第百十七話 俺様と言われても
王都に儲けられたサジェスの別邸。一際大きく、王宮の左翼を守る位置に配置された屋敷の二階からは都の姿が良く見える。
「父上はまだ戻られないのか!」
出来れば久しぶりに見る都の姿を少し眺めていたいという気持ちを押し込めて、痛む喉を震わせ使用人に怒鳴りつける。使用人はいつものように身を竦ませ、焦ったように『宮に行かれたままお戻りは遅くなりますので』と繰り返した。
気分的にはそれまで少し休んでいたい。騒ぎのあった翌日にはここへ向かったと思わせる為に馬を潰して早駆けしたせいで身体の節々が痛い。立っているのもきついが、今までの私ならそんな落ち着いた態度はとらない。意のままにならない事に腹を立て、当主に殺されかけたかもしれないという事実から必死に目を逸らすだろう。だからここではまだ休めない。休むのは屋敷を離れてからだ。そう言い聞かせ口を開こうとした時、真紅のドレスを纏った母上が入ってきた。
「静まりなさい。そのように声を荒げてみっともない」
「母上!」
「静まりなさいと言うのが聴こえなくて?」
「っ……」
手にした扇を閉じた母上から視線を逸らし苛々と窓に近寄り外を睨みつける。背にした母上からは呆れかえったような溜息が聞こえ、内心ほっとする。使用人ならまだしも、母上を演技で誤魔化せるか自信が無かった。南の女侯爵までとは言わないが、サジェス家内の事柄はかなりの部分を握り、下手な男よりも取り仕切る力があるともっぱらの噂だ。私の態度に何か気付かれるとすれば当主や兄達よりも、屋敷で顔を突き合わせる事だけは長かった母上だ。
「勝手に学院を出てきてお父様を呼びつけるなど出来る筈もないでしょう。その程度の事も判らないのかしら」
「その学院で私は死ぬ目に遭ったのですよ!? 父上が手にせよと言ったものの所為でです! どういう事なのか確かめようとするのは当たり前のことではありませんか!」
窘める言葉に反応するように感情のまま言葉をぶちまけると、母上は見下すような目で私を見て優雅に扇で口元を覆い使用人に囁いた。途端、使用人は蒼褪め急いで出した茶を下げて別のものを用意した。
「気の利かないこと。貴方も愚か者になりたくなければ口ではなく頭を使いなさい」
「母上は……私がどうなろうと構わないと仰るのですか……」
「そのような事をいつ口にしました。遊んでいる暇があるのなら魔術を一つでも多く学びなさい。それが貴方の取り柄でしょう」
「母上……」
皮肉な事に、こうした遣り取りでもこれだけ言葉を交わしたのは初めてだ。母上の冷たい目を直視出来ない風を装い、部屋を出ようとしたところで勢いよくドアが開け放たれた。
「ち――」
立ち塞がるように現れたのは険しい顔をした当主。父上と言葉にする前に右腕を掴まれ袖を捲られた。
「お前は使いの一つも成し遂げる事が出来ないようだな」
「待ってください! 私はちゃんと手にしました!」
冷ややかな言葉を浴びせられ、咄嗟に言い募れば掴まれた腕を眼前に突き付けられた。
「印が無いのが何よりの証拠だ」
やはりか。
心の中で冷静にそう思ったが、どこかでそうではないのではないかと望んでいた部分が軋む。
「印……? 印とは何の事ですか?」
戸惑った顔で問えば腕を投げ離され、その勢いでたたらを踏む。
「誰が手にしたのだ」
「それは私が――」
「フェリアさっさと言え。何時までもお前に付き合っている時間は無いんだ」
当主の後ろから髪を後ろで縛った長兄のハインツが現れ、私の襟を掴んで数歩離れた当主の眼前に引き摺った。
「兄、うえ?」
まさか長兄まで現れるとは思わず、本当に声が上擦った。
「いいから答えろ。それでもサジェスの人間か」
「っ……私が手にしました。言われた通り赤い薔薇に触れたのは私以外の誰でもありません」
「嘘をつくな!」
「嘘ではありません!」
長兄の一喝に、震える声でこちらも言い返す。
「私は確かに手にした、気が付いたら辺りが焼けつくされていたのです!」
「父上、話になりません。戻りましょう」
長兄が促せば、当主は頷きもせず踵を返した。
「待ってください! あれは何だったのですか!?」
興味が失せたように視線の一つもくれない当主を止める術は、私には無かった。立ち尽くす私の横を、母上が通り過ぎてゆく。
「母上! 母上は――」
