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第百十二話 くさり千切れる

「……お人よしなのね」

「わあ。初めての賛辞だ」


 奥さんの言葉を真似て返したら疲れたように頭を振られた。


「……訂正するわ。道化(ラヴァル)ね」

「それは良く言われる」

「貴方の真意はどこにあるのかしら」

「俺にもどれが真意なのかさっぱりだね」


 溜息をつかれた。

 まぁその辺はお互い様だろう。


「それよりさ、何をする気?」


 アスファルトのような白い道路を足早に進む奥さんの背に向けて問う。

 話を逸らそうとしたのか本当に俺の気持ちを知りたかったのか知らないが、俺にとっては俺の前を行くというその行為そのもの――いや、それ以前に引っかかる事が多すぎる。


「見ての通りよ」

「案内? だけじゃないよね?」

「それ以外に何が?」


 質問に質問を返す奥さん。

 俺の考えすぎ……ではないと思う。この奥さんもだが、あちらの方も何かおかしい。ずっと聞こえない『音』が僅かな間聴こえたかと思ったら内容が内容で、仕組まれているように感じる。まるで目隠しをされているようだ。気持ち悪い。


「長に俺と居るとこ見られたらどうするの」

「別に特別な事は何もしないわ。あなたは話をするのでしょう? すればいいわ」

「咎められない?」

「そうでしょうけど、私以上にこの里のアーティファイに詳しい者は居ないの」

「……なるほど」


 実力行使かい。


 であれば、奥さんの方は俺という変化の種にくっついてやりたい事があり、かつ、その結果に対してある程度の想定と覚悟があるという事だろう。なら、まぁいいか。


 奥さんは道を曲がり、薄らと緑が濃い壁に手を付けた。と、壁がパッと消えて無くなり最初からあったかのように道が続いていた。

 それを二度三度と繰り返して進むが、最初に旦那さんに遭遇した以外に誰にも会う事は無かった。奥さんがセキュリティを外しちゃったにも関わらず。

 もうちょい騒ぎが起きて、それに紛れて進むのかと思っていたが、ここに来てからことごとく想定から外れている。


「……まぁ、そうでしょうね」


 ポツリと言って足を止めた奥さんに、思考に沈みかけていた俺は危うくぶつかりそうになった。寸前で止まって視線を先へ、奥さんが見上げる場所、坂の上へと上げると男が居た。


 鮮やかな緑の髪は肩口で一括りに纏められ白い軍服のような服の上に細く垂れている。背は俺よりも頭一つ分高く、体格はがっしりというよりは細身。その顔は険しいながらも整っていて、目は濃い、紫。


 おそらく他人が見れば、俺に似ていると言うのだろう。


「お――」

「何をしに来た」


 奥さんが口をひらくと同時に低い声が響いた。

 遮られた形の奥さんが再び声を発する前に、俺は前に出る。


「話をしに」


 思ったよりも普通の声が出た。それにちょっとホッとする。


「話だと?」

「単刀直入に言う。俺を放っておいてくれないか」


 切れ長の目が眇められた。


「……お前はわかっていない」

「そうね、わかっていないわ」


 俺と男の間に塞がるように移動した奥さんが顔を上げて言った。


「わかるわけが無いのよ、この里に居ないのだから。何も知らない子供に何を言っているのかしら」

「………」


 一歩、二歩と前に出る奥さん。


「あー」

「あなたの話は少し待って」


 邪魔しないでくれるかなぁと言いかけた俺に、奥さんは振り向いて口に人差し指を立てた。


「例えあなたがエルフルト様の御子でも、里で暮らしていないのではこの里の事はわからないのだから、無暗に口を出しては駄目よ」


 まるで幼児に言い聞かせるような言い方に俺は眉を潜めた。

 奥さんは俺の困惑を余所に視線を男へと戻す。


「エルグラ様、お聞きしたい事があります。我々は本当にこの世界を壊し足り得る者なのでしょうか?」

「お前もわからないと言うのか」

「正しくは『わからなくなった』です。エルグラ様はエルフルト様が外の人間に殺されたと言われましたね」

「そうだ」

「では、我々は世界を壊す事など出来ないのではないでしょうか?」

「………」

「エルフルト様は我々の中でも特に高い資質をお持ちでした。その方が危機に瀕してもこの世界は依然として在りつづけています。我々が例え死ぬような目に遭おうとも、エルフルト様よりも遥かに資質に劣る我々では世界を壊す事など無いのではないでしょうか」

