第百十四話 話し合い
口火を切ったのはガーラントだった。
「私はガーラント・パージェス。その子の叔父です。こちらはその子の学友でカシル君」
重苦しい空気の中、ガーラントは落ち着いた口調で名乗った。それから『貴方は?』という視線を長に投げかける。
「既知の事を質すのは無意味だと思うが」
「儀礼的にでもしておかないと冷静に話す自信が無いのです」
微笑んだガーラントから、冷気が漂って来ているような錯覚を覚えた。
「申し訳ありませんがお付き合いくださいますか?」と尋ねるガーラントの目が一切笑っていなかった。
けれどそれも一瞬の事で、見えた怒気は奥底に隠されるように消えた。
あまり多く言葉を交わしてはいないけれど、ガーラントが温厚な人間だというのは今までの行動でわかる。その人間が一瞬でも表に怒りを現すというのは、内でどれだけ溜めているのか考えるのも恐ろしい。
「……この里の長、エルグラだ」
長はガーラントの怒気に気付いたのか気付いていないのかわからない平坦な声音で答えると、視線を背後の男に投げた。視線を受けた男は一歩前に出て右手を左胸に当てて一礼した。
「ヒルト・アーニャ。エルグラ様の補佐をしています。この子は私の子でレースです。どうしても同席したいと願っているため出来ればこのまま居させたいのですが宜しいでしょうか」
紹介されたレースは、両手を胸の前で組み膝を曲げた。
「構いません。先程は手助けありがとうございました」
目礼するガーラントに、レースは青い顏だったがきちんとガーラントの目を見て小さく首を横に振り応えた。
「それで、何を話し合うというのだ」
長は尊大な態度で感情の見えない切れ長の双眸をガーラントに向けた。
そんな場合ではないと思うけれど、儀礼用としても通用しそうな将官衣姿の長と現在の旅装そのもののガーラントが、同じ卓につき、向き合っているこの光景に不思議なものを感じる。過去と現在の会合。本来有り得ない時の流れを超えて成立した光景のように見えて、自分はいったい今どの時点に居るのか分からなくなるような、そんな錯覚も抱き少し胸がざわつく。
「まずは聞かせて頂けませんか? その子を狙った理由を」
「エルフルトから聞いているだろ」
「私は貴方から伺いたいのです」
面倒そうに溜息をつき、長はガーラントから視線を外した。
「世界を破壊する可能性を持った者を放置する事は出来ない」
「どうして破壊出来ると思われているのですか?」
「我々の祖先が一度世界を破壊しかけたからだ」
「家族を殺された男が都市を破壊した、という話ですか?」
「……蒼の民なら私より詳しいのではないか」
「客観的な情報だけです。その男が世界を破壊してしまうからと自分の命を絶ったことは聞いていますが、『世界を壊してしまう』という意味は理解出来ていません」
長は表情を僅かに動かした。その微小な動きとは対照的に後ろに控えていた二人は疑問符を顔に浮かべている。僕もわからないけれど、長はガーラントの言葉から何かを――大よそ、ガーラントの言わんとした事を察したのだろうと思う。
「都市を壊したのですよ? そのまま命を絶たなければ……」
レースの父親が遠慮がちに、沈黙した長の代わりに言葉を添えた。それに対しガーラントは彼に首を傾げた。
「被害は拡大したでしょうが、その程度だと思いませんか」
「その程度?」
その程度と割り切った言い方をするガーラントに、僕はそういう意味かと理解した。
事実だけを捉えれば距離、肉体的な問題として世界を滅ぼすという大きな作業は出来ないと言いたいのだろう。
「国一つ、二つ。可能性としては大陸規模の被害も考えられますが世界というのはちょっと……。いえ、壊すのに掛かった時間を考えると持ったとしても五国程度が限界だったと思いませんか?」
後ろの二人の疑問符は消えず、ガーラントはテーブルにトンと指を置いた。