「学院に戻りなさい」
母上は私の言葉を遮り、ドアを閉ざした。
思ったよりも早く当主に会えたが、予想通り双方向の会話は成立しなかった。その事に落胆は無いといえば嘘になるが、気にしても仕方がない。私にアレを使わせるつもりだった事が確認出来ただけでも僥倖だ。
「フェリア様……」
いつの間にか入って来ていた使用人が伺うようにこちらを見ていた。
「……学院へ戻る」
「では用意を致します」
「いらん!」
「お、お待ちください」
私に拒絶されても付いて来ようとする使用人。今しがた当主、次期当主、それに屋敷の主である母上にも見限られたところだというのに職務に忠実だ。その気概は大したものだと思うが、今は迷惑以外の何物でもない。彼らを振り切り、羞恥と怒りに突き動かされるように屋敷を飛び出して繋いでおいた馬に跨る。
都を出て学院へ続く南の街道へ馬首を巡らし早駆けで進む事半日、日が暮れはじめたところで宿場街で足を止めた。一番格の高い宿を選び宿代はサジェスにつけさせる。入学の時にも使った宿で、予想よりもあっさりとサジェスの人間だと思われたのは正直助かった。王都に行くだけできつかったが、それが治らない内に半日走った今は一刻も早く休みたかった。湯だけで食事はいらないと言って部屋に入る。
「早かったね」
いきなり声を掛けられ身体を強張らせたが、夕焼けに染まる部屋でのんびりと寛いでいる女――ラウネスだと気付いて力が抜けた。
「どうやって入った」
「そんなもんそこからだよ」
示す先は後ろの鍵が掛かっていたドア。傭兵は鍵開けもこなすのか。
「まぁいい。こっちの収穫はほとんどない」
「そうかい」
「だが腕に印が出る事は知っていた」
「ならあんたを宿主にしようとした事は間違いないね」
「あぁ。少なくとも当主と次期当主はアレを使おうと考えていたと思う。母上はどちらか判らん」
「へえ、庇うのかい」
揶揄が混じる口調に睨みつけるが、どこ吹く風で堪えた様子はない。子供相手にこの傭兵が動揺する筈もないかと腹立たしさより疲れが増してベッドに腰を降ろす。
「あの人は当主に従うだけの人だ。当主が何をしていようと口を挟まず与えられた役所を全うしているに過ぎない」
「貴族の奥方としちゃ立派なのかね」
「反応はこの程度だ。理解したらそちらの状況を話せ。私は疲れている」
「はいよ」
ラウネスは手入れをしていたナイフを仕舞った。
「こっちも収穫なしだ。二人の行方はリダリオスのところで途切れてる」
あの馬鹿と子供が無事か。ただそれを確認するだけなのに使えない。子供の方は危険視していると言っていた癖に何も掴めないとは、白の民というのは口だけの輩か。
「使えないな」
「頭でっかちが多いのは確かだね。リダリオスに遊ばれてたよ」
「遊ばれて? 敵対でもしているのか」
「……敵対じゃあないんだけどね」
「敵対していなければ普通に聞けばいいだろ」
「あんたねぇ、どうやって聞くんだよ」
「学院の生徒が無断で外に出たと言う以外に何がある。正式な使いでなくともフィルナスの名を出し、責任として捜索していると言い張ればいい。火災の時の事であればフィルナスに責があるだろ」
「そうじゃないんだよ」とラウネスは首を横に振り、自身も面倒だと思っているのか煩わしげに顔を少し歪めていた。
「リダリオスは白の民の存在を知ってるんだよ」
「なら遠回しに言わず、素直に聞けばいい」
「言えるかい。セントバルナの元魔導師団長だよ? 白の民からしてみれば警戒対象さ」
警戒対象と聞いて、面倒な理由が理解出来た。
災厄の種を生む切っ掛けにもなった魔術の繁栄を抑えるために、魔術に関わる人間を監視するのが白の民の役目。そう認識している者が自分達の存在を知るような監視相手を警戒しないわけがない。その上で接触を避けて探ろうとして、察知されて遊ばれたのだろう。げに恐ろしきは魔術に関して表の知識を凌駕すると豪語する白の民を出し抜くリダリオス。元魔導師団長という肩書は真にその能力を示すものだったのだと思わされる。果たして自分は独力でそこまで行けただろうか? 今回のような特別な事情がなければ白の民という存在を知る事など出来なかっただろう。軽く想像してみてもリダリオスがどの領域に居るのかすら分からない。到底辿り着けなかったと容易く結論が出るが、今はリダリオスの能力の高さが問題ではない。
