第百八話 動乱の予兆
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入り始めた客を何となしに眺めていると、広げた索敵の中で気になる動きをしている者が居た。
それなりの広さがあるこの都は、巡回している兵もそれなりに多い。彼らは決まったルートを辿る為、群衆の中にあっても少し観察していれば特定しやすい。逆に群衆は個人を特定し難く、会ったことがない対象一人を見つけ出す事は困難を極める。ただし、その群衆の中でも見分けられる相手が存在する。
戦士と魔術師、そして影の者。戦士と影の者は足。魔術師は腕と手に癖が出る。戦士だから魔術師だからと注視するわけではないけれど、そういう相手がどの程度の距離に居るのか把握するのは僕の癖であり、それで難を逃れた事も数知れない。
顔を軽く伏せて居たガーラントに声を掛けようとすると、視線が既にこちらに向けられていた。
「リダリオス様……ではないですね。白の民?」
微かに赤くなった目元を細め、視線を店の者へ流すガーラント。
先程までの堪えるような雰囲気はなく意識は外へと向けられている。誰かと同じで切り替えが早いのだろう。
いや……彼に似ているのではなくて彼が似ているのか。
年齢的にそちらが正しいのだろうなとこの場においてあまり意味の無い事を考えている自分は、意外と余裕を取り戻しているらしい。
それはともかく、目の前の相手からは索敵を使っている様子は見受けられない。どちらかの腕を庇う魔術師の癖も無い。魔術よりも魔導の素質があると言うのなら、僕よりも索敵に長けているとはあまり思えないので順当に考えれば――
「精霊ですか?」
「いいえ。彼らの言葉は曖昧ですし、あまり聞き取れないのですよ。それと私達はどちらかと言うと声というより彼らの纏う空気を感じているので明確に情報を引き出す事は不得手です」
そうえばキルミヤに惹き寄せられた精霊は驚くほど声を届けて来たが、あそこまで声を届けて来るのも稀な気がする。僕の周囲に精霊が寄らない事も合わせればさすが緑の民の血を引くだけはあると言ったところかもしれない。
でも精霊でないとすると。
「魔術を使えたのですか」
それもかなり高度だ。
「いいえ」
ほとんど確信して言った言葉が否定され、束の間、詰まった。
「……魔導でも魔術でもない?」
ガーラントは間違いなく目の前に居る。席を立ったとか気になる動きをしたとかそういう事はない。どうして外の、それもまだかなり離れている相手に気付いたのか訝しむと、また少年のように笑った。
「パージェスの家族は意外と多くて、よく助けてもらうんですよ。私個人は大して役に立ちません」
役に立たないというのは、満面の笑みを湛えて自信満々に言う事だろうか?
彼に協力者が居る事も脇に置いて、真っ先にそれが浮かんだ。相当気が抜けている自覚をしなければと思う。思うのだけれど、頭を掻いて笑う姿に思った傍から気が削がれそうになり、何とか気持ちを立て直して気になる部分を尋ねてみる。
「貴方の他にも『過去』を知っている者が居るのですか?」
「どうでしょう?」
「どうでしょうって……」
「ある程度は知っている筈ですが、それぞれどこまで伝わっているのかは私も知りません」
「…………何故」
「何故と言われても態々確かめる必要もないので」
だから、何故。
広めては危険な知識だと自覚しているのに、どうしてそれを他の者にも当てはめないのか。
「私よりも詳しい者が居るかもしれませんね」
そういう怖い事は笑って言わないで欲しい。
「まぁ…そういう知識が流れれば自ずと耳に入りますから。今の所そういう話を聞いた事もありませんし皆自覚していると思います。大丈夫ですよきっと」
気楽に言ってくれるガーラント。
なんとも適当過ぎるというか、独特な感性というか。
「……貴方は間違いなく彼の血縁者ですね」
「はい?」
ため息交じりに呟いた言葉を聞き返され、首を横に振る。
取りあえずその家族という彼の協力者は後で調べよう。カルマに知られないように。
「それはともかく白の民と諍いでも?」
「諍い?」
「いえ、かなりの人数がこの都で人探しをしているようで――移動しましょう。歩けますか?」
途中で切られた言葉の先はあまり聞きたくなかった。
カルマに足止めをお願いした記憶がごく最近ある。カルマが楽しそうな顔をしていた記憶も、ある。
僕としては白の民にキルミヤと僕が関わっている姿を見られたくなくて足止めをお願いしたのだけれど、焦っていたとはいえやり方を間違えた感が否めない。白の民の事をすっかり忘れていた僕が思うのもどうかと思うが。
とにかくガーラントが居る今もまだ接触するわけにはいかない。近づきつつある気配がこちらを認識していない事をしかと確かめ席を立つ。
「問題ありません」
思ったよりも力強く肯定してしまうと、ガーラントは僕と白の民で何かあったと確信したのか席を立って表ではなく調理場へと入った。
最初に知り合いの店と言ったのは本当なようで、調理場に居た若い男はガーラントに軽く手を上げて気さくに挨拶をし、ガーラントもそれに軽く返していた。
