第百十三話 休戦
ガーラントが見えると言う道しるべは街道を示す事は無く、王都の東に向かったかと思うと途中で北を回る様に西へと折り返し南へ降りて、再度北へと昇る進路を取った。
魔術も魔導も馬も何も使わない移動に何故と問えば道しるべを見失うからという答えが返り、少し苛立った。
苛立ちは筋違いなのはわかっている。少なくとも僕は自分で協力する事を承諾し、自分自身それを望んでいた。だからある意味、僕にとってもガーラントは協力者でその力を借りている事になる。例え今の気持ちがそこから離れていたとしても、一度承諾した事実を覆す気は無いし一時的にでも、それが血迷った考えでも、自分の行動を否定する気はない。ただ、今はすぐにでもフーリに行くべきだと思っているだけで。
ほとんど会話らしい会話もせず、時折ガーラントが空を見て表情を曇らせるぐらいしか変化の無い日が続く。
平原も雑木林も山岳も、その先にある天を支える山脈に入る時も言葉無く淡々と前へと進む。
あとどれだけ進んだら追いつくのだろうか。その疑問が胸に生まれたのはもう何日も前。本当に進んでいる道が正しいのか、ガーラントの言葉は真実なのか、騙されているのではないかと疑いを抱き始めたのは数日前。騙す騙さない以前にこんなにも時間を浪費して良いのかという問いが浮かんだのが一昨日。
思い至るのが遅いと、自分でも呆れる。一月も歩き続けてやっとなのだから溜息も出た。
既に天を支える山脈の中部、その中腹を過ぎてとっくに白地地帯に足を踏み入れている。ここで引き返す事は――
……然程時間は掛からないですね。フーリまでならば走天で十分たどり着く。どこで切りましょうか。
前だけを見据えているガーラント。
言を違える事は避けたいが、いつまでも付き合えない。かといってそっと姿を消す事は難しいだろう。ガーラントは自身を役立たずと言ったが、本物の魔導師を侮るつもりはない。眠るときでもガーラントは僕と同じで意識を残している。試しに動いたら、目は開けなかったが反応していた。
どこでどうこの手を外そうかと考えていると、前を行く背が止まった。道しるべを確認するために時折そうして止まるので、またそうなのだろうと思って僕も足を止めた。何気なく視線を横へとずらして、ふと白い壁が無い事に気付いた。
吹雪が止んで……
ガーラントが吹雪の中でも進めるよう風よけを張り巡らしていたため、その一線を境に真っ白だった。
その景色が晴れていた。天を仰げば青空さえ見える。
この天候ならば厚い雲を突っ切って上空に上がらずに済みますね……
「……止まりました」
ぽつりとガーラントが呟いた。
聞き返せばこちらに向き直ったガーラントは、困ったような顔をしていた。
「どうやらアーティファイが止められてしまったみたいです」
「道しるべのアーティファイが、という意味ですか?」
「はい。安全装置の一部に組み込まれているので止められる事はないと思っていたのですが……」
「道は分からないという事ですか」
ガーラントは目を細めて周りを見渡した。
黙ってその様子を眺めながら、そっと視線を繋がれたままの手に移す。
振り払えば容易く外れるであろう手………
「ここから近いと思います」
ガーラントの声にハッとして顔をあげると、目を細めたまま横を見ていた。
随分とぼうっとしてしまっていたらしい。
「精霊ですか」
「ええ。周辺を探ってみますので――」
ボスッ
異音に言葉を切り身構えるガーラント。僕も同じく身構えるが、片手を取られたままで身動きが取りづらい。さすがにこの状況では離して欲しいと手を引けば、逆に強く握られた。
何をと問う前に身構えた先、異音がした地面が起き上がった。
「……え、……そと?」
戸惑ったような声は少女のもの。頭に被っていた雪がはらりと落ちて色が現れる。
それはいつか見た緑の塊。幼い顔立ちの緑の民の少女。キルミヤに縋り付く様に、許しを請うようにその存在を、その力を求めた者。
「そんな……父さん!」
僕らに気付かず少女は弾かれたように飛び起きた。
けれどすぐに力なく座り込み呆然とした顏で虚空を見上げる。
「どうして? どうして教えてくれないの? 里に帰らなきゃいけないのに!」
焦ったように怒鳴る少女。
「内緒って、なんで!? なんで内緒なの!? 母さんも父さんも、ミアも危ないかもしれないんでしょ!? どうして駄目なの!」
「お嬢さん」
ガーラントが声を掛けると、少女は飛び上がる様に驚きこちらを見た。
「あ……あ……」
恐怖を浮かべた少女にガーラントは首を傾げた。
「ミアを知っているのですか?」
少女は答えず後ずさった。警戒の強さに、このままでは進まないだろうと思い僕は口を挟んだ。
「この人はミアの叔父、家族です」
「かぞく……あ」
少女は僕を見て、目を見開いた。
「あなたミアが大事にしてる人」
言ってから慌てて口を塞ぐ少女。
何に慌てたのか不明だけれど、僕を思い出してもらえたのならそれでいい。
「この人はミアの家族です。ミアはどこですか」
