくて本名から来てるんだよな。本名であんまりにも有名すぎて団名使う意味が無いってせいで」
「名前が何か関係……」
ハタと俺は気付いた。カが頭文字の魔導師団員。団員ではないが魔導師団ではある。
「気付いたか? 俺の相手はカルマでな、不意打ち騙し何でもありの訓練が基本だ。最初は人手不足で俺が回されたのかとも思ったが……」
笑みにすごみが増した。純粋に、ただ、怖い。
「せいぜい死ぬなよ。後が面倒だ」
不吉な言葉を合図に、俺は死にもの狂いで避けた。全神経を索敵に向け文句を言う余裕も無い。絶え間なく放たれる奈風に時折混ぜられる火刀が避けても露出した肌を焼く。
本気で殺す気かと思ったが、本気で殺す気なら避ける暇もなく殺されてるだろう。楽しげな笑みを浮かべているカークを見れば声に出して問うまでもない。
じゃあ何でいきなりこんな事をしてくるのか。考えるまでもなく実戦を意識しての事だろう。
「考え事をする余裕があるのか。さすがヴェルダ様の弟子。じゃあもうちょい難しくするぞ」
言うなり、魔術の速度が上がった。それまで手のひらに集まったそれが魔術として振るわれるまでの時間が無くなり、こちらの狙いがどこか読めない。腕やら顔やら足やら次々に切られるが急所は外される。
「ほらほら集中。避けてもいいが無理なら防いでみろ」
ふざけるなと怒鳴りたいが、怒鳴れない。
索敵を今の状態で維持したまま結界系の魔術など操れない。少しでも意識を索敵から離したら途端に切り刻まれる自信がある。
結局、俺の集中が切れて真正面から刻まれそうになったところで終了した。
疲れ切って地面に転がる俺を見降ろしてカークは「明日もやるからな」と言った。ちょっと泣きそうになった。