「……白の民以外の手を持っていないのか?」
「言われなくても途中から引き揚げさせてあたしの知り合いに声を掛けてる。だからそっちはそれで掴めると思う。もうしばらく待ってくれ」
ならば、こちらはそれを待つばかりだ。
私が出た所でサジェスの人間が接触を図ったと周囲に要らぬ誤解を招く事にしかならない。今までサジェスという家名を重いと思った事はあったが、邪魔だと思った事はなかった。考え方一つでこうも変わるとは、つくづく妙なものだ。
「フィルナスはどうした?」
深刻な顔をしたまま去った元学院長の事を尋ねれば、今度はしっかりと顔が嫌そうに歪み舌打ちが返ってきた。
「お偉方にいろいろ伺いを立ててるけど、あの子は優秀だから今回の事にはもう近づかせない可能性が高いね。あの子がエントラスに派遣されたのは災厄の種の監視より魔術の監視の方が大きいんだ。炎獄の貴婦人がどこかにあるとしても柱は別の奴があてがわれるだろうよ」
「なんだそれは」
ラウネスは掌を上にして肩を竦めた。
「災厄の種を無力化させる方法さ」
「無力化出来るのか?」
あれを? と、思わず首を傾げる。
「壊す事は出来ないけれど封印は出来るんだよ。
災厄の種はね、人につかなきゃ脅威じゃない。人について初めて災厄となる。止めたきゃ一人生贄を用意すればいいって話さ。最善は瀕死の人間につかせて、死んだ瞬間に封印する。エントラスのあの場所にもそうやって封じられたのかもね」
「……本気か?」
思わず口をついて出た言葉に、ラウネスは笑った。
「下は従うだけだよ」
「それで納得しているのか?」
「人柱が栄誉だってんだから、それで満足なんだろうよ。人柱ってのを理解出来てるとはあたしには思えないけどね」
「………そうか」
ラウネスは浮かべていた笑みを消して目を瞬かせた。
「なんだ?」
「いや、てっきりあんたは馬鹿にするんじゃないかと思って」
「馬鹿に?」
「唯々諾々と従うなんて自分を持たない人間だとか何とか」
「それを言えば私は私を馬鹿にする事になる」
当主に認めてもらいたくて足掻き、言われる事には何も考えず従って来た。その過去を無かった事にする気はない。目を逸らしたいという気持ちはあるが、それがなければ今ここに私は居なかった。過去の私にとって従うという事はそれ程大きく、重い。他に選択肢は見えなかった。同じであるならばそれを馬鹿にする気にはなれない。どれ程下らないものに見えても、重いと思ってしまえば、それは重い。
「………」
「弁明するつもりはない。だが、お前から見ればつまらない事だろうと私にとっては重たかった。それだけの事だ」
「いや………すまないね。忘れてくれ」
バツが悪そうに視線を逸らすラウネス。その表情は、いつだったか馬鹿と決闘をして負けた時に向けられた嘲笑うものとはかけ離れていて、不気味なものがあった。
「お前がそんな態度だと気味が悪いな」
「あんたね……」
乱暴に頭を掻いて低く獣のように唸るが、うるさい。
こいつは女の癖に唸るのか。女が唸るなど見た事もなければ聞いた事もない。という事は、
「……壊れたか」
「誰が壊れるか!」
真面目に考えて出した答えに対して怒鳴り返さなくてもいいだろ。いや、それよりも女も怒鳴るのか。私が見てきた女とは種類が違い過ぎて常識が通用しないと考えた方がいいのかもしれない。女は甲高い声で叫ぶものだと思っていたのだが……どちらにしても騒がしい事に変わりないか。
「うるさい。どうせ私を監視している輩が外に居るんだろ。騒ぐな」
「………あぁもうやってられないよ。外の奴らに気付いてたのかい」
「居るのか居ないのかは判らなかったが、私が当主ならそうする」
「何をしてきたんだい」
「何も」
「何もしていなくて監視されるのかい?」
「何もしなかったからその程度で収まっている」
「………ふぅん? 警戒されるような事ではないんだね?」
「それは避けた」
「ならあたしが言う事はないが……あんた学院に戻るのかい?」
私は皮手袋を外し、膝を伸ばして引き攣る筋肉をゆっくりと叩いた。
「暫くは学院に居るが、状況による。もし当主が私を使うような素振りを見せるのならそれに乗るつもりだ」
「他に災厄の種があるかもしれないって考えてるのかい?」
「使わせるわけにはいかないだろ」
