第七章 もう一人のよそ者
冷気の漂う石造りの地下牢に逆戻りした浦辺は、気を失っていた牢屋に再び閉じ込められてしまった。
「陛下と牧師に歯向かうとはバカな男だ。牧師は退魔の教えを広めることに生涯を賭けていて、陛下も牧師の教義に絶対的な信仰心を抱いておられる。二人の信念を理解することなく堂々と異を唱えるなど、通常なら見切りを付けられて処刑されてもおかしくない愚行だ」
と、ロディルが軽蔑の眼差しで浦辺を見ながら言った。
「まったくです。極刑を免れたのは、慈悲深い陛下たちの配慮であることを忘れるな」
と、ロイスは相変わらず堅実な部下らしく言った。
そのとき、地下牢の扉が開く音が聞こえた。
品のない足音を立てながら一人の人物が姿を現した途端、浦辺は思わず驚いてしまった。
「牧師は心変わりした場合はオレに声をかけろと言っていたが、生憎お前の監視を常時やっていられるほど暇ではないんでね。オレたちの代わりに、この男を監視役としてここに待機させておく。しっかりと見張っていろよ」
「分かったよ」
と、男が素っ気なく言った。
「無礼な。ちゃんとした返事をしろッ」
ロイスが声を荒げて咎めると、男はビクッと身震いしてから、
「分かりました」
と、渋面を作って言った。
「どうしてその男がここに?」
と、浦辺は男をジッと見すえながら聞いた。
「陛下がおっしゃるには、この男はお前を召喚する際に偶然一緒に連れて来られてしまったらしい。お前たちがどういう関係なのかは分からないが、同じ世界にいた者同士でつまらない語り合いでもして時間を潰すんだな。しかし覚えておけよ、ウラベ。我々は陛下たちが望まれている対魔物の世を取り戻すため、引き続き例のグリフォンどもを捜索するが、一向に進展が見られなければいずれ陛下たちもしびれを切らすだろう。そのときにお前への取り計らいに変化が現れれば、その場で処刑される可能性も否定出来ない。それがイヤなら無駄な意地を張らず、すぐにでも協力に同意するんだな」
と、ロディルは言ってから監視役を任された男を押しのけて廊下を引き返した。
「しっかりと監視しておけよ」
と、ロイスが牢のカギを男に託し、隊長の後を追った。
やがて、地下牢の扉が軋み音を立てながら閉まる音がした。
「クソッ。隊長だかなんだか知らねぇけど、やたら偉そうな口で命令しやがって。どいつもこいつもムカつく連中ばかりだ」
と、男はカギをもてあそびながら声を大にして悪態を吐いた。
「大きな声で言わない方がいいぞ。聞こえたらなにをされるか分からないから」
と、注意する浦辺を男は鉄格子の外から愉快そうに見つめた。
「正義感を気取ったせいでとんだ目に遭ったな。どんな気分だ? 本来、オレが入れられているはずの牢屋に閉じ込められて。向こうに戻ったら仲間にいい土産話が出来る」
「戻れたらの話だろう? 今のところ、ボクとお前が無事に元の世界に戻れる保証はどこにもないんだ。それを承知の上でそんなに楽観的に構えているのか、高瀬?」
と、浦辺は巻き添えで異世界に飛ばされた高瀬に言った。
うーん…と、高瀬は小さくうなってから、
「考えてみれば、戻れない方がありがたいかもな。あっちじゃ手配中のオレを警察が血眼で追っているけど、ここじゃオレがお尋ね者だってことを誰も知らない。これからどうなるかは全然分からないけど、四六時中追われる心配がなくなるならこの世界に移り住むのが理想的かもしれない。あのロディルとかいう隊長と下っ端の態度は気に食わないが、この城にいる限りオレは安全ってことだ。中々悪くない」
と、ニヤニヤしながら鍵の付いた輪を指で回した。
「元の世界が恋しくならないか?」
「全然。野暮なこと聞くなよ」
「今の立場じゃ、酒やタバコを嗜めなくなるかもしれないぞ」
「残念でした。オレは酒もタバコも大嫌いなんだ。金は好きだが、ギャンブルにもまったく興味がない。生まれつき、運がないからな」
「健康的でなによりだ。…それにしても、よく牢に入れられなかったな。どうやって国王と牧師を言いくるめたんだ?」
「なんでそんなことを聞く? 同じ手を使ってここから出ようって魂胆か? そんなに出たいなら、オレが牧師に掛け合ってやってもいいぜ」
