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第八章 気さくなご令嬢

「おい、起きろ」

 横柄な口調で呼ばれ浦辺が目を覚ますと、牢屋の前で騎士のロイスが立っているのが見えた。

「よく聞け。ディアドロス国王陛下のご令嬢、アイリスさまからお前を連れて来るようにとの命を受けた」

「ご令嬢?」

「我が王国の王女だ。これからお前をそのアイリスさまのいる所まで連れて行くが、スキを見て逃げようなどとは思うな」

「分かっていますが、どうしてご令嬢が?」

「理由は不明だ。だが、ご令嬢の命である以上はおとなしく従ってもらうぞ。…それと、王女からのお誘いだからと言って気を緩めたり、妙な気を起こしたりするなよ」

 と、ロイスは事務的な口調で言ったが、最後は心なしか個人的な感情が含まれているように浦辺は捉えられた。

 前者は、恐らく高瀬を挑発して地下牢から逃げ出そうとしたことに対する警告の意味と解釈出来たが、後者の言葉の真意については掴み兼ねた。

(ご令嬢って、もしかして…)

 浦辺は、ディアドロス国王とエドガー牧師の元へ連れて行かれる途中、廊下で目が合ったドレス姿の若い女性を思い浮かべた。

 彼女がロイスの言っている王女アイリスであろうとなかろうと、どこの馬の骨かも分からないよそ者の自分を呼んだ理由はなんだろう、と浦辺は疑問に思った。

 ロイスが、退屈そうに壁にもたれている高瀬に目で合図を送った。

 高瀬は一瞬、意味を理解し兼ねてボーッとしていたが、ロイスが咳払いすると慌てて持っていたカギを鍵穴に差し込んだ。

 不慣れな手付きでカギを回し、高瀬は牢の扉を開けた。

「出ろ」

 有無を言わせぬロイスに従い、浦辺は牢を出た。

「あの、オレは?」

 と、高瀬が遠慮がちに尋ねた。

「お前はウラベの見張り役だが、今はここにいろ。アイリスさまはこの男にご用があって、お前じゃない」

 ロイスはそう言うと、浦辺を伴って地下牢の廊下を進んだ。背後から高瀬の舌打ちが聞こえ浦辺はヒヤッとしたが、ロイスはなにも聞こえなかったかのように歩を進めた。

 地下牢を出た浦辺は、さっきと同じ絢爛な装飾に彩られた色んな意味でまぶしい廊下を再び歩かされる羽目になった。まだ二度目だが、この光景は何度見ても慣れることはないような気がした。

 ロイスに連れられ、浦辺は見覚えのある二枚扉の前で立ち止まった。

(やっぱり)

 案の定、そこは例のドレス姿の女性が出て来た扉だった。

 この奥に一国を治める国王のご令嬢がいると思った途端、浦辺の全身に緊張が走った。

 黄金に輝くドアノッカーを使ってロイスがノックすると、部屋の中から「どうぞ」というお淑やかな女性の声が聞こえた。

 扉を開いたロイスは一礼してから、浦辺を連れて中へ入った。

 部屋の中では、ディアドロス国王のご令嬢である王女アイリスと、もう一人給仕服に身を包んだ初老の女性が一緒にいた。

 初めてアイリスと目を合わせたとき彼女のそばにいた女中だった。

「お連れしました、アイリスさま」

 と、ロイスがひざまずいてから言った。

 アイリスは座っていたロココ調のイスから立ち上がると、たおやかな動きで浦辺の前に歩み寄った。

 得も言われぬ品格がある端麗な顔立ちに幼心を覗かせている王女を前にして、浦辺の緊張感はより一層増した。

「あなたが召喚されたという異世界人ですね。私はアイリスと申します。既にお聞きと思われるでしょうけど、グリンメル王国を統治するディアドロス国王の一人娘です。以後、お見知りおきを」

 アイリスは浦辺の前でドレスの裾を摘まんで片足を引くと、あでやかなお辞儀をした。ヨーロッパの女性がよく行うカーテシーと呼ばれる伝統的な挨拶だった。

「はじめまして。浦辺道夫と申します」

 と、浦辺は少し戸惑った様子で会釈をした。格調高い挨拶を行った王女に対する相応しい作法がとっさに思い付かずありきたりな対応になってしまった上、その動きは誰が見ても分かるほどぎこちなかった。

 交差する緊張感と羞恥心で浦辺は居たたまれなさを抱いたが、アイリスがクスッと柔らかな笑みをこぼしたことで、張り詰めていた心が若干和らいだような気がした。

「先ほど、お父さまからあなたのことをお伺いしました。エドガー牧師が提唱する退魔の教えの布教に協力を惜しんだそうですね? それも、国王であるお父さまを前にして」

(それを咎めるために呼ばれたのか?)