七日間暴れ狂いこの大陸の半分を焼いたという話が話半分だとしても、セントバルナを焼きつくす事は容易いだろう。加えて暴走する可能性が高いという危険極まりないものを安易に使わせるわけにはいかない。仮に当主がセントバルナで使う事を目的としているのではなく、他国で暴走前提に使わせる事を目的としているとしても、させるわけにはいかない。その力がいつセントバルナに向かってくるとも限らないのだから。
「そりゃそうだけどね。あんたはそれでいいのかい? 今度こそ命を落とすかもしれないよ」
「何も知らない人間よりは耐性がある。災厄の種の宿主にされて生き延びた奴は居ないのだろ?」
「そうだけどね……」
「動きがあるまでは契約通り付き合ってもらうぞ」
「……はいよ。しっかし、あんた……契約を結ぶ上では対等だと言いはしたけどね、その態度はどうなんだい。一応あたしは先生であんたは生徒だろ?」
「私はサジェスの動向について教える。そっちは馬鹿と子供の行方を調べる事と私を鍛える事。それを交換条件として契約したんだ。学院での関係など契約に含まれていない。ここが学院でない以上、どこに問題がある」
「……横柄な契約相手だよ」
「お前も大概だ。リットでは自分より下の歳の契約主を侮るのか?」
「はいはいはいはい。わかったよ。あんたは対等だよ。悪かった。まったく……子どもらしくない」
「等級が最上の傭兵が弱気というのは見ようによっては面白いかもしれんな」
「あんたね! ……ったく。本当にやってられない。あんたはサジェスらしくないと思ってたけど、十分サジェスらしいよ」
「褒め言葉と受け取っておこう」
「ああそうしてな。あたしはもう行くよ」
前を通り過ぎるラウネスが袋を投げてよこした。
膝に落ちたそれを手に取れば、中に軟膏が入っていた。
「あんまり無茶するんじゃないよ」
言い残して行ったラウネスに、そちらこそ血も凍った竜殺しの異名を持つ傭兵らしくないと、そう思うものの存外悪い気はしなくて、宿についた時よりも軽い気持ちで運ばれてきた湯を使う。擦れて痛む足に湯がしみて筋肉をほぐすどころではなかったが、軟膏を使った後はそれほどきにならなくなった。そのまま眠り、気付けば日が昇っていた。休みたいと思う気持ちを押して起き上がろうとしたが、全く動かなかった。
剣の指導を受け始めた頃、同じ状態になった事がある。
「ここまで落ちていたか……」
魔導師を目指すようになってから飾り程度しか剣を握らなかった。だが、それでこうも筋力が落ちるとは。
愕然としながら、果たしてどうしたものかと考える。監視にどう見せるかという事も気にはなるが、その前に動けない事が問題だ。
「動かし始めれば動くようになるか……」
手始めに身体を横にしようとして、強張った手足を力の限り動かすと、なんとか横を向いた。そこからベッドの下に足をおろし身体を起こそうとしてぐらつき床に転がった。動かす痛みとぶつけた痛みに浮かぶ生理的な涙で視界が歪む。
実に無様だ。軽く笑いが込みあがってくる。
ドアが叩かれ、従業員かそのあたりだろうと思った次の瞬間、カギが明けられ誰かが入って来た。
「フェリア様!?」
名を呼ばれ、驚いて見る前に背を支えられていた。
「お前……」
学院に入るとき、供をした使用人だった。当主と同じぐらいの年代で、名前は思い出せない。何故ここに居るのかも――当主か。瞬時に浮かび上がった答えに急速に何かが冷えていく。
「父上に言われてきたのか」
監視をつけて使用人まで寄越すという事は、私を使う気はまだあるという事か。
だが心の底から放っておいて欲しい。今のこの身体でこれまで通りの反発心や苛立ちを表すのは辛い。
「フェリア様が飛び出して行かれたので旦那様、奥様が酷く心配されておいでです。供の一つも連れずこのようにご無理をされてはわたくしどもも気が気ではございません」
「供など要らんと言った筈だ。貴様は相変わらず耳が悪いと見える」
ぎこちない動きでまわされた腕を払い、立ち上がろうとしたところを額を突かれて後ろにバランスを崩し倒れかけた。
「ガキが粋がるな。それ以上無理をすれば肉離れを起こして暫く満足に動けなくなるぞ」
力強い手で支えられ、床に頭を打つ事は無かったが……誰だこれは。
軽く脅せば簡単に蒼褪めて震えていた男ではないのか? 私の勘違いか?