「薄々そうかと思っていましたが、白の民は貴方の事を知らないようですね」
「僕らは誰にも話してはいませんでしたから」
というか、僕も計画については最後の最後で知った。
裏口から出て影になっている狭い路地を縫うように進むガーラント。
「そうなのでしょうが、と」
ガーラントは服を掴み引き止めた僕を振り返った。
「進行方向から来ています。少しじっとしていてください」
僕一人向こうの索敵を逃れても路地に立ち止まるガーラントが悟られては意味が無い。そう思い彼も含めて索敵を誤魔化すよう手を横に切ろうとして、止められた。
「すみませんが壁に張り付いてもらえますか?」
言いながらガーラント自身がぴったりと背中を民家の壁に付けていた。
考えがあるのだろうと思って言われた通りするが、それ以上何もしない。
……これ、完全に不審者の行動なんだけど。
索敵を使い慣れた者なら、こういう動きをする相手は動く相手よりも注意を引かれる。こっそりと手を動かそうとしたら腕を掴まれた。
っ……
何もしていなければ痛みも無いが強く握られると少し痛い。
一瞬身体が強張ったのに気付かれたのか、直ぐに手を離され視線が腕に注がれた。
「怪我?」
「ほぼ治っています」
囁くように問われ、こちらも小声で返す。
「申し訳ありません。今『隠れて』いるので大丈夫です。力を使わないでください」
まぁ壁にぴったりと張り付いて表の通りからは見えない位置には居るけれど、それで隠れている事には………
「……『隠れんぼ』?」
近づいていた気配が、こちらに気付いた様子は無い。こんな物陰でじっとしているのに。しかも壁に張り付いているというおかしな恰好をしているというのに。
「真似事です」
肯定に、素質があると聞いてはいたが驚いた。
緑の民の少女が歌でその力を導いていたが、あれは本来の姿ではない。同調力を封じられていたキルミヤも言葉を用いて力を導いていたが、それも本来とは違う。
本来の魔導は言葉も動きも必要としない。強いて言えばその心だけで力を導く者が、魔導師。
本物に出会ったのは、どれ程ぶりか。
気配が遠ざかり、僕が壁から背を離すとガーラントは口をひらいた。
「行きましたか?」
「離れただけだと思います……北東へと移動しているのでそちらに行かなければ」
「……リダリオス様の屋敷が一番安全だったかもしれませんね」
こちらを見てすまなそうに言うので、僕は筋違いだと首を振って否定した。
「そうかもしれませんが貴方にしてみればこうしている時も惜しいのでしょう? 僕の所在が掴めている内に接触したかったでしょうし、彼らの事については僕の自業自得なので気にしていません。むしろ貴方に迷惑を掛けてしまって申し訳なく思います」
ガーラントは目を瞠って僕を見た。
けれどすぐに落ち着きを取り戻すと「いいえ」と言って歩き出した。
再び人が行き交う通りへ戻ると、日が随分と傾き夕暮れ手前である事に気付く。人の影も長く、足取りは家路へと急いでいるのか早い。今から王都の外へと出るのは目立ちやすいが、夜の移動も慣れているので一旦出てしまえば後は撒けるだろうと思っていると、たどり着いたのは小さな宿だった。
ここも『知り合い』なのか、大柄な主人はガーラント見るなり部屋はあると言って僕らを中に入れると入口になるドアを閉め、すり抜けざまにガーラントの手に小さな紙を握らせていた。
ガーラントは僕を気にせず紙を広げて目を通すが、主人の方は怪訝そうな顔をして僕とガーラントを見比べていた。
「家族か? ケルト」
「そんなところだね。それよりこれ、確率はどの程度だい?」
「さてな。ノーバは六割強だとさ」
「それは困ったね」
「困ったなんてもんじゃねぇよ!」
「リィツまで回っているかい?」
「ナルクが飛んでる。明日には回りきると思うが」
「う~ん。ぎりぎり……かもしれないね」
「どうする?」
「これまでと同様、各自の判断に任せる。裏口はいつも通り開けているから迷ったらそちらに」
「相変わらず厳しいこって」
「私より皆の方が優秀だからね。頼らせてもらうよ」
「ったく……。おい」
主人に唐突に声を掛けられ、それまでの成り行きに耳を傾けていた僕は目を向けた。
「こいつは人使いが荒いから気を付けろよ」
「はぁ……ありがとうございます」
気遣われたらしいので礼を言うと、主人は頭を掻いて奥へと消えた。
「もう少しゆっくりした方がいいとは承知しておりますが……明日、出発します」
「あ、はい。……あの、聞いても」
「いいですか?」と言う前に「今日はもう寝てください」と遮られた。
真面目な表情が一瞬、真顔のキルミヤと重なって反射的に「はい」と返事してしまった。
どうやらカルマと二人掛かりで「寝ろ」と迫られたのが思いのほか印象に強く残ってしまったらしい。気が付いたら案内された部屋のドアが閉められていた。
一人部屋に佇むと、何だか今日はよく話したなという気持ちになる。こんなに話をしたのは子供の頃以来じゃないだろうか?