 と、思った浦辺は思わず身構えた。

「王族の者を前に堂々と自らの主張を貫くその気丈さ…。私はいたく気に入りましてよ」

「アイリスさま!」

 ひざまずいていたロイスが慌てて立ち上がると、アイリスは小さく吐息した。

「ロイス、ここは私の部屋なのよ? あなたが国王であるお父さまと牧師に敬意を表しているのは分かっているけれど、この部屋ではなにを言うのも私の自由のはず。それがたとえ、代々伝わる思想に反する内容であってもね」

「…おっしゃる通りです。申し訳ありません」

 と、さっきまでの威厳がなりを潜めたロイスは、まるで母親に叱られた子どものようにおずおずと頭を下げた。

「いいのよ。もう下がって」

 と、アイリスは微笑してから言った。

 敬礼と同時に「ハッ」と威勢のいい返事をしてからロイスは扉を開けた。

浦辺を残していくことが気がかりなのか、直前にかすかな躊躇(ためら)いの色を見せつつも彼は部屋を辞した。

 これまでとはあきらかに違う態度の異変に浦辺は眉を潜めたが、アイリスの可愛らしい咳払いが聞こえ振り返った。

「さて…。突然お呼び立てして申し訳ありません、ウラベミチオ。私は、どうしてもあなたと対等にお話をしたかったもので」

「王女さま、自分はーー」

 浦辺が恐縮そうに口を開くと、アイリスはまたクスッと笑みをこぼして遮った。

「あなたはこの世界の人ではないのだから、城の者のようにかしこまる必要はありませんわ。それに、今言ったように私はあなたと対等にお話ししたいと思っていますから、硬くなる必要はありません。私のことは、どうかアイリスとお呼び下さい」

「そうおっしゃられても…」

 と、浦辺は当惑してしまった。確かにこの世界の住人ではないが、特別身分が高いわけでもない庶民の自分が、国王のご令嬢に対して敬称抜きの呼び捨てをするのはどうしても気が引けた。

「それと、堅苦しい話し方もよしましょう。そうねぇ…。友人同士みたいにフランクな感じがいいわ」

 と、悩んでいる浦辺を差し置いてアイリスは続けて言った。

「それもちょっとーー」

 と、浦辺が言いかける前にアイリスはパンッと両手を叩いた。

「はい、決まりね。今から私もそうするから、あなたもそうしましょう。それじゃあ、お茶を飲みながら語り合いましょう」

 アイリスは一方的に決めると、困惑する浦辺の腕を取ってテーブルとイスのある場所へと引っ張って行った。

 されるがままに振り回された浦辺は、アイリスに促されてイスに座った。その際、そばに控えていた初老の女中に頭を下げるのも忘れなかった。

「紹介するわ。この城で私が生まれる前からお父さまの下で家事や掃除に勤しんでいる女中のフローラーよ。病死した母親に代わって私を献身的に育ててくれた乳母でもあるの。フローラー、ありがとう。ウラベと二人だけでお話ししたいから席を外してくれるかしら」

「かしこまりました、お嬢さま。しかし、くれぐれも…」

「ええ、分かっているわ。心配しないで」

 アイリスが笑顔で言うと、フローラーは小さく頭を下げ浦辺にチラリと一瞥を向けてから品のある足取りで部屋を出た。

「ごめんなさいね。フローラーったら、見ず知らずのあなたと私を二人きりにさせるのが心配みたい。気分を害したかもしれないけど、決して冷たい人じゃないのよ。私が赤子だった頃に召使いたちがどういうわけか一斉に辞めて、フローラーたちは彼らの分の仕事も請け負っていたの。そんな過酷な労働環境にも関わらず、フローラーは実の母親のように私を育ててくれた恩人なの」