ガーラントは僕が話す方が早いと思ったのか、黙って成り行きを見ている。
少女は僕とガーラントを見比べ、迷うように周囲へと視線を向けると驚いた顔をしてガーラントを見た。
「ほん、と?」
「はい。精霊は嘘を言わないでしょう?」
黙っていたガーラントは見ていただけでは無かったらしい。精霊を介して少女に何かを伝えたのだろう。先ほどまであった恐怖や警戒が薄れていた。
「じゃ、じゃあミアを助けてくれるの?」
「何があったのか教えてくれますか?」
「えと……急にセキュリティが解かれたって父さんが言って、そしたら母さんと長様の会話が聞こえてきて、長様が先代様を……ころしたって言ってて………父さんが、逃げろって、戻ってくるなって、家にあった非常用のウンモに、あたしを押し込めて」
つっかえながら、頭に手をあてて言葉を探す少女。
「こんな事無かったの。外に出てはいけないのは絶対で。父さん怖い顔してて。みんなもざわざわしてて、危ないって言ってる」
「里への道、わかりますか?」
「だめ。みんな教えてくれない」
「わかりました。では私に教えてくれるように願ってくれますか?」
「助けられる? 母さんも父さんも大丈夫?」
ガーラントに近づき服を握る少女が、僕にはキルミヤに縋る姿に見えた。その途端言いしれない感情が腹の底から沸きあがった。
力があるからと、その存在であるからと求められた者は全てに応えなければならないのか?
応える義務があるのか?
自分を顧みず、自分を顧みる事を許されず?
無力だからと縋り付けばいいのか?
縋りつけば助けてもらえれると思っているのか?
力在る者が失うものなどどうでもいいのか?
それが当たり前だとでも言う気か?
「大丈夫とは言い切れません。でも、何もしなければそれまでです――道はこちらですね」
ガーラントは僕の手をあっさりと離すとこちらに向き直り深く頭を下げた。
「ここまで連れてきてくださり有難うございました。それと、長時間拘束してしまい申し訳ありません。礼をさせていただけるのであれば後日改めてさせてください」
僕は腹の底で燻る感情に気を取られ、ガーラントの謝罪に咄嗟に言葉を返せなかった。その間にガーラントは身を翻し、少女と共に走って行ってしまった。
少しして、一歩前に踏み出していた自分の足に気が付いて、顔が歪む。
どれだけ言い繕ってもどれだけ正論を唱えようとも、前に出てしまった足が僕の心をそのまま表しているようで、情けない。
自分の役割を忘れた事は無い。それがどれほど大切な事か、どれほど望まれた事か、どれだけの覚悟と想いを託された事か、理解しているつもりだ。それなのに、それを疎かにするような事を望む自分が居て、自分の事なのに制御出来ない自分が、そしてそれをガーラントに見透かされていた事が、情けない。ガーラントに『これ以上は必要ない』と頭を下げられて押し止められなかったらそれすら気づかずに追っていただろう。
前に出ていた足を退き、息を吐き出す。
確かに、僕はキルミヤをどうにか助けられないかと思っている。けれどそれは優先すべき事か。答えは否。僕個人の事柄など、まして感情など些末事にもならない。
ここに留まる時間すら惜しい。
「行きましょう」
誰でも無い自分に語りかけ、踵を返す。
降り積もった白く深い雪から視線を上げて――
「え……」
目の前に半透明の女性が浮いていた。
薄い青褐色の長い髪。少し垂れた目元は優しげで、けれど今は少し必至な様子で胸の前で手を握りしめていた。
〝………〟
驚いてただ眺めてしまっていたが女性の口が動いているのを見て、反射的に耳を傾ける。
〝……きて………おね…い〟
雑音混じりでうまく聞こえない。
精神が不安定だと同調力がうまく発揮されない。それを思い出して僕は深く息を吐き、もう一度耳を傾けた。
〝……といて、あの子のちから〟
「あの子のちから?」
聞き返した途端、視界に都市の姿が広がった。
デルトが敷かれ区画整備された中に立方体の建造物が整然と立ち並び、光源は明反応と暗反応を使い分けるミカルトが浮かべられている。
それはもう見ることが出来ない光景で、また過去を見せられているのだろうかとその意味を考えようとしたところで有り得ないものが見えた。
中央と思われるクァール近くのデルトに、将官衣を纏った男と倒れ伏している複数の男女、そして立ち上がるキルミヤの姿があった。
瞬きをすると映像は掻き消えてしまい、映像の意味を理解できないままもう一度女性に目を向けると〝あの子〟と言われ手を引っ張られた。
「………ぅえ!?」
引っ張られてる!?
女性は半透明。それは間違いない。気配も精霊のそれに近い。なのに僕の手を掴んでいる。ほんのり暖かくて、捕まれている感触がある。
精霊は物体として触れる事など出来ない。
キルミヤの周りに集まる精霊たちが生み出した幻がそれほど力を持っているという事だろうか。いや、幻が実体を持つという事は無いし、精霊に実体という観念も無い。精霊の観念と人の観念には大きな隔たりがある――筈なのだけれど。
じゃあ、これは?
