第百九話 嘘つきー!
前話に文章追加しています。
「あのさー」
「なにー?」
「気の所為かなぁって思ってたんだけどさー」
「うん?」
「すんげー遠回りしてるよなー」
「うん。たぶん。長様は半年は返ってこないから、こういう道なんだと思う」
「まさか半年こんな感じだったり?」
「わかんないけど……もう近いと思う」
「わかんないけど近いんだ」
「うん」
「なら頑張りますか」
「うん!」
出会った頃よりも流暢に話すレース。
最初に感じた幼さは一種の訛りのようなものだったらしく、俺と話す内にだんだんと消えていった。
逆に里の者から聞けば訛ってしまったのだろうが、俺が訛りを把握してないので突っ込んだところでどーしょーもない。
いつもどーり元気よく応えてくれたレースに励まされ、足を進める。
かれこれ一ヶ月は歩きっぱなし。
体感だが一日十二、三時間は歩いて平地なら五十キロ、足場の悪い雑木林や山の中だと四十キロ、山脈に入ってからはそこからさらに若干ペースが鈍っている程度の距離を稼いでいる。軽く見積もっても総距離千キロ超えてる。東京から出発して大阪着いて引き返して東京着いちゃって行き過ぎて千葉まで行ってるぐらい歩いてる。
普通の旅人がこれだけの距離を稼ぐ事はたぶん無い。俺とレースの足が異様に強いから出せる速度だと思うが、それでも着かないのか、まだ。と思ってしまう。
現在進行形でその距離が伸びているのが、また何とも嫌な状況だ。
こんだけ時間掛かってたら戻っても見つけ出すの大変だろうなぁ……どうせ都に留まってやいないだろうし……つーか、セントバルナに居るかどうかも怪しいよな? あぁ~……何で隠れ里っつーのは面倒なとこに……いや、だからこそ隠れなんだろうけど、もうちょい便利なとこに居ろよ……
ぐちぐち情けない事を考えるのも両手で数えられない回数に昇っている。
口に出して言わないのはそこはそれ、ちっちゃいプライドというわけでもなく当然レースが居るからで。さすがに住人の目の前で文句なんか言える神経を持っていない。俺の神経は全俺一致で極細だ。生粋の小心者だ。
吹きすさぶ白を横目に、厚く積もった雪の上を踏みしめる。
風の膜を辺りに張っていなければまず歩けない――歩く気にならない吹雪の中、道を失わずに進めるのは前を行く頼もしい小さな背があるからだが……
何でも有りだなぁ~とは常日頃思っていた事だけど、半分加担してる俺だからそこに突っ込むのは変だけど、でも猛吹雪の中を問題なく歩くって異常だよ。異常だよね?
真っ白吹雪に包まれて全力前進続けて六日とか「まだか」と口に出したくもなる。有り得ない速度で突き進む俺に愚痴の一つ零さないレースの方がおかしい。まぁおかしいといえばレースだけに当てはまる事でもなく、総じてこの世界の人間はいい神経の持ち主ばかりだ。おっちゃんもグランもおっさんも姉御もレライもフェリアもクロクロも、少年も……挙げれば限が無い。
超人しか居ないのか。ここには。
「そういえばさ」
「んー?」
長旅で俺に慣れきったレースが生返事を返してくる。
「高山病になるかと思ってたけど、レースは頭とか痛くない?」
「こうざんびょ……う? って何?」
「酸素濃度が薄いところで発症する症状なんだが……あーそもそもこの世界って酸素があるかどうかもわかんないか。エネルギーを取り出す機構も元もわかんねーし……『人体の構造』で見た感じから言ってそう違っては無いと思うけど細かいとこなんてなぁ……」
「病気?」
「いや、症状。身体活動に必要なエネルギー供給が出来ない状態が継続した時の症状。結構ペース早かったから、なるかもしれないと思ってたんだよ」
「んー……?」
「全力疾走したら息が切れるだろ?」
「うん」
「息が切れてるのは酸素……か、どうかはわかんないか。えーと……息ってのは大気中から必要な物質を取り込むためにしてるんだよ。で、走ったりすると息が切れるのは、もっとその物質が必要で、一生懸命取り込もうとしてる状態。喉が渇いて水を飲むのと一緒で。おけ?」
「オケ」
俺の言葉を真似てコクンと頷くレース。
こっちに無い単語を真似るものだから最初は焦ったが、そんなに拙い意味合いでも無いしいっかと放置している。
「そんでね、高い所、ちょうどこの山脈とかだとその必要な物質が地上よりも少ないかもしれないって思ってたんだよ。通常よりもすくない物質量だとすぐに息が切れちゃって、それが続くと頭痛とか吐き気とか、そういう症状が出るの」
「へぇ……でも、あたしもみんなもそういう事は無かったよ」
「環境に身体が適応してるからかもな」
「ミアは?」
「俺は……だよなぁ。レースより俺の方がなる確率高いよなぁ。何にも無いけど」
やっぱ構造が違う?