 と、アイリスは言ってからバラの柄が入った陶器のティーポットを手にし、来客用のカップに注いだ。温かい湯気が立ち込め、甘い紅茶の香りが漂った。

「お飲みになって」

「恐れ入ります」

 浦辺が会釈すると、アイリスはムッとした顔でティーポットを置いた。

「まだ硬いわね。少しは肩の力を抜いたら?」

「抜きたいんですが、抜けないんです」

「それじゃあ、抜けることを教えてあげるわ。実は私、王女として立ち振る舞って過ごすのが苦手なの。…いえ、厳密に言うと好きじゃないわ。城の者がかしこまってくる中で、格式張った生活を送り続けていることにうんざりしているの。そのしがらみから逃れた束縛のない自由気ままな暮らしに何度も憧れを抱いたわ。だけど、所詮は無理な話。だから、その願望を一時的に叶えたいという一環のつもりで、私はあなたをここへ呼んだの。異世界から来たウラベとなら、友だちのような感覚でお話し出来るんじゃないかと期待してね」

 と、言ってから湯気の立つティーカップを口に運んだが、「あつッ」と慌ててカップをテーブルに置いた。

 それを見た浦辺は無意識に小さく笑ってしまった。

「…笑ったわね?」

「失礼しました」

 浦辺が真顔になって謝ると、

「素敵な笑顔だったわ。その調子でお願い」

 と、アイリスはニコッとした。

 内に秘めていた本音を裏付けるかのような彼女の無邪気な性格を垣間見たことで、浦辺はようやく吹っ切れることが出来た。

 他愛のない会話が二人の間でやり取りされたが、憧れていた友人的な感覚での会話が実現した喜びだろうか、アイリスは時折身振り手振りをしながら話すようになった。

 対する浦辺も、アイリスと接するうちに当初の緊張感は完全に解けて、いつの間にか気兼ねなく言葉を発せられるような心のゆとりが生まれた。

「ところでお父さまから聞いたけど、ウラベは共存社会を実現させたグリフォンに会ったんですってね」

 と、一通り話が弾んだ辺りでアイリスが尋ねた。

「会ったよ。もう五年以上前になるけど」

「初めて会ったとき、どんな気持ちだった? 魔術や魔物が存在しない世界から来たあなたの率直な感想を聞かせてほしいわ」

 と、アイリスは好奇の目を浦辺に向けて尋ねた。

「そうだな…。アイリスの言う通り、ボクのいる世界じゃグリフォンは神話でしか語られていない架空の生物だから、初めて目の前にしたときの気持ちを聞かれてもうまく表現するのは難しい。ただ、しいて言うなら感動したかな。その伝説の神獣に出会っただけでなく、じかに手で触れたわけだからね。あのときの温もりは今でもハッキリと覚えているし、これからもずっと忘れることはないと思ってる」

「それほど感慨深かったのね。…でも、相手は魔物だったのよ。少なからず怖いという気持ちもあったんじゃない?」

 アイリスの問いに、浦辺は小さく頷いた。

「確かに、最初は怖かった。初めて目の前にしたときは、無意識に体が強張ったからね。でも、実際に触れ合ってみると魔物の彼はとても誠実で優しかったんだ。それに、伴侶として迎えたイザベラという女性のことを誰よりも想っている。直接手を触れてそれを実感した瞬間、怖さなんてなくなったよ」

「番いになった女性のことも聞いたわ。まさか、グリフォンと人間の女性が結ばれて子が生まれたなんて、初めて聞いたときは私も信じられなかった。そのイザベラという人は、グリフォンを夫として迎えたことに後悔はしていないのかしら?」

「それは絶対にない」

「今でも愛し合っている?」

「もちろん」

 と、浦辺は迷わず答えた。

「一つ聞かせてほしいんだけど、ウラベは魔物をどう思っているの?」

「どう思ってるって?」

「ありのままの質問よ。私は、昔から魔物は人間に害を与える恐ろしい存在として教えられてきたんだけど、ウラベはどう思っているのか気になって」

「難しいな…。さっきアイリスが言ったみたいに、ボクの世界には魔法もなければ魔物も存在しない。当然、じっくり観察することもないから、あくまで空想上の存在に対して危険かどうかと聞かれても正直困ってしまうね」

 と、浦辺は額をかきながら言った。

「だけど、エドガー牧師が協力を求めたとき、あなたは断ったんでしょう? それはつまり、牧師が提唱する退魔の教えを否定したからじゃないの?」

「ボクは退魔の教え自体に異論は唱えていない。協力を拒んだのは、彼らのことを考えたからさ」

「彼らって、例のグリフォンと番いの女性のこと?」

「そう。話を聞いているうちに、エドガー牧師が魔物に対して尋常じゃないほどの嫌悪感を抱いていると気付いてね。共存社会に対してかなり不満を抱いていたようだから、必然的にきっかけを作った彼女たちにもよくない感情を持っていると思ったんだ。命令通り彼女たちを見付けて城に連れて行けば、必ず手荒い手段で迎えるだろうと考えて協力を拒んだんだ。それに、理由はもう一つある」