わけがわからず害意を感じられなくて振り払う事も出来ずにいると、急に浮遊感に見舞われた。
はっとして下を見ると地面から足が離れていてぎょっとした。しっかりと何かを踏んでいるのに、あるのは空だけ。それどころか周囲がおかしい。密林とも呼べるような樹木が密集した場所を駆け抜けたかと思うと、先程見たかつての繁栄を残す都市の上を走っている。足を動かす速度に対して周囲の景色が不自然に早く、歪んでいる。
混乱に拍車がかかりそうなところを精霊の力だと推測も論理もなしに無理矢理抑え込んでいると、女性が足を止めある方向を示した。
そこには棒のようなものを支えにしてやっと立っているキルミヤと、剣を拾い上げ刀身をトントンと二度叩いて投擲の姿勢を取ろうとする将官衣姿の男が居た。
男の行動を見た瞬間、混乱も戸惑いも頭から抜けた。
屋上を蹴り、落ちる感覚を無視して走天を使う。倒れ転がるキルミヤを追うように矛先を変えた剣の前になんとか滑り込み、抜き放った短剣で受け止める事が出来た。が、軽い音を立てて短剣が砕け散り、勢いよく刃が腹に食い込んだ。
「にじゅう……です、か」
追撃は短剣に触れた時点で解除出来た。けれど切れ味を強化する魔術までとは思わず、短剣に掛けていた耐久増強を突破されてしまった。たったあれだけの間で追撃と強化を掛けられる魔術師はそうそう居ないだろう。その緑の容姿からして魔導師なのだろうにどちらもというのは相当な努力をしたのではないだろうか。
僕は目を見開いてこちらを見ている将官衣姿の男を見据え、せりあがった血を気管に入らないよう吐いて、剣を引き抜いた。
「抜くな!」
背後からの制止に、思わず振り向き笑ってしまった。
抜かないと治療出来ない。とは僕が僕の身体を理解しているからで、キルミヤからしてみれば僕は傷を広げ、血を流す間抜けに見えるのだろう。
けれど、まぁ――無事で良かった。
ふらついた身体を支えられ、ゆっくりと横たえられるとキルミヤが酷く狼狽しているのが見て取れた。血を流す腹に外套を巻いて止血しようとしてくれているが、手が震えている。
それを見て、血が駄目だったのだと思いだし悪い事をしてしまったと申し訳ない思いになる。幸いなのが最初から致命傷を与える気が無かったのか、将官衣姿の男は固まったように同じ場所で動こうとしていない。驚いた表情と合わせて考えれば、おそらくそうではないかと思われる。
それならば大丈夫かと僕は考え、喉奥から溢れてくる血を吐き出してから狼狽えているキルミヤの手を取り、幾重にも止血を施そうとする行為を止める。
「ミ…ァ」
声をかければ、こちらを見てくれた。ちゃんと僕の目を見れる冷静さがある事にほっとして、肺を使って言葉を絞り出す。
「……すこ……し、休む…だけ」
一定以上の傷を受けた時、自動で治癒が始まり一時的に意識が混濁するが少しすれば意識自体は戻る。魔力が枯渇した場合にはさほど効力を発揮しないけれど、外傷に関していえば完治は数日必要だろうが動くだけなら数時間と要らない。
その間僕は籠り状態に入るので問題ないが、心配なのはキルミヤだ。けれどそれも未だ動きを見せない男の様子から、緑の民の性質に変わりは無いと確信した。だからきっと、
「……だぃ…じょ………」
治癒が始まったのか僕の意志とは関係なく手から力が抜け、視界が閉ざされた。
深く落ちてゆく感覚に、そういえばこの状態になるのも何年ぶりだろうかと振り返る。致命傷に近い傷を受けたのは戦の時だったように思うので、六十年ぐらいは経っているのだろうか。随分と平穏に過ごせてきたものだ。そのせいなのだろうか? 結局動いてしまって。
無意識にそうしてしまったのだから、取り繕ったところで仕方ないが、いろいろと言い訳をして、決めては迷って、真摯なガーラントまで疑って――我ながら呆れてしまう。
……みんなには、謝るしかないですね。
解放を遅らせる事になるのだから、その分の非難は受けよう。
そう決めると意外にも肩が軽くなったような気がして、意識体なのに不思議なものだと笑みが出た。
あとは早く意識を戻して、緑の民と話をして妥協点を探そう。いくら同調力が強くても、この世界をただ一人で壊す事が出来るとは到底思えない。災厄の種でも大陸を薙ぎ払う事は出来ても完全に消滅させる事は出来ないのだから。
根気強く話す必要があるかもしれないとぼんやり考えていると、誰かに肩を叩かれた。