臓器や外見的特徴が似ていても機能が違うのは十分考えられる。と言っても、心臓が肝臓の役割してるとか膵臓が腎臓の役割してるとかは無かったと思う。人体の構造という本がどれ程信憑性があるかは分からないが、あの精密な図から言って全く違うなんて事はないだろう。
構造と言えば――
「あ」
「お?」
レースが声を挙げ、そちらを見ると前方がぽっかりと白が取れていた。
見えるのはうっそりとした、緑。非常にびっちりとした、濃密この上ない、緑。俺の背丈を遥かに超えてそびえ立つ不自然な群集は、異様を通り越して拒絶を明確に具現化させた壁そのもの。
……おいおいおいおい。ここ高山地帯じゃないんですか。何でびっしり背が高い木が生えてんだよ。灌木どこ行った。今まであった白銀の世界ガン無視か。標高なんぞクソくらえか。
呆気にとられて突っ込んでたらスタスタ深い森の中へと入っていこうとするレース。
「あ、レース」
慌てて腕を掴んだ拍子に俺もザ・緑の中へと突入。
ぶっとい幹の間から滑り込むように入った瞬間、緩んだ風の膜からぶわっと香る植物の匂いにちょっと咽そうになった。
「なに?」
「えっとー……」
「ミア?」
「あー……どっちだろ?」
「?」
いや、その。俺と居た方が安全か、俺と居ない方が安全か。どちらなのだろうかと。
長しか外に出ないって事は、外に出したくないって事だと思うわけだよ。でもって外に出ちゃったレースはまぁ怒られるのだと思うけど、怒られる程度で済むのかな? と、道中思ったりしていたわけで。
「里ってこの樹海もどきの中?」
「うん。あとちょっとだよ。ここからなら分かる。ミンナが教えてくれる。こっち」
俺の手を引っ張って駆けだすレースがあんまりにも嬉しげで、明確な答えを出せない俺は引き摺られる。
「あのー。レースさん」
「うん?」
「どちらに?」
「里だよ。皆に早く会わせないと」
俺を。ですか。
「いやぁその前にレースはご両親に謝った方が」
「じゃあ家に先に行く。父さんも母さんもびっくりするだろうなぁ」
ふふふふとこっちを振り向きもせず笑うレース。
完全にハイになってる。怒られるぞと脅してきたのに全く気にしてない。どんだけ神経太いんだよお前は。俺ならびくびくしてうねうね迂回ルートをあーだこーだ言い訳考えながら辿るぞ。
レースの手を振り払おうかとも思ったが、密集した大小様々な幹や蔦、雑木がまるでこちらを避けるように動いているような気がして離したらたどり着けないと直感。途中から諦めた。
防寒の為に二重にしていたマントを外して腰にひっかけ、ハイのままのレースも暑いだろと言って一旦停止させ軽装にして進んだ。
「あった! ウンモ!」
前を突き進むレースが飛びついたのは、箱だった。
周りよりも幾分太い幹に埋もれるようにしてあった黒い無機質な箱。光沢はなく、かといって木箱やらコンテナのような鉄製品のような見た目でも無い怪しさ満載の箱。大きさは忘れ久しい電話ボックスサイズ。
レースはくるりとこちらを振り向くと、笑ってパカリと箱を開いて俺を押し込め自分も狭いその中に入って来た。
「あの……レースさん?」
連想していた電話ボックスのように中に入ってしまったが、真っ暗闇に俺は顔を引き攣らせた。
「大丈夫。『レース・アーニャが望む。零七へ飛ばせ』」
一瞬、下に引っ張られるような奇妙な感覚がした。
それに戸惑う暇もなくレースは箱を開いたようで暗闇に光が溢れ目が眩む。
「次はこっち。あと二つ経由しないと」
困惑というか混乱のままの俺を引っ張り進むレース。
俺は目を瞬かせながら振り向いて箱を見る。見た目、黒い箱。材質不明。
……魔術具?
