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第百十五話 眠れ愛し子

 あー……起きないと。……遅刻したら閻魔様にどやされる……つーか帰れるだけ有り難いってどんな体制だよちくしょー。人増やせ、人。過労死するわ。



 ……かろう死……するわけないけど………なんか……忘れてる?



 ………あ、令だ。今週だった。

 久しぶりの休みを妹にたかられるとか泣けてくる。俺より稼いでるくせにたかるなよ。むしろたからせてくれよ。兄ちゃん辛いんだよいろいろと。おかんもおとんも彼女いないのか(無言の重圧)かけてきたりね、するんだよ? お前もまだ平気だとか上が居るんだからそっちが片づくまでとか言ってたらあっと言う間だぞ。あの目。あの刺しそうで刺さらないびみょ~な目。でもってちょっと呆れ混じりの顔と、ニヤニヤにやにや嫌がらせの極地とも言える顔。おとんかおかんか(どっちがどっちか)はいわずもがな。

 つーか、ほっとけ。まじでほっといてくれ。仕事バカじゃなくて上司が恐ろしいんだよ。『やれるかどうかじゃない。やれ』って何処の専制君主だ――閻魔様だよねー。判ってる。判ってるさ。

 ……あの人出来なかったらどうする気だったんだろ? あーもーねーたーい~ ねーてーたーい~ あと五じかーん。とかふざけてないで起きよ。


 寝起きの意味不明な思考そのままに、もぞもぞと布団から這い出てふらふらしながらせっまいユニットバスの洗面で顔を洗う。目は覚めないが、もういいやと冷蔵後を開けて野菜ジュースのパックを取ろうとして納豆のパックを崩して落とし、ついてねーとか思いながら直して閉める。

 テレビを付けてストローを咥え、ぼけーっとニュースを眺めるのは朝の習慣(儀式)


 ……お天気お姉さんって本当可愛いよなー………


 本日一日分の精神的エネルギーを充填し、パックを潰してゴミ袋に捨てる。

 適当に歯を磨いて戦闘服に着替え――ふと、無意識に締めたネクタイに違和感を覚えた。が、テレビに表示されている時間がいつも出る時刻を過ぎていて、慌てて鞄をひっつかんで外に出る。バタンと煩い音を立てて閉じたドアの鍵穴に、外観とは釣り合わないごつい鍵を差し込み、


〝………〟


 鍵を掛けようとしたところで部屋から音が聞こえた。

 テレビを消し忘れたとすぐに気付いて舌打ちしながらドアを開け、靴を脱ぎすて中に入りリモコンを掴んでテレビに向け――


「あれ?」


 付いてなかった。


〝………〟


 気のせいかと思ったところでまた聞こえた。


「携帯か?」


 ポケットから出して見る。が、こっちも違う。


〝………ぃ…ん…〟


「……隣?」


 壁、薄いからな。納得。


「ってのんびりしてる場合じゃない」


 いらん事で時間くった。舌打ちして玄関にとって返し靴を履く。


〝……ぃさん〟


 ドアに手を掛けたところで、はっきりと声が聞こえた。隣から聞こえたものではない。部屋の中だ。


 …………。


 つーっと、汗が垂れる。


「………い、いや……ほら、今、朝だし」


 誰にともなく呟く俺の脳内で閻魔の怒りと、夜中一人でここに帰らなきゃならないという重大問題が戦って、僅差で閻魔が負けた。


「………あのぉ…活動時間、間違えてますよー……」


 ほんと僅差。別に怖がってるわけじゃない。閻魔の怒りもそんな怖いわけじゃないから、そっちが負けたからと言って、こっちがすんげー怖いなんて事はない。靴が脱げないのは狼狽えてるわけじゃなくて、ちょっときつめの靴なだけだ。鞄を前に掲げ前進してるのも、最近運動不足でちょっとでも運動量を上げようという素晴らしい努力であって部屋の中を見るのが怖いなんて事ではない。


〝……とー……きの……いさん〟


 俺は鞄を降ろし、見渡すまでもない部屋に目を凝らした。小さいテーブルとテレビと布団と組み立て式のラックだけしかない殺風景な俺の部屋であるのは間違いない。それ以外のものは見当たらず、声が聞こえそうなものは無い。

 俺は首を捻った。聞こえた声が知った誰かのもののような気がして、焦りは薄れたが今度は誰のものか思い出せず悩む。

 誰だっけと記憶を一個ずつ探っていると、いきなり頭に痛みが走った。


 何だ……?