「千四百五十二年前、ここはアウトレイアの南端でした。彼が壊したのはその首都、北部の都市です。規模的にはここの十倍程度で約半日で瓦礫となりました。一般的な人間の活動限界は飲まず食わずで七日。活動していた場合は七日よりも短いでしょうが、精霊に愛された民なら可能でしょう。七日間、怪我もなく活動出来たとして首都ばかりを狙った場合でも移動に費やした時間を考慮すると北のリリラック、ボルゾイ、東のエーリャ、アリエス、ドーランドがぎりぎりだったと思います。
もちろん休憩する間があれば別でしょうが、彼の破壊行動を止めるために早い段階で紫の民が動き、北と東に続く地を隆起させて天を支える山脈に繋げ国を囲いました。また、それに連動して緑の民が包囲を固めましたから、精霊の助力を得られる彼らから逃れるためには、休む暇など無かったと思うのです」
くるりと円を描いたガーラントに、言わんとしている事が伝わったのか、レースの父親は眉間に皺を寄せた。
「自分で死ななくても、止められていた……?」
レースの呟きに、長もレースの父親も答えなかった。
同調力、魔導師についてはあまり詳しくないので通常の人間の基準で考えて正しいのかは僕にはわからなかったが、流れた沈黙が肯定を意味しているように思えた。
「でも……そうかもしれないけど、街を壊してしまったのは本当じゃないですか?」
強張った顔で、けれどしっかりとした声で意見を言うレース。それに対してガーラントは肯定するように頷き「ですが」と続けた。
「都市を滅ぼす事が出来る民は何も緑の民だけではありません。やろうと思えば白の民一人でも出来ます。彼らの場合は表に姿を現しませんが、今でも積極的に外に関わり、発展する魔術の手綱を取ろうとしています。
それと私も同調力を持っていますし、千彩の民の中にも先祖がえりのように強い同調力を持っている者も居ます。同調力がこの世界を破壊してしまうかもしれないという話であっても、貴方方だけが里に隔離されていたところで関係ないように思うのです」
レースは「あ」と声を出し、隣の父親は驚いた顔をして長を見た。
その点については僕も疑問だった。内部にだけしか意識が向いておらず、緑の民以外で同調力を持っている者は居ないというような先入観にでも囚われている印象が強い。実際、驚いた顔をしているレースの父親は、知らなかったのではないだろうか。
「仮に、過去その男の言葉に危険を感じて外部との接触を断ったとしましょう。外部との接触を断ってしまった者は外の状況を知る術はありませんが、長だけは違いました。外に出て、見たり聞いたりしていた筈です。そこで疑問には思いませんでしたか?」
静かに問いかけるガーラントの目は、純粋に疑問を投げかける。
「閉じこもる事が無意味だと気付かれていたのではないのですか?」
無言の長に対して特に思うところも無さそうに、続けて問いかけるガーラント。口調は責めているわけでも問い詰めているわけでもなく、淡々としていた。
「その子が今も生きている事が、何よりの証拠だと思うのですがどうでしょう?」
「……思い違いだな。私は呪いをかけた」
「直接仕留めず遠回りな方法です。その子の母親には手を掛けたのに、その子はそうしなかった」
「父親も殺したがな」
投げやりな長の言葉にレースの父親が顔を歪め俯き、そんな父親をレースは心配そうに見上げた。
事実を知ったばかりで、それを受け入れきれていないのだろう。
「え!?」
「っ!?」
唐突に、それこそ何の脈絡もなく沈んでいた筈の二人が顔を上げ、レースの父親が明かに狼狽えた様子で長に駆け寄った。
「エルグラ様、長老方が……!」
言いかけたレースの父親を、長は片手を上げて制した。
「ヒルト。お前は外に出る事をどう思う」
「は? ……いえ、私は……」
「遠慮はいらん」
「申し訳ありません。私には……どうと言われても……それより――」
「ならばヒルトの娘、お前はどうだ」
「え?」
自分に振られるとは思っていなかった様子のレースは慌てたように傍らの父親を見上げたが、父親の方も困りきった顔をしている。
「外に出た事があるのは、私とお前だけだ」
「……わ、たし」
ちらっとキルミヤを見て、レースは意を決したように答えた。