周りが樹木しかないから自信無いが、先ほどまで居た場所と違う。
つまり、箱に入ったところと出たところが違う。
「まさかのテレポート?」
「てれ? あれは移動に使うウンモだよ」
「さっき箱に入った場所と違うよな?」
「うん。そういうものだから。離れた場所に飛ばしてくれるの。便利でしょ?」
便利過ぎですお嬢さん。
そしてさらなる懸念に俺の心臓が駆け足です。
頭の中を駆け巡る可能性の嵐に涙目になりつつ、それでもついていく。行かないと話になんないのは確かだから。
「あった、はい」
二つ目の箱を見つけて開いてくれるレース。俺は大人しく中に入り、レースも続いて閉じる。
「『レース・アーニャが望む。一四へ飛ばせ』」
レースの言葉の後、下に引っ張られるあの感覚がしてすぐに止む。
開けられた箱から出て、俺は立ちすくんだ。
「…………」
「えへへ~ これが里だよ。綺麗でしょ?」
絶句した俺の横に立って街を見下ろしレースは無邪気に笑って言った。
白磁……翡翠……なんと例えればいいのか。
眼前に広がるのは立派な『街』の姿。
この世界で挙げられるような建造物ではない、俺が覚えているものに近い建造物で形造られた街。
道ではなく道路。
木でも切り出した石でもレンガでもない人工の建物。
天も枝葉で覆われたその姿を浮かび上がらせるのは等間隔に並んだ街灯。何もかも白磁から翡翠のグラデーションに染め抜かれたそれらをぼんやりとした淡い光で色づけている。
全てが全て俺の知る形ではなく建物も高層ビル群よりかは背が低い。材質は言うまでも無く黒い箱同様不明で、少なくともコンクリートではない。
が、それが一キロはあろうかという広さで広がっているこの光景は俺の思考を圧倒するには十分だった。
――嫌な可能性が膨らむのも、十分だった。
「今更ながら帰りてー……」
絶縁宣言した身でどこに帰るのとかいう突っ込みは無しで、本心が零れる。
「行くよ?」
「あぁ……って!」
手を引かれて踏み出した先、足元には何も無かった。瞬間的にレースを引き寄せ身を硬くした俺に、レースはくすくすと笑った。
よく見ればガラスのような半透明の板に足をつけている。視線を巡らせば俺達を包むように楕円状の透明なそれがあった。
落ち着いて観察すればまるでというか、まるきりエレベーター。俺達はゆっくりと地上へと降ろされていた。見上げれば高い樹の天辺あたりにあの黒い箱がある。
「ウンモは安全なんだよ。だから大丈夫」
半透明の何かを触って確かめていた俺に、レースが自慢げに話す。
「……昔はね、もっと綺麗だったんだって」
「昔?」
「うんとうんと昔。もっと広くてどこまでも続いていて、いっぱい人が居て……でも一晩で壊れちゃったって」
「壊れたって、街が?」
「うん」
「……今よりも広かったのか」
「そう聞いてる。ここだけが残ったって」
「何で壊れたの?」
「分かんない」
「そっか」
段々と下に下がる景色を眺めながら、我ながら呑気な会話をしているものだと思う。
奴さんの懐に入っているも同然のこの状況で、どうして接触してこないのか。何かを企んでいるのか。罠でも張っているのか。
わざわざ罠を張る理由も思いつかないけど……
「なぁレース。長の居場所はどこか分かるか?」
「長様? それならあそこだと思うよ」
レースが指さしたのは街の中央、翡翠の色が濃くなっている背の高い建物。
「こっから歩いて行ける?」
「行けない事は無いけど……でも止められないかな? ミアは承認されてないから」
「承認?」
「生まれた時にウンモが使えるように承認してもらうの。そうじゃないと移動のウンモとか使えないよ?」
「って事はセキュリティみたいなもんに引っかかるのか?」
「せ、きゅ?」
「あー……安全装置? 防犯装置? 侵入者撃退? 承認されてない者を建物に入れないようにするとか、そういう機能があるのか?」
「あ、そう。うん。長様のとこには父さんとか限られた人しか入れないの。近くまでなら行けると思うし、ミンナにお願いすれば入れない事も無いと思うけど……」
無理矢理やれば向こうの警戒レベルも上がるか……どうしたもんかね。こりゃ。
「父さんに言えば連れて行ってくれるよ」
「んー」
無い……だろうねぇ。
限られた人間しか入れないなら、限られた人間ってのは長に近い人間だろう。近いとなれば俺の事を知っている可能性が高い。となれば排除はあれども引き入れるという行為は無い。
「まぁとりあえず行ってみるよ。レースは家に戻れるよな?」