 部屋が歪み、無機質な白と碧の建物が立ち並ぶ光景が透けて見えた。

 見たこともない材質で、近いのは大理石の質感なのだが――


「あれ?」


 寒くも無いのにカタカタと手が震えていた。

 痙攣かと思って掴んだ手が赤かった。


「なんだこれ……」


 ペンキの中に突っ込んだようにべっとりと赤が纏わりついていて、雫が滴る。ボタリと落ちた先は血溜まりで、俺はその中に立っていた。

 嫌な汗が吹き出て、吐き気が込みあがる。『違う』と叫ぶ声がどこかで聴こえて、立っていられず血溜まりに膝をついた。

 息が吸えない。吐けない。苦しいと思うより、怖い。


 なんだこれ。なんなんだ。


 過呼吸、脱水症状、低血糖、思いつく状態を並び立ててみても幻覚を見るような重度の症状を引き起こす要素が自分にあったとは思えない。

 寝る前に水は飲んだ。飯だけは食ってる。過呼吸なんて起こした事無い。だったらこれはなんだ。


「っ」


 フラッシュバックのように誰かの後ろ姿がちらついた。

 子供のような小さな背。ウサギのように真っ白な頭。芝居に使われそうな外套を羽織って、その外套から刃が――


「……ぁ」


 嫌……だ。……違う。知らない。違う、こんなの知らない。


 赤く染まる視界。さらさらとした感触だった髪が、重く濡れて冷たかった。囁く声は弱く小さくなり、触れ合う肌からゆっくりとぬくもりが消えていく。


「ゃ……」


 押さえても押さえても止まらない。両手をすり抜けこぼれていく。

 違う。こんな非現実的なもの、知るわけがない。俺は一般人で小心者で、死なんて縁が無い。知らない。俺はただの会社員で、毎日毎日仕事を片付けて帰っては寝ての繰り返しで、たまにみんなで飲んで憂さ晴らしして、そんなんで良くて、それで楽しいと思ってて、それ以上の事なんて望んでない。


〝い……にこにこ……って……なを……る〟


 声が聞こえると苦しさが増して、聞きたくないと耳を塞ぎたいのに、怖いのに、身体が意志に反して耳をそばだてて聞き取ろうとする。


〝いつもおう…を…たっては〟


 声が旋律になり、それが唄だと気づいた瞬間、遠かった音が明瞭になった。

 のんびりした優しい音色。どこか長閑で柔らかで、この唄に満たされていた事があると震えていた手が勝手にさ迷い動く。掠れて消えていく部屋の風景の先、そこに居る誰かに伸ばす。


 ……だれ?


 唄と声とに微かな違和感を覚えたところで、外れた何かがカチリと嵌った。


「少年………?」


 自分の口からこぼれ出た言葉の意味を理解する前に、何かが腹に触れた。

 熱を感じた途端、ガツンと頭を殴られたような衝撃があって、夥しい量の映像が脳内に流れた。


 赤子を抱いて笑っている小柄な女性。

 覚束ない手で赤子を沐浴させる男性と男性に似た小さな子供。

 目鼻立ちがはっきりしてきた乳児が子供の服の裾を引っ張ると、子供は大騒ぎをして喜んで。駆け付けた男性が羨ましそうにはしゃぐ子供を眺めて。その後ろで笑いを堪えている女性がいて。

 一人立ちをした乳児を見た男性が破顔して抱き上げるが嫌がられ、男性は焦っておろおろして、その足をぽかぽかと子供が殴って、さらにおろおろしたところに女性が現れて男性から乳児を取り上げ座らせた子供の腕に抱かせ、笑顔のまま男性に説教をして。