僕の夢の世界とも言えるこの空間に他人が入る事は無く、驚いて見れば白い手が闇の中に浮かんでいた。凝視していると、手のひらを上にして差し出された。
注意深く探れば先ほどの半透明の女性の気配に近い。精霊が僕に干渉する事は無いと思っていたのに、立て続けに起きる現象に首を捻りかけて、あぁと思い至る。
僕に干渉してくる精霊はみな、キルミヤに由来している。声を聞かせてくれたのも、幻を見せてくれたのも、この手を引いたのも。どれもそうそう起きない現象で、だから逆に今のこれもそうなのだと妙に納得した。
「キルミヤの周りに居る子?」
問えば、早く取れと言うようにさらに僕に近づいた。
なにか急いでいるような動きに見えて、嫌な予感がして僕はその手を取った。
手は僕を掴むと、ぐっとひっぱりあげるように力を籠めて、そして僕は浮上した。
水面をくぐるような独特な感触を突き破り、浮遊感が消える。
「……っ?」
かなり早く意識を戻したせいか、治癒の影響ですぐに身体が動かなかった。
とりあえず身体の感覚を取り戻そうとした時、
「――戻りなさい! キルミヤ!」
耳朶を打ったのはガーラントの焦った声だった。
何事かと無理やり目を開けると灰色の木々が見えた。都市を覆うようにせり出したいくつもの枝が空を隠している姿に防衛機能の一つかと考えながら視線を他へと滑らし――不可解な視界に内心眉が寄った。
視えたのはまたしても灰色。その中でガーラントとあの男の周囲だけが鮮やかな色をしていた。瞬きをしても変わらず、僕の目は色を持っている筈のものを灰色として映している。加えてガーラントと男はどちらも何かに耐えるように顔を歪ませ、膝をついていた。僕にはなにも感じられないが――いや、身体の感覚を取り戻せていない今は籠りが働いていると見て間違いないだろう。僕には感じられない何かの力に、二人は抗っているのだとそこまで考えて、キルミヤはと視線をガーラント達の反対に向けると傍らにぺたりと座り込んだキルミヤが居た。
空を見上げ、脱力しているキルミヤの表情は下からは窺い知る事は出来なかった。けれどキルミヤは色を持っている。何かに抗っているガーラントと緑の民の男と同じように、色を保っている。何が起きているのかわからないけれど、今のところキルミヤには影響ないらしい。
ほっとして他の状況はと巡らした視界の端に染みのようなものを捉えた。
何かと目を凝らした僕の目の前で、黒いそれは蠢き脈動するように震えると僅かに膨張して周囲を喰むように分布を広げ、種々の色を喰い荒らし、荒らし尽くして無明の虫喰い穴だけを残していた。
それが何かは知らない、わからない。ただ危険だと感じキルミヤに注意を促そうとして気づいた。
染みは、キルミヤから滲み出ていた。色を保つキルミアから世界を喰うように広がり、色を保つキルミヤを呑み込もうとするように覆い尽くそうとしている。
――恐怖に、身体が竦んだ。
反射的にキルミヤから遠ざかろうとする本能をねじ伏せ、それは駄目だと声を出そうしたが喉が張り付いて声が出ない。
ガーラントはずっと呼び掛けているのか声が枯れている。でも、キルミヤは反応しない。ぴくりとも動かない。
不安を掻きたてられ、力をかき集めて身体を横向きに動かすと腹から熱が漏れる感覚がした。塞がっていないとわかるがそれどころではない。地面に爪を立て上体を起こしキルミヤの顔を覗く。
空っぽだった。
うすい紫の眼からは何かを考える意志を感じられない。何かを見る心も感じられない。茫洋とした空虚なそれを虚空へと投げるだけの塊だった。
「き……ミや」
なんとか手を伸ばして頬に触れた。
冷たくて触れた事にも反応が無い。膨らむ不安が形を成していくかのように僕の手を震わせる。
「きる…み…ヤ!」
この光景をどこかで見たことがあるような気がして、黒い染みに対する恐怖などよりそれがひどく怖く感じて名を呼ぶ。
けれど応えは無い。その反応の無さに幾つもの記憶が弾けては消えた。
彼らは――彼女らはそうなるともう手遅れで、だから彼らごと、彼女らごと――破壊するしかなかった。
……災厄の、種?
何故? キルミヤは種を所持していないのにどうしてそう思った?
自分の感覚に問いかけるが混乱が増すばかりだった。
〝といて……〟
背後で囁かれた言葉にのろのろと顔を向ければ半透明の女性がいた。
〝といて……お願い。彼らの声が届かない〟
といて……とく………解く?