「わたしは、外に出て楽しかったです。怖いと思っていたけど……優しい人に会いました。怖い人も居たけど……外も里もそれは変わらないと思います。世界を壊してしまうって教わったけど……でも、今まで誰も壊してないから…………それに、おじさんの話を聞いて、世界を壊してしまうような事になったら里の中に居ても、外に居ても変わらないんじゃないかって思いました」
確かに世界を壊すような事態が起これば、その者が里の中に居ようと止められない気がする。
『都市の破壊』は止められたとしても、『世界の破壊』は止められない。『世界の破壊』は災厄の種でも不可能なのに、災厄の種を止める事が出来る者は同じく災厄の種を持つ者だけでいくら緑の民が集まろうと無理だろう。いわんや『世界の破壊』においてをや。
「……外に出たいか」
「はい」
簡潔なレースの答えに長は――笑った。
「いいだろう。レース・アーニャに外へ出る許可を与える。同じく、外へ出たいという意志を持つ者にも許可を与える」
息を呑む音が聴こえた。
「エルグラ様!?」
叫びにも似た悲鳴を上げるレースの父親に、長は無感動に告げた。
「ヒルト、全員に通達しろ」
「お待ちください! 長老方が倒れた今、そのような事をしてはみなが混乱します!」
「出ろと言っているわけではない。出たいという意志を持つ者だけだ」
「そうであってもです! 掟を覆せば今まで守ってきた事は何だったのかと――」
「老害とでも言っておけ」
「老害って……そんな事で」
「不満があれば私に直接言えば良い」
「……エルグラ様は、外に行かれるのですか」
「いや、私はここに残る。外に出る者はレース・アーニャについて行け」
「この子はまだ子供です! 他の者を従える力などありません!」
「と、父さん落ち着いて、今すぐに外に出ようとする人は居ないよ」
「子供の方が冷静だな」
「エルグラ様!」
口論を始めた二人に、目の前でそれを見ていたガーラントは目を伏せ、そっと溜息をついていた。
「それが目的ですか」
呟かれた声は小さかったが、口論が止まりガーラントに視線が集まる。
「最初から、里の者を外に出そうというつもりだった。そしてその先導としてその子を使おうとした。不測の事態に彼女をその代わりとしようとしている。そういう事ですか?」
「なっ」
レースの父親の驚愕を半ば無視するように、ガーラントは疲れたような呆れたような顔で長だけを見ていた。
「まだその子が起こした現象について何も話していないのに、外に出る許可を出すというのは初めからその気が無ければしないでしょう」
「あれは同調力が封じられていたために起きた事だ」
「そこまでわかっているなら尚更、世界を壊すなんて事は出来ないと理解されていますね」
「意味を図りかねる」
「矛盾していますよ。意味を理解していなければ外に出す許可を出せないでしょう」
「………」
「……エルグラ様」
ガーラントと視線を合わせない長にレースの父親がたまりかねたように促す。それでも長は下に視線を落としたまま答えなかった。
「深く問うつもりはありません。その子を狙わないというのであればそれで」
天井近くに浮かぶ室内用のミカルトが放つ白色光が徐々に黄色を帯びて光量が落ちてきた。
昼夜に反応し自然光に近い環境を生み出す設定にされているのだろう。病人や怪我人を安静にさせるところではよく見られたものだ。窓は無いが、照度の具合から日が暮れはじめたのがわかる。
何時までこの問答にもならない話し合いが続くのか先は見えないが、少なくとも今日一日はここを離れる事は出来なさそうだ。
客観的な情報を元に冷静に会話を続けようとするガーラント以上の事を僕が出来るように思えないので見ているしかないけれど、ガーラントが進展しない話し合いに耐えきれなくなった時には変わろう。
……あまり想像つかないですね。
ガーラントならいつまでもどこまでもこの調子で延々続ける姿が簡単に想像出来てしまった。キルミヤの妙に冷静な部分はこの人から来ているような気がする。
それならそれでキルミヤが目を覚ますまで居ようかと考えていると、唐突に長が立ち上がった。
「好きにしろと言った筈だ」
……は?