 知っている? いや違う、知らない。覚えてない。覚えてないけど……


 幼児が絵本の前に座ってじっと見ていると大きくなった子供がそっと後ろから絵本を読んで、それに気づいた幼児がのろのろと後ろを向くとにこりと笑って絵本を読もうと指さす。

 着るものに興味を示して自分で着ようとした幼児に一つずつゆっくりと教える子供と、それをそっと覗き見る男性と女性。

 幼児が自分から絵本の文字に指さし首を傾げると、子供は輝かんばかりの笑顔で内容を読み聞かせる。勢い込んだ子供に刺繍をしていた女性が声を掛け、子供は恥ずかしそうに頷きながら文字に指を這わせて読み聞かせた。


 わかったから……もうわかったから……


 幼児が窓辺で外をぼんやり見ていると、子供が走って来て抱きついた。後ろから抱きつかれた幼児はのろのろとした動きで子供の手を辿り、体の向きを変えて真っ赤な泣きはらした目からぼろぼろと涙をこぼしてしゃくり上げている子供の頭に手を伸ばした。ただ頭に手を置くだけの幼児に子供は縋った。

 女性を欠いた中で幼児も子供もぼんやりして窓の外を眺める。

 男性は二人を領地が見渡せる小高い丘に連れ出しては一緒に遊び、夕方も過ぎた頃に戻って家人に叱られる。叱られても懲りずに何度も連れ出して、子供にだんだんと笑顔が戻り幼児に微かな表情が出て、男性は女性の絵の前で一人泣き笑う。


 ……想われてるって……わかったから……


 剥き出しの好意が突き刺さって苦しい。見ないふりをする事も誤魔化す事も出来ないぐらいに強くて真っ直ぐで、尽きる事を知らなくて、受け取らないなんて事が出来ない。

 前世に逃避したままでなんて、いられなかった。


 気が付くと、目の前に人が居た。

 青褐色の髪は記憶の通りで、少したれ目の顔立ちはおっちゃんに似ている。


「………おか……ん?」

「駄目よ、あんなお目々似合わない」


 これは夢? 幻?

 なんでもいい。ちゃんと覚えている。ちょっと艶っぽいなと思う声は、だけど優しくておかんだと判る。だから言わないと、言わなくちゃいけない事がある。


 おかんはクスリと笑って俺の頬を手を当てた。


「守られてもいいの」


 条件反射のように頭を横に振っていた。

 何よりも、俺を守ろうとしたせいでおかんが……もっと幸せになれる人なのに、ならなきゃいけないのに……ごめん……本当にごめんなさい。


「私に残されたこの心も否定してしまうの?」


 そんなつもりじゃない……そうじゃなくて……でも……だけど………


 縺れる感情を表せなくて、伝えたい事すら言葉に出来ずに乾いた息だけが口を通り抜ける。


「あなたが怖れているものはなぁに?」


 背中をトントンと撫でられた瞬間、何かが込みあがってきた。抑え込もうとする意志を嘲笑うように溢れて、目の奥が熱くなり耐えきれずに顔を隠す。こんな顔見せられない。こんな情けないものをこの人に見せられない。

 そう思うのに後から後から、蓋をしても無視をしようとしても湧き上がるものに身体が竦む。


 消えていく温もりをもう見たくない。感じたくない。誰かが俺のせいで怪我するたびに傷つくたびに、消えてしまうんじゃないかって。頭で大丈夫だと思っても不安で怖くてどうしようもなくて誤魔化すしかなくて。重ねた歳など無意味だった。

 あの感覚が、握ってるのに遠くにいってしまう感覚が手に残ってて触れる事が怖い。俺は異物なんじゃないのか? 異物だから触れたら壊してしまうんじゃないのか? 馴染んだふりして、この世界の生き物だと思い込んで、ただ擬態しているだけで、実際のところ俺はこの世界にとって――


「あなたも、誰かを守れるのよ?」


 手を取られ、見せられる。

 何も出来なかった真っ赤な手。


「………ほんとに?」


 こんなもので? 何も出来なかったこれで?