何を解くのか考えて、僕はすぐにキルミヤの額に手を触れ、崩れそうになる姿勢を堪えてもう片方の手を鳩尾に伸ばした。けれど、
「……だめ……だ」
キルミヤに掛けられている封印。それば同調力と魔力を封じるもの。精霊の気配を持つ彼女が望んでいるのは同調力の解放だと思うのだけれど、封印に触れない。目を閉じて魔力を集中させてみるが、まったく僕の魔力をキルミヤに通す事が出来ない。封印が強いからという理由ではなく、その証拠に封印の要とも言える核が自分で解けようと動いているような妙な感触もある。けど、何かが拒んでいる。
額から放しかけた僕の手に、半透明の手が被さった。
後ろから伸びたその手に振り向こうとしたら腹部に温もりを感じ、見下ろすともう片方の手が腹の傷に当てられていた。
彼女は僕を抱え込むようにして囁いた。
〝うたって〟
「う、た?」
〝あなたなら届く――あなたしか届かない〟
困惑する僕に構わず、彼女は細い声で唄い出した。
いつか聴いた子守歌をゆっくりと、お伽噺を語り聞かせるように紡いでゆく。
ふと胸に熱を感じて見れば、仄かに白い光が生まれていた。何もしていないのに腹にそそがれる温もりに導かれるように力が働き、身体の感覚が戻ってきた。
僕は唄い続ける彼女の横顔を見て――血の味がする口を開いた。
とーとーとるきのおじいさん
いつも仲良くが口癖で
にこにこ笑ってみんなを見てる
どこにでもある子供の為の子守唄。
張り付いた喉からは掠れた声しか漏れなくて虚ろな彼に届くとは思えないけれど、祈る様に唄い続ける彼女の願いを無碍にする事が出来なくて、それ以上に僕に出来る事が見つからなくて、これで何かが変わるならと僕も祈る思いで喉を震わせる。
とーとーとるきのおばあさん
いつもおうたを唄っては
みんなをにこにこ笑わせる
重ねられた手が、腹に当てられた手が、支えられている背中が暖かい。
掠れた声が徐々に音として形を取り戻し、彼女の力に励まされるように僕は彼女の唄を追いかけた。唄が終われば始まりに戻り、繰り返し繰り返しゆっくりとした音が途切れる事なく続いていく。
少しでも変化を見逃さないよう目を閉じ集中していると、僅かではあったけれど僕の魔力が通った。本当なら言葉を用いて魔力を導き封印の核を解く。けれど今は歌を止めてはまた弾かれるという気がして、唄を続けたまま魔力を伸ばす。
時間は掛かるが無理に進めず、抵抗のない魔力の道筋を探って通して行くと、いきなり引っ張られた。伸ばした魔力を引っ張ったのは僕が核だと思ったもので、僕の魔力が触れた途端力を奪われた。災厄の種を破壊する時に使用する量と比べれば大した事ではないけれど、余程の力を持っていなければ昏倒する勢いだった。封印に施された防壁かと思い、不足する魔力を作り直そうとしたところで核が勝手に解けた。
何故と疑問を抱く間も無く僕の魔力を使って自壊した核は、連鎖反応のようにキルミヤに影響を及ぼしている封印の残滓を悉く消して行った。
………おか……ん?
声が聞こえたような気がして目を開けると、目が合った。
朝が苦手な彼らしい、ちょっと寝ぼけ眼で無防備な顔に知らず苦笑が漏れた。
「駄目よ、あんなお目々似合わない」
僕の意思とは別に口が動き、言葉を発した。
僕は彼女だと疑問に思う事もなく理解して身体の力を抜いた。僕に声を届け僕に触れられる彼女が、直接キルミヤに語りかけないのは何かの意味があるのだろう。そう思って。
僕の意を読んだように、彼女は額に当てていた手を頬にすべらし、子供のように顔を歪ませたキルミヤに微笑んだ。
「守られてもいいの」
キルミヤは弱く首を横に振った。
怖いという思いが胸に広がり、ごめんなさいと謝る声が聴こえる。
「私に残されたこの心も否定してしまうの?」
違う。そうじゃないと否定するけれど、それは弱くて今にも壊れてしまいそうだった。
彼女は鳩尾にあてていた手を背中にまわして、顔を覆うキルミヤを赤子をあやすようにぽんぽんと撫でた。
「あなたが恐れているものはなぁに?」
言葉にならない想いが幾つも浮かんでは消える。共通して感じ取れる想いを言葉にするならば、孤独、だろうか。手を伸ばしても届かない。その現実に打ちのめされるイメージが強い。
「あなたも、誰かを守れるのよ?」
微笑む彼女はキルミヤの手を取って、ほらと言うようにその手を見せた。
「………ほんとに?」
暗闇を怖がる子供のような表情で問うキルミヤに、彼女は大切な秘密を打ち明けるように小声で答えた。
「あなたが願い、動くなら」
キルミヤはじっと手を見詰め、やがて素直に頷くとそのまま吸い込まれるように意識を手放した。
彼女はキルミヤを抱き留めると愛おしそうに囁いた。
「大丈夫。あなたは幸せになるわ。絶対に」
ふっと身体から力が抜けてキルミヤもろとも倒れそうになり、僕は慌てて身体に力を入れた。
〝ありがとう〟
聴こえた声は、封印を解いた事に対してか身体を貸した事に対してかわからなかったが「こちらこそ」と呟き、気絶しているキルミヤをそっと横にした。