言い捨てて出て行く長をレースの父親が慌てて追いかけて行った。レースも一瞬追いかけそうになっていたが踏みとどまり、壁際に下がった。僕らのことを考えて残ってくれたのだろうが、不安を隠すように硬い表情を浮かべている。
「レース、ここは大丈夫です。僕もガーラントも居ますから」
「でも」
「大丈夫。父親――お父さんを追いかけてください。彼は貴女の事で一番動揺していると思います」
レースは口を開いたが言葉は出なかった。何度か口を開き、ようやく掠れた声で「すぐに戻るから」と囁いて部屋を飛び出していった。
それにしても『好きにしろ』とは、言葉通りに受け取っていいのだろうか?
「………似た者同士で嫌になる」
呻くような声に見れば、ガーラントはテーブルに肘をついて組んだ手に額をあてていた。
「ガーラント?」
「すみません……自己嫌悪に嵌りました」
「自己嫌悪ですか?」
問えば額を手から離し、苦笑いを浮かべた。
「長は嘘をついています。彼はキルミヤの父親を殺していません」
「……そうなのですか?」
「その子が生まれる前に封印を掛け、パージェス領に精霊避けの結界を張って力尽きた筈です」
「そういえば見逃す交換条件でしたね」
「いえ、条件は封印の方だけで結界は含まれていません。結界はあの子を守るためのものです」
精霊避けで、守る?
「逆だと思われるでしょうが、どうにもキルミヤは精霊との相性が良すぎるようで精霊がキルミヤの感情に反応してしまうんです。同調力があればそれも抑えられるんですが……同調力も封じられ、傍にそれを抑えられるだけの同調力を持った者が居ないという状態で、しかも赤子。何が起きるかわかりません。
母親も私達の中では一番同調力が強かったのですが、抱えきれなかったのではないかと思います」
「そんな事が……」
あるのかと言いかけて言葉が消える。
キルミヤとの出会いは鮮烈だった。離れていても騒ぐ精霊をこの僕でも感じる事が出来た。耳を傾ければ幾つもの声を際限なく届けようとしているのがわかり、慌てて止めた。向けられた魔術に対しては反発し、止めなければ教師が息を止められていたかもしれない。他にも幻を見せられたり、極めつけは先程の女性。触れる精霊など非常識にも程がある。青年期に入るキルミヤでこの反応であれば、子供……赤子ともなれば激しさは比ではない気がする。
「父親は自分が傍に居られないとわかって無事に育てられる環境を作りたかったようです。その所為で力尽きるというのも間抜けというか、ツメが甘いというか馬鹿というか」
呟くガーラントから嘲りは感じられない。感じられるのは憤りと後悔をない交ぜにしたような複雑なものだった。
「あの長も、まるで自分に敵意殺意が向けられるように仕組んでいるように見えて仕方がないのです。
緑の民の一般的な思想や長に対する感情、外に対する感情、細かな民族性についてわかりませんし、証拠なんてものもありませんけどね」
外に出る。ただそれだけの事に右往左往する民。いや、緑の民にとってはそれ程大事で、それほど忌避してきた事。覆すとなれば反発は必至で、推し進めるには大きな旗印が必要なのかもしれない。
そう考えると、そこまでして外に出なくともいいのではないかと思えてくる。破滅的な思想を捨て、ひっそりと穏やかに暮らす道もあるのではないだろうか。今ここで考えてみても、既に波紋は生まれているので仕方がないがどうにもやりきれない。
「何を言っても沈黙だけしか返ってこず、自分の意思だけは押し通そうとする。本当、まるで私みたいです。傍から見るとこうなのかと今更子供の怒りがわかりました」
ガーラントは長が出て行ったドアを見詰めると自嘲気味に言って頭を振った。
「好きにしろというので、もうこちらに手出しする意志はないでしょう。私は一度パージェスに戻って来たいのですが、どれ程ここに居られますか?」
空気を変えたガーラントに僕も意識を変える。
所詮僕も部外者。以前『分かっていない』と林の中で言われた通り、心情を推し量ったところで彼らにはなりきれない。
「手出ししないと思いますか?」
「あの長は出さないでしょう。手を出すなら話し合いにも乗らなかったと思います」
「確かに問答無用の人でしたね……。キルミアが目を覚ますまでは居ようと思っていますが、ここに留まる必要がありますか?」
長がキルミヤに手出ししなくとも、民全てがそうなるとは限らない。