「あなたが願い、動くなら」


 小さな囁きなのに、力強いおかんの言葉。

 絶対の自信に満ち溢れた声に、もう一度両手を見ると小さかった。

 もみじのようにぷっくりとした赤子の手が、少しずつ大きくなっていく。掴む事もままならなかった手が、節くれだった大人のものに変わっていく。


 掴む掴まないは俺次第だと言われている気がした。もう、それが出来るだけのものは持っているのだからと、立ち止まる暇があるなら歩けと背中を押されたような気がして、突き動かされるままに頷いた。

 頷いてしまうと、張りつめていた糸がプツンと切れたように気が抜けた。








 激しく、激しく反省。

 なんか周り真っ暗で何も見えなくてどこだよここはって感じだが、それより猛烈な後悔に襲われて、俺は一人反省会を開催していた。


「現実逃避にどんだけ心血注いでんだよ俺は。めちゃくちゃリアルな現実逃避だったぞ。納豆のパック崩すとかそんな細部いらんだろ。いや、そうじゃなくて問題はそこじゃなくて、少年ほっぽいて現実逃避すんなって話だよ。 ……大丈夫……だよな?

 あの声、俺の妄想とかじゃないよな? 唄はおかんのだけど声は違ったよな?」


 冷静になって考えると、夢の中で聞こえた声と腹に受けた力の感覚は少年のものだ。

 腹に剣刺さった筈の少年が唄ったり、俺に力使うとか普通なら有り得ないが、少年に関して言えば謎が多いので何とも言えない。


「おかんまで出てきちゃって………あれかね、心配して出てきちゃったみたいな?」


 ……凹む。


 ほんっとーに、いい歳こいて何やってんだ。

 思わず頭を抱える程度にはダメージがでかい。直視せず後回しにしたツケを一気に払わされている気分だ。

 そもそも割り切ったと思っていた、この世界に生まれ出た事もトラウマに重なってたとか完全に自覚無しだった。


「別に俺の精神が異物であろうと俺にはどうしようも無いんだから気にしてもしゃーないんだよな。それが今までの事に関係していたとしても、それを知る術は俺には無いんだから、俺がやる事なんて変わらないんだよ」


 口に出して、自分の気持ちを整理して感情と理性をすり合わせる。

 もう現実逃避も目を逸らして蓋をして後回しにするのも、止める。

 緑の民と決着を着けると決めたあの時に、一緒にこちらも処理しておけばという後悔が生まれるが、今更だ。無自覚のものまであったのだ、あの時点でどうにか出来たと思っても、表面的なもので終わっただろう。


「反省会終了。で、誰だか知らないけどいい加減こっから出してくれないかなー?」


 暗闇に言ってみるが当然の如く返答は無い。


「俺の夢なのかねぇ……」


 出来る事一通りやってみて――魔術は使ってみようとしたが、使えない。どっか壁でもあるかと歩きまわす事体感時間で一時間。そこに至って夢の可能性に気付き親指に爪を立てたら痛くなかった――その結論にたどり着いた。


「……参った。どうやったら起きるんだ」


 疲れはないがその場に座り、膝を抱える。少年の事がめちゃくちゃ気がかりで『あ゛ーーーーー』と頭を掻き毟りたくなるが、やったところで何がどうなるわけでもないので、深呼吸をして意識を内に集中させる。

 これが明晰夢であるならば俺の意志で操作が可能だ。ある程度訓練は必要だと言われていても、これだけはっきりとした意識であれば出来てもいいんじゃないかと思う。だが、うまくいってない。そもそも普通ここまで意識があれば目が覚めるだろう。そうではないということは、これがただの夢ではない事を示している。幻を見せる魔術もあるが、エントラスにあった書物の記述では錯覚に近い精度だと思われる。それが幻と気づけばあっけなく壊れるような代物で、この状況になるのは考えにくい。だとすればあとは魔導。こちらは今までの経験からいって、精霊に正しく現象を伝える事が出来れば不可能な事は無いのではないかと思う。出来なかった事は伝えきれない事ばかりで、伝わったものは物理法則を無視した現象も難なく実行してくれた。さらに各種現象、特有の動き、大きさ、強さ、形を言葉と共に認識させる事が出来て、言葉だけで認識させた事を実行してくれたのだ。ある程度の思考も持っていると見ていいだろう。俺は何となく感じる反応を頼りに遣り取りしているが、直接遣り取り出来ればこういう幻という抽象的な現象を起こさせる事も出来そうな気がする。