静かな寝息を立てるキルミヤを確認し、周囲に色が戻っているのを目にして――どっと疲れが押し寄せてきた。
黒い染みも無いし、精霊の気配をした彼女ももう居ないので大丈夫だろうと思うのだけれど、災厄の種の破壊に挑んだ時ぐらいに疲れた。というか、全く理解出来ない出来事の連続で精神的に疲れた。災厄の種よりもひどいかもしれない。
「怪我はありませんか?」
「貴方の方が余程重傷に見えるのですが」
歩み寄ってきたガーラントに尋ねると、逆にこちらの身を案じられた。言われて見れば血だらけで、どう見ても大丈夫そうではない。
僕は苦笑を浮かべ、肩を竦めた。
「さっきまでは瀕死でしたが今はどこも怪我をしていません。それより」
ガーラントはキルミヤを抱え上げると僕に首肯して見せ、視線を緑の民の男へと向けた。
「休戦にしませんか。緑の民の長、エルグラ殿」
「蒼の民の長ケルト殿か」
「長ではなくケルトですが……今は問答している時ではありません。都市の防衛機能が止まっている事には気が付かれていますか?」
「……知っている」
「ではフーリに災厄の種の宿主が現れた事は」
「それが?」
「幻視の恋人、視覚特化の特性を持つ種です」
「…………ここが知られると言うのか」
「こちらのお嬢さんが目に触れたと思いますから、興味を持たれているかもしれません」
男は舌打ちをして一歩下がり、縁から下を見下ろして再度舌打ちをした。
「人手が無ければ修復は私がします」
「その間、それを見逃せという事か?」
「言ったでしょう、休戦だと。修復が終われば改めて話をさせてください。私もあなたに色々と言いたい事があります」
「……好きにしろ」
「では下で怪我されている方も含め、休める場所を提供して頂けますか」
男はため息をつき、下に飛び降りた。
「あてにしてもいいですか?」
ガーラントは少し緊張した面持ちで問いかけてきた。
僕がこの場を離れようと悟っていた彼の事だから、今も僕が離脱する事を考慮しているのだろう。ただ、そうなった場合ガーラントは一人でキルミヤを守らなければならなくなる。
「この件については最後まで見届けるつもりです。手を出したのは僕の方ですから……不安にさせてすみません」
ガーラントは目を瞠り、それから口元をほころばせ微笑んだ。
「ありがとうございます」
僕はキルミヤごとガーラントを走天で下に降ろし、奇異の視線を受けながら長が示した建物へと入った。
「私はアーティファイの状態を見てきます。その間この子を頼みます」
「心得ました」
長と共に出るガーラントを見送って、傍にある椅子に腰かけ索敵を広げる。
もはや癖になったそれを展開すれば怪我人が次々にこの建物へと運ばれているのを感じた。致命傷は無いようで、重症ではあれど重体の者は居なさそうだ。
「あれはなんだったんだろう……」
背もたれに凭れ、身体の力を抜くと思い起こされるのはキルミヤから滲み出ていた黒い染みの事だった。初めて見るもので恐怖を感じたが、結局のところ正体が掴めていない。
キルミヤは魔力も同調力も封じられていたのだから、それらの暴走とは考えられない。そもそも封印を解いたら落ち着いたのだから、それが原因ではないだろう。
「何か用ですか?」
ドアの前で動かない気配に考えを中断して問えば、間を置かずドアが開いた。
立っていたのはあの少女で、所在無さげな顔でこちらを伺っている。
「……あの……ミアは?」
「眠っています」
少女はよく分からない呻きを上げて、視線を右往左往させた。
何がしたいのだろうかと思っていると、意を決したように僕を見た。
「あなたは?」
「……僕?」
「あなたは大丈夫ですか?」
一瞬僕は答えにつまりながら、予想外の問いに返した。
「……まぁ……こんな見た目ですけど、疲労以外は何も」
少女は僕の返答を聞くと俯き、じっと床を見詰めた。
この少女とはあまり良好な関係とは言えない自覚があるだけに、こちらの身を案じるような言葉を聞いて驚いた。何を考えているのだろう。
黙って見ているといきなり踵を返し、走って行ってしまった。
「……子供の考える事はわからないですね」
気にしても仕方ないと頭を振り、目を閉じる。
他にも気になる事がありすぎてどこから整理を掛けていいのか困るところがある。子供の不可解な行動にまで考えを巡らせる余裕はあまり無い。
「染みもですけど……あの色が無くなる現象も見たことが無いですし………」
半透明の女性や、その女性に僕の力を使われた事はこの際後回しでもいい。
けれど、キルミヤが震源と思われる現象については解明しておかなければ、一族の長という立場上あの男は納得しないだろう。
「ガーラントが何か知っているなら――」
再び近づいた気配に、僕はドアを見た。
今度は立ち止まる事なくすぐにドアが開き、少し息を切らせた少女が部屋に入ってくるとテーブルに持っていた物を置いて二、三歩後ろに下がった。
「着替え」
言われて見れば、テーブルに置かれたのは服のようだった。