「それは結果論に過ぎない。今後、我ら以上の資質を有する者が生まれる可能性は捨てきれないのだ」

「だからエルフルト様の御子であるミア様の命を奪おうとなさるのですか?」

「外へとこの力を持ち出すわけにはいかない。過去の過ちを繰り返す事などあってはなならないのだ」

「……そう………そうおっしゃるのですか」


 奥さんの声が、微かに震えていた。


「確かに……我々は外へと出る事を禁じています。そして、外の者と交わる事も。

 …………ここにおられるミア様は、その御姿から、外の者との間に生まれたのだと思われます。即ち、エルフルト様は……戒めを破られた。

 エルグラ様、エルフルト様は誰に殺されたのですか?」


 口を挟むに、挟めなかった。

 真っ直ぐに男を見上げる奥さんの身体は、声と同様に微かに震えている。さっきまで何でもないような顔をしていたというのに。


「………私だと、言わせたいのか」

「質問しているだけです。真実をただ知りたい」


 男は俺達を見下ろしたまま、間を置いて口を開いた。


「そうだな。兄を殺したのは私だ」


 その一言が紡がれた瞬間、息を呑む音が聞こえた。いくつも。


 いくつも?


 気付けば、建物の影に、上に、そこかしこに、鮮やかな緑を纏う者達が現れていた。ある者は口を覆い、あるものは涙を浮かべ、ある者はその目に怒りを湛えて。


 ……をぅ。ちょーっとこれは……


 顔を引き攣らせつつ奥さんに視線を戻すと、奥さんは鋭い目で男を睨んでいた。


「どうしてです。エルフルト様は戒めを破ってしまわれましたが、命を奪う必要がどこにあったのですか」

「外へと目を向けた者がこの里を導く事は出来ない」

「そうだとしても、殺す事は無いでしょう。あなたならば見張るだけで良かったのではないのですか」

「そこに居る子が、兄以上の資質を持って生まれたと言ってもか? 外にそれだけの力を持った者を放置しておくなど、ましてこれ以上増やすような事があってはならない」


 俺を見る男の目は険しい。存在自体、認めないと言っているようだ。

 反対に周囲の目は悲痛に憐れむように俺を見ている。今の会話だけでそういう目をするというのは単純にも程があると思うが。


「ならば里に迎え入れれば良かったではないですか」

「外へと目を向けた者が、この里に何をもたらすのかわからないのか」

「我々の意識が変わってしまう事を恐れてというのはわかります。ですが、それこそ誤っているのではないですか」

「なに?」

「もし万が一この世界を壊すような事があってはならない。その言葉はよく理解出来ます。しかし、それを危ぶむのであれば、可能性の話をするのであれば、我々こそ今すぐここで自害すべきです!」


 奥さんの張り上げた言葉に、動揺は無かった。既に二十名以上は集まっていると人々の誰一人として、驚きも非難も奥さんに向けていない。むしろ、その通りだと言わんばかりの雰囲気を醸し出している。


「本当にそのような危険があるというのなら、本気でそれを危ぶみ阻止しなければならないと考えているならば、その力を持つ者を……エルフルト様を殺したように、この世界から消してしまえば、もし万が一などという事など……起き得ないではないですか。どうして滅ぶべきだと言いながら我々は生きているのですか? 滅ぶべきと言いながら子を作るのですか? 滅ぶべきと言いながらあなたも我々もここに居るのですか」

「………」

「我々はここに居て、どうして……エルフルト様は居ないのです」


 掠れた声で紡がれた言葉が、俺に残るぼやけた記憶に触れた。


 ぼんやりとした様子で窓の外を見ている顔。その頬を滑り落ちる雫。

 勇気づけようと思って伸ばした手。けれど益々震えて抱きしめられて――


「掟を破った者に厳罰を与えるのは当然の事だ」

「その掟が、本当に意味ある事なのかと問うているのです!」

「ならば問う。お前に子が殺せるか」

「出来ません」

「では自害すれば良いなどと言うな。これが最善なのだ」


 ……どうしよ。この状況。


 目の前で水掛け論ではないが堂々巡りの論争がおっぱちじまったまま俺放置。

 奥さんがおとんに向ける情が何かまでは詮索しないが、その心が本物なのは背中を見ているだけでも分かった。


 どうする。俺。


 突っ立たままぼんやり眺めているのも芸が無い。取りあえず疲れてきたので体育座りでもして見ていようかとふざけ過ぎる思考に待ったをかける。

 だんだん俺もやさぐれてきた。里の大問題なんだろうと思うが、俺だって用事が無いのにこんなところまで来ない。

 溜息つきたいのを堪えて深呼吸を一つ。

 