「その場合、誰かがやってるって事だと思うけど……」


 最有力候補はあの長になるが、何の為にという疑問がわく。


「誰がしたにせよ、このままっていうわけにはいかないんだよ」


 膝に手をついて立ち上がり、上を睨む。

 為せば成る、為さねば成らぬ何事も。届くと思えば届く。届かせる。


「聞こえたら何でもいい、応えてくれないか?」


 自分の掌すら見えない闇の中で声を掛ける。

 何の息吹も感じられない静寂の中で、俺の声だけが木霊して滑稽な事この上ない。だがそれが何だどうしたとばかりに俺は声を出し続ける。

 今まで声、風、温度と物理的な手法によってしか意志の疎通を図った事が無い相手に対して、精神的とも言えるこの状況下での疎通が簡単に出来るとは思っていない。だが、絶対に出来ないとも思っていない。相手は『精霊』だ。ファンタジー界の住人トップスリーぐらいには食い込むお方だ。そんぐらい出来るだろ、っていうか出来てくれとばかりに声を掛けまくる。


 そうして俺の祈りだか脅迫だかに応えてくれたのか、目の前に縦に一筋白い光が引かれた。かと思ったら、それが左右に広がって長方形となった。


「………。」


 俺は今、こんな妄想していない。なので俺の脳みそから反映された何かではなく、精霊が見せているもの――


「――だと思いたいな~……って、映画? やけに現代的だな」


 大きな白い幕に浮かび上がる映像はまさに映画館のスクリーン。


「………これ、俺の記憶じゃない」


 映像には、十歳ぐらいの緑の髪の少年が二人映っていた。

 俺が知る緑の民の子供はレースただ一人だ。少年など見てもいない。

 少年二人はビルの屋上っぽいところで手すりに腰掛、楽しげに語らっている。


「これって、あの長?」


 二人の目は紫。背の低い方が濃い紫で、背の高い方が薄い紫。顔立ちも良く似ていて、二人とも釣り気味の切れ長な目をしている。


〝兄上、いつ外に出られるの?〟

〝ん~、まだまだ先かなぁ〟

〝僕も出たいなぁ……〟


 頬を含まらせた背の低い少年を、背の高い少年がコツンとこずいて笑った。


〝俺が族長になったら一緒に行くか?〟

〝行く! 絶対行く!〟

〝じゃあ約束だな〟


 左手を出した背の高い少年に、背の低い少年は躊躇いなく右手を乗せてパンパンと上下を反転させて二度叩いた。


 背の低い方が長で、背の高い方が、たぶん俺のおとん。子供だけど、あの目つきと色は俺と同じだと思った。

 場面が切り替わり、随分と成長し青年になったおとんが、片足を引き摺っている男から鎖のようなものを受け取っていた。周囲には皺を顔に刻んだ老人が三人立ち並び、しかめっ面でそれを見ていた。


〝これよりはそなたが長。民を守り導き、立派に務めを果たせ〟

〝はい〟


 神妙な顔つきで鎖を首に掛けた後おとんは少しだけ男に笑って見せて、周りの老人には真面目くさった顔を向けて一礼し退室した。

 退室したおとんを待っていたのは同じく青年に成長した長。駆け寄る様はまるで子犬のようで目を疑った。あの、無表情重低音の、あの男が、これ。子供の姿ではピンとこなかったが、ここまで成長すれば流石に今の姿に繋がる。どんなビフォーアフターだ。何があった。