「演技出来るのが自分だけと思うなよ小僧」
にっと口の端を吊り上げ笑った男は、声も知らない誰かのようだった。
「知った人間が豹変するのは初めてか? そんなんだからあの家でいいように転がされてたんだよ。気付いて良かったな。ついでに喜べ、気付いて反抗する素振りを見せたからには――」
ぎくっと身体が強張った。
反抗する意志を見せるような事はしなかった筈だ。ただ伺っただけだ。男の言いがかりだと思っても、ぎらつく目に喉の奥で言葉が押し止められて出てこない。
「この俺様が有効活用してやるよ。有り難く思え」
「…………なに?」
「なに、じゃねーよ。この俺様が使ってやるって言ってるんだ。喜べ」
「…………」
私がおかしいのか? さも当然のようにこの男は言い放っているが、私はこの男の事など知らなければ喜ぶ意味も理解出来ない。
「おらおら喜べよ。女以外に下手に出てやってんだぞ。敬え」
「私に向かってそんな口の効き方をして、どうなるか覚悟は出来ているのだろうな」
敬えと言っている時点で下手ではないだろと思いながら、いくらか取り戻した言葉を投げつけるも、男の余裕は崩れない。
「まだ言うか。その警戒心は必要だと思うが俺様を警戒したところで小僧にゃ何も出来ん。俺様だからな」
一々俺様を挟むな。何様だ貴様は。
「サジェスを敵に回して生きていられると思うなよ」
「思うに決まってるだろ。この俺様をサジェスごときがどうのこうの出来るかよ」
一片の恐れも惑いもなく言い放つ男。虚勢には見えず、どこからそんな自信が出てくるのか解らない。ただの馬鹿だろうか。だとすればあいつ以上の馬鹿だ。
「小僧の方がよっぽど危険だぞ?」
「なに?」
「気付いてないってーのがほんっと危険。まぁまだ俺様しか気付いてないと思うけどな。俺様だから仕方ないとは思うが――女主人が違和感を覚えていた」
母上が……
「ほらほら、そうやってちょこちょこ出てるんだよ。こんな単純なひっかけにかかるとか小僧ぐらいだ」
ハッとして男を睨みつけるが遅かった。男はにやにやと余裕で笑っていた。
「いいねぇ……その反骨精神溢れる眼。誤魔化しが効かないと悟ったか」
「……名は」
「おー? 最初にそれか。思ったより面白い小僧だな」
「…………」
「睨むな睨むな。小僧に睨まれてもつまらん」
男はケタケタと笑い、私の両脇を掬い上げるようにして立たせた。
「今のところ俺様の雇用主はサジェスじゃねぇ」
「王家か」
「……いいや。読みはいいがちょいと違う」
少しだけ笑みが消えた男の顔に満足するも、すぐににやにやと笑いだして余計に腹立たしくなってきた。
「無意味に笑うな」
「おーおーまだ粋がるか。足ぷるぷるしてるくせに。ほれほれ」
「やめろ!」
からかう口調で突いてくるが、冗談抜きに突きが痛い。叩き落とそうとしても突きが早くてかなわずよろめいてまた支えられて屈辱だけが溜まる。
「んな事よりさっさとエントラスへ行くぞ」
「貴様――」
「一つ忠告だ」
いきなり声を落した男に、反射的に身構える。
「いくら貴族だろうと一人で動く時は金と着替えぐらいは用意しておけ」
…………何がいいたい?