 よし。


「結論が出そうに無いから割り込んでいい?」


 気合を入れ直して言ったら、振り返った奥さんに睨まれた。先に割り込んできたのはそっちなのに酷い態度だ。

 幸い、他に集まった方々からは驚いたような目しか向けられなかった。俺が発言するとは思って無かったのだろう。それらを無視して俺は男を真っ直ぐ見る。


「おたくが俺を殺そうとするのは、第一に俺がこの世界を壊してしまうからかもしれないからだったよな?」

「……そうだ」


 俺と口を利きたくないのか、一段と低い声で答えが返ってきた。


「でも俺、同調力も魔力も封じられている状態なんだけど?」


 え? と、そこここで驚くような声が挙がった。

 奥さんもポカンとした顔で俺を見ているが無視。放置されるのは辛いんだぞーと仕返ししてみる。


「あの時点でわかってたんじゃない? 力が封じられているって。その上で俺の力を核としてさらに封印を掛けたのは、そうすれば生命力を奪われて俺が勝手に死ぬと思ったんじゃないのか?」

「……生きているようだがな」

「おかげさまでまだ地に足ついてるね。で、そんな俺でも世界を壊せるの?」

「自力で解かないと言い切れない」

「無茶言うなよ……あんた最初に封印かけたの誰かわかってるだろ」

「……」


 黙り込む男。六割方カマだったが、当たりかも知れない。

 それなのに自力でとか有り得ないだろうに、どんだけ可能性好きですかと問いたい。

 内心呆れていると、ぐいっと腕を引かれた。


「誰にされたの」


 奥さんが鬼気迫る顔を寄せてきた。


「え、あ、たぶん、おとん」


 また襟首絞められたら堪らないとちょっと引きながら答えたら、まわりがざわつき奥さんは支える間も無くその場に崩れ落ちてしまった。


 ちょ、なになに? 何事?


「禁術を使ったエルフルト様を、殺したのですか?」


 放心した状態の奥さんの声は、何故かよく通った。ざわついていた人々はピタリと口を閉ざし、まるで追従するように無言の問いかけを男へと向けている。


「そうだ」


 男の答えは簡潔で、


「ひどい!」

「あんまりだ!」

「どうして!」

「殺す必要ないじゃない!」

「ひとでなし!」


 反応も早かった。


 今まで奥さんと男の会話を黙って聞いていただけの周囲が一斉に声を張り上げた事に俺は驚き、何事かと奥さんを見やるが、またしても奥さんは眼中なしで男をぎりぎりと睨みつけていた。


「禁術を使った者が、世界を壊すだけの力を持つわけがないじゃない!」


 奥さんの叫びに、周囲の喧騒も一層派手に喧しく盛り上がる。


 暫く俺はそれを眺め、一人なるほどと納得。俺に封印かけたのはおとんが一番可能性高いだろうと思っていたが、当たり(正解)かつそれで力が減退するとは……

 そこをやっこさんに襲われたらひとたまりもないだろう。


「……語る言葉無しか」


 不意に滑り込んできた声に、反射的に俺は動いた。

 言葉というのは、誰かに向けられているものとそうではないものがある。自分に対してだったり、自分でも認識していない誰かに対してだったり。そして交渉事で否定的かつ相手に対して向けられない言葉が出た時は、総じて交渉の終焉を意味する。


「eesmine tuul」


 精霊が張ってくれた風の壁と何かがぶつかり唸るような音が過ぎ去ると、軒並み壁やら地面に叩きつけられた人々の姿があった。血を流し気絶している者も居れば朦朧とした意識で立ち上がろうともがいている者もいる。俺の一番近くに居た奥さんは前者で足が変な方向に曲がってピクリともしてない。

 これが長と名のつく者のやる事かと思ったが、権力が一人に集まればこういう状況も生まれるかと自己完結。奥さんに近づいて口元に手を翳し、次いで頸動脈に触れる。呼吸もしっかりあるし、脈もある。頭をぶつけたせいで気を失ったのだろうと思うが、変な方向に曲がった足とその他の内部損傷がどの程度かは不明だ。