〝エール、行ってくるよ〟

〝お気をつけて、兄上〟


 尻尾を振る長――気持ち悪い――に、おとんは苦笑して頭をポンポンと撫でて外套をひらりと纏って行った。


〝あの馬鹿がまともに外を観察出来れば良いがな〟


 長の顔が一瞬で冷めたものに切り替わり、声を発した人物を睨みつけた。


〝兄上は誰よりも優秀です。間違いなどありません〟

〝エルグラ!〟


 部屋を出てきた男が慌てて老人との間に入り、頭を下げた。


〝クレイ老、申し訳ありません〟

〝どう育てればこう育つのやら〟


 老人は嫌味ったらしく、頭を下げる男にねちねちと小言のようなものを言い、ろくな反応を示さない男を忌々しげに睨んで背を向けた。


〝父上、あのような口だけのものに〟

〝エルグラ〟


 男は疲れたように窘めた。


〝エルフルトの事を想うなら、波風を立てるな〟

〝兄上が馬鹿にされても良いというのですか!?〟

〝エルフルトは気にしていない。お前が気にしてどうする〟

〝兄上も父上もおかしい! 馬鹿にされる事など何一つ無いではないですか! 何故言い返さないのですか!〟

〝………その内わかる〟

〝その内とはいつです!〟

〝その内だ〟


 男は足を引き摺ってその場を離れた。

 長はその後ろ姿を悔しそうに睨んでいた。


 なんというか、疑う余地の無いブラコンだ。

 カシャっと映写機のような音がして、また場面が切り替わる。

 今度は森の中、隆起した木の根に兄弟二人が並んで座っている。


〝もう少しかかりそうなんだ……ごめんな〟

〝……長老ですか?〟

〝んー……〟

〝あの者達は何もしない癖に〟


 吐き捨てた長に、おとんはパタパタと手を振って否定した。


〝何もしていないって事はないからな? あの存在で里のみんなは安心しているんだ〟

〝兄上の方が優秀です。外の事を知ろうともしないで、外は地獄だと言いながらその地獄に出た事も無い臆病者が〟

〝臆病は悪くないぞ? 俺だって臆病だしな〟

〝そんな事はありません! 兄上は誰よりも勇敢です!〟

〝……そっか。ありがとな〟


 くしゃりと頭を撫でられて喜ぶ長は、やっぱり犬属性。大きくなっても変わらないのかとびみょーな気持ちで眺める。

 それにしても、何で俺はこんな映像を見せられているのだろうか。

 場面は次々と切り替わり、微笑ましい兄弟のじゃれ合いを見せつけられる。見てて不快にはならないが、かといって可愛いものだと素直に思える心境でもない。

 もし見せているのが精霊ではなく長だったら……


「違うな……あの手の人間は見せるならもっと早く、それこそ俺に接触してきたときに見せる」


 俺の問いかけに対する無反応を考えると、何も見せる気が無かったのだと思う。だとすると、精霊が俺の呼びかけに応えてくれた結果だと思うが、目覚めたいとか、ここはどういう場所だとか、どうしてこんな場所に俺は居るのかとか、少年は無事なのかとか、そういう事は聞いたが、おとんとか長とかの事を聞いてはいない。

 誰得いちゃいちゃ動画を流し見ていると、ドアの前で立ち止まり部屋の中の会話に聞き耳を立てる長の映像になった。いちゃいちゃ動画から離れたと思ってこちらもちょっと興味が出る。


〝ですから、世界を壊すというのは誤解……というか、語弊です。その時暴走した男にとっての世界を壊してしまいそうだったという意味なだけで、この世界そのものを示した訳ではないんです〟