「う、うん」
下降が止まり、硬質な白磁色の道に俺は降りた。
「じゃあここでお別れ」
「え?」
「俺も用事があってね。一人で帰れるだろ?」
「まって、父さんに言えば」
「そしたら明日になるだろ。レースを叱んなきゃならないんだから」
「それは……え、と」
俺は言葉を探してるレースに背を向けてひらひらと手を振った。
ら、目の前に男が居て固まった。
レースと同じ、鮮やかな緑を持つ男は俺を見降ろしたまま動かない。
どうやら男も驚いているのか固まっている風であるので、ここは逃亡一択。
じりっと足を引いた瞬間――
「父さん!?」
後ろから挙がった声に男が動いた。
下がりかけた俺を追うように前に出た男はその手を伸ばす。手の先は俺の腕で、咄嗟に手首の回転で払った。
「eesmine tuul!」
叫んだ瞬間、前方から風が俺に向かって叩きつけられ、地面を蹴ってそれに乗り後退。距離を取る。
「レース、この方は!?」
男はレースに掴みかかり、レースは身を竦ませて叫ぶように答えた。
「ミア! 先代様のご子息様のミア!」
「なっ!」
目をかっぴらいてこちらを見てくる男に、俺は返しかけた踵を止めた。
「おっさん。レース痛がってるから。力み過ぎだから」
男はハッしたようにレースを見て、泣きそうなレースに慌てて手を離した。
「すまない!」
その様子に、たぶんレースは大丈夫だろうと判断して今度こそ逃亡を図る。
「あ、待ちなさい!」
踵を返して猛ダッシュを開始した俺。
ふははは。逃げ足だけは誰にも負けんよ。
とか痛い事を考えてたら、文字通りの黒い箱から出てきた男に先回りされた。
「待ってくれ、落ち着いて! お願いだから話を!」
俺は分が悪いなと思いながら距離を測る。
「エルフルト様の子とは本当なのか!?」
なんだかものすごい必死だ。
どちらかというと憎悪とか怒りとかそっちとは逆の方向で必死な感じだ。
長の所に入れるからてっきりあちらさんと同じ意識なのかと思っていたのだが、何やら違う模様に俺も戸惑う。
「すんませんけど。俺、おとんの事は知らないんですよ」
「知らない……?」
あ、レースと同じ反応。
「うっすらとおかんの記憶しかありません」
「母……外の人間……」
「敵対する意思が無ければこれで」
目は外さないように軽く頭を下げる。
「待って!」
男が一歩踏み出すより早く、俺は風を起こし上へと飛んだ。
「ミア、上は駄目!」
こちらに駆けて来ていたレースの叫んだ内容に疑問符を浮かべる間も無く衝撃が身体を貫いた。
「っ!」
用意していた言葉を口に出来ず、落ちる感覚に受け身を取ろうとするが身体は痺れたように動かなかった。
どん。と、何かにぶつかってもビリビリとした痛みが身体に残っていて呻き声を耐えるだけしか出来ない。
「ご無事ですか!?」
耳元で叫ばれ、俺はどうにかこうにか身体を動かす。
「無理をなさらないで! レース! 母さんに言って部屋を用意してきなさい!」
「はい!」
身体を持ち上げられる感覚に俺はぎょっとした。
痛いの忘れて顔挙げたら至近距離に男の顔があって、所謂姫抱きされていた。
の……ノーーーーー!!!
待て! おいこら離せ! っだ! いだだだだだだだ!
男の手から逃れようと力を入れた瞬間、麻酔無しに歯を削られるような痛みに襲われた。それも全身。
え!? 何この痛いの!? めっちゃ痛いんですけどっ!?
それでも死ぬよりましだと男にガン飛ばしながら口を開こうとしたら、
「お願いです。動かないで。神経に傷がつきます」
大の男が涙目で訴えてくるという非情に理解に困る現象に遭遇してしまった。
てか、神経に傷がつく……?
……え? もしやさっきのって……電撃系……とか?
それならばしびれが残るのも頷けるが、別に焦げ臭さとかは感じない。雷に打たれる場合相当な熱量を身に浴びるので火傷をしそうな気がするのだが、身に負った衝撃の割にはそういうものが無さそうな気配。
となると、単純にそういう効果を持った技術?
なにそれコワイ。レース安全だって言ってたじゃん。泣くぞ。まじ泣くぞ。
本気でその手のものが無いとは思って無かったが、まさか対空に対しての防御というか対応が為されていたのは想定外。甘かった。そして余裕ぶっこき過ぎた。
一先ず男はこちらを助けてくれる雰囲気が十割超えしているので、動けそうになるまで黙って様子を見よう。というか、それしか出来ない。
男は俺を抱えたままダッシュして近くの黒い箱に入った。
「『ヒルト・アーニャが望む。三零九へ飛ばせ』」