その辺りはガーラントも考慮しているのだろう。言葉を濁した。
「そうしたいのですが……幻視の恋人の目に曝したくないのです」
「……その問題もありましたね。『かくれんぼ』では駄目なのですか?」
「それでも構いませんが――いえ、実のところ目を覚ますまでどれくらい掛かるかわからないのです。大丈夫だとは思いますが長くなればここのウンモが使えた方が万一の場合でも対処出来ます」
いくら便利なものがあるからと言って、敵愾心を抱かれているかもしれない相手のものを利用する気満々のガーラントに感心しかけたところで、引っかかった。
「………時間が掛かる?」
キルミヤを見るがそれほど深刻な状態には見えない。
「ここに負担が掛かったと思うので」
ガーラントは自分の頭に指をあてていた。
「頭?」
「はい。封印は解かれましたよね?」
僕は頷き肯定を返す。僕だけの力ではなかったが、解けている事に違いはない。
「解いた影響です。酷使した筈ですから」
「酷使……?」
同調力は、素質であって何かを消費するものではなかった筈だ。頭を酷使したという意味が解らない。
「……酷使とはどういう事ですか? キルミヤは大丈夫なのですか?」
少し焦ってしまったのか、僕に落ち着く様にと手で示すガーラント。僕は促されるまま椅子に座り説明を聞いた。
「魔導師は同調力を用いて精霊の力を導き魔を現す。これはご存知ですよね?」
「はい」
「では同調力を用いるというのは、具体的に言うとどういう状態かは説明出来ますか?」
「世界との同化です」
「簡単に言うと、そうです。もう少し具体的に言うと、自分の心を精霊に反映させ、精霊の想いを自分の中に取り込む行為です。
その機能を司る器官が頭にあると言われているのですが、問題なのはその子が同調力については全くの素人で調整が出来ない事にあります。例えば、ここにコップと盥があるとしましょう。コップはその子の心、盥は精霊とします。その子が精霊に与える影響と精霊がその子に与える影響、どちらが大きいと思いますか?」
「………ですが……僕はそこまでのものを感じた事は……」
「幼少期、特に乳児期に精霊からの影響を抑制する事を覚えるようです。研究者は自己防衛本能に基づいた孤立性の確保だと言っていました。
もう一つ言えば、同調力を封じられた状態でもその子に精霊は反応します。つまり精霊がその子に対し能動的に働きかけている状況です。成長過程を飛ばした状態では許容量を楽に超えるでしょう」
「………では、封印を解いてしまったのは」
「それは違います」
間違いだったのかと続けようとしたところを、先回りで否定された。
「あの時、封印を解いてもらうまで何が起きていたのかわかりますか?」
「………わかりません」
「私もハッキリとはわかりませんが、あれはその子の心に反応した精霊が引き起こした現象だと思います。あの時、貴方はその子を守ろうとしていたのではないですか?」
「えぇ……一応」
読み不足で剣を受けてしまったが。
「その子は守られる事を何より嫌います。矜持の問題ではなく、自分を守り誰かが傷つく事を受け入れられないようで……軽い怪我程度でも酷く動揺して恐慌状態に陥ります。他にも頭を撫でられる事や、唄、血など、拒否反応を示すものもありますが、一番酷いのはそちらです」
キルミヤが守られるという行為に敏感だったのは知っている。けれど、それがそこまで酷いものであるというのは、知らなかった。
「貴方が流した血の量は致命傷を思わせるものでした」
「……腹を貫かれたので、普通の人間なら死んでいたと思います」
「それは……荒れたなどというものでは無かったでしょう。
推測ですが色が失われていたのは存在値の低下によるものだと思います。全てが幻、偽りであれば、貴方が倒れたのも夢のようなものだと思ったのかもしれません。声も届かず、止めるためには精霊の心をぶつけるぐらいしか私も思いつきませんでした」
「……すみません」
「いいえ。謝らないでください。守ってもらわなければならない状況だったのでしょう? 封印の事を知りながら放置していた私が咎める事は出来ませんし、逆に感謝しています。
助けて頂いて本当にありがとうございます」
「ですが……」
聞けば聞くほど、考えれば考える程、キルミヤの状態が危険に思えて仕方がなかった。