「そのなりでどうやって出立する気だったんだ。ほれ」
投げてよこされたものは、服だった。
「飯を取って来てやるからさっさと着替えとけ」
こちらが反応する前に出て行く男。手にした服を見て、着ている宿の用意した寝着を見て、昨日湯を片付けさせた時に一緒に脱いだ服を預けた事を思い出す。学院から屋敷までは駆け抜けたため今の状況に至らなかったが、男がこれを出さなければ預けた服が戻るまで宿を出れなかった。
金に関しては持つつもりが最初から無かった。路銀が要るのは知っているが、サジェスの一員であると考える『自分』が用意するとは思えなかったからだ。だが、服に関しては完全に失念していた。
「……私は酷いなりで母上と会っていたのか?」
そこに気付いたが、今さらどうする事も出来ない。身なりに厳しい母上が顔を顰めている姿が頭に浮かんで一瞬背筋が凍った。
別に怒りを買おうが今の私にはさして問題ではない。なのに反射的にでも恐怖を感じてしまうのは、完全に気持ちを切り替える事が出来ていないからだろう。己の事だというのに意のままに出来ないというのは不思議なものだ。
服に仕掛けのような物が無いか念入りに探りながら着替えていると、料理を乗せた盆を手と腕に乗せた男が片手でドアを開けた。
「まだ着替えてないのかよ。手伝えとか言うなよ」
「言わん」
男の戯言を切り捨て着替え終わると、椅子を目で示され腹立たしいものを感じながら座った。
「……お前も食べるのか」
並べた料理に手をつける男に、思わず聞けば呆れた顔をされた。
「やさしーやさしー俺様は小僧の心配を取ってやってんだぞ。俺様が食えば毒の心配がないだろうが」
「事前に解毒薬を飲んでおけば関係ない」
気に障るかと思ったが、逆に男は楽しげに口に端を吊り上げただけだった。
「小僧はチビよりセンスがあるかもな」
「チビ?」
「昔遊んでたガキだ。力はない体力もない。センスもなけりゃ動きもとろい。考える事は単純で馬鹿で阿呆なガキでな。その癖して諦めの悪さだけが目立ってそりゃー面倒な奴だった。
それに比べりゃ小僧はまるっきりの馬鹿じゃねぇな」
「貶しているのか?」
「褒めてんだよ。ちっとは馬鹿じゃねぇ頭を働かせろ」
「……貴様がサジェスに仕えていないという事を私に明かした意味を言っているのか?」
「それだ。俺様としちゃー別に小僧からサジェスに漏れようが漏れまいがどっちでもいいんだよ。これは罰ゲームだからな。五年間ばれずに過ごせば俺様の勝ち。ばれれば向こうの勝ち。それだけの遊びだ」
「罰なのか遊びなのかどちらだ」
「んな細かいこと気にすんじゃねぇよ」
「私に話した時点で負けているのではないのか」
「サジェスにばれなきゃいいんだよ。小僧、サジェスの人間だと胸を張って言えるか?」
「………」
「一回二回会ったぐらいじゃ違和感で終わるだろうがな。小僧の演技は何度も会えば看破される」
「どこで気付いた」
「眼だ。聞き分けのないガキのように喚き散らしながら眼だけが反応を探っていた」
「………」
眼だと言われても、そんな風に見せたつもりはない。もし本当にそうならどうにかして見せないようにする必要がある。
「安心しな。その辺は教えてやるよ」
「何故教える」
「その方が面白いから」
「………」
「あの生粋のお貴族様のサジェスの中で小僧はかなり異端だった。気付いていたか?」
「………私が御しやすいと言いたのか」
「そうだよ。小僧はサジェスの中で異様に素直なガキだったんだ。それがサジェスに反抗する? んな面白い事ないだろ」
「貴様は面白い面白くないという事だけで私に明かしたのか?」
「九割」
多すぎる………。軽く頭痛がした。残る一割が何だったのか。それとも全てが戯言か。
いずれにせよ、こちらがサジェスに対して思うところがあると肯定してしまっては話に乗らねばならない。
「私は貴様を面白がらせなければならないのか」
「別にそうする必要はない。小僧の好きにしろ」
「………」
「不安だってんなら、そうだな……一つ俺様を手伝え」
「何をすればいい」