「どんな?」

「彼女たちには、テオというグリフォンの息子がいるんだ。生後間もない頃に一度会ったことがあるけど、とても可愛くてね。牧師は、そのテオのことを『汚れた混血児』と罵ったんだ。それを聞いて、牧師はテオ諸共彼らに手をかけるつもりだと確信したんだ。そうでなくても、あんな侮辱的なことを言われたらしたくもなくなるけどね」

 と、浦辺は言ってからカップに残った紅茶をすすった。

 アイリスも飲み干してから、小さくフゥ…と息を吐いた。

「このグリンメル王国では、先祖代々より魔物は忌み嫌うべき存在だと教えられてきたわ。そして、その思想を支持した国民たちも、魔物は悪魔の使いだと毛嫌いするようになったの」

「さっき言っていた代々伝わる思想って、それのことだったのか」

「ええ。でも、共存社会の実現で国民たちにも変化が現れたわ。封建国家のグリンメル王国には、この城が建つ王都オスニエルのほかにカルトレイクとイリーナと呼ばれる街があるの。その二つの街を治める諸侯が、共存社会の発展で実現した異種族同士の平和的交流に理解を示したことで、一部の国民たちはそれに賛同の意を示したの。お父さまはそれを心地好く思っていないけれど」

「そういえば、国王も退魔の教えを信仰しているようだね」

「ええ。先代から引き継がれてきた思想をお父さまは重んじているみたい。…とは言っても、城に招いたエドガー牧師に王都の広場を提唱の場として提供したり、魔除けと称して巨大な十字架を建てたりしたときは、正直少し行き過ぎのような気もするけど」

「巨大な十字架?」

「見たらきっと驚くわ。圧巻なんだから」

「ちなみに、アイリスは魔物をどう思ってるの?」

 浦辺が聞くと、アイリスは少し悩んでから口を開いた。

「この国の王女としてこんなことを言うのはご法度だけど、私は本当に魔物が危険な存在なのか疑っているの。人は自分たちとは似つかない異型の存在に排他的な意識を抱くから、それによって生まれた一方的な先入観で勝手に危険だと決め付けただけじゃないかって思うときがあるわ。だから、詳しい歴史を調べてその真偽を確かめるために、時々書斎に行っては魔物に関する書物に目を通すの。その都度、お父さまに邪魔されてしまうけれどね」

 と、アイリスは苦笑を浮かべた。

「なるほどね。…ところで、エドガー牧師ってどういう人?」

 色々と情報を得ようという職業病が働いた浦辺は話題を変えた。

「元々はオスニエルにある教会の牧師だったんだけど、さっきも言ったようにお父さまの取り計らいでこの城に招かれて、以降はここでもてなされているわ」

「あの様子だと、牧師も筋金入りの魔物嫌いのようだね」

 と、浦辺は淡々と退魔の教えを語っていたときの牧師を思い出しながら言った。

「それなんだけど、教会のシスターから教えてもらったの。エドガー牧師には愛娘が一人いたらしいんだけど、どうやら魔物に襲われて殺されたらしいんですって。それで、彼は魔物を憎むようになったとシスターが言っていたわ」

「そんな過去があったのか…」

 と、浦辺は驚いてから再び対面したときの牧師の様子を振り返った。

 宝石のような輝きを放つ双眸をきらめかせながら熱心に語る姿は、自身が信仰する宗教概念に傾倒する身としてはやや異常のようにも捉えられたが、魔物に娘を殺された過去が隠されていたことを考慮すると、積極的に舌を振るうのも当然のように感じられた。

 恐らく、退魔の教えを世界的に教え説くことで共存社会の根絶と、愛娘の無念を晴らすという二つの目標を掲げているのだろう。

 牧師として、父親として…。

(…だとすると、ちょっと妙だな)

 と、浦辺がある疑惑を抱いたそのとき、部屋の扉が開いた。

「お嬢さま。そろそろ…」

 と、顔を覗かせたフローラーが遠慮がちに言った。

 残念そうな顔を浮かべるアイリスに、浦辺は外国人のように両手を広げた。

 こうして、二人だけのささやかなお茶会は幕を下ろした。

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いきなり異世界の王女さまと交流を深めた浦辺さんすごいw 王女のふとした瞬間を見て打ち解けられるようになった流れがリアルだし、一国の王女という立場に肩身の狭い思いを感じてフレンドリーに接するアイリスの社…
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