〝世界は一つ、男の世界などと意味のわからぬ事を〟


 部屋の中から聞こえたのは、おとんの声と老人の声。


〝あー……世界という定義に認識のずれがあります。世界というのは〟

〝もうよい。下がれ、飽いた〟

〝……わかりました。失礼します〟


 おとんが出てくると慌てて長はドアから離れようとした時、老人の鋭い声が飛んだ。


〝まて! お前……まさか………まさかお前………この……馬鹿者! この、この里以外に、血を広げるなど言語道断!〟


 壁か机か、何かを叩く音が聞こえ、長の肩が跳ねた。


〝……クレイ老、一つ賭けをしませんか?〟


 老人の激昂した様子とは対照的に、何でもないような声のおとん。


〝賭けだと!?〟

〝そうです。賭けの対象は私の子、褒美は掟〟

〝なに?〟


 『私の子』という部分で、長の目が大きく見開かれる。


“成人するまでに私の子が世界を壊さなければ、掟から外に出る事を禁止する一文を抜いてください〟

〝そんなものが認められるわけがなかろう! 殺せ!〟

〝では私を賭けをして頂く対価にしましょう〟

〝対価?〟

〝子の力を封じます。同調力を問題視されるクレイ老にとっては良くない条件かもしれないですけど〟

〝……禁術か。お前が掛けるのか〟

〝対価ですから、もちろん私が掛けます〟

〝…………いいだろう〟

〝ありがとうございます〟


 会話が切れたところで、慌ててドアの前から離れて隠れる長。

 部屋からへらへら笑った顔で出てくるおとんを食い入るように見つめ、何度も数多を振っている。

 と、そこでスクリーンが二つに分かれた。

 なんだなんだ? と思って見ていると、右はそのまま長を、左はおとんの姿を映している。


 え……同時進行? ちょ、俺のスペックそんな高くないんですけど……


 慌ててスクリーンから距離を取って、どうにか両方を視界に収めて片方に集中しすぎないように全体を見て聞く。何で夢の中までこんな苦労をさせられるんだ。


 左の方、おとんの方はどこかへ移動。右の長の方はしばらく唸り続けていたが、部屋から出てきた老人に声を掛けられた。


〝立ち聞きか、兄が兄なら弟も弟だな〟

〝………〟


 刃向かう余裕もない長に、老人は何か思いついたように近づいた。


〝聞いていたのなら判るな、お前の兄は掟を破った。処罰されなければならない〟

〝兄上は長です! 処罰など――〟

〝長だからこそ掟を破る罪は重い!〟


 ぐっと詰まった長に、老人は表情を緩め肩を叩いた。


〝だが、我々とて情が無い訳ではない。お前は兄を助けたくはないか?〟


 顔を跳ね上げた長に、老人は笑みを浮かべた。


〝もし子供とその母親を始末すると言うなら、助けてやっても良い〟

〝で、でも賭けは?〟

〝あんなもの成立している訳がなかろう。あやつの望みが叶う事が万一あったとしても、こちらが勝つ事は無い。世界が滅びればそれまでだ〟

〝あ……〟

〝とんだペテン師だ。それに、禁術を掛ければ生きてはいまい。死んでも良いのか?〟

〝駄目だ!〟

〝ならば言う通りにしろ。何、ああなっては長として認められん。今日からお前を長にしてやろう。それで外に出る事が出来る〟

〝外……〟


 歪んだ顔で呟く長を、老人は笑って見ていた。


 対して、おとんの方は父親と思われる男の部屋に入り事の次第を報告していた。


〝エルフルト……お前という奴は……〟

〝てへっ〟


 可愛らしく頭に手を当てて『やっちゃいました』という顔をしたおとんを、男はぶん殴った。


〝った~~。酷いな、いきなりは酷い〟

〝馬鹿者! お前どう転んでも……〟


 言葉に詰まる男を見て、おとんはふざけた態度を改めて苦笑を浮かべた。


〝そうだね。

 掟があるんだから生きては居られない。なら、子供が命を繋げられる可能性を作りたかったんだ。たぶん、俺が禁術を使った後は好きに出来ると思ってるんだろうけど――それはさせない〟