「もうちょい嫌がるふりぐらいしろ」
「嫌がったところでどうなる」
嫌がろうが拒否出来ないのだから意味が無い。
「ふりだっつったろ。嫌がる相手に無理矢理やらせるのが好きな奴ら相手だと要求が上がる。嫌がる程度で満足する相手ならその隙に策を練れる。小僧は遊びを覚えとかないと自滅するタイプだな」
言いように不満はあるが、なるほどと思う事も確かだった。
「さっさと食え」
「まて、私は何をしたらいいんだ」
「あー………まぁ…………決まったら言うわ」
「決まって無かったのか!?」
「うるせぇな。いいだろ別に」
さも煩げに耳に指を突っ込む男に、呆れを通り越してこいつはただの馬鹿じゃないかとかなり真剣に思った。
「さっさと食え、長居して外にいる奴らに不審がられていいのか?」
促されしぶしぶ料理に手をつける。
「……あれだな、小僧も見せればわかる口だしそうするか」
黙って食事をしていたかと思うと、唐突に男は言った。
何の話だと視線を向けると、悪だくみを思いついたような顔で私を見ていた。反射的に距離を取ろうとしたが、座ったままで出来ず無意味に椅子を鳴らすだけに終わる。
「んな取って食うような真似はしねーよ。こっからエントラスだろ? 誤魔化せるのは三日程度だな」
「何の話をしている」
「普通にエントラスまで馬車に揺られれば四日は掛かる。俺様の足を使えば一日で行けるから、差し引きで三日」
「……何の話をしていると私は聞いているのだが?」
「小僧に世間の広さを教えてやろうって話だ。とすると、外の奴らを逸らさないとな。あれ使うか」
言うが早いか食事中なのに何かを投げつけてくる男。反射的に掴んでから見れば、黒い玉を中央に据えた細い腕輪だった。
「呪いでも掛かっていそうだな」
光りを通さない漆黒の石にそういえば男は自分の腕を私の前に出した。その腕には、私に投げて寄越したものと同じものが嵌っていた。
「黒は高性能の証だ。知ってる奴はほとんど居ないがな」
そう言って腕輪に触れた瞬間、見知らぬ男が目の前に現れた。
当主と同年代の細身で剣を握った事も無さそうな男が、当主よりも幾分若く見える筋肉質な男に変わっていた。髪も薄い茶だったものが色味を増して赤茶になり、目もこげ茶色から髪と同じ赤に近い赤茶。全体的に太さは多少変わったが量はそのままで質が戦う人間に変わった男に、驚きすぎて声が出なかった。
「ほらな、すげーだろ? 後で使い方を教えてやるから腕につけとけ」
「……魔術具?」
「後で教えるっつってるだろ、先に食い終われ」
「あ、あぁ」
腕に嵌めたそれに意識が向きつつも手を動かし食事を再開する。
食事を終えて、食器を片づける男に聞こうかとも考えたが教えると言ったのだからそうするまで待つべきかと考えて細かな細工がしてある腕輪を観察した。
胴は銀で、鱗を模した飾りが施されている。黒い石を嵌め込む台座には柔らかな曲線で描かれた魚のヒレのようなものがあり、魔術具と見るには些か装飾の度合が強いようにも感じる。壊れやすい装飾品を魔術具にするという発想はなかなか持てるものでは無い。しかもこんな小さなものに姿を偽る魔術を入れられるなど聞いた事が無い。一番小さなものは野戦の時に持たされた位置を伝える守護石で、それでもこの黒い石よりも遥かに大きい。
「興味深々だなぁ」
使用人の姿に戻していた男に声を掛けられ、私は腕を上げた。
「こんなものをどこで手に入れた」
「一番上の奴にもらったんだよ。ほら、腕を出せ」
差し出した腕を掴まれ、いきなりナイフを取り出したかと思うと鮮やかな手つきで私の腕を切った。
「騒ぐな。血が要るんだよ。手を切ったら感覚鈍るだろ?」
腕を引きかけた私を睨み、自分も腕を切ってその血を黒い石に付けた。
「小僧も自分の血を石に付けろ」
何の意味があるのかわからなかったが、言われるがままに血を石に付ける。
「よしよし。んで」
男は自分が嵌めている腕輪の石を私が嵌めた腕輪のそれに合わせた。
「47273e5a3c54:ナブ、42503e5d:フェリア」