「………僕に、ですか?」
「ミアのもある。水はそこ、お湯はウンモ……その白いところに手を当てれば出る。隣の上下で調整も出来る」
お湯を出すウンモは僕も知っているので使い方はわかるのだけれど、それを僕に教えてくれる意図がわからない。
少女はミアを見て、泣きそうな怒ったようなよくわからない顔をした。
「……ここに帰って来るまで、ミアと一緒にいろいろなところ歩いた。外の事、いろいろ教えてくれた。ご飯の食べ方とか、挨拶の仕方とか、乗り物の事とか、お金の使い方や、値切り方とか」
………キルミヤ、値切りって……何を教えてるんですか………
思わず胡乱な目をキルミヤに向けてしまった。
「南の海には人魚がいたり、北の空には翼を持った天の種族が住んでいるとか、ごはんを残すともったいないお化けが出てくるとか」
幻獣のお伽噺によくわからない話を混ぜ込んでいるのは流石キルミヤと言ったらいいのだろうか。
「生態系は崩したらいけないとか、獣にあったら目を逸らさず持ってるものを置きながら後ずさりするとか、川の水はそのまま飲まずに一度沸かしてから飲まないとお腹壊すとか、話が長いおばさんの切り上げ方とか」
真面目に話している少女と話されている内容に時々落差が生じて微妙な気持ちになる。
「他にも沢山教えてくれて……それで……言ってた。他人は自分を映す鏡だって。自分を嫌う相手を好きになるのは難しいって。一生に一度しかない出会いかもしれないのに険悪なのは面白くないだろうって」
………。
「外で優しくしてくれた人はいるだろうって、外ってだけで嫌う理由になるのかって……」
服の裾を握りしめ、顔を俯かせる。
「無知は悪い事じゃないけど、知ろうとしないのは本人の責任だって。それも悪い事ではないって言って…………でも、どうしてそれが悪い事じゃないか分からなかった。考えてみたけど、わからなくて……ずっと考えてたら最初に言われた事を思い出したの。
決めるのは自分――その時は生きててもいいのか聞いたら、決めるのは自分だって言われたんだけど……ミアは全部あたしに決めさせてくれた。何を買うのかも、どの宿に泊まるかも、何を食べるかとか、小さい事も決めさせてくれて、決められなかったらどうして決められないか聞いてくれて、だから……多分だけど、決めるのは自分なんだって思った。
里の掟に従って外を危険だと考えて目も耳も塞ぐ事も、相手を知ろうと動く事も、どちらも自分で決めたのなら、それでいいって思ったの」
「掟に反すれば罰があるのではないのですか?」
俯かせていた顔を上げ僕を正面から見返す少女は、ガーラントやキルミヤに向けていたものとは違う目をしていた。
「あるけど、それでもいい。
知らない事が多くて、先代様の事も知らなくて、長様が何を考えているのかも知らなくて、ミアが帰って来ればみんな喜ぶだろうって思ってた。だけどこうなってしまって……ミアは先代様を殺したのが長様だって知ってたんだと思う。長様と母さんが話をしてるとき、何も言って無かったから………ずっと一緒に居たのに気付けなかった。
あなたの事も危ないって思ってたけど、怪我して欲しいとは思ってなかった。
思ってるだけじゃこうなってしまうから、だから知りたいって思ったの。それが掟を破ってしまう事でも、こんな事になって欲しくないから」
一度少女は区切ると、小さく深呼吸をして上体を倒した。
「ごめんなさい」
「………え?」
「最初、酷い事を言ってごめんなさい」
正直、罵詈雑言の類は言われ過ぎていて余程印象に残るものでなければ僕も覚えていられない。彼女にここまで謝られるような事を言われた自信が無くて戸惑ってしまう。
けれど、それとは別にじっとそのままでいる少女を見ていると、僕の方こそ彼女に誰かの影を重ね視て苛立ちをぶつけてしまったのだと気が付いた。重ねた誰かはこんな風に正面から謝るような人物ではなかったと、それだけは確かだと記憶している。
他人は自分を映す鏡……彼女の反発は、僕の反発でもあったという事ですか。
「頭を上げてください」
少女はゆっくりと、おそるおそる身体を起こした。
見た所十三四歳ぐらいの子供だ。こんな子供に僕は随分と酷い態度を取ってしまった。
「僕の方こそきつい物言いをして申し訳ありませんでした」
少女は頭を横に振って、ほっとしたような泣き笑いのような顔をした。
「あた――わたしは、レース・アーニャです」
「僕はカシル・オージン。今はそう呼ばれています」
レースは偽名について何も言わず頷いて笑顔になった。
この歳の少女らしい明るい表情に、自然と僕にも笑みが浮かんだ。
「今この部屋を出ると里の皆が緊張するから暫くはじっとしてて」
「はい。ガーラント――ミアの叔父がアーティファイの修復に出ていると思うのですが、彼は大丈夫ですか?」
「大丈夫。おじさんは父さんと一緒に居るから。母さんも動けないけど、アーティフィの事なら見なくてもわかるっておじさんを手伝ってる。他にも手伝ってる人が居るからもう少しすれば元通りになると思う」