「大丈夫か大丈夫でないかと言われれば、今は様子見としか言えません。ですが個人的には大丈夫だと信じています」
「どうしてか聞いても?」
「あの子が居たように思うので」
「あの子?」
「ところでパージェスに来られた事はありますか?」
「? いえ、たぶん無かったと思います。あ、いや……横切るぐらいはしていたかもしれませんが、セントバルナになってからは通ってないと思います」
「唄は好きですか?」
「唄? 嫌いではありませんが好きというわけでも……あの、話がずれていますよね?」
「そうでもないですよ。考えてもみてください。パージェスに結界を張るまでした男が、封印が解けた時の影響を考えていなかったと思いますか?」
そう言われると、何らかの対策をしていてもおかしくはないように思う。
「……もしかして、あの時力を取られたのは」
「何か思い当る事がありましたか?」
「思い当たると言いますか……僕は封印を解こうとはしていましたが、実際には封印の核が僕の魔力を奪って勝手に自壊したのです。残滓も全て巻き込んで綺麗に消えたのでほとんどやる事がありませんでした」
「ツメが甘い癖にそういうところはおさえていたようですね」
「最初から解く事を前提に封印を施していたという事ですか?」
「おそらくは。
大丈夫です。ここの機材があれば叩き起こす事も出来ますから」
何かはぐらかされたと思うのだけれど、キルミヤが大丈夫なのであればもうそれでいいかと思った。
「……そういえばパージェスに戻って何をされるのですか?」
「準備と家族の様子見です。セントバルナは今、混乱の最中にありますから」
「道中話していた内乱の事ですか?」
「はい。陛下が崩御されました」
亡くなって内乱が起きたという事は次の選定で問題が起きたのだろう。継承者が一人であれば余程の事がなければ内乱にまで発展しないだろうから、複数の継承者で争いが起きたと見ていい。
「確か、子は複数居ましたよね」
「五人です。皇子二人に、皇女三人。男児優先の長子相続ですから第一皇子のアクナス様が継がれるのが本来ではありますが、現在行方不明のため第二皇子のアーギニア様を押そうとする者が現れ二分している状態です」
であれば、実質、継承者は表に立っている皇子一人。
「御輿が無ければそのうち第二皇子に決まりそうですね」
「そう簡単には落ち着かないと思います。陛下は第三皇女のベアトリス様に殺されたと言われていますので」
「殺された?」
「詳細は不明ですが、陛下の寝所に押し入ったところをアーギニア様が発見したそうです。その時点で陛下は事切れていたと発表され、逃亡されたベアトリス様を捉えようとあちこちで検問がされています。
この混乱に乗じて他国も動きを見せているようなので、そちらも確認してきます。フーリに行かれるのはそれからにして頂けませんか?」
皇女が王を殺す理由などはわからないが、上の皇子を押す勢力がその事を追及してからでなければ、次期王位を誰にするのか決定する事は出来ないとでも言っているかもしれない。内乱とまで言っているのだから武力衝突があるのだろうし、それに他国が絡んで来ているとなると情勢を立て直すのは至難だろう。
不安定な情勢ではよそ者が流入し易く、幾つかの組織に目を付けられている僕ではひっきりなしに接触される可能性が高い。
「……そうですね。僕としてはフーリの動きを教えて頂ければ助かります」
とりあえずはフーリの状況がわかれば、セントバルナを離れるだけで撒けるのか、それともフーリに行っても接触されるのか予想は立つ。
「では二日程で戻ります」
「二日?」
ここに至るまで一ヶ月以上掛かったのに、二日?
「転位のウンモがありましたので、少しいじりました。誰でも使えると厄介なので私しか認証させないようにしましたが、それを使えばパージェスまで半日も掛かりません」
何でもない事のように言うが、転位と言ったら調整が難しく専門の者でなければ触れないものの代名詞だ。多くの知識を持っているからと言って、それを扱えるかという問題はまた別ものだと思うが、ガーラントは規格外なのかもしれない。
「眠ったままでも維持出来るように設定しておきますので、よろしくお願いします」
ベットに近づき制御板を出して何かを入力し始めたガーラントに、僕はただ頷くしか出来なかった。
工業分野の転位に続いて医療分野のウンモまで触る姿に、驚くばかりだ。