第百話 魔術師の不文律
部屋の主がどちらも居なくなってしまった部屋で、ヴェルダ先生は身じろぎもせずキルミヤが大量に書き残した紙に目を通していた。
「ハンドニクス」
「はい?」
そのままになっている少ない荷物に意識を取られていると呼ばれ、視線を先生に戻すとまだ紙に目を落したままだった。
「これを見て、どうして上級魔術も理解していると思った?」
「え?」
なんでって……
俺は先生の横に並び、断ってから紙を受け取り、それらを机に並べた。
「たぶん、こっちが最初に書いてたんだと。結構線引いて消してますし、属性もぐちゃぐちゃで……。で、こっちがそのあとに纏めたんやと思うんです。こっちを見ると属性ごとにわけてありますし……ええと……どこやったかな……あ、ここや。ここ見たら上級だけの口頭契約が書いてて、そう考えてみると下級から中級、上級ごとに纏めていってるように見えるんです」
「……ハンドニクス」
「はい?」
横に顔を向けると、怖いくらい真剣な目とぶつかって俺はたじろいだ。
「誰かに習ったのか?」
「習ったって……ここで習ってますけど……」
「その前に、誰かに手ほどきを受けた事はないのか?」
「手ほどきって……俺にそないな事してくれるような人なんていませんよ」
お金だって無い。それに、そんな事をしてくれる人がいたらここには来ていない。
俺が視線を外すと、俺の言いたい事を理解したのか先生は小さく「そうか」と言って、また紙に視線を落した。
「……基本四属性の代表的な口頭契約は?」
暫く無言で立ち尽くしていると、ぽつりと先生は言った。
「え?」
「いいから答えてみろ」
視線を落としたままの先生は怒っているようではない。ごく普通に質問され戸惑いつつ俺は答えた。
「は、はぁ……『赤』『青』『緑』『黄』、それと『波動』『やすらぎ』『無束』『基の要』ですか?」
「上位二属性は」
「上位? あぁ『白』『黒』と『集』『還』でおうてます?」
「なら膨爆の口頭契約は」
矢継ぎ早に問われ、俺は何の試験だと思いながら眉を寄せて一生懸命思い出す。
たしか中級魔術の一つだったよな? 属性は火と土やったから……
「えっと……其は波動の素、其は基の要、汝ら集いて………すみません、なんとかと成せだったような」
「膨爆の属性は火と土。効果は着弾爆発だ」
「あ。其は波動の素、其は基の要、汝ら集いて爆と成せですね」
ヒントにぽんと手を打って答えると、ヴェルダ先生は何故か俺の頭に手を置いた。
「ハンドニクス。属性、効果と口頭契約の関係、並びに等級の関係は誰にも話すな」
「……はい?」
「それは、教えてはならない事項になっている。自分で気付く分には問題ないが、その事を他者に教えてはいけない」
「え……え? なんでです? だって関係してるて知ってた方が覚えやすいですよ?」
全ての魔術を覚えようとすると俺の頭では追いつかない。そこから覚えやすいようにと捻りだした覚え方で、丸々覚えようとするより、絶対こっちの方が効率的だと思う。俺が誰かに教えるというような機会が無いというのは別として、効率がいい方法を止めようとする意味が解らなかった。
「禁止しているのはセントバルナではない。魔術師の不文律だからだ」
「どういうことです?」
「己で気付かぬ者に広めると災厄が降りかかると言われている」
「災厄て……迷信ですか?」
まさかその程度の事でと笑おうとしたが、頭に置かれた手が強張っている事に気付いて笑えなかった。
「まさか、ほんまに何か起きるんですか?」
「『遥か高みを望むな 技を極めるな』。セントバルナが興るより以前から魔術師に伝え継がれている事だ。記録には残っていないがセントバルナの前身だった国はそれで滅んでいる」
「ほんま……ですか?」
「……セントバルナには魔導師団が軍とは別に存在しているのは知っているな?」
「それは知ってますけど」
「魔導師団は表向きには魔術に特化した戦闘集団を集めているが、目的は気付いた者を囲う事にある」
軍の中に魔術の部門が作られず今のように王直下で部門が作られたのは、軍という武力を追い求める中に魔術師を置く事で、過ぎた武力を生み出さないようにするため。それが魔術師団が作られたそもそものきっかけだと、先生は言った。
「あの、そないな事を俺が知って大丈夫なんですか……?」
「気付いたからには話さなければならない。まさか一年で伝える事になるとは思わなかったがな」
疲れたように言った先生は俺の頭をかき混ぜると苦笑した。
「ハンドニクスは私に似ている」
「先生に?」
「私も暗記はとんでもなく苦手だ」
「そうなんですか?」
笑って頷く先生を、俺はポカンとして見返した。
最初の実技から、先生は堂々としていて、いかにも魔術師という感じがして、すごい人だと思っていた。そんな人が暗記が苦手だったとは俄かには信じられなくてまじまじと見てしまった。
「だから、私も口頭契約の内容に気付いたんだ。ハンドニクスも努力を怠らなければ魔導師団に入る事になるだろう」
「ほ……ほんまに?」
先生の口から出た言葉に、声が裏返りそうになった。
どれだけ頑張っても手が届かないんじゃないかと思っていた場所に届くかもしれないなんて、幻聴か何かじゃないかと自分の耳を疑ったが、先生は俺の顔を見て笑ったまま頷いた。
「私も一年、二年は成績が悪くて後ろから数えた方が早かった。学院の試験はどこも完全暗記を求めるのが習わしだからな」
「俺……だけど、俺、ハンドニクスです」
「それは関係ない。魔導師団の目的に家は関係ない。
今の魔導師団長は完全暗記型でその辺りは知らないだろうが、王はご存知だからまず問題ない」
「先生……もしかして魔導師団やったんです?」
先生は笑うばかりで答えなかった。だけど、それを見ればそれ以外に無い。
うっわ……すごい人に教わってたんや………うわ、どないしょどないしょてどないもできんけど、でもどないしょ…………うわー……
「ハンドニクスは私でもいいか?」
「いいです!」
すごいすごいと思っていたら、反射的に力いっぱい言っていた。
「あ、すいません。何がです?」
直後に何のことか理解していない事に気付いて慌てて謝ると、何度目かの苦笑を返されてしまった。
「徒弟関係を結ぶ事だ。四年以上は別の教師が付いているが、一年となると目立つ」
「………今やってる講義とは違うんですか?」
「講義は表向きの暗記型指導になる。ハンドニクスの場合は理論型でどこまで理解しているのか確かめる……一種、国の監視だな」
「監視までする程ですか? 俺、そないに知りませんよ?」
「今はな。今後どうなるかという事を含めての徒弟関係だ。私が嫌なら――」
「ぁああ! ヴェルダ先生でいいです! いえ、ヴェルダ先生がいいです!」
「そうか? なら私とだ」
「よろしく」と手を出され、俺は慌てて手のひらをズボンで擦ってからその手を握った。