「そうですか……他の方の怪我は大丈夫ですか?」
「骨折してる人が何人かいるけど、命に関わるような人は居ないから大丈夫。長様も……怪我させる気は無かったんだと思うの」
「長……?」
怪我の原因まで深く考えていなかった。キルミヤとの戦闘の余波かと思っていたのだが、どうも違う様子。
「えっと……多分だけど、長様もおじさんもここに来ると思うの。そうしたら聞けると思う」
言葉に困っているところを見ると、レースにもわからないという事だろう。
「わかりました。すみませんが替えのシーツを用意出来ませんか?」
「シーツ? あ、うん。大丈夫。ちょっと待ってて」
レースは僕の視線の先、キルミヤを見てすぐに部屋を出て行った。
僕の血がついたままだから寝具にもその血がついてしまっている。
僕もこのまま血を放置するのは衛生的ではない。外套と上着を脱いで部屋に付けられた水場で上腕から血を洗い落とし、口をゆすぎ顔を洗う。よくよく考えてみると血を吐いたままだったから酷い見た目だ。よくレースに怯えられなかったなと思いながら腹に巻いていたさらしを解いて水で洗い、身体についた血を拭う。
胸を刺されていたら声も出せなかっただろうし、腹で良かった。いくら痛みに慣れていると言っても空気が出せなければ流石に声は出ない。
「……あ」
今更気付いたが、あのままキルミヤが正気だったら僕は手当を受けていた可能性が高い。籠り状態は身体への干渉、殺傷を受け付けない状態になるが触れないわけではない。
「まぁ……ガーラントやキルミヤならバレたところで問題ではないか」
タオルで水気を拭いて、血濡れのズボンを脱いで着替えに袖を通しざらっとした肌触りのズボンを履いて腰紐で止める。
「持ってきたよ。あ、着替えられた? 外の服に近いの選んだんだけどわからないところ無かった?」
「大丈夫でした。キルミヤを着替えさせるので手伝ってもらえますか」
「え!?」
振り向くと、レースが真っ赤な顔で固まっていた。
「……あぁ」
意味を理解して、苦笑い。
シーツを受け取って少し外に出ていてもらえるよう頼むと、こくこくと首を動かしてバタバタと外に走った。
その姿を可愛いなと思いながらさっさとキルミヤの服を脱がし濡らしたタオルで血をふき取ってゆく。
爪の間まで赤く染まった手を見ると――胸が詰まる。
本当にすみません……
感傷に浸らないよう手早く着替えとシーツの交換を済ませレースに声を掛けると、まだ若干赤い顏のレースがおずおずと部屋に戻った。
レースはキルミアの様子を見ると心配そうな顔になりこちらに問いかけるような目を向けてきた。
「大丈夫。呼吸も脈も安定しています。体温も平常だと思いますし、休息が十分になれば自然と目を覚ますと思います」
「そっか……」
レースは僕の向かいに座ると膝を抱えた。
そのまま何をする事もなくじっとしていたので、もしやと思い尋ねてみる。
「レースがここに居るのは僕らの為ですか?」
「うー……ん。みんなね、外が怖いの。外は怖いんだってずっと聞いてたから。わたしは外に出てそんな事は無いって知ってるけど、みんなはそうじゃないから。わたしなら父さんと母さんの子だからちょっとはみんなを止められる」
「父親と母親はここでは特別なのですか?」
レースは少し考えるように首を傾げた。
「父さんは長様の傍仕えで母様は先代様の傍仕えだったの。だから先代様を慕う人は母さんの元に集まるし、父さんは長様の次に力があるって言われてて、わたしも次代様が女の人なら傍仕えになるって言われてる。
先代様に近い人も長様に近い人も、両方知ってるから」
「……無茶はしないでください。いざとなればミアを連れて逃げるぐらいの事は出来ます」
「大丈夫、そこまで動ける人は今居ないと思う。念のためだから。それに私もいざとなれば父さんを呼ぶから心配要らない」
膝に顎を乗せた体勢で話すレースの目は、こちらが気圧されそうな程力強い。
……思春期の女の子は変貌する事があるって言ってたのは誰でしたっけ……
「あ、父さんが終わったって」
「アーティファイの修復ですか?」
「うん。解除キーを母さんが教えてくれたから早く終わったみたい。おじさんも長様もこっちに来るって言ってるけど……ミアは別の部屋の方がいいかな?」
「……いえ、僕かガーラントの目が届く範囲に居て欲しいのでこのままで」
どことなく緊張した表情で抱えていた膝を外してドアを見詰めるレース。
僕は記憶をひっくり返し、ずっと使っていなかった魔術をキルミヤに掛けておく。
ほどなくしてガーラントと長、それに新しく見る男が部屋に集まった。
男はレースの父親だろうと推測し、ガーラントにこちらは何も問題は無かったと小さく伝える。
ガーラントは僕が座っていた椅子に座り、長はガーラントに促されるようにレースが座っていた椅子に腰を降ろした。僕はキルミヤの前に立ち、男とレースは入口近くに下がった。
「さて。話をしましょうか」