「力ずくでやっちゃうと後々問題じゃないの?」

「この状況が既に問題だ。今さらどうやったところで処罰は免れない」


 接近してきていた男から風を使って身体を浮かし、五階建てくらいの建物の上に着地。

 ふわりと音も無く舞い上がる男の姿に手強いどころじゃないなと感想を抱いていると、残っていた風の壁にビシバシと何かがぶつかる音がした。


「おたく最初っからそれだよね。問答無用とばかりに攻撃してきてさ」

「交わすべき言葉など無い」

「言葉は交わさなければならないから在るんじゃなくて、交わしたい何かが在るから発達したとか思わない?」

「――貴様には在るのか」


 一瞬開いた間に、俺は苦笑した。


「無けりゃ来てないって。要件はもう言ったと思うんだけど」


 立て続けに何かを弾いていた風が壊れ、俺はバックステップで後方に下がりつつ身体を沈める。沈めた頭の上を風が吹き抜け、後方にあった壁を破壊した。


「見えているのか」

「見えてはないよ。何となく感じてるだけ。それよりおたく、何がしたいの?」


 俺の前方、手すりっぽいところに降りた男に問うてみる。


「貴様を――」

「本気で殺す気あるの?

 その気があれば確実に俺を殺せただろ。機会だっていくらでもあった」


 腹のそこに暴れるものを押し込めて、努めて理性を働かせる。俺がここに来たのは目的があるからで、それは目の前の男に襲いかかる事ではない。

 口元に緩い笑みを浮かべ、今まで不自然に感じていた事を男の前へ並べる。

 

「変なんだよね……あの時俺を見逃したのも、封印だけして放置したのも、約束やぶって外出たのに何も無かったのも、レースを連れ戻さなかったのも、ここへ来て一切音が聴こえなくなったのも」


 男は腰にあった剣を抜き、俺に向けた。


「私が憎くはないのか」

「論点が違う。俺の感情は問題じゃないんだよ。

 だいたいさ、それ何? (それ)があんたの得物なの? 違うだろ」


 足の運び、重心の落ち着き、それに対する剣の扱いが不自然な程適当だ。

 まるで俺がそうであるように見かけ倒しにしか見えない。そんな物を向けられて本気だとは到底思えないわけだが、男は答える気が無いのかそのまま踏み込んできた。

 俺はその突きを右手で逸らし、くるりと身体を反転させて飛び来る不可視の力を左手に集めてもらった風を解放して流す。


「っていうか、奥さんが人を集めてこういう状況を作り出してるのも黙認したんだよな?」


 至近距離で問えば、頬が微かに動いた。

 俺は距離を取り、追撃してくる力――たぶん真空派を新たな風で防ぐ。ついでに壊れかけの手すりを踏み壊して振り下ろされた剣を受け止め、L字になった方へと傾け流すと同時に握った柄の方を側頭部へと叩きこむ。

 よろけた男にもういっちょと回転加えた横薙ぎを入れようとして、左右から飛んできた真空派に止む無く後退。

 相手に打撃を加える場合、風の壁も壊れてしまうため不便だ。


「随分と、変則的なものを使う……」

(これ)に似た得物しか使えなかったんだよ。おたくのおかげで」


 筋力も体力も無い状態で唯一使えたのがあれだったのだから仕方がない。いかに突っ込みを入れても形が変わる事はないのだから、もうそれに慣れるしかなかった。棒のように扱えば先っちょに伸びる鎌の部分が邪魔してくれるし、かといって鎌の部分を有効に扱おうと思うと型が限定されて使いにくい事この上ない。おまけに死神だとか不服極まりない仇名を付けられてしまって本当にもう勘弁だ。


「つーか、どんだけ頑丈なんだよ……」


 結構強く叩いたのに血の一つ、痣の一つもなく姿勢を直す男に俺はため息を付きそうになった。


「魔導師はこんなものだ」


 ふわりと足の動き無く接近した男は次の瞬間には強い踏み込みで剣を振り下ろしていた。早く、重そうな一撃に正面から受け止める事は困難と反射的に左手を得物から手放し添えて振り下ろされる剣の腹を叩くように突き上げた。

 ガキッと耳障りな音を立てて剣は斜めにした得物を削り滑るが、すぐに押す力のベクトルが横に変わって競り合いになる。俺はそれに逆らわず地を蹴って身体を浮かし、剣を得物で押さえつけるようにしながら下半身を回転させて飛び越え、着地と同時に上半身を捻り戻して体勢を崩した男の剣を掬い飛ばし、喉元に得物を突き付けた。