随分と眠っていたので、今さら眠気が襲ってくるとも思えなかったが、魔力が回復していない今は身体を休める必要がある。そう思って横になるだけはしようと外套を外し用意されていた水と布で身体を清めていると、眠気が出るのだから身体は正直だ。いろいろとぼんやり考えながら横になっていると、自分でも驚くほどあっさりと眠りに落ちていた。
翌日の目覚めは日が昇る前、いつも通りの時刻だった。
いつも通りではないのは半分意識を残して眠る癖が抜け落ちていた事。意識を残せないのは極端に体力が低下した時や魔力を使い過ぎた時なので、まだそれだけの体力が戻っていなかったのだろうと結論に至る。が、大丈夫だと判断した結果に誤りがあった事実は危険。無理をして死ぬような事になっては顔向け出来ない。
はぁと溜息をつき、手のひらに魔力を集めるよう意識する。
昨日よりは楽に行えた。何もしないでも魔力は回復するが、きちんと食事をして睡眠を取った方が早く回復する。
感触としてはあと一日ゆっくりすれば完全に戻るのではないかと思う。ここまでくれば意識を残さずに眠りこけるような失態は無いだろう。
外套を纏って部屋を出れば、ちょうどガーラントも部屋から出てくるところだった。ただし、その手には紙袋があり僕よりも先に活動していたと思われる。
「おはようございます」
「おはようございます。体調はいかがです?」
「今すぐにでも発てます」
「それは良かった。急がせて申し訳ありませんが、宜しくお願いします」
昨日よりも急いでいる度合が強いように感じられた。
表情や態度は落ち着いている風ではあるが、時折厳しい目をどこかに向けている。
「急いだ方が良いなら急ぎましょう」
そう声を掛けると、申し訳なさそうな顔をしてガーラントは頭を下げた。
そこからすぐに宿を出ると足早に通りを抜けて王都から外へと門を潜った。
白の民と思われる魔術師の気配も無く、あっさりと都を出る事が出来たのはいいが前を行くガーラントは沈黙したままだった。
「道は」
声を掛けると、ガーラントは足を止めて溜息をついた。
「すみません……ちょっと狼狽えていました。
手を貸していただけますか?」
何に狼狽えたというのか、わからないまま差し出された手に自分の手を乗せると、ガーラントは辺りを見回し一点で止めた。
「見失うと面倒なのでこのまま繋いでいてもいいですか?」
構わないと答えると、ガーラントは礼を言って歩き出した。
まるで仲の良い親子のように手を繋いで歩く事に多少の戸惑いはあるが、ガーラントは集中して一点を見ているのでそれほど苦痛でも無い。
「何が見えるのです?」
「はっきりとは見えませんが、女の子が。十歳ぐらいでしょうか。手招きしています」
「女の子……?」
「結界の核に使われた姿だと思います」
いくら目を凝らして見ても、耳を澄ませてみても、何も分からない。
そこに存在していても知る事が出来ないというのは何だか精霊に似ている。
「キルミヤに追いついたら、貴方はそのままセントバルナを離れてください」
「はい?」
意図を量りかねて聞き返すと、ガーラントは今朝見た厳しい表情で答えた。
「セントバルナはあと数日の内に内乱に突入する可能性があります」
「内乱? 安定しているのではないのですか」
寝耳に水の言葉だった。確か今のセントバルナの王は突出した傑物ではないが安定した治世を敷いていた筈。歳は四十程度とまだ若い。
「……今は。陛下がご存命である今はそうですが、次を考えている者達の動きが活発化しています。最悪を考えると、離れていた方が安全です」
数日で内乱に突入するような『最悪』は、一つしか思いつかなかった。
もし本当にそうなってしまえば、セントバルナは間違いなく荒れるだろう。
けれど、
「……その内乱、災厄の種が関わっている可能性は?」
災厄の種は戦禍を引き寄せる。
もし、関わっているのなら国外に出る話は論外。
「セントバルナ国内に災厄の種はありません。先日貴方が破壊した炎獄の貴婦人が最後でした」
きっぱりと言うガーラントに、僕は確信した。
「周辺国に在るのですね?」
「………」
諦めたようにガーラントは息を吐き出し、答えた。
「フーリに一つ。確認しているのはそれだけです」
「『家族』が情報源ですか」
「そうですが、災厄の種と認識はしていません。直感的に危険だと感じて私に教えてくれたのです」
