第百六話 焦燥と動揺
「こんにちは」
出た瞬間、声を掛けられてその場を飛びのく。
咄嗟に構えた短剣の先に居た人物は苦笑いを浮かべて両手をあげていた。
「すみません。焦っているもので」
ガーラント・パージェス。
相対すると、その容貌がよく分かる。背は高く年齢の割には体躯がしっかりとしていて目じりの皺が無ければ、キルミヤの兄と言っても通りそうだ。
ちょっと困ったように眉を下げる笑い方も、そっくりだった。
「貴方は」
「はい。ガーラント・パージェスと申します。カシル・オージン君」
カルマは、僕は行方不明だと言った。が、今ここから出てきてしまった。
「貴方がこの屋敷に居たのは知っていました」
「……人違いです」
素直に認めてはカルマに迷惑を掛けてしまう。
否定すると、ガーラントは肩の力を抜いて手を降ろし疲れたように笑った。そんな顔もそっくりで、妙にざわつく内側を宥める。
「私はリダリオス家に対して願う事はありません。願いは、貴方にです。どうかお願いします、キルミヤを助けるために私に力を貸してください」
深く、深く頭を下げるガーラント。
自分の胸にも届かない背丈の子供を相手に、迷いもせず頭を下げるガーラントから感じられるのは、懇願。
けれど、何故。
何故自分に懇願するのか。調べれば学院で同室だった事も、行方不明になるタイミングが同じだった事もわかるだろう。だが、それだけで自分に願う理由が見当たらない。
先程は道案内と言っていたが、それはこちらが聞きたいぐらいだ。
「私は道を示されない。私が知る限り、今その道を示される可能性があるのは貴方だけなのです」
「その道とは何なのですか」
「帰路です。結界を出た者を迷わず導くために用意された帰り道です」
「帰り道……って、何の」
「あの子は緑の民の隠れ里に向かっていると思います。そこへの道です」
里。やはり、この人は緑の民の事やキルミヤの事情を知っている。
確かにあの緑の民の少女が居るとなればその可能性はあるけれど……
「……申し訳ありませんが、僕は里を知りません」
ガーラントは下げていた頭を上げると、少し安堵したような顔で首を横に振った。
「貴方は緑の里へと行かれた事は無いかもしれません。ですが、結界は貴方に反応します」
「……反応?」
「その前に、一緒に来ていただけると思って宜しいのでしょうか?」
……まず、自分一人ではキルミヤを追う事は出来ないだろう。緑の民の少女の存在がそれを確信に結び付ける。
「本当に僕は知らないのですが、それでも?」
「はい」
浮かんだ笑みに、戸惑いながらも僕は頭を下げた。
「すみません。僕がカシル・オージンで間違いありません」
「有難うございます。では、まず食堂に行きましょう」
「え?」
下げた頭を上げるよりも早く短剣を持ったままの手を取られていた。
「あ、あの! ちょっと!?」
「あぁすみません。これ危ないですね」
「え……え、え??」
するりと短剣を引き抜かれ鞘に戻される。
目で追えない動きではないのに、抵抗出来なかった。
「今は身体が疲弊しているからですよ。常の貴方ならば手を取る事もままならないでしょう」
「常って」
「何なら運んで行きたいぐらいですが」
「は?」
ちらりとこちらを見て、意味深に笑うガーラントに頭が混乱する。何なのだ、この人は。
「それは貴方も嫌でしょうから止めておきます。
とにかく、詳しい事は食事をしながら。貴方の体力が戻らねば始まりません」
「はぁ……」
こちらに笑みを浮かべながらも透けて見える焦燥が、意図して上げようとする警戒すら下げてしまう。
手を取られはしたが、こちらのペースを慮ってかひどくゆっくりとした歩調で、焦っているというわりにはのんびりと食堂に入り僕にメニューを広げて見せる。
「貴方が眠っておられたのは五日です。流動食をお勧めします」
ならば見せる意味はあまり無かったのでは?
そう思いながら野菜のスープを頼み、前に置かれた水を口に入れる。
時間がずれているせいか、食堂の中には人が少なく僕らを含めても五人の客しか居ない。多少込み入った話でもこの距離であれば問題ないだろう。
「まずは我が家の事に貴方を巻き込む事をお詫びいたします」
スッと背筋を正すと、ガーラントは改めて頭を下げてきた。
「それは構いませんが、説明して頂けませんか?」
ガーラントは頭を上げると一つ息を吐き、視線をひたりと僕に合わせた。
時折キルミヤが見せた真剣な目に近い。けれどそれ以上に気迫のある目に、僕の背も伸びた。
「貴方は緑の民を覚えておいでですか?」
「まぁ。精霊に愛された民であれほど有名な……」
……覚えて? 『知っている』のかではなく、『覚えて』いるのか?