「そんなもんすか。で、どれか一つにでも答えてくれない?」


 男は俺が突き付けた得物を見て、それからまた俺を見て、溜息をついた。

 溜息つきたいのこっちだからと、ちゃちゃを入れるとこじれそうなので我慢。


「お前は……父親にそっくりだな」

「興味そそられる話題ではあるけど、今はそれより教えて欲しいんだよ。

 俺は何をさせられてるんだ?」


 厭うばかりだった男の表情が、少しだけ揺れた。

 変だ変だとは思っていた。どうしても男の手のひらで踊らされている感じがする。確証など何一つ得られなかったが、この反応だけで十分だろう。そもそも情報が無い俺が切れる札はこれしかない。


「俺を生かす事に意味があり、あんたの目的に必要な事があるのなら、俺は協力するよ」


 むろん、その対価として見逃してもらう事は絶対条件だが。


 目を見開いた男は、だがすぐに顔を歪めて吐き捨てた。


「何もわかっていない」


 「だから聞いてるんだろうが」と返そうとした瞬間、俺の身体は地面に叩きつけられた。


「……っ」


 起き上がろうとしても全身を押さえつける重みにままならず、どうにか得物を軸に身体を起こす。風は一切感じない。感じるのは万遍なく広がる何かの気配。


 ……重力操作?


 寝っころがっている時は息苦しさ程度で済んだが、身体を起こすと猛烈に気持ち悪い。内臓が全部下にひっぱられているようで、果てしなく気持ち悪い。ついでに視界が掠れて砂嵐のような耳鳴りまでしてきた。貧血の症状だ。


「お前が生き延びる道など在りはしない」


 絶不調の俺に男は言い、無造作に拾い上げた剣を投げてきた。

 かろうじて得物でバランスを取っているため、打ち払えない。


「eesmine tuul」


 ぶっちゃけ、風を圧縮しているだけのそれに個体に対する強度は然程無い。癖で風をお願いしたものの、こりゃ転がった方がいいなと即座に片足を引いて倒れ込む。

 重しがある状態で腹からダイブするのも怖いので仰向けになるように身体を捻って衝撃を逃す。頭は必至で持ち上げたが、首がぐぎっとなりそうで結局後頭部をぶつけた。ちょっと、いや、かなり痛いが致命傷よりはましなのでそのまま倒れた勢いを利用してうつ伏せに転がり根性入れて視線を男へと向けた。が、剣を投げた男は何でか動揺して目を見開いて俺を見ている。

 何だ? と思ったところで圧迫が消え、俺は警戒しながらすぐに動けるように起き上がり、気付いた。男は俺を見ていない。微妙にその視線が左にずれている。丁度先ほどまで俺が居た所に。

 そこまで考えてほんの少し顔を横に動かして、俺は有り得ないものを見て固まった。


 深々と腹に剣を突き刺している――少年。


「にじゅう……です、か」


 少年の声が耳を通り過ぎる。

 状況が全く理解出来い。


 少年はかはっと血を吐くと、あろうことか腹に刺さった剣を自分で引き抜いた。


「抜くな!」


 思わず叫んだ俺に少年は顔をこちらに向けて、小さく笑った。その腹からはとめどなく血が溢れ、白い建物を赤く染めだしていた。

 腹を押さえて崩れる少年の身体をとっさに支え、極力振動を与えない様に寝かせる。


「なんでこんなとこに」


 上ずっている自分の声をどこか遠いものとして感じながら、何で自分の手が震えているのか理解出来ないまま外套を割いて腹に巻く。けれどすぐに赤く染まり巻けども巻けども止めどなく溢れる赤に、心臓が引き攣ったような鼓動を打って視界が狭まる。

 カルマに教えられた治癒に近い精霊の力を願うも、外傷にはさして効果が無いと聞いていた通りで、どんどん少年の顔色が悪くなっていく。


「ミ…ァ」


 停止しかかった思考が、名を呼ばれ手を握られて強制的に引き戻された。

 赤く染まった手で俺の手を掴んだ少年は、血の気が失せた顔で俺を見ていた。


「……すこ……し、休む…だけ……だぃ…じょ………」


 言いたい事が言えたというように少年は淡く微笑み、その手から力が抜けた。

亀更新ですみません。

あと二話ぐらいでこの章は終わります。

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