「その方は認識していなくて貴方は認識した……貴方には何か解ったんですね?」
空いている手で頭を掻き、うーんと唸っては「今はまだ」とか「でも不公平ですし」と呟いては悩むガーラント。
言わない選択肢を選んだところで、調べるだけの事。ここで聞かずともフーリに在るという事が分かっただけでも十分だ。
答えが出るまで待っていると「言わない訳にもいかないか」と肩から力を抜かれた。
「後期に生まれた『幻視の恋人』です」
幻視の恋人――確か、精神に影響するタイプの何か。圧倒的戦力兵器が持てはやされた中でこちらのタイプはそう数が多くは無かった。いくつかの系統に分けられていたと思うのだが……
「幻視の恋人の力は無いものを在ると思わせる事。形あるもの無いもの関係なく宿主の望むがままに見せるため、効力を受け付けない体質の者でなければ、まず惑わされます。
また、もう一つの特性に視覚特化があります」
「視覚特化? ……面倒な」
「ええ面倒です。宿主を定めなければ意味を成しませんが、今は宿主を定めています。そしておそらく貴方に気付いています」
足が止まりかけた。
驚いたのは僅か。すぐ後には確かにそうかもしれないと、ある事と繋がった。けれど、繋がった瞬間すうっと身体から血の気が引いて踏み出した筈の足が止まる。
何故バイヤス・グナンがセントバルナの中にまで入って来たのか。
それは白の宝玉相手だからだと思っていたけれど、それがもし本物ではなかったら? 災厄の種の力だったら?
カルマからフーリに動きがあったような話を聞いていない。暗部の頭が潰されても、表に動きが出るとは思わない。けれどもカルマの情報網に何も掛からない程フーリに動揺が見られないのは何を意味している?
あの場で起きた事、居合わせた者全て……全て筒抜け……?
「……まずい」
「大丈夫です」
繋いだ手を強く握られ意識を持って行かれると藍色の瞳とぶつかった。
「キルミヤは今『道』に入っているので気付かれません。他の関係者は手を打っています。貴方の邪魔になるような事はさせません」
「どういう……?」
「キルミヤが息子にフーリの者と一線交えた事を話してくれました。相手がバイヤス・グナンと聞いて表向きの警備強化は息子が、災厄の種の対策は私が手を回しました」
「……対策が取れるのですか?」
「取れるように準備してきたつもりです。疑う気持ちはわかりますが」
すっとガーラントの目が細められた。
「対策が役に立たないとして、貴方一人に全てが救えるのですか?」
静かな瞳に見据えられ、喉の奥で息が止まった。
救える――わけがない。
そんな事は言われるまでも無い。
予想ではなく、それが現実。
僕は一人で、僕の身体は一つで、僕の力には、限界がある。
そして、僕は優先すべき事を、優先する。
キルミヤとそれを天秤に掛けられれば、迷わずキルミヤを切り捨てる。
それが、僕。
出来もしない事を強要するな。ただの偽善だ。
そう諌められて返す言葉など無かった。
「……そんな顔をしないでください。責めているわけではないんです。貴方の所為ではないのですから」
逸らせずにいた瞳が柔らかくなり、背中を叩かれた。
その途端忘れていた息が吐き出され、僕は口を押えた。
ひどく、気持ち悪い。
わかっていた筈なのに、知っていた筈なのに、甘い考えを持とうとする自分に吐き気がした。
誰にも見られなければ?
誰にも知られなければ?
それなら関わっても大丈夫?
はっ。笑える。どうやって誰にも見られていない事を、誰にも知られていない事を確かめるのだ。この世に絶対など無い。完全など有り得ない。そんな事何度も何度も……っ!
「す………」
声が掠れて出ない事に舌打ちをしそうになる。
僕は口から手を外し、握りしめた。
抉られたような痛みを覚える胸は錯覚だ。そんな感情とっくの昔に忘れた。
「すみません。馬鹿な事を聞きました。先を急ぎましょう」
「――はい」
頭が冷えて随分と思考がクリアになった気がする。
緑の民の事は彼らの問題であって僕が関わる事ではない。
感情に惑わされて、そんな当たり前の事も出来なくなっていた自分に心底嫌気が差す。
……ガーラントに道を示し終えたら、フーリに向かいましょう。
この話の前に、時系列的に坊ちゃんとクロクロの話が挟まる予定でした。
が、少年とキルミヤの話を最優先で進める事にしました。主に私の精神衛生的な問題で。
前後しますが、後で彼らの話も入れる予定です。