「ごめんだね。悪党なんかの手を借りすつもりはない」
「そうかよ。じゃあ、なにが目的だ?」
「別に。単なる興味本位だよ」
と、浦辺は言ってから汚れたベッドに腰かけた。
「しいて言うなら、オレがあんたと同じ召喚された人間だからかな」
「それだけなら同じ扱いを受けてそうだけど」
「でも、そうはならなかった。きっと、同じ異世界から来た人間としてあんたに圧をかけられる頼もしい存在になると期待したんだろ」
「自惚れだね」
「なに?」
「国王が言っていたが、召喚した異世界の人間は事前に詳しく調べるらしい。ということは、現実世界でお前がやってきた悪事の数々も把握しているはずだし、お尋ね者のことも承知の上だろう。そんな悪党のお前を、国王たちが役に立つ男として迎えたとは到底思えない。こっちの勝手な想像だけど、殺されそうになったのを必死に命乞いしたんじゃないのか?」
「はぁ? ふざけたこと言うんじゃねぇよ」
と、高瀬は露骨に怒りを滲ませた。
図星を突いたと悟った浦辺は、意図的に嘲笑を浮かべた。
「現実世界で好き勝手に悪事を重ね、今度はこっちの世界で強い者に媚びへつらって身の安全を確保。しかも、この世界では強盗致傷と殺人未遂の前科を咎められる心配もないから、堂々と構えていられる。思いがけない異世界召喚にさぞ満足しているだろうけど、こっちから言わせてもらえば陰険かつ卑怯で聞くに堪えないね」
「おいッ。それ以上好き放題言ったらただじゃおかないぞ」
と、浦辺を指差しながら高瀬は凄んだ。
「そんな軟弱な体でどうするんだ? そういえば、駅で一発蹴りをくれたけど、あんまり歯応えがなかったな。子どもに足を踏まれる方がまだ痛いよ」
「バカにしやがって!」
逆上した高瀬は持っていたカギをガチャガチャと差し込んで扉を開くと、目を血走らせながら浦辺に殴りかかってきた。
浦辺はベッドから即座に立ち上がると、突き出された高瀬の手首を掴んで思い切りひねった。
狭い地下牢の中、合気道によって高瀬はしたたかに背中を地面に打った。
グハッと声を漏らした高瀬が悶絶しているスキに、浦辺は開け放たれた鉄格子の扉から廊下へと飛び出した。
しかし、その行く手を憲兵騎士団隊長のロディルが阻んだ。
浦辺が構えると、ロディルは鞘に納めていた大きな剣を引き抜いて彼の目の前に突き出した。
浦辺は絶えず構え続けたが、ロディルの鬼気迫る眼差しに見つめられ続けた結果、ゆっくりと腕を下ろした。
「無鉄砲なヤツだと思っていたが、往生際はいいようだな」
と、ロディルは嘲笑ってから浦辺を牢に押し戻した。
それから、痛そうに背中をさすっている高瀬の襟首を掴み、強引に立たせた。
「異世界人が愚かな人種なのは分かっていたが、お前はその中でも特に群を抜いた愚か者のようだ。相手の挑発にまんまと乗って、あろうことか自ら牢を開けるとは。まさに、後先を考えず突っ込む無能な魔物同然だな」
「なにをッ」
高瀬はロディルに食ってかかったが、彼の持つ剣の刃先が首筋ギリギリに迫ると、威勢のよさはあッという間になりを潜め、青白い顔でゴクッと息を呑んだ。
「このオレにまで盾突くとは身の程知らずが。貴様のような小物はこの場で今すぐ首を斬り落としてやれるが、生憎陛下と牧師から生かしておくよう命じられている。しかし、よく覚えておけよ。今度またこの男の挑発に乗って軽はずみな行動を起こしたり目に余るような行動が目立ったりしたら、オレは是が非でも貴様の首をはねてやる。それを肝に銘じておけ」
松明の炎で赤髪を不気味に輝かせながらロディルは凄んだ。
高瀬はわなわなと口元を震わせながら何度も首を縦に振った。
「お前もだ、ウラベ。また妙な真似をしたら、次こそ容赦しないぞ」
ロディルは剣を鞘に納めると、鍵穴にカギを差し込まれたままの扉を閉めてから施錠した。
抜いたカギを高瀬に押し付けると、鎧特有の金属音を地下牢に響かせながら出て行った。
扉が閉まる音が聞こえると、高瀬はキッと浦辺を睨み付けた。
「日本に戻ったら覚えていろよ」
「戻れたらの話だろう?」
と、浦辺はさっきと同じ言葉をもう一度言った。
高瀬は食ってかかろうとしたが、気持ちを落ち着かせるとフンッと鼻を鳴らして壁にもたれかかった。