男が真面目な顔をして何事か言うと、微かに石が発光して――それだけだった。
「……生体認証はこんなもんなんだよ。俺様に文句言うな」
「別に文句など言ってないだろ」
「顔が言ってんだよ、顔が」
容赦の欠片もない拳を頭に落とされ、反射的に頭を抱えて痛みをやり過ごして睨みあげる。
「何をする!」
「言っただろ。教えてやるって」
男は飄々として肩をわざとらしく竦めた。
「小僧は顔に感情が出過ぎ。気張っても出てるんだ。サジェスとやり合う気があるなら普段から隠せるようにしておけ」
「………出ていたのか?」
「そっちの説明も道中にしてやるから、まずはこっちに集中しろ」
「……分かった」
「じゃあまずは石に触ってみろ」
男の言う通り石に触れてみると、石から白い靄のようなものが溢れ腕の上でくるくると回りだした。よく見れば霞の中に人の姿があり、私と同じ歳ぐらいの男の姿が並んでいる。
「何か出てきたろ? そこに出たのが、小僧が変えられる姿だ」
「…………似たようなものしか無いのだな。貴様のその姿は……無いな」
「そりゃそうだ。小僧と俺様じゃ体格も背も違う。これはそういう風に見せるだけで実際に身体が変わるわけじゃないんだ。あからさまに体格が違う奴は候補から外されちまうさ」
「幻を見せているようなものか」
真ん中にあった赤髪の男に触れると、霞が膨れ上がって一瞬視界を覆った。
「そうそう。そうやって変えたい姿を選ぶんだよ。簡単だろ?」
「変わった……のか?」
掌を見たが、いまいちわからない。
「髪」
「あぁ………本当だ……赤い」
耳にかかるぐらいの髪を引っ張ってみれば金だった髪が赤くなっていた。
「変化を解きたい時はもっかい触って、赤い方を選ぶ」
黒い石に触れると今度は青と赤の霞が出てきた。それぞれ文字のようなものが浮かんでいるが何と書かれているかはわからなかった。一先ず男が言った通り赤を選ぶと、また視界が一瞬霞に覆われた。
すぐに髪を確認すると、赤から金へと戻っていた。
「青を選んだらどうなるんだ?」
「別の姿に変更出来るだけだ。何も選ばずもっかい触れば消える」
「幻を見せる魔術でもここまで精巧なものではないぞ」
「そりゃそうだ。なんつったって俺様が所持してる黒の品だからな」
『俺様』も『黒の品』も良くわからないが、只者ではないという事だけはわかった。
「………まだ名を答えてもらってなかったな」
「もう言った。聞き逃した小僧が悪い」
窓の外を伺っていた男は、素っ気なく言って荷を纏めた。
「よし。じゃあちゃんと不機嫌な顔をしてついてこいよ」
「貴様に言われずともそれぐらい――」
無意識に男の後に続こうとして、ふと違和感に気付いた。
起きた時、とても動けるとは思えない程の痛みに苛まされていた。その筈なのに今はそこまでの辛さが無い。着替えも、食事も立っている今も、多少だるさや痛さはあるが動けない程ではない。
「まだ気付いてなかったのかよ」
呆れた声にハッとすれば額を突かれよろめいた。
「注意力散漫だ。もっと気を引き締めろ。それ、今は痛み止めが効いてるようなもんだ。治ってるわけじゃないから無理すんじゃねーぞ」
「まさか本当に食事に薬を入れてたのか?」
「入れるかボケ!」
ガツンと、また拳を振り下ろされ頭に衝撃が響いた。
「俺様が感覚鈍るようなもんを食うわけがないだろうが!」
「……そうか、一応貴様も毒薬の類は効くのだな」
「嫌なとこで注意力発揮してんじゃねーよ」
呆れたような顔をする男。
「思っていたのだが……」
「なんだ」
「貴様はその歳でその言動というのは落ち着きが無いとか――」
気付いた時には頭にこれまでの比ではない衝撃を感じて蹲っていた。
全く見えなかったが、また拳で殴られた事は想像がついた。
「よーし、行くぞー」
人を殴っておいて悪びれもしない男に、怒りがわく。が、それを言ったところでさらなる拳が振るわれるか言い負かされるかの二つの絵図らしか想像出来ず、溜息をついて後を追った。
不機嫌な態度は演技するまでもなく余裕で出来た。