僕にその知識が、最古の書よりも遥かに過去の知識があるという前提でこの人は話をしている?
スッと背筋に冷たいものが這い上がる。
「すみません。先に私の話を聞いて頂けますか。その後に疑問にお答えします」
答えかけて途中で止めてしまった僕に、ガーラントは宥めるように手を上げた。
「……分かりました」
ここまできて、聞く以外の選択肢は無い。
頷く僕に、ガーラントは話を始めた。
「既にお気づきの事と思いますが、あの子は緑の民の血を引いています。緑の民では緑の民以外と子を成す事は禁忌とされ、あの子は生まれて直ぐに狙われました。その時は母親が身代わりとなりましたが、数年後に呪いをかけられました」
呪いとは、自身の魔力を使ってさらなる封印を行っていた事だろう。
効果から見れば呪いと称されてもおかしくない。
「緑の民にも禁忌とする理由、そしてあの子に呪いを掛けた理由があります。あの一族は元来そういう性質を纏う者ではありませんから」
まさか、理由をこの人は知っている?
「呪いの一つで手を出さないのならと見ていましたが、何も知らない愚息が緑の民との誓約を破ってしまいました。こちらが約束を破ってしまいましたので、十中八九来るだろうと思っていましたが暫くは何事もなく時だけが流れ……そのまま何もなければ良かったのですが、先日の騒ぎに加えてあの子自身が動き出した為にあちらに動かれ、おそらくあの子も腹をくくったのでしょう。緑の民の者と行動を共にしている事から、里に向かっていると思います。
私としては何も知らないのであれば、知らぬまま平穏に過ごせればとキルミヤに何も話していません。しかし里へ行くというのであれば話は別です」
「知らせるために、キルミヤを追っているのですか?」
「はい」
「止めるため、とかではなく?」
「そのような権利は私にはありません」
「貴方はキルミヤの叔父ですよね?」
「今は養父です。実子と変わりありません」
「そう言われるのなら彼を引き止め、復讐など止めるべきではないのですか?」
コトリと目の前にスープを置かれ、ハッと我に返る。意識が集中し過ぎていた。
あまり大きな声で話してはいなかったが、穏やかな内容ではない。
「問題ありません。ここは知り合いの店ですので」
「知り合い?」
「どうぞ、食べながら聞いてください」
勧められ、湯気の立つスープに木で出来たスプーンを沈めた。
「復讐については、後でお願いします。今はどうやってキルミヤの後を追うかです」
冷ましたスープを口に入れ、そのまま黙って頷く。聞くと言いながら口を挟んでしまった事に多少の謝罪を込めて。
「緑の民の里には、里を出た者に対して帰ってこれるように道を示す機能が付いています。キルミヤは里の者と居ますので、その者が導き手になっているのでしょう。
こちらも里へ入ろうと思うなら、その道が必要となります。つまり、一度里を出たという痕跡を残している者が必要なのです」
「……僕は里に入った事すらありませんが」
「緑の民の里には、です。しかし、貴方はその機能に痕跡を残している筈です」
ガーラントは一度言葉を切り、覚悟を決めるように目を閉じて吐き出した。
「緑の民の里に敷かれたその機能は、元々黒の民の里に敷かれていたものです」
………な…
「最期の時。貴方が結界から出た後に、その機能を緑の民の里へと移動させた者が居ます」
…………
「それは黒の民が、せめて緑の民に休息をと望んだ事でした」
………
青褐色の瞳が、澄んだ目が僕を捉え外さない。
「私は手を貸した者の末裔です」
心臓の音が煩い。無意識にスプーンを持つ手が震えている。
何を、知っている?
どこまで、知っている?
全部?
………ばれた。
ガッ
「待ってください」
立ち上がる前に腕を掴まれ、その腕を手首の回転で振り払いその場にあったフォークで突き刺――せなかった。
屋内なのに、暖かな風が僕を取り巻き椅子へと押し戻していた。
「貴方が最後の黒の民である事は伝え聞いているのです。貴方を支援するために」
「……支援?」
「お願いします。座ってください。疑問には答えますから」
懇願――というより、申し訳ないという顔だった。
「本来であれば、こうして話す事は禁止されています。これは誓約破りです。私は誓約よりもキルミヤを優先させました………すみません」
煩く鳴り響く鼓動。狭まった視界に、思考を投げ出そうとする頭。
警告だけが鳴り響いて、目の前の人物を危険だと訴える。
魔術で吹き飛ばしてでもこの場から離れたい衝動を必死で抑え、僕は極力冷静な声を出した。
「…………話を、全部聞かせてください」