 断言するおとんの目は真剣で、嘘を言っているようには見えなかった。


〝賭けの言質は取った。だから長老達の殺意は通さないように出来る〟

〝お前そこまで……〟

〝本当は隠し通せるならって思ってたけど、流石に長老三人を相手にするのは無理だったみたい〟

〝……だが、父親が居ない子供が、母親がどんなに苦労するのか判っているのか?〟


 おとんは虚をつかれたような顔で男を見た。


〝……あ、そっか……父さんも外に出てたんだっけ〟

〝この里の異常性に気付かない長は居ない。ここまで頑迷なのは長老の枠組みがあるからだ。お前だってそれは判っていただろ。それなのにどうして外に相手を作ったんだ〟

〝どうしてって……〟


 頭を掻いて困った顔をするおとんに、男は深く溜息をついた。


〝何の為に長老の数をここまで減らしたと思っている〟

〝え………え゛?〟

〝と言っても、お前はその娘が好きになったんだろう?〟

〝うん。エリー以外考えられない〟

〝だったら今更だ。娘さんには申し訳ないが……〟

〝申し訳ないって、ひどいな〟

〝酷いのはお前だ。判っていてやる事じゃないだろ〟


 おとんは目を伏せ「まぁね」と認めた。


〝それで、私に何をしてほしいんだ〟

〝あ、そこまでわかっちゃう?〟

〝ここまで話したからには理由があるからだろ〟

〝ご名答。たぶん、いつかここに俺の子が来ると思うんだ〟

〝それは無いんじゃないか? 自殺行為としか思えん〟


 おとんは笑って頷いた。


〝普通ならね。でもたぶん、ここに来る〟

〝何だそれは〟

〝名前、キルミアってつけるつもりなんだ〟

〝キ・リーィヤ……捉われないもの?〟

〝そう。ちょっと変わった感じの魂を持ってて、俺より手強くなると思う〟


 俺は無意識に息を詰めた。


 おとん……俺の事に気付いていたのか?


〝手強くって、同調力は封じるんだろ〟


 おとんは頭を振った。


〝そうじゃないよ。同調力が強いとか強くないとか、あるとか無いとか、関係ない。俺とエリーの間に来てくれた子なんだ。大人しくしているような子にはならないよ。きっとね〟


 楽しげに語るおとんに、俺は奥歯を噛み滲む視界を押し戻す。


〝だから、ここに来た時に賭けの成立を宣言してほしい〟

〝そうすればお前の子を狙う意味が無くなる。か〟

〝それにエールも。俺の次の長はエールに押し付けられるだろうから。外への掟が無くなれば、里から解放される事だって出来る〟

〝お前は……馬鹿だ〟


 へらっとおとんは笑い、頭を掻いた。


〝じゃあそろそろ行くよ〟

〝エルフルト〟

〝ん?〟

〝………禁術を使っても命を落とすとは限らない〟


 おとんは笑って頷いた。

 男はおとんが出て行ったドアをじっと見つめ、やがて囁くような声で「すまない」と呟いた。


 俺は詰めていた息を吐き、ゆっくりと息を吸い、また吐いた。

 その間にも左右の画面が切り替わり、おかんの大きなおなかに手を当てているおとんと、必死でおとんを探している長が映る。

 俺は膝に顎を乗せながら、おとんがパージェスのあの丘に何かを仕掛けて倒れる姿と、俺を守って長に殺されるおかんを見詰めた。


 長は強張った顔で倒れ伏したおかんに近づいて、はっとしたように腕の中の俺を見て動きを止めた。その顔からは血の気が失せ、慌てたように小屋から出た後は精霊に呼びかけるようにおとんの行方を問い――絶望に顔を歪めて膝をついた。


「突っ伏したいのはこっちだよ……」


 はぁぁぁぁと、感情を溜息に変えて吐き出し頭を掻く。

 その後も続く映像に目をやりはするが、もうどうでもよくなってきた。

 里に戻った長が母親を殺したから子供もいずれ死ぬと報告したのも、父親と思われる男と盛大な喧嘩――魔導っぽい力込みで――を繰り広げたのも、その父親が死んで長老のじじいどもが動き出して俺の存在知って、再度長におとんを死に追いやった子供を生かすのかと殺すよう迫ったのも、どーでもいい。

 どーでもよくは無いが、判った。何があったのかは判った。

 砂嵐となったスクリーンに向けて、俺は届くかわからないが呟いた。


「ごめん。勘違いしてた」


 おかん巻き込んで勝手に死んで何をやってるんだと思っていた。だけど、おとんなりに考えて最善の手を尽くそうとしてくれていた。(異物)の存在に勘付きながら、それを受け入れてくれていた。


〝それが伝われば、奴も安らかに逝けるだろう〟


 唐突な声にハッとして身構えると、砂嵐のスクリーンの中から黒い人影がぬうっと現れた。


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